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三章・十一節 贖罪の誓い

『コーラといったらやっぱビンよね!』


 というのが宮藤カイという少女の口癖だった。


 いや、もはやキメ台詞とも言えたかも知れない。

 勉強、運動、訓練、遊び……あらゆるものの〆にビンコーラを仰いでいた。


 霊能力者としても近年まれにみる稀有な才能で将来を期待されていたが、涼が彼女を思い出すのはそういった才女の顔ではなく、決まって美味そうにコーラを流し込む姿。どこから買ってくるのか、必ずビンであった。


「缶でもペットボトルでもいいじゃないか」


 生前にぶつけた疑問を口にするのは、墓参りの度のお約束だ。


『ダメダメ。この栓抜きの一瞬が味を二倍にも三倍にもするんだから』

「探すのに苦労するんだ……」


 義手の指で栓を弾き飛ばして、涼は墓石に甘く黒い炭酸飲料をかける。つるつるとした石肌に無数の泡が弾けて消え、独特の焦げ茶色が名前の彫りから滴る。


 涼にしてみれば炭酸の爽やかよりも、甘ったるい砂糖の匂いの方が鼻をついて仕方がない。口に入れようものなら歯に甘みが絡みついた様な後味に悶えるほどだ。


 自分のお供えにはコーラだけは遠慮してもらおう、とは何度目の決意だろう。


 空になった薄く緑がかったガラス瓶は置くと、涼は用意していた桶の水でコーラを洗い流す。カッコつけて放置すればベトベトになった墓石に虫が湧くのは必至である。


「……もう少し、真面な遺言は無かったのか?」


 嘆息交じりの苦言も恒例だ。


 唯一彼女の死に立ち会った涼へ残した遺言というのが『お供えはいつものでお願い』というのだから、仕方がないと言えばそれまでだ。


 ビンコーラを売っているところがもう殆どないので、次回は通販も検討しなくてはいけない。通販で買ったお供えがセーフかアウトか……墓石の主の性格を思い返せば、涼はまたマニアックな市内探索に乗り出すこととなるだろう。


 清掃を終えて、仏花を備えた涼は線香に火を点けようとライターを擦った。が、ガスが切れかかっていた事を忘れており火花が散るのみ。


 仕方なく火行符で着火しようかと涼が腰のホルスターに手を伸ばす前に、チンっという子気味良い金属音が鳴る。


「どうぞ」


 横合いから差し出されたジッポーライターから有難く火を貰うと、余分な火は振り消して涼は香炉へと線香束を置いた。


「悪いがもう一度火をくれ」

「かしこまりました」


 煙草を咥えると、少々風が吹いてきたので手で風よけを作る。

 紫煙が立ち昇ると再びジッポーの音。


『煙草は吸ってみたかったな』


 子供特有の煙草という大人への憧れを宮藤カイという少女も抱いていた。

 呪詛の充填に煙草を涼が選んだのは、そんな彼女の素朴な未来の肩代わりを気取っているのかも知れない。


「この御方とは親しかったのですか?」

「いいや。別に」


 勝手についてきたシャノンの質問に涼は首を横に振って否定する。


 嘘ではない。

 同い年で学校もクラスも同じだったが、言葉を掛けられた事はあっても交わしたことは殆どなかった筈だ。


 こうして暇を見付けてはビンコーラの差し入れに来はするが、墓前で語るような話も特になく。訪れるはいいものの、近況報告もせずに帰るのが常だ。監視官に任命された時もそれは変わらなかった。


「そもそも宮藤の事はよく知らない」

「多忙な時間を縫ってまでして、手を合わせに来たのにですか?」

「……まあ強いていうなら“お友達役”だったのかもな。学校の俺は放って置けば座敷童子にもならん幽霊生徒と大差なかっただろよ」


 親同士が親友だったこともあり、何か口利きがあったのだろう。クラスで浮いた存在であった涼を宮藤女史はよく気に掛けていた。授業がペアで取り組む内容であれば、彼女から率先して手を取りに来ていた。


 だというのに涼が彼女の事を知らないのは、涼が現在より過剰に人との接触を嫌っていたからだ。其れこそ宮藤はおろか家族にさえも例外なく。


 何人かの諸先輩方に苦言を賜った事もあったが、涼はその身に抱える特殊体質故に、交友関係を築こうとしなかったことを後悔したことは無かった。


 だがそれも今日まで。


 改めて墓前に向き直った涼は重い溜息を吐かずにはいられない。


「……多少なりとも君と交遊していれば、フランの真意に気付いたのか?」


 後悔は如何にも遅すぎ、時を巻き戻す術は陰陽師の始祖といえど叶わない。


 四日前の通信以降、フランと連絡は取れていない。

 フランの言うところの涼の選択肢が、雀たちに宮藤の最後を強要してしまうのなら、ヒントは四年前にある筈なのだ。


 あの頃にもっと彼女と親しくしていれば──ザラザラと錆び付いた思い出が涼を責め立てるようだ。


「はあ……」


 煙草が半分ほど灰に変わったところで、涼は火をもみ消した。


 何か思い出せる事があるかもと淡い期待を込めて此処に来たのだが、やはり徒労だった。そもそも涼は宮藤カイを看取っただけで、彼はあの日巻き込まれた事件すら知らないのだ。


 頭の痛いことに、あの時錯乱した涼が何もかもを破壊し尽くした事が原因。四年の月日を経て自身の行いに苦慮されるのだから、これほど滑稽な話もあるまい。


「旦那様、私も手を合わせても宜しいでしょうか?」


 墓場であろうとも仮初の主従契約に従順であり続けるシャノンの請いに、涼は渋い表情を浮かべながらも頷く。


 死霊師(ネクロマンサー)等の墓荒らし防止の為に、眼前の墓標は伽藍だ。フェイクの墓標とはいえ公然と『旦那様』は若干、いやかなり恥ずかしい。式神にも呼ばせていないというのに……。


「失礼します」


 涼の前に出たシャノンは服が汚れる事も厭わずに地面に膝をつくと、長い睫毛を伏せ両手を組んだ。


「──」


 手を合わせるというより、教会で祈りを捧げる信者のようだ。聖女の様な神秘的な美貌と相まって、不覚にも涼は魅入りそうになる。改めて見るまでもなく、シャノン・コーデリオンという少女は類稀なる美女なのだ。


 けれどもその横顔には隠し切れない憂いが滲んでいた。絢爛豪華な白亜の城に薄く走った亀裂の様な、淡い濁り。


 せめて死後は安らかであれという、悲願。


 幾度も幾度も、そうしてきたのだろう。

 同族に襲い掛かった悲劇が責務となって、彼女の細い肩に圧し掛かる様が透ける様だ。


『困った人を助けるのは当たり前だよ。いつか回り巡って私にも返ってくるかもって、下心も多少はあるけどね』


 いつだったか。こちらに手を差し出す宮藤の姿が蘇る。


 此処に宮藤がいれば組織や地位のしがらみを振り切ってでも、シャノンに手を差し伸べただろう。


 フランの真意に頭を悩ませるでもなく、明日の自分に誇れるよう今できる最善を尽くす。例えそれが敵対する組織が相手だろうと、恐ろしく強い吸血鬼に挑むことになろうとも。


「困っている人を助けるのは当たり前、か……」


 シズの一族と第一級指定魔族が何を涼に迫るのか。いまだ真相の輪郭すら掴めていないが、少なくとも携わった以上はけじめを付けなければなるまい。


 結果として伊調銀治の策略に進んで嵌る事になりかねないものの、その辺りは既に割り切っている。


 成すべきことを模索し、少しでもマシな結末を目指す他、涼に最善は無い。


(結局はこの眼で見定めるしかない……か。)


 作業を中断してまで墓地に来て、定まった事が心構え一つなのはなんとも不細工極まりないが、雑念を払えたと思えば安い出費だ。


 差し当たって、涼はもう一つ。疑問を解消しておくことにした。


「君、砂純建人を知っているか?」


 シャノンの黙禱が終わるタイミングを見計らって、涼は八月に葬った少年の名を訊ねる。


「……はい。命の恩人です。私を吸血鬼の襲撃から逃がして下さいました」


 シャノンは背中を向けたまま答える。


 やはり四日前に垣間見たのはシャノンの記憶に間違いなかった。故意ではないにせよ、記憶を覗いたことは謝罪済だが、その内容までは言及してしなかった。


「彼はなぜ君の村に?」

「詳しい事は何も……。森で行き倒れている所を村の誰かが運んで来ただけです。あの人は記憶を失っていたらしく、名前と出身国以外は何も覚えていませんでした」

「んん……」


 現在から約三十年前。集団失踪した修学旅行生が魔術翁と見られる術師によって、強力な人造魔獣・人獣へと落とされた。


 その中で砂純建人は変異の影響からか唯一事件以前の記憶を一切失い、服従の鎖からも解放されていた。


 彼が五輪市に現れるまでの足取りは調査中であるが、シャノンの記憶を見る限りは三十年間ずっと記憶喪失だった訳ではないようだ。シズの村に居合わせたのは偶発的かは定かではないが、建人は涼に葬られるまで闘い続けていたに違いない。


 改めて彼へ敬意を抱くと共に、涼は救えなかった己の無力加減に頭が来る。自然と唇を強く噛み、目付きは厳しくなる。


 その涼の憤りを間違って解釈したのかシャノンは向き直ると、小さく腰を折った。


「御咎めは甘んじて受け入れます」

「ああ、そうだな……。ん? いや、何を言っている?」


 唐突に処罰を求められ、涼は眉を顰める。一体いまの話の流れで何を咎めろというのだ。


「砂済様の件です。彼が人外の魔物である事は私も聞き及んでおりましたが、今まで黙秘していました」


 主の職務に関わる重要な事柄を口にしなかった。シャノンが気にしているのは、仮初とはいえ主従関係に相応しくない自身の振る舞いという事だ。


 何を言い出すのかと思えば……と、頭を抱えたい気分である。


「それは俺が管轄することではない。……君、少し律儀過ぎやしないか? 神崎の命令とはいえ、そこまで己を貶める様な従順な在り方は看過しかねる。死者とはいえ此処には人眼もある事を忘れるな」

「……お気遣い頂き有難う御座います」

「はあ……」


 淡白な返事を口にするだけのシャノンに、涼は大きく天を仰ぐ。


 どうにも彼女は自己主張が乏しいきらいがある。

 涼や雀に対しては比較的ものをいう方だが、特にアルベルトに関してはそれが顕著に見える。勿論、知り合って間もない涼の私見ではあるが。


 シャノンが涼を主と仰ぐ様に、アルベルトもまたシャノンを特別視しているのは少ないやり取りから伺える。


 だが実状を顧ればどうだ。シャノンはアルベルトを嗜めることはあっても制御しているとは言えず、寧ろアルベルトに押し切られるばかりだ。


 本来敵対関係にある涼に仕える事にしても、大きな反発を見せない事からも服従ないし、常に自己の抑圧に慣れ切ってしまっている風だ。


 幼くして故郷を追われ、文明社会に放り出された少女が生き抜くには、抵抗せず服従にてっするのが精一杯だったのだろう。ましてや彼女はシズの一族。眼玉そのものが最強にも最恐にも成り得る稀有な存在だ。実力主義のGHCなら、シャノンをまっとうな人間として彼女を扱っていたかも疑わしい。


 従者として従順である事は美徳かも知れない。


 だがO(オークション)L(ラビュリンス)は法が届かない人外魔境の魔窟だ。あの場ではアストレアの権威も意味を成さず、だからこそ抑止力となったヴラドも唯の吸血鬼に成り下がる。


 戦闘となれば連携は必至。些細な心の行き違いが致命傷になる戦場において、シャノンの在り方を見過ごすわけにはいかない。


「シャノン、一つ言っておくことがある」

「はい。何なりと」

「俺は君を特別視していない。当然ながらアルベルトも、そしてシズの一族に対してもだ」

「……はい」


 アルベルトがいれば罵詈雑言をもって涼を罵るだろうが、シャノンは組んだ指に僅かに力を籠める他に反応を示さない。


 反感の感情すら見せないシャノンに涼は思う所はあるが、ただしと後に言葉を繋げる。


「今後は俺の力の及ぶ限り、君達一族が奪われた眼の代替品を拵えるつもりでいる」

「──っ!? 義眼を、ですが……私達の眼に適合するものは……」


 綺麗な碧眼をまん丸に向いたシャノンは驚愕と困惑に視線を泳がせる。


 シズの一族の眼は特殊だ。魔眼の素質を備える故に、肉体と霊基の結合が常人のそれとは比較にならない程複雑になっている。この十日あまり涼がシズの眼の解析に悪戦苦闘しているのが良い証拠だろう。


 大言壮語と普通なら一笑に付されるのが関の山。幾ら涼が式神職人・人形師として卓越した能力を持っていようとも、例外にはならない。


 本来であれば──


「その刻印。それは俺の身に巣食った呪詛そのものだ」


 涼はシャノンの首に刻んだ赤い痣を指し示す。意識を傾ければじんわりと熱を帯びた刻印から、確かに涼の呪詛を感じる事が出来るだろう。


「存じております。ですが、それと義眼にどのような関係が……?」

「その“赤服”の呪詛は君の肉体と霊基に深く喰い込んでいる。最早俺自身ともいえる程に。つまり制御は出来ても、“解呪”は俺にも出来ない」


 身体を動かすことは出来ても、抹消する事は出来ないのと同義。

 契約期間が過ぎようとも、呪詛は消えない。


「ではアルベルトや幸白様達も──」

「そう。よほど優秀な除霊師にでも掛かるか、呪詛が巣食う肉体ごと抉り出さない限りは、その刻印は死ぬまで君達に巣食う。下手に干渉すれば飲まれかねないぞ」


 これは決して自惚れではない。


 涼が生家を追われる原因となった“赤服”の呪詛は、アストレアが方々に手を尽くしてもついぞ解呪が叶わなかった。除霊師の中には涼を一目見た瞬間に匙を投げた者もいるほどだ。


「勿論、俺が炸裂させれば死が呪詛から解放をしてくれるだろうが……言いたいことはこんな自慢気な話じゃない。いいかシャノン。その呪詛は俺そのものといってもいい。言い換えれば、君はいまその身に“宵波涼”を一部共有している、とも言える状況だ」

「この痣が、旦那様……」


 言葉を反芻しながら、シャノンは痣を撫でる。忌避感を覚えられるかと涼は身構えていたが、予想に反して彼女の反応は穏やかだ。ほんの少し拍子抜けであるが、不都合はない。


「以前君は驚いていたな。研究の進捗が早すぎる、と」

「? はい。ですがあの場では参考文献とサンプルに富んでいたからと、旦那様は申していました」

「そう、絡繰りはある。キチンとしたな。だがこの前話したあれで全部とは言っていないだろう?」

「それは、確かにそうですが……」


 魔眼の加工術式、人獣、烙蛹魔術、そしてアルベルトという生きたサンプル。これだけでも十二分な研究資料な筈であるが、涼はまだ絡繰りがあるという。


 シャノンは小首を傾げるが、直ぐにハッと首元を抑える。絡繰りも何も、ついさっき涼が語ったばかりだ。

 シャノンが“宵波涼”を共有しているというのであれば、逆もまた然りではないのか。


「私とアルベルトの“眼”を同調して読み取った?」


 先日シズの一族が無意識下で繋がるネットワークを介して、シャノンが加工される同族の眼と同調してしまったように、呪詛を介して涼もまたシャノンと同調した?


「見せた方が早いな」


 そう言うと、涼は掌で眼を覆う。僅かな霊気の揺らぎの直後、懐かしい感覚にシャノンは身を震わせる。


(まさか──)


 ゆっくりと涼の手が退けられ、隠された目元が露わになる。


 涼の眼はいまや黒瞳から翠玉を思わせる碧眼へと在り様を変えていた。


 同族のシャノンには分かる。シャノンやアルベルトよりも僅かに赤味が混じっているが、間違いない。あれは紛れもないシズの眼。


 それも唯の模倣品ではない。


「お父、さま」


 没我の呟きだった。

 故郷が炎に包まれたあの夜、幼かったシャノンを無理矢理建人に押し付け、ついぞ再会することの無かった、あの色だ。


 十年以上の歳月を経て記憶もおぼろげになってしまった、父の色。


「中々の再現度だろう? 意図せずに君と深く同調したことで、最大の課題だった眼の基礎術理のヒントを得られた」


 試作段階のために焦点が上手く定まらず、視界はかなりぼやけている。ただ涼は気配からシャノンの反応が概ね良好である事を感じ取っていた。


 涼が義眼の提供を切り出した理由が、正に此れだ。見栄でも誇張でもなく、シズの義眼の設計図を既に涼は確立しようとしていた。

 これが今できる、彼のシズの一族へのケジメと償いへの確かな答えだ。


「まだ実用化には遠いが、短時間でも俺に固着化出来るに、君達シズの一族ならもっと低負荷で移植可能なはずだ。……まあ君らが形成するネットワークの模倣はまず無理だが、少なくとも視覚については必ずどうに、か……っ!?」


 不意に両頬が暖かい感触に包まれ、涼はビクリと身体を硬直させる。反射的に払い退けようとしたが、小さな嗚咽にはたと気づく。


「……っ、どうした?」


 苦労して焦点を定めた涼は眼の前に飛び込んで来たシャノンの泣き顔(・・・)に、それ以上言葉を出せない。


 ハラハラと涙を零し、小さく嗚咽を上げるシャノンはそれでいて一心に涼の両眼を覗き込んでいる。


「お父さまの、色です」

「シャノン?」

「死んだ父の眼です。旦那様……」


 声を掠らせ父の色だと繰り返す。


 涼が製作したシズの眼はアルベルトではなくシャノンのDNAと霊基を基礎に据えたものだ。彼女ないしその親族に近しい特徴が反映されるのは自明の理といえよう。


 偶然。あるいは運命の悪戯か。


 止めどなく頬を濡らすシャノンの眼元を、涼はそっと指の腹で拭ってやる。


「似ているか?」

「はい……とても」

「そうか。なら上出来な部類だな」

「ええ……ええ! これならば、同族の暗き瞳に、再び光が差すでしょう」


 再現の限界時間に至り眼を戻して尚、シャノンは大粒の雫を流し続ける。少なからず彼女の過去に触れた涼も、込上げるものがある。

 だが涼はまだ彼女へ語るべき事を伝えきっていない。


「先に断っておくが、いまのは出品用に間に合わせたモノだ。移植用の義眼の完成にはまだ一年か、二年、あるいはもっと時間を要するかも知れない」


 下手な期待を抱かせてしまう前に、現実は知って貰わなければならない。間に合わせの肉体補完ではなく、完全に近い形で眼球を復元するには、生半な研究時間では叶わない。


 ヴラドを打倒し、シャノンとの契約が終わろうとも、涼はこの先も研究を続けなければならない。その為には眼球の構造解析をより精密にするだけでなく、臨床試験や経過観察などどうしても独力では叶わない課題が発生してくる。


 ──必ず、協力者が必要となる。


「旦那様」


 涼の機械仕掛けの義手を手に取ったシャノンはおもむろに膝をつくと、いつかの様に手の甲に唇を落す。忠誠と尊敬の意を、涙と共に。


「卑小なる私ではありますが、貴方様の御心のままにこの身を捧げる所存です」


 声は涙で震えていたが、彼女が口にした誓いに確固たる意志が籠っていた。


 此度は組織の思惑が介入したパフォーマンスではない。


 それは同時に、初めて涼がシャノンの本心に触れた瞬間でもあった。


 唇を離した後もシャノンは涼の手を強く額に押し抱き、石畳に雫を落し続ける。


「旦那様、旦那様……!」


 何度も何度も涼を呼ぶ少女の姿は幼子のそれのようだ。


 魔眼の力は絶大だ。


 例えば人心に干渉する魔眼はアストレアの記録にあるだけでも甚大な被害を残している。人格や記憶を破壊すれば力量差は意味を成さず、自我を操り傀儡人形に仕立て上げれば相手の人脈・地位を裏から支配可能だ。


 能力に限らずO(オークション)L(ラビュリンス)で出品されれば、軽く人生が狂う金額が飛び交う。それが魔眼だ。


 その素体である金の卵を抱えた少女が、今日に至るまで曝された悪意の数々は想像することも難しい。街を出歩けば擦れ違い様に眼球を毟り取られる危険と隣り合わせ。心が安らぐ日など無かっただろう。


 シズの一族ではなく、シャノン・コーデリオンそのものに価値を認めさせる為の苦悩は、並大抵ではなかったはずだ。


 同じ様にして居場所を求めた同族の訃報を、何度味わった事だろう。決して多くない同胞の数を何度指折り数えた事だろう。


「シャノン・コーデリオン」


 義手を握ったままのシャノンを立たせ、涼は彼女と眼を真正面から合わせる。


 これから交わす契約は、アストレアもGHCも関係ない。ただの宵波涼とシャノン・コーデリオンの名によって成立する利害関係。


 眼の淵に溜まる滴を払い、シャノンは背筋を伸ばし涼の言葉を待つ。


「力を貸してくれ。そして──俺にどうか貴女達一族への償いを許してほしい」


 これは自己満足に等しい。


 アストレアがシャノン達に強要した迫害を是としながら、涼は償いをと宣うのだから。


 いつだって事件は対症療法が精々だ。犠牲者が出てからでは端から引き分けすら叶わず、涼達に“抑止”の力が十二分だった事などない。その咎がヴラドたち第一級指定魔族を作り出し、犠牲を必要としたのだ。


 もし満足に叶う事があるとすれば、それは過ちを健気に正し、犠牲者に尽くすことぐらいだ。


「やはり、貴方を選んで良かった。アルベルトの反対を押し切った甲斐がありました」


 一歩近づいたシャノンは涼の義手を胸に抱き寄せ、もう一方の手は首の刻印に触れている。


「人獣であった砂済様を手厚く弔ったと伝え聞いた時から、私は貴方をお慕いしておりました。お慕いしております、旦那様」


 また、シャノンの眼に涙が溜まる。


 組織ではなく、ただ個人として自分達を憂い、尽力を確約してくれた涼の言葉がただ嬉しかった。


 アストレアの理念を優先すれば“赤服”の力で今すぐにでもシャノン達を縊り殺す事が、涼達の益になるというのに。魔眼の素である彼女達だからこそ、魔眼の脅威も、齎す人災の規模を正しく認識している。


 かつて第二次世界大戦の影で一族が多くの屍を築き上げた様に、世に解き放たれた魔眼は再び多くの命を散らしている。


 魔眼蒐集家のヴラドは、いわば災禍を封じる鎖の役割。正真正銘の抑止力そのもの。失われれば悲劇は繰り返される。


 だからこそ、シャノンは涼を選んだ(・・・・・)


 シズ狩りを助長し、数多くの魔眼犯罪が産み落とす結果となってしまった、ある選択の末路。失敗してしまった自分達がなりそこなってしまった“猛毒”となりえる人材を。


「お伝えしなければならない事があります」


 それはシャノンがずっと語るべきか迷っていた、亡き同胞諸共闇に葬られた身の錆。


 だが此処にきてその憂いは取り払われた。


 組織も、仮初の主従も、あらゆるしがらみを脱ぎ捨てて、シャノンは涼へと打ち明ける。


「旦那様。この事は、どうか雀にも内密にお願い致します」

「──わかった」


 涼の頷きを受け、シャノンは首の刻印を触媒に涼と霊的回線(パス)を繋げる。以前の偶発的な同調とは違う。今回は意識の扉を開き、涼を迎え入れようとする。


 見せるのは、先日と同じ故郷が失われた日──その経緯。

 徐々に涼の視覚がシャノンの記憶とリンクしていく。


「これは──!」


 脳裏に映し出されたのは月光を掻き消す劫火に飲み込まれる村と、凶星の如き真紅と碧玉の双眸の群れ。


 紅と碧の双眸は、皆独特の民族衣装姿であり、その出で立ちから文明社会から身を引いている事は想像に容易い。


 ──まさか。


 涼にある予感が去来する。それもあまり歓迎したくない部類の。


 出来れば嘘であって欲しいが、誰もが持つ首筋の“噛み傷”を認めた瞬間、願った嘘は呆気なく砕け散った。

 あの噛み傷は人の道を外し、文字通り人外へと成り下がった凋落の烙印。


「私達の故郷は吸血鬼に襲撃され、森を追われたのは事実です。しかし、それは事実を正しく捉えている訳ではありません。あの悲劇は我々の──ッ、旦那様!」

「──ッ!」


 確信へ触れる直前、同調を中断したシャノンの警告が飛ぶ。


 直後に飛来するのは、凄まじい霊力のうねりと、濃密な殺気。


 シャノンよりも僅かに早く感づいていた涼は、シャノンを抱き寄せて墓石の影へと素早く飛び込む。


「あっ、……!!?」


 だが僅かに遅かった。

 墓石へと身を隠し切る間に、シャノンの背中から鮮血が散る。


「シャノンっ」


 少女の背中は見るも無残な有様になっていた。


 巨大な鉤爪で引き裂かれた様に深く背中が抉れており、肩甲骨まで断ち割られている。致命傷ではないが直ぐにでも治療しなければ出血多量で死さえあり得る。


 だが悠長に襲撃者が治療を傍観するわけもなく。


「──貴女には失望しましたよ、シャノン様」


 言葉通り、落胆を滲ませる声が降ってきた。


「貴様ッ、どういうつもりだ!」


 霊園の直ぐ外の電柱に発つ襲撃者を睨み付け、涼は抜き放った銃を突きつける。


 その襲撃者の双眸はシャノンとよく似た碧眼でありながら、いまや右眼の虹彩に複雑な紋様を浮かべ、白目の部分まで紋様を刻んでいた。


 魔眼だ。


 しかし涼の知る限り彼は魔眼持ちではなかったはずだ。何せ五輪で一日中彼の眼を研究資料とし、観察し続けてきたのだから。


 ならばあの魔眼は涼が東京へ向かって間もなくに加工されたもの。


 涼に惨敗を喫した故の対応策としてならば理由はまだ分かる。だが、同胞にその矛を向けるとは如何なる正当性があってのことか。


 シャノンを抱え、煮え滾る怒りを隠さず涼は襲撃者へ吠える。


「殺される覚悟はあるか、アルベルトッ!」


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