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三章・九節 花嫁候補に悪癖の味見

 結論から言えば、涼、雀、シャノンの三人は客間で一晩を過ごした。


 客間の和室は十畳ほどと比較的広く、ゆとりを持って布団を敷いても不自由はない。

 それでいて何故安芸は川の字を強要したのか。その理由はキチンとあるのだが、それはそれとして男女の仲を発展させるようなイベントは発生しなかった。


 理由は単純。平均睡眠時間が三時間を切っていた涼が遂に限界を迎えた。それだけだ。

 電池が切れた様に畳の上で直接寝息を立てる涼は最早起きる気配はなく。


 布団に移動させようにも、雀もシャノンも女性。二人とはいえ男の涼を運ぶのは骨が折れる。


 シャノンに至っては意識の無い涼に触れたことで、首に刻印を刻まれたばかり。刻印が彼女の身にどういった影響を及ぼしているかは定かではないが、避けるに越した事はなく。


 第一、彼女達も移動疲れでいい加減瞼が重かった。


 胸の高鳴りなど誰も覚えず。

 淡々とふすま衝立でお互いを仕切って、その日は雀たちもさっさと床に付いた。色気より眠気である。


「寝過ごした……」


 熟睡から涼が眼を覚ましたのは、翌日の正午過ぎであった。

 雀とシャノンの姿は無く、家にも誰もいないのか静かである。義弟の陸奥も義妹の伊予も学生なので学校だろう。会いたかったが、まあ夜でも問題あるまい。


「におうな……」


 ふと鼻に突いた刺激臭に顔を顰めると、自分の体臭であった。

 工房に籠っていた間もシャワーだけは浴びていたが、昨晩は身体も拭いていない。畳に直接寝ていた為に身体もあちこち変に痛んで大変不快だ。


 涼は一直線に脱衣所に向かい、汗を吸った衣服に手を掛ける。まだ不慣れな義手ではボタン一つ外すのも苦労しがちだ。霊力で無理矢理動かすことも出来なくはないが、訓練と割り切って鋼鉄の指を動かす。


 安芸に看破されたように、涼の両腕は肘から先は機械仕掛けの義手。手袋を外せば骨格をそのまま腕に仕立てた様な鈍色の義手が姿を現す。


 材質はアルミ合金を地金にした特殊合金、戦闘を想定して指先や間接は緋々色金を使用しており霊力の通りは生身と遜色は無い。指を動かせばカタカタと金属音が鳴るも、動作自体は間に合わせで付けていた義手とは比較にならない程滑らかだ。


 手配した智巳には、改めて感謝を伝えなくては。


 式神・常磐津と腕だけ同化すれば生身の感覚は容易に取り戻せるが、常時腕二本を生やす霊力の消費は馬鹿に出来ない。


 苦労して身体を清めた涼はラフな服装に着替えてダイニングルームに入ると、テーブルに朝食──既に昼食だが──と共に書置きがあった。


『起きたら道場に来い』


 筆跡は安芸のものだ。


 宵波家の裏には小さいながら道場が建っている。普段はあまり使っていないが、涼が宵波家に引き取られて間もなくは新しい家族に馴染めず、道場でよく瞑想していたものだ。


 シャノンが用意したと思われる朝食を頂戴し、洗濯物を干してから涼は道場へと向かった。


 玄関を潜る前から叫び声と、不規則にドンッと鈍い音が聞こえてくる。主に叫んでいるのは雀とシャノンのようだが。


 道場に入れば、予想通り雀とシャノンが安芸に徒手格闘を挑んでいた。


「シャノ! もっと早く逆から回り込んでッ」

「貴女こそ往なされてばかりで、少しは組み付けないのですか!」


 汗まみれで息と衣服が乱れている雀とシャノンに対して、安芸は汗一つ搔いていない。退屈だと言わんばかりに欠伸を噛み殺していた。


「ん? よう涼、起きたか。悪いが女たちを借りてるぜ」

「おはよう、義姉さん。挨拶は置いて、妙な言い方は止せ。事実無根だし、彼女達に失礼だ」

「女は軽々しく何の理由もなく男と寝屋を共にしない。昨晩も抵抗なく同じ部屋で寝てたじゃないか」

「お喋りとは随分余裕かましてくれるじゃないッ!!」


 完全に涼へ視線を外した安芸へ雀がスライディング気味に足払いを掛ける。会話の隙を狙ったというより、単に安芸の態度に腹が立ったといった感じだ。


 真正面からの馬鹿正直な攻撃だが、涼の眼から見てもそう悪くはない。憤っているように見えて雀は安芸が涼に顔を向ける逆方向から攻撃している。速度も申し分ない。


 だがそれを安芸は空き缶でも道端に蹴るように容易く往なす。雀へは一瞥もくれる事無く、涼と会話を続けながら。雀の足払いは起動を大きく反らされ、空振りに終わる。


「こ、のっ!」


 だが雀は朝から散々安芸の相手をされてきたのだ。往なされることは織り込み済。

 往なされた勢いを殺さずに雀は床を転がり安芸の死角へと更に潜り込んでいく。


「ふッ!!」


 シャノンも遅れてはいない。雀の狙いを察しこちらは安芸と正対する。彼女の格闘スタイルは姫君の様な見た目を反して、相手の殺傷を目的とした軍隊格闘術のそれだ。彼女独自のアレンジか蛇蝎の様な脚運びに独特なステップが組み込まれており、容易には間合いを見切れない。


 前後からの挟撃に対し、しかし安芸の余裕は全く崩れない。


 ひじ関節を狙ったシャノンの腕を容易く掴まえると、間接とは逆方向に捻り上げる。条件反射で背筋が伸びたシャノンの背を安芸は一歩前に踏み出て軽く押し出した。


「ちょ──」

「えっ、あ」


 結果。飛び掛かろうとしていた雀と盛大に衝突。ひと昔前のギャグマンガよろしく額同士を強くぶつけ、雀とシャノンは星を散らした。


「そろそろ昼飯だな。冷蔵庫に何かあったか?」

「豆腐と合挽肉が少しある程度。買い出しに行かないとな。ポストにピザの広告が入ってたから、出前でも頼む?」

「あのデブ飯をか? ……まあ、たまにはいいか」


 もみくちゃになる客人を放り飯の話に興じる宵波義姉弟。これには負かされるだけ負かされた二人も我慢ならない。


「人を勝手に運動相手にしておいて腹が減ったら放置プレイってか!? ちょっと涼、その女どうしようもない自己中よ」

「騎士道精神の欠片もありません。安芸にはGHCの短期集中矯正プログラムの参加を強く要請します」


 『その女』呼ばわりに『安芸』と呼び捨て。初対面という壁が粉々に砕け散る程度には、随分手荒く扱われたらしい。


 涼の口から思わずといった風のため息が零れる。雀たちの有様は実は宵波家の女傑に代々受け継がれる悪癖の賜物だったりするのだ。


「……義母さんといい、気に入った同性を味見する癖、どうにかならないのか?」

「性分なんだ。許せ」

「いや俺に謝っても……」

「それよりお前も一戦どうだ? 一年半、ただ向うで遊んでたわけじゃないだろ。胸を貸してやるから来い」

「病み上がりで義手なんですけど?」

「涼やって。その女の吠え面見ないと気が済まない」

「旦那様。従者の失態は主の失態と同義です」

「しかしだな……」

「「つべこべ言わずに戦え!」」

「……はい」


 雀とシャノン。根は同じ負けず嫌いなのか、血走った眼で安芸との組手を強要してくる。いまにも眼から血が吹き出そうな形相故に、涼は押し切られてしまった。


「お手柔らかに……」

「何処からでもいいぜ? 負けた方が昼飯代の全持ちだ」


 不承不承ながら涼は安芸と少し距離を置いて立ち会う。


 義手の動作は式神操作の応用で補う。握り開きを繰り返し、感覚の擦り合わせを入念におこなう。組手程度なら何とかなるだろう

 身体の調子もそれなりに良好。リハビリと割り切れば、丁度いいといえば良かった。


 呼吸を整え、思考を監視官のそれへと切り替える。

 安芸の纏う空気もまた涼に合わせる様に研ぎ澄まされていく。


「──」

「……」


 両者ともに構えは無く、微動だにせず視線を交錯させる。駆け引きは既に始まっており、僅かな重心の推移や呼吸、視線等の僅かな情報から初手の読み合い。


 その様は数十手先を読み合う棋士か、あるいは一撃に賭ける決闘に挑むガンマンのようだ。


 不安があるとすれば、涼は近接戦闘に難ありと先輩の氷杜由良監視官に手厳しい評価を頂戴している。白兵・白刃戦闘で無類の強さを発揮した安芸相手に、後手に回れば勝機無し。


 ──ならば先手必勝。体格差、体重差をフルに生かして押し通すのみ。


「行くぞ!」


 気炎万丈。一気呵成に涼は攻めかかる。


「お会計、8360円になります」

「……細かいの無いので、一万円で」


 お釣りとピザを受け取る涼の顔は痣だらけになっていた。


 安芸との組手は言うまでもなく惨敗。


 引退したとはいえ安芸はアストレアから抜けたに過ぎず、腕はまるで衰えていない。攻城官の時代に知り合った魔術師と商売をしているらしく、この分では今でも修羅場には事欠いて無いようだ。


 たった一戦で雀たちと同程度にボロボロになったのは、それだけ安芸が涼に真面目に対応した証でもあるが、涼も男である。同年代の女子の前で惨敗を喫するのは恰好が悪い。


 それよりもだ──


「おい雀、これビジュアルバンド【アル♰クィラ】の10周年コンサート会場限定の数量限定ピックだろ? よく手に入ったな」

「ふふん。私の数あるコレクションの中で最初にこれに注目するとは、安芸も中々のレベルね。じゃあこれは知ってるからしら?」

「そ、そいつは!? まさか、実在していたのか。世界的ロックバンド・ビートルズ……の自称正統後継バンド・アントニオウのオフィシャル会員限定ピック!」


 アントニオウって誰だ。検索しても碌にヒットしないし、そこそこの期間活動している【アル♰クィラ】とか言うバンドもCDの評価は軒並み低い。


 ギターピック集めという共通の趣味が発覚してから、雀と安芸の距離感はバグを疑う程縮まっている。いまとなってはダイニングテーブル一杯に持ち寄ったピックが広げられ、自慢大会が開催される始末。


 ちなみに二人ともギターは弾けないどころか、音楽の成績は5段階評定で2が最高である。嘆かわしい。


「ピザ届いたぞ。冷めないうちに食べてくれ」


 テーブルの空いたスペースに付け合わせのサラダと一緒に適当に並べる。


「昼間っからジャンクフード。背徳感で食指が進みそう」


 道場で散々腹を空かせた雀は速攻でピックを片付け、ピザカッター片手に眼を輝かせる。リクエストしたクアトロチーズピザにかぶりつき、とろりとチーズを伸ばす。


 涼は此処にいないシャノンを呼びに客間へ向かう。

 道場から帰宅して女性陣は順番に汗を流していたが、シャノンは最後だったはずだ。


「シャノン、昼飯だ」


 襖越しに呼び掛けるが、返事が無い。小首を傾げながら再度名前を呼ぶも、また無音だ。


 まだシャワーかと思いながら襖を開けると、シャノンは其処にいた。

 涼に気付かず、手元をぼうっと眺めている。


 そっと覗き込むと神崎邸でも時折身に着けていたブローチに視線を落していた。五輪での一戦では常磐津の雷撃に対し、このブローチで何らかの対抗策を講じようとしていた筈だ。


 ブローチにはタンザナイトに似た青い宝石が嵌め込まれており、星を散りばめた様な不思議な光粒が閉じ込められている。


 光粒の殆どが暗く、鈍く、赤褐色を示しており、残りは白色に輝いていた。


 これと似たような呪具を涼はアストレアで見たことがあった。

 占星術に用いられる水晶玉だ。


 非常に稀有な才能を有した術師のみが扱える占星術は、星──つまり現状が人間に与える影響力を読み解き、限定的ながら未来予測を可能とする霊術だ。アマ、プロ問わず水晶玉はその最もポピュラーな補助呪具の代表例だ。



 星の運行に意識を干渉させる術故に、術式の行使中に術者はトランス状態になるのも特徴に上げられる。


 試しに涼はシャノンの眼の前で手を振ってみる。反応はなく、意識だけが抜け落ちた植物人間に近しい状態に見える。


 呼吸も極端に浅くなっているため、流石に心配になって顔を覗き込もうとした時、ポタリと何かが畳に滴る。


「!?」


 血だ。

 シャノンの両目から血涙が頬を伝い、顎から滴り落ちている。


「おい、大丈夫か!?」


 驚いた涼はシャノンの両肩を揺さぶり呼び掛けるが、やはり無反応。その間も眼からの出血が止まらない。

 診れば宝石の如き碧眼はいまやどす黒く濁り、痙攣を起こし眼球が別々の方向へ動いている。


 脈拍、呼吸、各種バイタルは正常の範囲内に収まっている。


 ただ眼球を中心に霊気が異常な程に乱れ──否。何かに引きき摺られているようにして碧眼が変質(・・)しかかっている。

 明らかな異常事態だ。


「シャノン! シャノン・コーデリオンッ。返事をしろ、聞こえているか!?」


 声を張り上げ少女の名を呼び、肩を叩き揺らす。並行して涼は統率を失い各所で滞るシャノンの霊気に自らの霊気を当てがい循環させる。身体的な外傷が原因でない以上、涼に出来る処置はこの程度しかない。


 その間もシャノンの碧眼からは止めどなく血が流れ始め、畳に血だまりを広げていく。


「──っ、ぁ、ぐぅ! ああ……」


 ビクリとシャノンの身体が大きく跳ねる。


 天上を仰ぐ不自然に見開かれた両眼に映りこむ“それ”を涼は捉えた。


 変色する碧眼は天井の木目ではなく、見知らぬ人物を反射していた。

 照明か何かの逆光で人相は判別できないが、その口が絶えず何かを紡いでいる。


(──まさかッ!)


 脳裏に過った仮説に涼は肺腑を抉られる様な怖気に襲われた。吐気すら催す眼前の現実に、血の気が引いていく。


 否定したくとも、刻々と変質していくシャノンの碧眼が仮説を事実と突き付けて来る。


「たった今何処かで加工されていく誰かの眼と同調(シンクロ)しているのか!?」


 ならば今、シャノンを襲っている苦痛は外科手術のそれと何ら変わらないだろう。


 これは突拍子の無い仮説ではなく、十分に実現性のあるものだ。

 実際に霊能力者の中には神懸りや憑依といった霊的存在をその身に卸す特殊な霊能力者──俗に巫女と呼ばれる存在がいる。


 ここ一週間のシズの眼球を研究していた涼は、彼ら一族の眼には何らかのネットワークが形成されている事を突き止めていた。


 巫女の実例も鑑みれば、ネットワークを通して遠方の眼球と同調することも十分に可能。加工術式の影響を全て被るとは考えにくいが、無事では済まないだろう。


 いまのシャノンが事故か、あるいは彼女を狙った攻撃かは定かではないが、いずれにせよ止めねばならない。

 意識があちらへ引き摺られている以上、無理矢理接続を切るしかない。


 干渉すべきはシャノンか、あるいは──


「こいつか」


 ブローチを掴み取った涼は確信を抱く。


 かなり精密に感覚を寄せなければ視えないが、ブローチの宝石を通してシャノンのネットワークと確かに回線(パス)が通っている。


 ならば少々乱暴だが、回線に割り込み、接続を断てばいい。


 都合の良いことに彼女には既に涼の“呪詛”が巣食っている。干渉は容易い。


 畳に寝かせたシャノンのブラウスのボタンを少しばかり外し、首筋に刻印された赤い痣にそっと触れる。

 痣に充填された呪詛を介し、慎重に眼球のネットワークへと意識の糸を伸ばしていく。


 全容解明には至っていないが、この瞬間だけは接続場所が励起し浮き彫りになっている。


「悪いがクレームは受け付けない」


 血の涙を拭きながら、涼は形だけの断りを入れておく。

 呼吸を整え、シャノンの意識が取り込まれているチャンネルへ涼は霊力のメスを入れる。


 その瞬間、宵波涼の網膜にある光景が焼き付けられた。

 燃え盛る森と次々に落ちていく星々──そして暗き穴二つが空いた亡骸の群れ。


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