三章・八節 半同棲相手と仮従者を連れて
同日。22時30過ぎ。東京駅八重洲中央口改札前にて。
「……なんで君らが此処にいる?」
東京に降り立った涼の第一声は驚きと呆れが入り混じったものだった。
「なんでって。この人らが涼に喧嘩を売った時点で、この案件は半分私持ちなのよ。行動を共にするのは当たり前でしょうが。護衛だと思って有難がりなさい」
「仮初とはいえ旦那様は我が主。御供は当然の責務です」
五輪市から涼を追ってきた少女二人、神崎雀とシャノンは当然と言った風に涼を待ち構えていた。
手にはそれぞれキャリーケースが握られ、着いてくる気満々だ。
一体家族にどう説明すればいいのかと、頭が痛い。帰省は昼間に決めたばかりで、付き人の事など連絡している筈もなく。
そもそも一人で来たのはほぼ確実に工房に立て籠もるビジョンが明白にあり、彼女達に気の利いた配慮が望めないからだ。
アルベルトから研究に必要な資料は十分に搾取済であり、シャノンの協力は必要という程でもなく。雀に関してはあまり管理霊地を離れる訳にもいかない筈だ。
「というかシャノンは兎も角、神崎は学校があるだろう。サボるつもりか?」
「ちゃんと身代わり置いてきたわよ。生徒の模範たる生徒会長が無断欠席なんて許されるはずがないでしょ」
「その身代わりとは、まさか淑艶じゃないだろうな?」
「さあ、どうでしょう?」
笑みを浮かべ適当にはぐらかされる。
雀の魔術系統は他人の眼を誤魔化す幻覚や知覚阻害の術式は不向きである。照は鏡魔術の応用で虚像を代役に仕立て上げる常習犯らしいが、自ら進んで雀を甘やかす様な真似はしない。
つまるところ、選択肢は涼が預けた式神・淑艶しか残されていない。
あの式神は副機能として簡易的な知覚置換能力を付与している。疑似人格を付与した淑艶は大変素直かつ従順な性格だ。命令すれば雀の姿に周囲を誤認させ授業に出席する事だろう。
完全なる悪用である。
疲労に畳み掛ける頭痛の種を、涼は無責任に放棄した。もとい、自身の式神を全面的に信頼する。どのみち涼が被る責任はさしてない。身代わりがバレても傷つくのは雀の内申だけである。
「いま失礼なこと考えたでしょ?」
「いいや。何も」
勘が鋭いのは雀の美点の一つ。恐ろしいと感じたのはいまが初めてだが。
咳払いを挟み気持ちを切り替えて、涼は二人へ向き直る。
「まあ来てしまったなら仕方ない。都合の良い部分が無い訳ではないし、この際付き合って貰うが、構わないな?」
「元々そのつもりよ」
「異論はありません」
「ん。言質は取ったぞ」
頭の中でざっとスケジュールを修正しながら、涼はタクシー乗り場へ向かう。本当は電車で向かうつもりであったが、異国情緒溢れるシャノンを連れ回すのは非常に目立つ。
都心はアストレアの支部も近いこともあり、聖王協会と揉めているいま同僚にでも見つかれば面倒だ。
「日本のことはよく知らないのですが、御実家は近いのですか?」
「八王子の端の端だ。此処から車で一時間かそこらへんだな。君のそれの生誕地と隣接している街といえば何となくわかるか?」
涼が指差すのはシャノンのキャリーケースに括ってある猫のマスコット人形だ。耳にリボンを結びオーバオーオル姿。言わずと知れた“ハロー〇ティ”である。
「あ、いえ。これは……その」
「別に隠す事は無いのに。暇があったら行ってみる?」
「……ぜひ」
心なしかシャノンの表情に期待が満ちているようだ。シャノンは仕事に極力私情を挟まない姿勢を取っていただけに、涼は意外な側面を垣間見た気分である。
外に出ると日付の変更を間近に控えているとはいえ、東京駅周辺はまだ静まる気配を匂わせない。人通りもそれなりであり、やはり否が応でも注目を集める。
当の涼は微妙に勘違いしているが、彼自身もそれなりに人目を惹く出で立ちでもある。燃える様に映える赤いリボンで髪を束ね、真黒なコートの裾を揺らす迷いない歩みは自然と人を掻き分ける。
そんな三人に向かって短いクラクションが鳴らされた。脚を止めて車道に振り返ると、停車していたワゴン車が涼達の元へ寄せてきた。
ごく一般的なワゴン車だ。アストレアの刻印も無く、シルバー単色の遊びの無い外見。
助手席のウィンドウが下がり、運転席から身を乗り出した意外な人物に涼は驚く。
「久しぶり、涼君。長旅ご苦労様」
「玖渚さん? どうしてここに?」
ひょこっと窓から向けれたのは知る柔和な笑みを浮かべる顔馴染みだった。黒縁眼鏡を掛けた面立ちは男性にしては線が細く、上半身だけでも分かるほどスーツ姿が絶望的なまでに似合っていない。
雀たちの平々凡々な印象を裏切らず、彼は生粋の一般人。アストレアと多少の縁はあるが、術師の出自ですらない人畜無害な青年。
玖渚鶲。それが彼の名であり、旧姓でもある。
「いやあ。突然安芸から連絡があってね。涼が帰るから迎えにいけってさ」
「ああ、そう言えば昼間の電話に出たのは安芸義姉さんだったな。わざわざすみません」
「いいよ、いいよ。さっきまで仕事だったしね。それで、そっちの女の子は?」
「半同棲相手です」
「仮初の侍女です」
「へえ。さ、乗って乗って」
「へえ、で済まさないで下さい」
雑な自己紹介に特に疑問も持たず運転席に戻る鶲に、涼はツッコまずにはいられない。もう少し疑問に思う部分があったはずだ。
「いやだって。涼君は割と美女を連れ歩いてるイメージだし。まあ大抵は式神って奴だけど、本物の女の子を連れたところでまあ別に……」
「OK。そのイメージとやら後で詳しく聞かせて貰います」
悩みの種をあっさり流され、肩透かしを食らった気分である。
促されるままにとっとと乗車した雀とシャノンは後部座席、涼は助手席に乗り込む。
車は日比谷通りから首都高速都心環状線に入り、程なくして首都高速で八王子を目指す。
単調な景色が続く高速道路は眠気を誘いがちだが、一同に間に会話が飛び交う。何せ興味をそそる人間関係だ。
「へえ。術師じゃないのね。なんだってアストレアの支部なんかに勤めてるんですか?」
「宵波家とは、というか涼君のお姉さんと何かと縁があってね。気が付いたらファンタジーな世界に肩まで漬かってたってわけ」
「玖渚さんは正確にはアストレアの構成員ではないがな。アナログな探偵業務に異様に秀でるものだから、諜報活動の外注先としてアストレアに登録されているだけだ」
「確かに間者に似た独特の空気があります。何というか、掴みどころが薄いというか……」
「その感覚分かるぞ、シャノン。この人の異名は『見える幽霊』だ。影が薄いなんて陰口叩かれることはあるけど」
「酷いな! 霊能力者なんて如何にもオカルトな君が言うことかい」
鶲はオカルトというが、霊能力者というのは霊力を糧にする術者の総称であり、一般的なイメージとは異なる──というわけではない。
霊術体系において霊魂の存在は確立されて久しく、神降ろしや占星術にも組み込まれる。
実は涼とシャノンの主従関係も祖霊に誓いを立て締結しており、霊術の観点から言えば主従というより術者と式神の関係に近い。
「玖栁さんはもう宵波家と縁談を結んだ人間だ。死ねばその魂魄を呼び戻される事もあるかもしれない。残念ながらオカルトそのものになる事は確約済」
「その話挨拶に行ったときにお義父さんからも聞かされたけど、僕にはイマイチ理解に遠いよ。祖霊崇拝の類なんだろうけど、少なくとも僕は御経で吊られるつもりはないぜ?」
「じゃあ玖渚さんを喚ぶ時はラップにしておきます」
「いや……そう言う問題じゃ」
「じゃあ、民謡ということで」
「ちょっと。なんで君ら親子は死後の話から入るのさ……」
「それより、結婚してるんですかっ? もしかして相手って──」
後部座席から身を乗り出した雀が、ハンドルを握る鶲の左手を指す。その薬指には暗い社内でも街灯を反射し煌めくリングが嵌っている。
話の節々にキーワードは散らばっていたが、如何に察しが悪くともその指輪が雄弁に事実を語っていた。
バックミラー越しに期待に満ちた雀と、ほんのり頬を染めるシャノンと眼が合い、鶲は照れくさそうに笑う。
「うん。彼の御義姉さんと先月籍を入れたばかりでね」
「それはおめでとうございます。では旦那様と玖渚様はご家族という事になるのですね」
「先月って、涼。アンタ五輪にいて良かったの? 色々ごたついてたとはいえ」
「そんな暇は無かったしな。実は祝儀の話を聞いたのは昼間に電話した時でね」
先月、つまり九月といえば照の監視官・紫涅和泉の失踪や七榊翡翠の事件で涼が対応に追われていた時期。殉職した鴉森諜報官から引き継いだ業務と並列処理も相まって、涼にはあまり時間が無かったのだ。
加えてつい先日まで入院生活を送っていた身である。どちらにせよ帰省の時間は無かった。
「まあ、玖渚さんと義姉さんの結婚だしな。腐れ縁が夫婦に進展した程度」
鶲本人も口にしていたが、涼の義姉・安芸と鶲は高校入学から期せずして何かと怪事件に巻き込まれる事が多々あった。
一般的な男女の仲とは掛け離れた関係ではあったが、いずれ歩調を合わせる時がくるだろうと涼を含め周りは予測済だったのだ。
「改めて、義姉さんを宜しくお願いします」
「うん。精一杯頑張るよ。といっても、暫くは御実家に厄介になる決まりだけどね」
結婚を許す唯一出された条件だと、鶲は苦笑を滲ませる。
鶲は敢えて名を出さなかったが、十中八九義父の直嗣からの条件だろうと涼は頭を抱える。子供を溺愛するあまり直嗣はいまだ子煩悩から抜け出せていない。
最大の被害者は思春期真っ只中の次女・伊予だろう。長男に次いで長女が嫁いだことで、娘への愛情は彼女への一極集中しているに違いない。元から伊予とは溝があった涼だが、五輪への赴任が決定した時には彼女と三男への愛情比率が増す為に、口すら聞いて貰えなかった。今から不安である。
雀と意外にもシャノンが鶲達の馴れ初めを根掘り葉掘り聞いている内に、車は渋滞に捕まる事もなく首都高を抜け、八王子市に入った。
八王子市は約半分を丘陵地帯に囲まれた山林地帯に占められており、中でも高尾山は年間の登山者数が270万人に上りギネス記録にも認定されている。古くから修験道の霊山ともされており、天狗ゆかりの地ということもあり霊能力者との関係も深い土地でもある。
旧甲州街道沿いの一角にその家は建っている。
他より多少敷地面積が広い点を除けば、ごく一般的な注文住宅。
宵波家。涼がある事件を契機に養子に引き取られた家だ。
「……そういえば、帰るのは一年半ぶりか」
駐車に手間取る鶲を待つ間、我が家を見上げる涼は奇妙な感慨を覚えていた。
懐かしいと思う反面、帰る場所という感覚に僅かな違和感が生まれていた。
「私なんて高校上がってから親元離れてますけどね。ま、年末の顔出しぐらいはしてるけど」
「お互いホームシックとは無縁ということか」
胸の内に芽生えた違和感の理由は、涼の人生の中できっとこの一年半が濃密な時間であった為だろう。張り合いのある魔術師を二人も相手取ったのだ。
『ただいま』と『お帰り』と口にするだけでも毎日が駆け引き。濃密な時間が涼の『家』をいつの間にか実家から五輪へと比重を傾かせていた。
小さく笑みを溢した涼は鶲が車から降りてきたのを確認し、お守り代わりに持っていた合鍵をドアへ差し込む。
「上がってくれ。荷物はひとまずそこの客間に」
「お邪魔しま~す」
「失礼致します」
雀たちに玄関のすぐ横にある客間を指差し、涼はダイニングルームと併設される居間へ足を踏み入れる。
家具が多少増えている以外は記憶となんら変わらない部屋。殆どの部屋は電気が消えていたが、此処だけは灯りを残していた。
両親は今夜は帰らないとの聞かされており、涼の三つ下の双子はもう眠りについている事だろう。長義兄は自立して久しい。誰が居間にいるかは着いた時点で予想が付いた。
兄妹の中では一番不愛想だが、こうしていつも必ず家族の帰宅を待つのだから涼としても嬉しい限りだ。
ソファに近づき、浅い眠りに微睡む家族へ涼は声を掛ける。
「ただいま、安芸義姉さん。結婚おめでとう」
「……ん。……んん? お前、両腕どうした?」
深い黒瞳が薄く開かれたかと思うと、さっそく御小言が零れ落ち涼は苦笑せずにはいられない。家族であろうと例外なく、多少険のある言葉使いは相変わらずのようだ。
宵波安芸。涼とは四つ離れ、今年で二十三歳になる宵波家の長女。腰まで延びる黒髪をざっくばらんに纏め、前髪だけは適当にカットしている。寝転んでいる状態でも分かるほどスタイルはよく、スラリと伸びだ手足は猫科を思わせる。淡色のデニムと白のマウンテンパーカーの組み合わせがよく映える女性だ。
「腕は二週間ほど前にお別れしました」
「……気軽に言うことか。この馬鹿」
バチンっと涼の額が指で弾かれる。
強くはないが胸に楔を打ち込むようなデコピンだった。
七榊翡翠の事件で、涼の両腕は肘から先が義手になっている。この事には報告書に記載しているので、今頃は上司でもある義父・直嗣にも知られている事だろう。
監視官としてあるまじき負傷に多少の批難は覚悟していたが、さっそくである。
「まったく……。療養帰省だったら刻んでやるところだった」
「まあまあ。久しぶりに顔を合わせたんだし、もう少し朗らかに行こうよ安芸」
「鶲。そう言うのはお前の役割だ。あと適当でいいから茶を淹れてくれ」
気だるげに身を起こした安芸は、そこで初めて雀とシャノンの存在に気付く。
「なんだお前。女を連れてきたのか?」
「彼女たちは……」
「はじめまして。彼の半同棲──」
「友人と取引先だ」
「……神崎雀です」
「ああ。監視対象の」
雀の言葉を強引に遮って、涼は二人を紹介する。同じ過ちは繰り返さない。安芸は特に興味を引かないのか、適当に流すのでこれ幸いにシャノンの紹介へ移行。
不服気に小さく舌打ちを挟んだ雀とは対照的に、仮初であっても主従関係。シャノンは折り目正しく腰を折る。
「初めまして。聖王協会姉妹機関、聖白騎士団から参りましたシャノン・コーデリオンと申します。現在、弟君を仮初の主と仰ぐ者です。お見知りおきを」
「ああ。式神代わりの女中だろ」
「左様で御座います」
「違う」
深々と頭を下げるシャノンに、今度は涼がデコピンを打ち込む。
まだ義手に慣れていないので思い切りよく指を弾いたが、予想外に固く反動が腕まで伝ってきた。見た目に反して石頭である。
「ふうん──またけったいな因果を引き寄せたもんだ」
一連のやり取りの最中、雀とシャノンに安芸の鋭い視線が向けられる。
小さく呟かれた独白に涼が疑問を覚えるより先に、あくびと共に安芸の視線は軟化していた。
「親父殿の不在で臨時家督を預かった宵波安芸だ。事情は……まあざっくりとは聞いてるが、あー……忘れた」
おい。
「御連れは客間を利用してくれ。詳しい話は明日親父殿と席を同じくしてからだ。後は涼が面倒みろ。オレは寝ることにする」
「あれ? 安芸、お茶入ったけど」
「部屋に運んでくれ」
「久しぶりだってのに、ドライだな」
言うだけ言って安芸は部屋を後にしていく。鶲のいうとおり情緒というのが無いが、良くも悪くも深入りしない性格は不思議と心地よく感じる者も多い。
鶲もまたその内の一人であり、涼達へお茶を出すと「今日はゆっくり休んで。じゃ、おやすみ」と安芸の部屋へ向かった。
「変わったお義姉さんね。なんだか気が合いそう」
「彼女が噂に名高き【万寿刀】ですか。引退したとはとても思えない霊気です……」
お茶に口を付けながら同性の二人は思い思いに安芸への印象を語る。
アストレアの中でも涼の指導係を務めた氷杜由良監視官と並んで、安芸は女性術師として方々で功績を残してきた元攻城官だ。
シャノンが口にしたように既に引退した身だが、涼はいま手合わせしても勝てる自信が無いというのが正直なところ。
「神崎、シャノン。布団を運んでくるから今日はもう休んでくれ。明日義父さんに改めて紹介するから……」
「──言い忘れてた事があった」
「「「!?」」」
一体いつ現れたのか、居間の扉に安芸が立っていた。
雀やシャノンは愚か、現役監視官である涼でさえ気配を感じる間もなかった。
が、そんなささやかな驚愕が吹き飛ぶほどの爆弾発言を安芸は投下しに掛かったのだ。
「お前ら今夜は必ず三人一緒の部屋で寝ろよ」
「……は?」
「出来れば川の字がいい。じゃ、おやすみ」
「「「──は!!?」」」




