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三章・六節 仮初の主従

「旦那様。お茶が入りました」

「………………どうぞ」


 かなり間を置いて入室許可が下り、シャノンは精緻な装飾が施された扉を開ける。

 部屋に入るとくしゃりと直ぐに何かを踏みつけ、内心またかと溜息をつく。


 視線を下げれば複雑な数式が書き殴られた書類が床一杯に散乱し、足の踏み場もない。

 ここ数日で見慣れた光景であり、何度シャノンが片付けても翌日には元通りになっている、正に無限ループ状態。


 小さくため息を零し、シャノンは黒板に睨み合う青年の元へ近寄る。


「ご休憩下さい、旦那様。本日は雨取様からよい茶葉をお譲り頂きました」

「………………………………その旦那様呼びはやめろと言ったはずだ」


 渋い顔でシルバー・トレーからティーカップを受け取った青年・宵波涼は芳醇な香りを楽しむ事無く、紅茶を胃に流し込んでいく。


 その顔には疲労が濃く浮き出ている。目元に隈が浮かび、肌は荒れて髪はバサバサだ。リボンの艶やかな赤も心なしかくすんで見える。


 涼は付け合わせのスコーンをムシャムシャと咀嚼する合間も黒板を睨み、チョークで何かを書き足しては、磁石で張り付けてあるA4用紙を何枚か床へ捨てている。この現状はこうして形成されたものだ。


 黒板には円形を基礎とした術式陣が幾つか複雑に絡み合って描かれており、その周囲を何語か判別できない文字がびっしりと綴られている。A4用紙は都度足された構築術式の一部のようだ。


「協力を依頼した手前申し上げにくいのですが、ご休憩成されては如何でしょう。ここ数日まともな睡眠を取られていないでしょう?」

「時間が無い」

「ですが、あまり根を詰めても……。せめて仮眠だけでも取って下さい」

「眼を閉じても数式が瞼に焼き付いて離れない。ああ、くそ。これでも駄目だ。理論が崩壊した。また一から構築し直しだクソッタレ!!」


 黒板に綴った大部分を消してしまい、A4用紙も殆どを乱暴に引っぺがしてしまう。空に舞った紙の一枚がシャノンの頭に落ちる。

 初めて会った時の理知的な風貌は鳴りを顰め、いまの涼はやつれた研究職の人間のそれだ。


「何なんだこの複雑怪奇な経絡機構は。目玉に混沌(カオス)でも詰まっているのか。知れば知るほど謎だらけだ。そもそも基盤が普通のそれとは全く……。霊媒の側面が強い癖に魔力属性に近い基軸が何本も生えてやがる。あっちを立てればこっちが立たない。ええい、さっきの理論でダメならこっちか……?」


 壁際の机に齧り付いた涼は物凄い勢いでノートにペンを走らせていく。

 机には床に散乱する以上の紙束がうず高く積まれており、空の栄養ドリンクには煙草の吸殻がこれまたギチギチに詰められている。いまもまた涼は一本火を着けたところだ。


 あの吸い殻の数だけ涼は紙を散らしているだけに、最初に口酸っぱく忠告した禁煙も強く言い出せなくなっていた。


「……空気の入れ替えを致します」


 返事はないが、これも最早いつもの事なのでシャノンはカーテンを開けて窓を全開にする。


 暖かな日差しと新鮮な空気が流れ込んでくる。今朝は雨が降ったので湿った土の匂いが濃い。森に囲まれたこの屋敷は故郷を思い出し、シャノンはここ数年には無かった安寧を覚えていた。都会では余り味わえない匂いだ。


「シャノン、今日はもう買い物は済ませたのか?」

「いえ。これからです」

「ならいつもの銘柄を頼む」

「……一昨日買ってきましたが?」

「吸い尽くした」

「……かしこまりました」


 匂いと言えば、煙草の匂いもシャノンは随分と慣れてしまった。


 自分ではもう分からないが、街中で人と擦れ違えば意外そうな顔で振り向かれる程度には身体に染み付いてしまったのだろう。

 煙草屋の売り子がシャノンを見るなり「いつものだろ。480円」と銘柄を告げる前に会計に進んだ日は流石にショックだったが。


 とはいったものの、流石に二日で一箱のニコチン接種は見過ごせない。

 普段は呪詛を充填する為だけの一服も、もはや唯のストレス発散へ成り下がっている。

 シャノンは注意が疎かになっている背後から涼に近づくと、煙草を没収する。


「……なにをする?」

「御身体に障ります。喫煙をするなとは言いませんが、過剰摂取は流石に眼に余るので」

「いつから君は俺の御目付役になった? 返せ」

「なりません」

「主人の命令だぞ」

「駄目です」


 煙草へ伸びる涼の手からシャノンは右へ左へと逃げていく。涼は椅子から身を乗り出すだけなので、摑まるわけもなく。疲労で動きには覇気も精細さも欠けている。

 ややあって諦めた涼は重い溜息を一つ吐いて机に向き直った。


「……もう一杯」

「ミルクとお砂糖の用意も御座いますが、如何でしょう?」

「任せる」

「かしこまりました」


 シャノンはミルクと茶葉と砂糖を入れ、銀匙でかき混ぜる。暫し静けさの中でペンが走る音と匙の音が入り混じる。


 窓から抜けて来る穏やかな風が金と黒の髪を撫でては去っていく。とても穏やかな時間だ。


 静かに出されたミルクティーを涼は無言で口に運ぶ。礼の一言もないが、彼からは特別文句も出ない。ただの糖分摂取だと言わんばかりにカップを大きく仰ぎ、その間も視線は机に向けられ、ペンは文字を綴り続ける。


 その様子を後ろで控えるシャノンは身動ぎせずにじっと観察していた。


「────」

「…………」


 どちらかと言えば涼もシャノンも物静かな性格なので、必要以上の会話は彼等の間には発生しない。時折苦心に涼の手が止まり呻き声が上がる程度。

 静謐に支配されながらも、シャノンは不思議と息苦しさは覚えなかった。


 確執が残っている印象は受けるものの、つい先日殺し合いを演じた間柄とは俄かに信じ難い距離間。


 ただし友好的な間柄と表現は相応しくなく、対立ともまた遠い。

 何かが二人を繋ぎ同時に隔てている、表面を取り繕った様な何処かぎこちない印象。


 アストレアの構成員や術師、一般の人であっても勘がよければ今までのやり取りから気付くだろう。


 ──仮初の主従関係。


 恋愛小説であれば二番煎じもいいところであるが、シャノンはまさしく涼に仕える侍女となっていた。

 先程彼女が「旦那様」と涼を呼称したのは、冗談でも芝居でも何でもない。時代錯誤甚だしい男と女の契約から由来したものだ。


 一週間。

 シャノン達と涼が一線を交えた日から経過した時間だ。


 卓上カレンダーを見れば昨日までの日付に×が並び、さらに今日から数えて一週間後が赤い〇で囲われていた。

 七日後のその日こそがシャノン達が涼に接触した目的でもあり、この仮初の主従関係の期限である。


 備え付けの姿見を見れば、無意識に首元をなぞる自分(シャノン)

 化粧で隠しているがそこには今もじんわりと熱を帯びる赤い刻印がある。


 レストランで意識を失っている間に頂戴した手痛い報復であり、この主従関係の象徴でもある。

 必要性が無いにも関わらず涼を旦那様と仰ぐのは、花の様に根差したこの刻印の熱がシャノンを傅かせるからか。

 鏡を見る度にシャノンはこの熱を強く意識してしまう。


「……ダメだ。とてもではないがオークションまで間に合わんな」


 大きく背もたれに寄りかかる涼の声に、シャノンの思考が引き戻される。


「お言葉ですが、オークションへはヴラドの捕縛が目的です。旦那様が出品する必要はないのではありませんか?」

「説明しただろう、忘れたか? これは奴の魔眼への対抗術式を練る目的もあると。お前らという素体が此処にある以上、必要最低限の研究は必須だ」

「我々一族を除けば魔眼職人は五人に満たないのですよ? 彼等でさえ加工のプロセスを全て把握している訳ではありません。お言葉ですが、半月にも満たない時間で“シズの眼”を解体するなど不可能です」


 それはシャノンの傲りでも自尊心でもなく、いまだ人智に未知を突き付けるシズの眼”に対する客観的な事実だ。


 伊調銀治が裏から糸を引いたGHCのヴラド・オルギア捕縛の強制協力要請を、幾つかの条件と引き換えにだが結果的に涼は呑んだ。

 研究に着手しているのは準備の一環であり、同時にヴラドが公に姿を見せるというあるオークションへの参加のためのものでもある。


 殆ど涼一人が進める下準備とはいえ、シャノンが意図を把握していない事に涼は呆れ半分に仮初の侍女へと向き直る。


「では聞くが、お前たちは本当にオークションに奴が現れるとでも?」

「GHCの諜報部が確かな筋から仕入れた情報です。それにヴラドのオークションへの参加は過去にも例があります」

「その情報源はどこだ? あのオークションの性質上参加者はその殆どが匿名か偽名だ。堂々と実名を公表している馬鹿など聞いた事が無い。奴の代弁者を語る信奉者か、ヴラドという虎の威を借る馬鹿という可能性も十二分にある」

「……確かに直接的な証拠に準ずる情報ではありませんが、商品となった一族がヴラドに競り落とされている事実は押さえています」

「それが事実だとしても、本人がご来場する理由にはならない。代理人を立てれば済む話だ。仮に当日姿を見せたとしても、捕縛が滞り無く済むなんてご都合主義はまかり通らん。伝え聞くだけでも実力差は歴然だ。次への選択肢を残す必要が絶対にある」


 ヴラド捕縛。冷徹にその実現性の乏しさを涼に突き付けられる一方で、シャノンは彼の言葉に首を傾げる。


「“次”、ですか?」

()、だ」

 椅子から立った涼は黒板に新たに術式を綴っていく。


「お前たちがどんな“隠し玉”を用意しているかは知らんが、取れる選択肢は多いに越したことはない。もし奴の関心を引く様な“眼”を出品出来れば、コネクション形成とまではいかずとも接触の機会は増えるはずだ」

「……何故そこまで? この度の要請には成否の条件は含まれておりません。ヴラドの捕縛が叶わなくとも、旦那様と我々の関係は其処までです。次を見据える必要性がありません」


 保守派の涼からすればシャノン達の存在は邪魔者に他ならない。一週間で後腐れなく縁が切れる間柄には、いまの研究は不必要な備えだ。

 あまりにもメリットの乏しい。


 不意に、それまで休みなく黒板を叩いていたチョークが止まる。


「……俺はアストレアの監視官だ」

「? 存じております」


 肩越しに振り返る涼と、シャノンは今日初めて真面に視線を合わせる。


 監視官と、口にした涼の双眸には誇らしげな意志を視た反面、強固な意志から流れる血を垣間見た。


「監視官はアストレアの端末だ。相応しい権限を与えられた組織の剣と天秤であり、理念と意思の代弁者。ならば、組織の罪は俺の罪でもある」


 シャノンはレストランでの出来事を思い出す。


 ヴラドがアストレアの第一級指定魔族に認定された事により、嗜好品として消費される事となったシズの一族。


 人権を無視した理不尽な境遇に置かれ、憤怒に駆られたアルベルトは涼に鉄槌を下し、涼はこれを無抵抗に受け入れた。銀治が止めなければ、アルベルトは本当に涼の頭蓋を踏み砕いていた事だろう。


「組織の判断に俺の異論を挟むつもりはない。だがそれで虐げられる者がこうして眼の前に現れたのなら、許される範囲で償いはしよう」


 一度は命さえ差し出した涼の言葉に、虚飾や欺瞞の類は欠片もない。少なくともシャノンには涼が嘘を付いているとは疑わなかった。

 だからこそ、腑に落ちない部分もある。


アストレア(そちら)にとってヴラドは魔眼による魔導犯罪への抑止力なのでしょう? 契約外の助力は、旦那様の組織への不忠を示すことにもなりかねません」

「教会派と結託して圧力を掛けている奴のセリフとは思えんな。それとも首輪を掛けて協力を強要する方がお好みだったか?」

「それは……」

「どのみちこの案件はもう半分は神崎持ち(・・・・)だ。彼女自身、去年吸血鬼に散々苦しめられている経緯がある。ヴラドが去年の因縁の血筋と判明した以上、神崎の殴り込みはもう止められん。上手く焚き付けたものだ」

「神崎雀が旦那様を全権代理者に任命された事は、私達も知り得ませんでした」

「だろうな。お前たちに襲撃される前に、チーズバーガー片手に任命されたんだ」


 現在、シャノンがこうして侍女の真似事に興じている理由の一つが、神崎家次期当主・神崎雀と宵波家次男・宵波涼との間に交わされた契約関係にある。


 ──それが、全権代理者。


 霊地の管理者が不測の事態に陥りその権限を履行できない非常事態に限り、全権代理者に霊地管理の采配・運営を一任する術師における習わしだ。


 雀はこれに涼を指名し、涼はこれを拝命した。


 通常、全権代理者は親類にさえ安易に任命しない大役だ。何しろ実質的に霊地の継承順位の次点に当たるためだ。現管理者を排除すれば、全ては全権代理者に渡る事となる。


 大抵は次期継承者を任命する事が殆ど。他人を指名する事などまずない。

 ましてや彼等は監視官と魔術師。一般的には犬猿の仲といっても差し支えない。


 それほど重要な契約関係を、あろうことか雀と涼はファーストフード店で取り決めていた。


『全権代理者やって』

『分かった』


 交わされたやり取りと言えばこの程度。真っ当な術師であれば卒倒し、千の罵倒を浴びせても飽き足らない暴挙と称するだろう。


 幸運にもこの取り決めが涼の命を救い、同時にシャノン達は涼への攻勢を削がれる結果となった。悩ましい事に、個人としても組織としても。

 雀だけでなく、照とも個人契約を結んでいる事を見抜けなかった時点でシャノンは涼への強権を半分失ったようなもの。


 GHCのみならず聖王協会も神崎家、雨取家が保有する“研究資産”の真価を計りかねている故に、両家の取り込みを画策する以上の関係悪化は望ましくはない。


「ハロー。調子はどう?」


 噂をすれば影が差す。

 ノックもせずに扉を開け放ったのは、件の雀であった。


 本日は学校の設立記念日により、彼女は休みである。


 ラフな格好で現れた雀はシャノンを見るなりニヤリと口角を釣り上げる。


「あら、存外気合い入れて侍女に徹してんのね」

「貴女が命令したことでしょう」

「私が命じたのは『私と涼に従いなさい』って一文だけよ。身回りの世話はまでは言及してないけど?」

「……誰かに仕える事は珍しい事ではありませんので」

「あらそうなの。確かにこのスコーン美味しい」


 断りも入れずに雀はスコーンを頬張る。味に関しては素直な感想なのだろう。がめつくもう一つ用意してあった紅茶にまで手を伸ばしている始末である。


「神崎、いたずらに溝を広げる様な真似はするな。戦いになれば一応は背を預けなければならん相手だぞ」

「何甘いこと言ってんのよ。スポンサーに危害加えられて黙ってられるかっての! 私と照にも実害が及びかねない以上、当たりが強くなるのは当然でしょ」

「不必要な摩擦は避けるべきだ」

「飛び火の原因はあっちでしょ。なら顔色を窺う必要なんてないわ。アンタもこの際あれこれ命令しても罰は当たんないわよ。式神を起動できるまでには回復していないんでしょ? どうも涼には従順みたいだし」


 脇腹を小突かれ涼は小さく呻く。

 雀の指摘通り、いまの涼は式神一体すら満足に起動できないコンディションだ。烙蛹魔術の影で内臓を蹂躙された挙句に、シャノン達との一戦で傷口が開き体内は血塗れである。


 加えて連日の徹夜で治る傷も治るはずもなく。

 煙草を取り上げてまでシャノンが涼の体調に気を配るのは、その辺りの負い目から来ているのだろう。


「ご命令頂ければ、善処致します」

「召使に人間を使う趣味は無い」

「あっそ。私から命令。明日は西館の掃除をしといて。清掃用の式神は随所に配置してあるから確認しておくこと」

「かしこまりました」


 雀のシャノンに対する態度は露骨に尊大だ。

 それというのも、やはり全権代理者である涼を襲撃した事に起因している。


 全権代理者の指名とは非常時に備えて信が置ける人間を選定する事。自身の身に万が一が起きた場合でも。霊地の簒奪を免れるための緊急手段。

 涼を潰しかけたという事は、五輪市への攻勢にも等しいのだ。


 直近でも『人獣』や『七榊兄妹』と頭を悩ます事態は多かった。


 紆余曲折を経ながらも結果的に一年半に及んで霊地を専守した涼だからこそ、雀は全権代理者の選定に踏み切った。

 それを僅か数十分後に出鼻を挫かれたのだ。不機嫌にもなる。


 雀はシャノン達の一連の行動を五輪への外部干渉と同義と位置づけ、ひっ捕まえたシャノン達に二つの報復措置を講じたのだ。


 一つは多額の賠償金請求。アストレアを通じてGHCへ不当な干渉を理由に、腰が引ける様な額を要求していた。


 そして二つ目が、シャノン達の隷属。こちらは期限を設け、作戦までは基本的に雀と涼に従順である事を術式で強要している。


 シャノンを侍女と煽ってはいるが、元凶は雀にある。下世話なことこの上ない。

 雀に掃除を命令されたように、シャノンは屋敷内の家事に体よく使われている。其れこそ前時代的なメイドの様に、家庭内の雑務をほぼ全て。


 多忙な中で仮初の主へお茶を運んでいるのは、単にシャノンの器量の良さだろう。


「それで、涼。解析の進捗はどんなもの?」

「30%がいいところだ。このままだとオークションへの出品すら危うい。ちなみに君達への融資資金の調達も兼ねている」

「ちょっと、ちょっと。それは許されないわよ。別々に出品するわけにはいかないの?」

「俺に当てられた出品枠は一枠。二作の出品には実績が足りない」

「お待ちください。既に三割もの解析が済んでいるのですか?」


 さらりと口にした涼の発言に、シャノンは我耳を疑った。

 30%。三割といったか?


「そう言ったが?」

「旦那様が研究に着手してからまだ一週間です。恐れながら……」

「有り得ないと?」

「……はい」


 無礼を承知でシャノンは涼の能力に疑問符を付ける。付けざる負えない。


「我々の眼はいまだ完全解明には至っておりません。アストレアが魔眼に対しいまだ明確な対抗手段を有していないのが、その証拠ではありませんか?」


 シズの一族と魔眼の存在は少なくとも十九世紀後半には詳らかとなっている。大雑把に見積もっても今日に至るまで百余年の年月が経過しており、当然研究もそれ相応に行われている。


 そもそも魔眼への加工技術はシズの一族から流出したものであり、シャノンら一族も眼球に備わる神秘については知らない事の方が圧倒的に多い。


 当然この神秘を解体しようと試みた研究者も後を絶たなかったが、結果は悉く打ち破れた。


 世界に五人といない魔眼職人でさえ『理屈は分からないが加工方法だけは知っている』だけであり、シズの眼を理解している訳ではない。


「巨人の末裔に発現するような先天性の『邪視の魔眼』と、我々一族のそれは……自慢ではありませんが一線を画すものです。加工術式次第で千差万別の能力を発現するこの眼球(カオス)を、たった七日で三割解き明かすなど……」


「随分買いかぶっているようだが、キチンとした絡繰りはある」

「絡繰り? アルベルトって人を検体にしたのがそれ?」


 疑問と考察を提示したのは雀だ。

 検体というのは語弊があるが、涼は概ね雀の言葉を肯定する。


「原理は解明されていないが、魔眼への加工術式というのは一応確立されている。監視官の権限で過去にアストレアが押収したその術式を取り寄せて、足掛かりにしている。此処に起こしているのがそれだ」


 涼が指差すのは黒板の大部分を占める術式陣だ。

 専門外のシャノンと雀には比較的整然としている術式陣でさえ理解不能だ。円の中で文字と線が絡み合っている様にしか見えない。


「これに加えて八月に山岳トンネルで発見した人獣の術式、小野寺叡治の烙蛹魔術の理論を参考にしている。どちらも完全解明には遠いが、人体の改造・昇華と魔眼へと通じるものが多い。三割といったが殆どが既存技術と擦り合わせた結果に過ぎん」


 独力での解明とは言えないと、自らを卑下する涼は吸殻の山から比較的長いものに火を着ける。


「……参考にした術式とは例の魔術翁の作品と思しきものでしょうか?」

「そう。完全解明には至っていないがな」


 いよいよをもってシャノンは戦慄を禁じ得ない。全身の産毛が否応なしに逆立ち、彼という才能に畏怖さえ抱きかねない。


 そもそも参考文献が手元にある程度で三割解明出来る神秘であれば、それは神秘とは称されない。

 とりわけ魔術翁の術式は判明しているだけでも、世に称えられる最先端すら置き去りにする程に高度と言われている。


 実を言えばGHCの聖典儀礼も、魔術翁が構築したとされる術式から開発されている。研究の段階で原典(オリジナル)の大部分は破棄されているが、これはGHCの手に余ると判断されたためだ。


 涼は独力の解析ではないと己を過小評価しているが、人間というのどのような分野であれ模倣から始まり、応用へと発展させるもの。

 つまり、涼は魔術翁の視点すら取り込み、これを自身へと昇華させているということ。


「なんという才能……!」


 無意識にシャノンの口から零れた声は僅かに震えていた。全てを見透かされそうな言い知れない不安感に駆られ、シャノンは涼の黒瞳を直視出来なかった。


「不用意に才能なんて便利な言葉で片付けると、真実を曇らせるわよ。わざわざ絡繰り、なんて称したんだし、他にも理由があるんでしょ?」


 存外に含蓄に富んだ意見だった。

 雀の指摘に、涼は紫煙を輪に吹いてみせる。正解らしい。


「他の理由とは……?」

「さっきも言ったろ。アルベルトという健康優良児に大いに協力してもらっただけだ。奴から採取したDNAと霊力を活用したからこその進捗。後者はたっぷり搾り取ったから、術式の試験起動には事欠かなかった」


 涼が研究に着手するにあたって、彼は手始めにシャノンとアルベルトに協力を要請した。

 隷属関係に身を置くシャノンに拒否権は基本的にないが、アルベルトはシャノンの参加を頑として拒んだ。


『シャノン様の個人情報を明け渡すわけには参りません』


 シャノンとしては付き人の不始末を清算する為にも、協力には意欲的であったが、結局はアルベルトに押し切られる形となった。

 研究が滞っているならば、やはり今から自分も参加するべきではないか。思考を巡らせていると、シャノンはふと部屋を見渡す。


「旦那様。お尋ねしたいことが」

「その呼びかた止めろ」

「アルベルトは今何処に? 此処にいると思っていたのですが」

「……無視かこの野郎。式神にだって呼ばせたことは無いぞ」


 何故か呼称に関しての命令だけはシャノンは聞こうとしない。

 こっそりと録音している雀のスマホを涼は擦り減ったチョークで弾く。どうやら雀からの厳命らしい。


「旦那様、アルベルトは何処に?」

「…………奴ならそこで干乾びているだろう」

「? っ!? あ、アルベルト!!?」


 涼の指差す部屋の隅へシャノンは視線を向け、この日一番の声を上げた。


 いままで気付かなかったが、そこには葦の様に痩せ細ったアルベルトが横たわっているではないか。


 ミイラ。ミイラだ。


 潤いと弾力を失った肌は土気色。不毛地帯の如き頭部からは豊かな金髪は殆ど失せている。鍛え上げられた体躯はまるで藁人形が服を着ている様な有様だ。あとついでに誠明も同じような状態で傍に転がっている。


 誠明には眼もくれず、シャノンはアルベルトの傍へ駆け寄る。


「何があったのです!?」

「言ったろ、霊力を搾り取ったと。維持張って俺の研究に付き合った結果だ」


 確かにそんな事を言っていた気がする。

 シズの一族の研究であれば、アルベルトの霊力が最も研究材料に適している事は確かだ。よもや文字通り干乾びる程霊力を提供していようとは想像出来ようか。


「ま、だ…………や………れる…ぅ……」

「お前の意思表示などいらん。死ぬギリギリまで搾ると、最初に言っただろう」

「おやめになって下さい! アルベルトしっかり、いま水を持ってきます」


 血相を変えてシャノンは全速力で部屋を出る。

 一連の様子を傍観していた雀はふと、自分が手にするティーカップの存在を思い出す。


「あ、これ彼の分だったか」


 既にカップは空だった。


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