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三章・四節 第一級指定魔族

 第一級指定魔族。


 十六世紀イングランドが発行した私掠船制度を原型に、政府公認執行機関アストレアが正式に犯罪行為を公認し、同時に“討伐不可”と結論付けられた意思持つ厄災。


 “討伐不可”といっても微妙に差異があり、例えば殺すには莫大な犠牲を払う、あるいは強大な存在故に魔導犯罪の抑止力の側面が強く、殺すデメリットの方が遥かに多大などの理由も上げられる。


 それでも真に“不死身”を体現する規格外は、やはり存在する。


 元々魔族というのは人間と寿命も身体能力も桁違いなうえ、その強靭な肉体には幾つかの魔術系統が種として根付いている(・・・・・・・・・・)いる。言い換えれば生物の形を持つ魔術とさえいえる。


 熟練の戦士といえど、魔族と対峙する時は十分な準備無くして挑む事は自殺行為に等しい。


 彼等は術理を構築して多彩な術式を用いる事こそ出来ないが、それを補って余りある身体能力と特異能力によって幾度どなく人類を苦しめてきた。過去にはたった数人の魔族によって小国が一夜にして滅んだ実例もあるほどだ。


 吸血鬼ヴラド・オルギアはアストレアが認定した最新の第一級指定魔族。三十代半ばの若い吸血鬼でありながら内蔵魔力量は世界でも五十例を下回る二世紀級の同族に匹敵しており、いまだ出身地や血縁も判然としない未知に包まれた怪物。


 数年前にアストレアは大規模な討伐隊が編成し、ヨーロッパの片田舎に駐在していたヴラドを急襲した。当時は其れほど強力な個体という情報は流れていなかったが、入念な訓練と装備の配備、強化術式に防護結界を一人一人に何重にも施していた。不測の事態を想定してGHCから大量の聖典儀礼の装備まで借り受ける念の入りようだった。


 結果は、討伐隊の全滅。


 回収された戦闘データは悲惨を極めたものだった。


 ヴラドは腹に風穴が幾度空こうとも顔色一つ変えず、心臓を聖槍で穿たれようとも倒れず、銀蒸で皮膚を全て蕩かされようとも悲鳴を上げず。ただただ討伐隊から一人、また一人と一滴残らず血液を奪い取って行った。


 だがヴラドが第一級指定魔族に認定されるにあたり、討伐隊の全滅は唯のキッカケでしかない。


 真の理由はヴラドの異名・魔眼公にある。


「──第一級指定魔族……魔眼公ヴラド。ああ、なるほど。この制度で災禍を被るのは確かに貴方達だな」


 散りばめられたピースが形を成し、常磐津は確信を得る。

 何故銀治がシャノン達に一度涼を殺させて、ヴラドの討伐の協力要請をシャノン達に切り出させたのか。


 ──嵌められた!


 辿り着いた結論に常磐津は唇を噛んだ。


 舞踏会でシャノンと邂逅した瞬間に、彼女の正体を見抜けなかった事が致命的だった。

 遅きに失していると理解しつつも、常磐津はテーブルを挟むシャノンとアルベルトを睨まずにはいられなかった。


「やはり私達の一族を御存じでしたか」

「知っているだけだ。何せ世に出回る物は殆ど“加工品”だからな。原本を見たのは、今日が初めてだ」


 最初から、微かな違和感はあった。


 高名な式神職人である涼の元には、度々ある“魔導具”に合わせた式神の製作依頼が舞い込んでくる事があった。


 その“魔導具”は裏の界隈では芸術品として競りに出される事もあれば、美術品として蒐集家の工房(アトリエ)に飾られるという話も聞かれる。


 同時に強力な術式を内包するそれを使いこなせず、持て余した者は自身の代替品を求めて涼の様な職人に依頼を持ち込む事例が多々ある。


 術師であれば誰しもが一度は耳にし、凶刃に命を曝す兵士や傭兵であれば腕を一本売ってでも欲する武器。


 とある一族の眼球(・・)を加工して造り出される、神への冒涜を恐れぬ人智の魔。あるものは視線に猛火を宿し、あるものは因果を読み取り未来を映し出し、神話においては蛇髪の女怪の代名詞たる石化の呪い。


 能力に優劣はあれど、扱い方によっては最凶を欲しいままにする。


 一説によればその一族の眼は魔族の始祖から引き継いだ権能の成れの果て。外界と隔絶された渓谷の更に奥地にひっそりと暮らしていた彼等は、例外なく宝玉の如き碧眼を持って生まれて来る。星色が揺蕩う紺碧の泉を思わせる宝石の如き双眸。


 たった一夜にして吸血鬼に故郷を滅ぼされた悲劇の一族。残された亡骸は皆顔に虚ろな穴二つ。散った宝石は異能を与えられ莫大な金を生み出し、数多の命を奪う凶器へと成り果てた。


「──シズの一族。お前たちは魔眼の素体を持つ血族、その生き残りか」

「その通りだ。そしてこの眼はお前たちがヴラドへ献上した撒き餌を見て、お前は何を思う?」

「やめなさい。アルベルト」


 エントランスで涼を襲撃した時と同じアルベルトの濃密な殺気。彼だけは最初から本気で涼の命を奪いに掛かっていた。罪人を糾弾する様な静かだが険しい視線を、常磐津は真正面から受け止める。


 その境遇には同情しよう。苛酷な運命に憐憫を抱こう。監視官を拝命した此処での涼の発言は、アストレアの代行であり、意思そのもの。


「撒き餌。言い得て妙だな」

「何?」

「我々は天秤に掛けた。奴が執着し始めたシズの一族を含めた魔眼と、再び無差別に奪われる民の命を」


 十四年前のある時期を境にヴラドは異常なまでに魔眼への執着を見せ始めた。それまで好んだ若い娘はパッタリと襲われる事がなくなり、まるで人が分かった様に。


 魔眼を移植した術師が次々と狩られ、名の知れた魔眼職人の工房は五年を待たずして壊滅。競りに掛けられた眼を莫大な資金で買い取ったという話も聞こえる程だった。


 それまで補足さえ困難であった魔眼持ちの犯罪者は、結果として大きく目減りした。アストレアはヴラド討伐を失敗したことにより、皮肉にも多大な恩恵を受ける事となったのだ。


 ヴラド・オルギアを第一級指定魔族へ認定した真の理由が此れだ。魔眼公の抑止力を失えば、不死の怪物は再び野に放たれる。これを恐れたアストレアは使者を送り込み、彼の蒐集を裏からコントロールする方向へ舵を切った。


 必ず生まれる犠牲を承知の上で。

 それが先代アストレア当主が下した判断。


「つまり貴殿も我々に奴の執着物に徹しろと言われるか」

「……眼玉二つと不特定多数の命。どちらが優先されるかなど、議論するまでもない」

「勝手を言うなッ!!」


 激昂したアルベルトの蹴りが常磐津へ炸裂した。

 隣接するテーブルを巻き上げる剛脚に、常磐津は掴み取ったテーブルナイフを突き立てる。

 共に霊力で強化され、鈍い音を立てて鬩ぎ合う。


「ああ! タバスコが眼にィ!?」


 轟音に驚いた客の悲鳴が響き、駆け付けようとした店員は青ざめて動けない。甘味を台無しにした天罰(?)に銀治は一人間抜けな悲鳴を上げる。


「アルベルト、止めなさいッ」


 シャノンの制止は一瞬遅く。


「何が正義の女神(アストレア)か。生贄を捧げる祭事気取りが、貴様の正義か!」


 力比べに耐え兼ねたディナーナイフが圧し折れ、アルベルトの蹴りが振り抜かれる。


 間一髪のところで身体を倒した常磐津の頭上を、恐ろしい勢いで脚が掠める。身代わりの様に数本の髪の毛が引き千切られる。


「……っ」


 常磐津に反撃の選択肢はない。

 銀治がパフェを顔に被り間抜け面を曝しながらも、しっかりと睨みを効かせているからだ。


 そして回避し続ける事もまた不可能。いまの彼女は四面楚歌。孤立無援の非力な少女に過ぎず、今しがた天に向かって吐いた唾が返って来る。


 即座に軸足を切り替えたアルベルトが跳ね上げる爪先が、常磐津の顎を捉えた。

 パッっと鮮血が飛び散る。


「貴様らが奴を野放しにしたせいで、何人の同胞が光を失ったと思っている。あの吸血鬼の庇護下に入ろうと、賄賂代わりに攫われた同胞がどれだけいると思っているッ」


 空中に泳いだ常磐津の脚を掴んだアルベルトは剛力に物を言わせて振り投げる。


 禁煙と喫煙スペースを区切るガラス壁に常磐津はわくらばの様に叩き付けられ、力なく床に落ちる。


「ぐっ……!」


 エントランスでの一戦でも痛感したが馬鹿げた力だ。人間をぬいぐるみの様に気軽に振り回す膂力には舌を巻く。掴まれた右足には罅が入ったのか、鈍い痛みを覚えた。


 不味い事に流し込まれた熾清気の一部が経絡系を焼いた事で、変身が解けてしまった。常磐津の輪郭がぼやけ霊子の光流が立ち上った後には、元の涼の姿へと戻っていた。


「……ッ、ぁッッ!!」


 修復が終わっていない頸椎から気が狂いそうな激痛が迸る。一瞬首が融け落ちたのではと錯覚するほどの灼熱。そのくせ首から下は凍える様な寒さに襲われ、碌に動かせそうにない。


 もう一度常磐津の起動を試みるが、駄目だ。経絡系を傷つけられた事で起動不良に陥っている。今無理に起動すれば身体が半端に入れ替わり、最悪命取りに成りかねない。


 式神代替での応急処置は、恐らく間に合わない。その前に怒れるアルベルトが手を下す事だろう。


「落ち着きなさいアルベルト! アストレアの規定については承知済だったはずでしょう! 此処で彼に当たって何になるのですか。目的が違う」

「貴女はそれで宜しいのですかッ!? こいつ等は己たちの敗北を罰する事無く、我々の人権を売る事で組織の体面を保っているだけです。構成員の一員ですら、これをよしとしている。これを許せと申しますか!」


 義憤に駆られるアルベルトを止めるシャノンの表情も沈鬱なものだった。彼女自身も少なからず同調している部分があるのだろう。


「……ああ、だから伊調銀治と組んでいるのか。お前たちからすれば保守派こそが悪であり、協会派は意見を一致させる同士、か」


 祓魔師たちの本音を聞き、涼は納得がいったと言葉を零す。身を起こす事も出来ない弱々しい声は死にかけの身でありながら、笑みを含んでいた。


「断っておくが、さっきのは別に俺個人の意見ではない。保守派の、特に監視官なら同じ事を口にする」

「何だとッ!?」

「聞えなかったか? 魔眼で増える墓標を減らす事ができるのなら、悪魔と罵られようと俺達はお前たちをヴラドへ差し出すとも……ぐっ!」

「黙れッ、お前はもう何も喋るな」


 涼の頭にアルベルトの靴底が落ちる。常磐津のダメージが一部涼に跳ね返ってきたせいで、霊力が上手く練る事が出来ない。頭蓋が軋み、微細な罅が走り始める。


 ……ここまでか。


 色彩を失い始めた白黒の世界で涼は自分でも驚くほどに、あっさりと死を受け入れようとしていた。


 アストレアの下した決断は苦渋と苦悩の末だっただろう。誰だって犠牲の上に立つ平和など望むべくもない。


 しかし魔眼の力は強大だ。未来視の魔眼を所有したたった一人の犯罪者を捉えるために、四十人以上の攻城官と監視官が犠牲になった例もある。闇市場に流れた眼玉を一つずつ追うにしても、現実的ではない。


 故にアストレアは選んだ。多数を生かす為に、少数を犠牲にすることを。


 切り捨てた少数の怒りが、こうして降り懸かるならそれを受け止める役は涼達にある。


 彼等の憤りはもっともで、誰とも知らない輩に失って構わない(・・・・・・・)と切り捨てられる理不尽は万感に値しよう。


 アルベルトが頭蓋を踏み割ることで、僅かでも溜飲が下がるなら、まあいいだろうと涼は抵抗を投げ出す。どのみち霊力が練れない以上、砕かれた頸椎の修復が望めない。首が落ちようと頭蓋が割れようと大した違いは無い。


「受け入れるか、我らの憎悪を。ならば──」

「──っ! おやめなさい」


 アルベルトの脚が大きく振り上げられる。魔女に下す鉄槌の如く、霊力を帯びた踵は正鵠に涼の頭を潰すだろう。シャノンの叱声も怒れる祓魔師には届かない。


「ちょい待ち。流石にやり過ぎや」


 横合いから断罪の脚を掴んだのは、銀治だった。

 いまだクリームで顔面をベトベトにする締まらない容貌だが、その隻眼は厳しくアルベルトを非難する。


「君ら殺生する為に来たん違うやろ。座って落ち着けや。見てみい、店メッチャクチャなってん」

「離して下さい。これはこの男と俺達の……」

「ええから、座れ(・・)


 放たれた命令は、重く脳髄を抉る様だった。


 言霊。

 霊力を込めた唯の発声はアルベルトを強制的に支配し、誠明が運んで来た椅子に縛りつけた。


「うっ、……!」


 腰を降ろしたアルベルトの脚はまるで根が下りた様に微動だにしない。座るという動作以外を身体が拒否している様だ。


 飄々とした銀治の風体に初対面の人間ほど騙されがちではあるが、銀治の実力はアストレアでも五指に入る。術師世界において巨大組織の一つに数えられるアストレアでトップに喰い込むという事は、世界でも指折りの実力者であることを意味している。


 実力差は歴然だ。


「あーあ、酷いなもう。これもう色々と手遅れ違うか? なあお兄ちゃん。気持ちは分からんでもないけど、ちと性急に過ぎるで」

「貴方に、我々の苦痛が理解出来るものか……!?」

「阿保。分かる分からんの話ちゃうわボケ。知らんようなら教えてやるが、三等以上の監視官は皆アストレアの眼であり耳や。補欠の五等や四等とは与えられる権利、権限のものが違う。個人に集約された組織(アストレア)化身(アバター)そのもの。例え正当な理由があろうと、無抵抗の宵波涼を殺されたと保守派が知ったら──全面戦争は必至やで?」

「……っ!!」

「特に彼は現当主のお気に入りや。世界大戦で荒廃した日本の術師界を牽引した傑物の血族の御姫様。実質的な保守派のトップの不況を買えば──オマエ、一族の眼玉差し出すだけじゃ済まされないぞ?」


 此れにはアルベルトのみならず、その場にした全員が戦慄した。


 アストレアを設立したユースティア家といえば世界でも名の知れた大魔術家。多くの学術的研究成果を公開し、魔術体系の基礎を造り上げたといっても過言ではない。彼の一族の傘下に名を連ねようとする術師はいまも後を絶たず、アストレアが積み上げた信頼と畏敬の半数はユースティア家に向けられたものだ。同時に表社会への顔も利き、政財界での権力も大きい。


 階級が三等以上の監視官は、いわばユースティア家の代行者。その監視官を足蹴にしたと現当主のフランチェスカが耳にすれば、報復は免れないだろう。


「ま、やりたいんなら無理に止めはせん。もう動けるはずや。涼君のバイタルは常時モニタリングされとるから、今僕が誤魔化すのやめたら保守派の誰かが必ず飛んでくる。ただ僕もそれなりに危ない橋渡って君らを涼君に引き合わせたんや。これ以上ゴネたいなら──僕が今殺したる」


 見開かれた銀治の狐目に、アルベルトは喉を引き攣らせ蒼白となった。混じりっ気のない、純粋な殺意を前に完全に委縮してしまう。


「しかし君も大概やぞ、涼君。ホンマに殺される気やったろ? 責務だ忠義で命アッサリ差し出すなんて狂気に他ならんわ」

「──」

「……あれ? もしかしてマジでヤバイ容態? え、ちょっと! カッコよく割り込もうとタイミング見計らってたら手遅れって洒落になっとらん!! アカン、いまはアカン。まだ保守派と事を構えるには早すぎるって! 誠明、119番や。救急車。早う救急車呼べ今すぐに!」

「は、はい!」


 顔面のクリームが流れ落ちる程に銀治は滂沱の汗を浮かべる。狐面の容貌は今日初めて焦燥によって本心を曝け出していた。


「私が診ます」


 駆け寄ったシャノンが手早く脈と呼吸を確認すると、辛うじてまだ息はあった。ただどちらもか細い。


 顔色は土気色になり、頭部の裂傷から零れる血液に体温が刻々と失われている。どす黒く変色した頸部からは霊力が全く感じられず、修復が行われていない。


 間違いなく瀕死だ。何もしなければ、あと数分で死に至る。


「アカン、アカン、アカン! これマジで死ぬで、本気で。何してくれとんねんアル何とか。こういう時は……人工呼吸か。ここは人工呼吸か! すぅ~……」

「落ち着いて下さい。もうそんな段階じゃないでしょう!」

「ぶべらっ!?」


 命令通り救急車を呼んだ誠明は本気でマウス・トゥ・マウスを実行しようとした銀治を蹴り飛ばす。


「宵波涼監視官。しっかりしろ宵波涼!」

「血圧がどんどん下がっています。緊急用の携帯輸血パックはありますが……ダメ。腕が義手……!」


 ありったけの治癒札を頸部にあてがい、誠明がありったけの霊力を注いでも効果は雀の涙にさえ遠い。それどころか治癒術式に涼の身体が耐え切れず、傷ついてすらいる。


 元々涼は全身を烙蛹魔術の『泥の胎児』でズタズタに侵され、今日ようやく退院したばかりだったところに、追い打ちとばかりにシャノン達との連戦に合っている。身体への負荷は限界を超えて久しい。



 死に体より多少マシになった程度の容態に、常磐津というスペアの身体さえ取り上げられている。普通であればとうの昔に死んでいる。


「……しかたありません。彼と同期して私が式神・常磐津を使役します」

「なりません、シャノン様! そのような者と御身を重ねるなど……っ!」

「私達は誰かに当たり散らす為に日本に来たわけではありません。悲願のためにも、彼には此処で死んでもらっては困ります。アルベルト、貴方には後で相応の罰を受けて頂きます」

「お言葉ですが、そいつは“赤服”の継承者です! 感化されては其れこそお命に関わる! それにお聞きになったでしょう。そいつは我々の尊厳を容易く切り捨てた。悲願成就は別の方法を探せばいい」

「黙って」


 シャノンはそれ以上アルベルトに取り合わず、同期の準備に掛かる。

 なおも言い募ろうと駆け寄るアルベルトに、誠明の倶利伽羅剣が突きつけられる。


「引け。これ以上暴れれば保守派だけじゃない。この街の管理者も恐らく黙っていない。矛の納め時だ」

「くっ……」


 “魔弾”と“編纂者”を同時に相手取る自信はアルベルトにも無いのだろう。納得がいかないまでも、口惜し気に死に体の涼を睨む。


 急ぎ床に補助呪文を書き連ねたシャノンは携帯していた聖水で両手を清める。


 術師が言う“同期”とは一般的に使われる意味と殆ど同じだ。二名以上の術師が互いの経絡系に干渉し、同調する術式を指す。


 熟練者となれば他人の経絡系と回路(パス)を繋ぎ、式神の様に術師を操る事も可能だ。


 シャノンがやろうとしている事も正に此れだ。

 瀕死の涼に代行して常磐津を使役して、シャノン自身を延命装置とする算段だ。


「……お顔しかありませんね」


 涼の全身を検分したシャノンが目に付けたのは、唯一肌が露出している顔。


 “同期”はその性質上、相手に自身の霊力を通わせる必要があるため、接触が原則となっている。可能であれば肌と肌、接触面積は広ければ広いほどいいが、涼は普段から服を着込んでいる。肌の露出は其れこそ首から上が精々。


 刻々と命の灯が小さくなっていく今は服を剥ぐ時間すら惜しい。涼のポケットから見つけた常磐津の形代である扇子に意識を幾ばか傾倒させ、シャノンは床の呪文に霊力を通す。


 呪文が淡く発光し、彼女の極狭い範囲は一種の神殿と化す。


「失礼します」


 労わる様に涼の頬に触れる。

 冷たい感触に焦りが募るも、シャノンは探る様に涼へ霊力を通していく。可能な限り波長を合わせた霊力は存外すんなり通った。


(──やっぱり経絡系の配列がとても綺麗)


 不謹慎だとは自覚しつつも、シャノンは感銘を覚えずにはいられなかった。


 経絡系は霊力と魔力を通す血管の様なもの。当然他の臓器や体組織と同じ様に、生まれに質が大きく左右される。


 術師の家系は何世代も掛けて品種改良ともいえるレベルで、経絡系を術式に相応しい配列に加工していく。


 シャノンの知る限り涼のそれは稀に見るほど優れている。扱いの難しいと言われる雷の術式を完璧に制御していたのも、納得がいくというもの。


 多少の荒はあっても常磐津を起動出来れば、何とか耐えてくれるはずだ。


「やれそうか?」

「はい。何とか」

「そうか。保守派との全面衝突はなんとか避け──」


 蹴り飛ばした上司に変わって安堵に胸を撫で下ろしていた誠明の声が、不自然に途切れる。


 一瞬疑問符を浮かべたシャノンだったが、その理由は眼の前にあった。


 菊柄の着物姿の式神が立っていた。


 一体いつ実体化したのか、その式神は涼を挟んでシャノン達を見下ろしていた。


 女生という存在が形を成した様な微笑みに、誠明は愚か同性のシャノンさえも時を忘れて眼を奪われる。


 式神でありながら浮世離れした貴人の僅かな仕草は、人を魅了して止まず、彼女の青み掛った黒瞳に魂ごと絡めとられる。

 房から零れる髪にさえ心を掻き乱され、呼吸を忘れ、思考が麻痺する。誰もが彼女が手にするそれを気に留めない。


 唯一、シャノンを除いて。


「……ぁっ」


 涼と接触していた為だろう。死神の誘惑の如き美を前にして、ほんの一瞬ではあるが正気を取り戻した。幸か不幸かと問われれば、不幸だろうが。


 着物姿の式神・連鶴が手にする一輪の彼岸花。底なしの呪詛を蓄えた花の花弁を一枚取ると、連鶴の手によって形を変えていく。


 それは涼が髪を束ねるものと同じ、真紅のリボン。


 連鶴は手にしたリボンを慈母の様な仕草でシャノンの首に回すと――きゅっと、砂時計のくびれのように絞り斬った。何かの冗談の様に。


 リボンに装飾されたシャノンの先尖りの首は容易くバランスを崩し、コロンと連鶴の手の中へ──。


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