三章・七節 実家の工房へ
場所は変わって神崎邸のサロン。
窓から差し込む日差しは茜色を示しつつあり、学校を終えた照も加わり涼達一同は顔を合わせていた。
「昼間も言ったが研究は行き詰まっている。オークションまでとてもではないが間に合いそうにない」
「──オークション・ラビュリンス。宵波君、あそこの会員だったのね」
「金と贅の人外魔境。都市伝説の類かと思っていたが、実在している事自体に驚いた」
サロンのピアノを弾く照が改めて驚きを露わにし、幾分回復した誠明がこれに同調する。
注目を集める本人はといえば、いまもノートにガリガリとペンを走らせている。ピタッとその手が止まったかと思えば、破綻を告げる×を乱暴に引く。
また一から理論の再構築である。
「どの国の法律さえ及ばない完全非合法の競売市だ。そんなものの会員など褒められた事じゃない」
何冊目とも知れないノートを脇へ放り投げ、涼は深々とソファに身を沈める自嘲する。
──オークション・ラビュリンス。迷宮の威が示すに相応しい大闇市場であり、ネット上でも時折その存在は浮上する。
曰く、その市場はどの国にも属さず、どの国にも存在しない。
数多くの珍品・貴重品が競売にかけられることは序の口。
法の威光が届かないという事は、あらゆる人権さえ意味を成さないということ。
裁く法律が意味を成さない以上、国の機関であるアストレアも有する権力は無に等しい。無論、聖王協会とGHCでさえ例外ではない。
涼が知るだけでもあそこには人の業が渦巻き、生き続けている。
幸運を齎すと養殖されるアルビノ、科学と機構魔術で産み落とされた電子の亡霊、何十という経絡系を精錬した賢者の赤き結晶。
そして、一人の吸血鬼が執着する魔眼の素体を持つ一族。
「一応確認しておくが、シズの一族であるお前たちがあの場に行く意味を理解しているな?」
「十分に」
「貴殿のOLへの参加情報を得るだけでも多大な労力と資金をつぎ込んだ。同胞の為にも後戻りは許されない」
シャノン達が涼へ接触した理由は、彼の持つOLへの招待枠にあった。
以前仲間の一人がわざと奪われた千里眼の片割れを、残った片目で追跡したところシャノン達は確かに観測したのだ。
競売場で同胞の眼を大量に競り落とすヴラドの姿を。
OLであれば、アストレアが定めた第一級指定魔族の恩恵もまたヴラドを庇護しない。
非合法故にGHCの立場からしても、OL内に限りシャノン達は合法的にヴラドを討つことが叶う。
シャノン達は同胞の敵を見付けることが出来た幸運に歓喜し、しかし直ぐにある問題に直面した。
観測は常時行われていた訳ではなく、距離が離れるほど映像は断片的なものが殆ど。具体的な競売上の位置は判然とせず、経路は愚か参加方法さえシャノン達には分からなかった。
千載一遇のチャンスを前に手を拱いた矢先に、シャノン達は銀治からとある提案を持ち出され、これを受ける事と引き換えにOLへの参加資格を有する涼と接触を果たした。
もうこれ以上、仲間の暗き双眸を視ることはシャノン達は耐えられない。
「アストレアの事情も理解しているつもりです。ですが、魔眼狩りの象徴をこれ以上野放しにするわけには参りません」
より純度の高い魔眼を精製する為に生きたまま眼を加工され、剥ぎ取られた仲間もいた。
魔眼の様にそれそのものに術式を刻印されている臓器を無理矢理摘出すると、母体に重大な障害を来す事は珍しくない。特に眼球は脳と直接神経を結んでいる器官だ。後遺症は脳にまで及ぶ可能性は高い。
「我々を会場に連れて行くだけでも構いません。今一度協力を要請致します、宵波監視官」
「……はあ。強硬手段まで用意しておいて、協力とはよく言ったものだ」
忌々し気に吐き捨てる涼の視線は、サロンの出入り口に立つ誠明に向けられる。
銀治の命令を受け、誠明はシャノンとアルベルトの護衛の任に着いている。雀の監視任務が解かれて尚五輪市に留まっているのはこの為。
アストレアは現在、聖王協会との外交部署設置の件で調整が続いている。表面上は依頼という形を取っている以上、不要な争いを諫めるという名目で銀治は誠明を残したのだろう。
保守派の戦力に足枷を嵌めつつ、協会派の銀治は聖王協会へ便宜を図る。実に詐欺師めいたやり口だ。
下手に動けば保守派が不利になりかねない。
誠明がいる以上、涼に拒否権はほぼない。
協力要請が聞いて呆れる。
とはいえ、愚痴を吐いたところで何も始まらない。涼は余分な思考に振い落し、シャノンに向き直る。
「……協力要請に関しては今更反故にするつもりはない。OLへの同伴については少々事前準備をする必要があるが、それは後日でいいだろう。問題はいまだ」
「研究が進まない、ね。具体的に何で詰まっているわけ?」
「霊力は半分近く回復した。研究への協力は惜しまない」
雀が議題を再確認し、アルベルトはやつれ気味ながら身を乗り出す。
対して涼は身も蓋もない答えを返した。
「設備が圧倒的に乏しい」
ジャーッン、とピアノの音が外れる。
「宵波君。環境を嘆いても現状は何も変わらないわ。不足を知恵と工夫で補ってこそ一流ではないかしら」
「その意見はもっともだが、残り時間を考慮するとこれ以上は余裕がない。柔軟にアプローチを変える事もプロの素質だと思うが?」
「失礼します」
苦言を呈する照の元へ、シャノンが一抱えもあるノートの山を持ってくる。
その内の一冊を手にした照は中身を検め、直ぐに見たことを後悔した。
言わずもがな、シャノンが運んで来たのは涼が研究で使用したノートだ。シズの眼を解析するにあたり得られたデータと導き出される法則、眼に宿る生体術式の構造式の考察・理論、その再現術式等々……。
膨大な文字の暴力が網膜に殴りかかり、脳が理解を拒むように痛み出す。
「……うわ、なにこれ。カオス理論と何が違うわけ? 正直引くわ……」
雀もノートを手に取りその中身に仰天する。昼間にある程度精錬された術式陣を見ているだけに、雀の反応は照より数倍増しだ。露骨にシャノン達から距離を取っているあたり、質が悪い。
「これを、一週間で?」
「いいえ。ほんの一日分です」
「いち……」
ノートの山を指差す照の問いにシャノンは間髪入れずに答える。今度雀が引く対象は涼だ。
実際にはこれに加えて黒板に起こした実験術式とボツとなった追記の用紙も含まれている。実際は更に膨大だ。
「此処の土地はシズの一族との相性も良好だった。霊脈の恩恵と間借りした雨取の工房を駆使して尚、基礎理論の全容さえ見えないのが現状。正直手詰まりに近い」
「……」
「雨取?」
「……この術式は、何処かで」
「! 見覚えがあるのか? どの部分だっ?」
険しい表情で手にするノートを睨む照だが、一転して申し訳無さそうに首を振る。
「ごめんなさい。ただの漠然とした印象でしかなくて」
「そうか……。まあそれは仮説の仮説みたいなものだ。そう言う事もあるだろう」
ただ一応参考までに涼は照が開いていたページを記憶しておく。行き詰まっている現状では少しでも手掛りがあるに越したことはない。
「良ければ何冊か借りていいかしら?」
「おい。我々に関わる資料だぞ! 勝手な真似は」
「控えなさい、アルベルト。研究で得られた成果の取り扱いについては、旦那様に一任しています」
存外に強い口調でシャノンの制止が入り、アルベルトは小さく舌を打つも留まる。
一族の存亡と仮初の主従関係。
シャノンはキッチリと境界線を引き分別を付けているのに対し、アルベルトは立場や目的よりも一族に傾倒している節が見られた。
ミイラ擬きになるまで涼の研究に身を差し出したのも、その辺りが要因なのだろう。
涼が観察した限りヴラド捕縛という目的を同じにしながら、シャノンとアルベルトの思想は何処かずれている印象だ。
垣間見た彼等の軋轢を涼は記憶し、照に資料の扱いを間借りした研究室を含めて自由にしていいと伝える。
「さて。少し話が逸れたな。五輪が優れた霊地であることに間違いはないが、出品用の作品を拵えるにはどのみち霊能力者の俺には些か相性が悪い。設備の問題も含め、一度は此処を離れる必要がある」
術師と霊地の相性は、一般的な例えに直せば気温や湿度といった自然環境に置き換える事が出来る。
例えばジュースの製造においても、使用する水が川から濾過したものなのか、地下から汲み上げたものかで最終的な品質は変わってくるだろう。
如何に優れた職人技を有していても、作業環境に影響される側面もやはり大きい。
この点、涼と五輪の相性はあまり良いとは言えない。
代々魔術師の家系である神崎家が管理し、何十年と時間を掛けて土地そのものを神崎の血筋に合わせて開拓してきたのだ。他家の出自でありながら、相性が抜群に良好な照は例外中の例外だ。
研究の進捗が芳しくない要因に、こういった影響が及んでいる可能性も否定できない。
「じゃあ、一度此処を離れるってこと?」
「そうなる。元々オークション・ラビュリンスへは東京から向かう予定だったしな。工房がある実家へ帰省するつもりだ」
八月の一時帰省でも義父の直嗣以外顔を出していない為、ちょうどよい機会でもあった。片付けなければならない要件も少し溜まっている。
「で、いつ行くわけ? 明日?」
「今夜にでも発つ」
「今夜!?」
「流石にそれは性急過ぎるのではありませんか?」
「施策術式には時間帯に左右されるものも幾らかある。時間も差し迫っているし、早めに動く事に越したことはない。誰かに壊された常磐津の修理もしなくてはならん」
ギクリっと肩を揺らすアルベルト。
式神・常磐津は涼が特に時間と技術を注ぎ込んで製作した一体だ。彼に裏の競売への出品枠を用意されるだけあり、製作に掛かった費用は何十万では足りない。
そして先日アルベルトとの一戦で常磐津は起動不良に陥り、本格的な修繕を必要としていた。
当然、その支払先はアルベルトに請求される事となっており、期日はOLへの出立前日。六日後に迫っていた。
莫大な金が動くOLへの参加資格を有する涼の式神の修繕費が一般的なレベルに収まるわけもなく、概算見積もり額だけでもアルベルトは眼玉を手放す覚悟をしたほどだ。
「俺は食事を済ませたらすぐに街を出る。後の詳しい日程については追って連絡するから、そのつもりで」
その他幾つかの連絡事項を手早く伝えると、涼は雀に式神・淑艶を預ける。即断即決と言わんばかりに食事を終えると宣言通り直ぐに神崎邸を後にした。
契約上、現地滞在監視官である涼が街を出る場合、シャノンとアルベルトも五輪を出る規約となっている為、二人と護衛の誠明も時間を置かずに五輪市を出た。
後には屋敷の主の雀と同盟者である照のみ。
「アイツ、自分の立場を忘れてるんじゃないでしょうね」
「何かに没頭する男の人に気遣いを求めるのはナンセンス」
居間で声を震わせる雀に、ノートを繰る照の冷静な指摘が入る。
静かな時間。しかし最も激しい喜劇の前触れが此処で発生しつつあることを、渦中の人物は知らない。
「照」
「淑艶は置いていって」
やり取りはそれだけ。
ある部屋の窓に明かりが灯り、箪笥をひっくり返した様な騒がしい音が響いたかと思えば、屋敷から飛び出すバックを背負う人影がもう一つ。




