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三章・五節 狐狩りの魔術師たち

「ひゃー、おっかない式神やな。いや、アレはホンマに式神かいな?」


 飄々と一人愚痴るのはレストランから程近くの雑居ビル、その屋上の転落防止柵に腰掛ける伊調銀治だ。


 視線の先にはつい先程まで銀治もいたレストランの喫煙エリアの一角。


 机と椅子が散乱する中で部下の誠明にGHCのシャノンとアルベルトが倒れ伏しており、同じようにして敵対派閥の宵波涼が規則正しく(・・・・・)胸を上下させている。


 式神・連鶴の膝枕で眠る涼の顔色は遠目からでも分るほどに健康体そのもの。アルベルトに負わされた頭部の裂傷すら完治しており、床には血痕一つ残っていない。


「……“赤服”ってあの二人は言うてたな。涼君は確かに死にかけやった。せやけどあの馬鹿げた呪詛を浴びた途端、コロッと息を吹き返した」


 銀治がレストランを飛び出したのは、ちょうどシャノンが涼に触れた辺りだった。


 膨大な経験で磨かれた本能が銀治にけたたましい警鐘を鳴らし、理由も理屈も全てかなぐり捨てて銀治を突き動かした。


 結果として自身の本能に従った事は功を奏した。


 霊脈上を高速移動術“兎歩”で十分な距離にある雑居ビルまで引いた銀治が眼にしたのは、レストランでの異様な蹂躙。


 銀治にさえ実体化を感づかせなかった式神・連鶴は、手にした赤いリボンでシャノン達の首を次々に絞り切っていった。


 実際にはそれは銀治の錯覚でしかなかった。

 シャノン達の首は可愛らしくラッピングされたのみで、昏倒こそしたものの繋がったままだ。


 ただしリボンに込められた呪詛にごっそりとシャノン達の霊力が強奪される瞬間を銀治は見逃さなかった。注意深く観察すれば呪詛の一端がシャノン達に残留しているのが視てとれる。時間を追うごとに細胞へ浸透し、今となってはその痕跡さえないが。


 奪った霊力が何処へ行くか、その先は予測するまでもなく。


 瀕死の主の元へ戻った連鶴は周囲を気にする様子もなく涼を膝枕。

 早回し映像の様に壊死寸前だった涼の首は異常な速度で治癒していき、今では痣一つ残っていない。


「あの式神の能力、って推測するのが妥当なんやけど。微妙に違う気もするな。誠明の報告にちょいちょい上がる彼岸花と同一なんは確定的やけど、得体が知れない力や。あれも“赤服”なんか?」


 知識と手元の情報を統合しても、連鶴の力に銀治は頭を悩まされる。


 魔術翁の使い魔と思われる人獣も膨大な呪詛を内包しており、報告された最終的な呪詛は甚大な霊地汚染を引き起こすエネルギー量であった。


 それを涼はあの彼岸花の術式で相殺したと聞いてから、凡そ常識の範疇で語れるものではないと察してはいたものの。


「いやはや。直嗣はどえらい子を拾ったもんや」


 実際にこの眼で見て、戦慄を禁じ得ない。

 銀治の勘が正しければ、あれは人に由来する力ではないだろう。魔獣や魔族に近しい、あるいはもっと本質から異なる何か──


「いずれにしても、後々の利益を重視するなら多少の痛みを許容してで、此処で始末する方が利巧なんやけど──君らがそうさせへんよな?」

「そうね」


 視線をそのままにした銀治の問い掛けに、鈴の音を転がした様な声が返ってくる。


 振り返ればアンテナの上に器用に立つのはモッズコートに包まれた一人の少女。西洋人形の様な均整の取れた容姿と艶やかな黒髪を従えながら、どこか無機質な印象を受ける。


「和泉の仕事っぷりはどないやった? 良ければ率直な感想を頂きたいんやけど」

「監視官だから監視する、ただそれだけの人だったわ。貴方の部下はもっと駆け引きを覚えないと。幸白って人も多分同様」

「なるほど。手厳しいが最もな意見やわ」


 少女──雨取照の評価を受け銀治は言葉ほど意外には受け取っていない様子だった。軽薄な笑みさえ浮かべるその反応に照は不機嫌そうに目元に影を落とす。


 監視任務は査定対象の行動を二十四時間監視・監督すること。誠明と和泉もこれに従い、自身の眼が届かない場合は式神や発信機を駆使して任務に従事した。

 初の監視任務にしては仕事ぶりはまずまずといったところだろう。実際照が観察していた範囲では和泉にはミスらしいミスは無かった。無論烙蛹魔術の一件は別としてだが。


 しかし見る者が見れば、これでは不適切と判断するだろう。

 査定対象を檻に閉じ込める様な体制を整えれば、理想的な成果は期待できる一方で結果としては真逆に帰結する事が多い。


 何しろ『僕は此処から此処まであなたを視ています』と主張しているに同じだからだ。術師であれば見えている視線など恐れるに足らない。諸々の隠蔽工作は講師の眼を盗んで居眠りをするより簡単だ。


 誠明たちと同じく初の監視任務に従事した涼が一年間の任期を全うできたのは、才能や能力ではなく、単に監視官としての立ち振る舞いへの思慮の深さが如実に表れた結果だろう。


「これは僕の勝手な想像やけど、彼は着任当初から表立って監視官とし振る舞う事は少なかったんちゃう? 例えばそうやな……掃除かボランティア活動とかに邁進してたとか」

「……」

「図星か」


 ノウハウを積んだ監視官ほど、まず理想とは遠のいた監視方法を選ぶものだ。


 照が覚えている限り最初の涼の労働はまさしく神崎邸の掃除だった。

 掃除以外にも照たちの邪魔にならない程度に涼は屋敷の手入れに奔走し、酷い時にはそのまま顔を合わせずに帰る日もあった。


 あれで本当に監視しているのか、幾度となく疑問を覚えたが、仕事はキチンとされていた。

 さりげない会話の中で涼が照たちの行動に釘を刺してきたのがその証拠だった。


 監視網を悟らせず、しかし存在感を意識させる半透明人間に徹する。これを実行出来るか否かで監視官の素質が問われるといっても過言ではない。


「それで、わざわざ改善案のプレゼンテーションをしに来た、っちゅう訳でもないやろ。オッサンに君みたいな若い子が何の用や?」

「とぼけているのかしら。察しが悪いようには見えないけれど。それとも余裕のつもり?」

「偉くご立腹のようやね。随分と涼君と仲ようなったみたいや」

「認識が甘いわ。お互いの立場を顧れば、私達はお友達にはなれないもの。体面的にはもっと遊びの無い関係」

「なに……?」


 銀治は首を捻る。


 照の言葉通り照たちと涼は利害関係に踏み止まっていると、誠明と和泉の報告にもあった。傍から見ればそんなのは大概向けの定型文というのが真実ではある。実際は同じ屋根の下で生活する程度には親密な間柄だ。


 これは誠明らの報告漏れやミスではなく、単に彼らの知らぬ所で涼達が契約を交わしていただけの事。


 故に銀治は知らない。

 たかだか十分にも満たない時間で、雨取照が宵波涼と融資契約を締結している事実など。遊びが無いとはそう言うことだ。


 入念な準備を重ねてシャノン達を涼に接触させた銀治にとって、これは誤算となる。


「あ~、虎の尾を踏み抜いた感じやね、これ」


 五輪ハイムでの戦闘で照が乱入した時点で予感はあったが、アルベルト達を焚き付けたのは不味かったと銀治は困り顔を浮かべる。


 しかもいまの銀治は他人の術師が管理する霊地へ土足で踏み入った唯のよそ者だ。

 こうして管理者が姿を見せた理由は、察せるというもの。


 魔術師と正面切って戦うのは銀治といえど、出来れば避けたいというのが本音。ついこの間保守派から掠め取った照の編纂魔術の分析結果を眼にし、久々に立ちくらみを覚えたばかりなのだから。


「……えーっと、僕はもうお暇する気満々なんやけど、行っても大丈夫かい? 後は若い連中に任せるって奴で」

「帰るなら、どうぞお好きに」

「ホンマ? なら此処でさいなら」

「ええ──さようなら」


 静かに瞑目し照がコート越しでも分かる細い腰を折る。その動きで照の黒髪(ブルネット)が揺れ──キラっと耳元で光が覗く。


「しまっ……!?」


 それは一瞬の出来事だった。


 照の耳に下げられていたのは、格子が描かれた短冊状の鏡。

 鏡の自分を認識した途端、銀治は一切の行動を封じられた。格子に捕われた鏡像(自分)に、現実が引き摺られる。


 銀治は兎歩の術式を起動しようとするが、叶わない。全身を拘束する魔力に抗えない。

 抵抗する間もなく、問答無用の拘束。

 歴戦の霊能力者をこうもアッサリと術中に嵌めるとは、見誤った。


「……これは和泉には荷が勝ちすぎたな。君を相手取れる人間はアストレアでも少ないで」


 雨取照という魔術師の力量を、完全に見誤った。

 彼女は『編纂者』である前に錬金術師であり、鏡魔術の名手。警戒すべきは寧ろこちらだったはずだろう。


 単に魔術の強さだけではない。

 術を仕掛ける間合い、相手の呼吸の把握、行動の間隙を突く術の巧さ。どれも自身の術式を正確に把握し、性質を理解している術者のそれだ。


 霊能力者と魔術師の違いではなく、純粋な地金の違い。凡百の術師とは一線を画す。


「こうも見事に縛られたのは何年ぶりやろね。……っていうか、ホンマにキツい! 節々が錆び付いて来とるのに、緊縛プレイはちょっと体力に自信が」

「雀。早くして頂戴。これ以上は耳障り」


 銀治の抗議に取り合わず、照がここにはいない誰かに催促する。

 それに応じるようにして、馬鹿げた魔力が屋上の真下で蠕動する。


「分かってるわよ!」


 念話で猛々しく応えるのは、無人の空きフロアで神崎雀。


 足元で展開される魔術陣が激しいスパークを放ち、魔弾を射手たる雀の腕へ装弾。

 術式展開完了。装弾術式・単発対空高射魔砲。射角直上90度。魔力伝導率……概ね良し。

 細かい被害は後回し。


 いまはとにかく、ぶっ放す!


「うちのスポンサー潰しかけたんだもの。タダでは返さないわよ狐男ッ」


 天井越しに啖呵を切った雀の右腕が真上へ突き出される。収縮された魔力が励起し、雀の腕を眩い砲身(ブルー)へ成り上げた。


「……あっちゃ~。完全にしくじってもうたか。詰んだわ、これ」


 不可避。


 培われた戦闘勘も冷徹な状況分析も、敗北を銀治に淡々と告げていた。

 雀の啖呵は聞こえていないが、彼女が額に青筋を浮かべているのは魔力からビシビシと伝わっていた。


「ま、修正は必要でも大局の趨勢はそう簡単には揺るがんやろし、大丈夫やな」

「……ここに来て、挑発かしら?」

「ちゃうよ。どんな関係であれ、お嬢ちゃんらが涼君の傍にいるのは僕としても歓迎することって話」

「どういう意味?」

「さあ、なんでしょうな? ところで話は変わるけど、僕ちょっとした特技があるんよ。サクランボの茎を舌で結ぶってやつ」

「……? ────っ! 雀、待って!」


 拘束され、チェックメイトを掛けられながら、ペラペラと喋る銀治の態度を照は訝しむ。

 余裕か、それとも仲間がいるのか。

 特技だと開かれた銀治の口腔を眼にし、咄嗟に照は雀へ念話を飛ばすも、間に合わない。


 予告通り器用に結ばれたサクランボの茎が乗る銀治の舌は、真っ白(・・・)に染め上がっていた。


 魔弾に呑まれる寸前に照が眼にしたのは、人相が代わるほど弓なりに眼を細めた銀治の不気味な笑み。


 階下から駆け上がる光柱が人形を塵も残さず消し飛ばす。

 後には吹き抜けになった雑居ビルで顔を合わせる魔術師が二人。


「なんか、仕留めた! って感じがしないんだけど……。直撃したわよね?」

「貴女が砲撃を止めてれば、別の結末もあったかも」

「何よ、急かしたのそっちじゃない」


 憎まれ口を叩き合う雀と照の顔は晴れない。

 確かに雀の魔弾は銀治を捉えその肉体は消滅したが、軽すぎる手応えに雀の顔は渋面に歪んでいる。

 プライドの高い彼女達は口にこそ出さないが、逃がしたと、結論を同じにしていた。


 単純に考えれば式神の身代わりだが、普段から涼の精巧な式神を眼にしている二人を騙し通せるとは考えにくい。


 銀治の最後に立ち会った照には一つの推論が立っているが、確証がない以上この場で軽々に口にする気は無かった。


「とりあえず涼の容態を確認が先決ね。生きてるようだけど、また厄介な案件被ったみたいね。タイミング悪いったらない」

「介入する気?」

「仕方ないでしょ。アイツ個人に降り懸かる案件だったら、私達も完全に無関係じゃないし。あの外国人は客人でもあるし、最低限の御持て成しはしてやるわよ」

「……そう。なら私は一足先に休んでるわ」

「帰るならこれ持って屋敷にして頂戴。涼の部屋じゃ流石に手狭」


 雀は預けられたままの式神・淑艶の形代である簪を投げ渡し、一度照と別れる。


「なにこれ、刺青じゃない……痣……?」


 あまり使ったことの無い視線避けの結界をレストランに雑に張り直し、喫煙スペースに踏み入った雀は雑魚寝状態のシャノン達のそれに首を傾げる。


 シャノン、アルベルト、誠明。彼等の首元には複雑な赤い紋様が首輪の様にして浮かび上がっている。


 特にシャノンの痣は男二人より深く喰い込み、右手にも同様の赤い痣が見て取れる。

 よくよく観察すれば赤い痣は細かく枝分かれしており、小さな花が寄り集って帯状になっている。


 痣は刺青とは異なり皮膚に色素を無理矢理入れ込んだものではなく、概念として焼き付いているように感じる。


 此れとよく似た呪詛を、雀はこの一年半幾度か眼にしていた。夏休み半ばにも二体の人獣を屠ったあの彼岸花の呪詛に。

 多少特殊な術式ぐらいにしか捉えていなかったが、今後はその評価は改める必要がありそうだ。


 とりあえず不用意に痣に触れる事は避け、


「はい、起きろ涼。死んではいないでしょ」


 雀は連鶴に膝枕される涼の頬を遠慮なしにベシベシ引っ叩く。

 また入院でもされては話が進まないうえ、雀一人では誠明らを運ぶのも骨が折れる。


 あと式神とはいえ美女に介抱されて眠りこけるのは、なんだか非常に癪だった。


 何度目かの平手が涼の意識を釣り上げたあたりで、涼のバイタル低下がどうのこうのと、何処からともなくアストレアの下部構成員が現れた。

 事後処理を彼等に任せ、雀は担架で運ばれる涼に付き添う。


「先に言っておくけど、全権代理者契約(・・・・・・・)がある以上はある程度は一蓮托生だから」


 喧嘩を売られたのは涼だけではない、と暗に告げる雀の額には青筋が浮いていた。

 照と同じく、雀もまた涼と契約を交わしており、これは誠明たちのような妨害があっても対処を迅速にするためのものだった。


 その用意が早速、協会派主導の元潰されたのだ。心中は察して余りあるというもの。


「……間違いなく面倒ごとだぞ?」

「上等よ。私達にも降り懸かってる火の粉みたいだし、この際火種の一つ二つ消し飛ばしてやるわよ」

「……勇ましいな。頭が下がる」


 呆れたような、感心した様な笑みを浮かべた涼はもう一度意識を沈めていった。


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