三章・三節 策士の罠
伊調銀治。
涼の義父・宵波直嗣と同時期にアストレアへ所属し、一等諜報官として数年前まで最前線で活躍していた人物。
潜入・諜報活動を主とする諜報官でありながら、その実力は先代アストレア当主の折り紙付きであった。若くして頭角を現し、同期の直嗣とは何かと比較される事が多かった。
直嗣が銃撃戦・肉弾戦を得意とした“戦士”であれば、銀治は知略・奇襲に秀でた“策士”であった。
大熊の様な体躯の直嗣に対して、銀治は狐を思わせる長身痩躯。見た目は愚か趣味嗜好、果ては好みの女のタイプまで何もかも噛み合わない二人の男。
しかし一度利害が一致しチームを組めば、如何に困難を極める任務であろうとも必ず成し遂げ、成果を上げてきた確かな実績もあった。
裏を返せば、それは互いの事を誰よりも深く理解し、相手の事を見詰めていたという事。そうでなければ命を掛けた戦場から生還出来た道理が通らない。
現役で鎬を削っていた頃の彼等を知る者は、各々の視点から当時の印象を語るが、皆決まって最後には笑って同じ様なことを言う。
『あいつ等なりにアストレアを盛り上げようとしてたのさ』
先日、涼がアストレア本社で面会した当主補佐の大柳応鋳も、言葉短くではあるが涼へ同じように語って見せた。
だが数年前の事だ。まだ涼が宵波家の養子になって間もない頃、直嗣と銀治の“研鑽”は後戻りを許さない“対立”へと変わる事となる。
ある時、単独任務から帰った銀治は数週間無断欠勤したかと思えば、唐突に聖王協会への合流を唱え始めた。
かねてから問題視されていた龍脈と呼ばれる大規模な霊地の統括管理を巡った聖王協会との軋轢をはじめとした持論を展開していった。
聖王協会は手段を問わず術師の繁栄と栄華を思想に掲げている。時には姉妹機関のGHCを動かし、稀有な才能を持つ者、歴史に名高い聖遺物を簒奪する事も暗黙の了解となっていた。
アストレの存在意義はいわば聖王協会をはじめとした“独善”に立ちはだかる壁。
設立当初のアストレアの理念を貫く者たちには、聖王協会への合流など理解に苦しむ愚考ですらあった。その内の一人である直嗣は当然激しく反発し、時にはユースティア家の血族を抱き込もうとした銀治と殺し合い一歩手前まで発展したこともあった。
しかし銀治が先導する協会派と呼ばれる一派は水面下で規模を増大していった事も、揺るがぬ事実。
協会派と公言する者はごく少数。だが直嗣と銀治程でないにしても、一般構成員間でも意見の相違というのは少なからずある。
──諜報家のアイツは協会派だ。用心しておけ。
──前にアストレアへの不満を零しているのを聞いた事がある。
──あのボンボンは弱小術師の家系の苦労に理解が無い。偽善を語る保守派だ。
元々燻っていた火種に聖王協会への合流という“起爆剤”は、アストレア内部に不確かな情報を錯綜させ、事態の収拾は日を追うごとに難しくなっていった。
保守派と協会派。誰しもが内部分裂は時間の問題だと理解を一致させ、オフィスで机を並べる同僚の腹を探り、笑顔の裏に疑念の視線を隠す。
派閥争いの渦中にいながら『詐欺師』の異名を持つ伊調銀治だけは、堂々と腹の内を明かし、誰と対峙しようと胡散臭い笑みを張り付け扇子を仰ぐ。
「お姉さんお姉さん。僕冷たいの苦手なんで、お冷はええです。ついでに注文ええ? 僕はこの期間限定の京都銀杏風タピオカミルクティーとダウン〇ウンデラックスチョコレートサンデー。あ、君らも頼むもん決まってたら注文せえよ。ここは僕のおごりや。遠慮せんで何でも頼んでええよ」
そんな重要人物は今、ファミレスのテーブル席に着くや嬉々としてデザートを注文し、お冷を同席する涼達へ配っている。
「……」
いまだ女性化を解いていない涼──常磐津は喉の渇きを覚えながらも、お冷に全く手を伸ばそうとしない。
冷房が効いた店内は快適そのもののはずが、肌を伝う冷や汗が止まらない。手の震えを押さえ込むことが今の彼女の精一杯。
敵中。袋の鼠。飛んで火にいる夏の虫。
そんな言葉が浮かび、常磐津は他の同席者の様子を伺う。
此処にいるのは常磐津と銀治だけではない。銀治の部下である誠明、そしてGHCの祓魔師であるシャノンとアルベルト。
もっとも実際に席に着いているのは、壁側に着く常磐津、通路側に伊調とその隣にシャノンの三人。誠明とアルベルトは銀治達の後ろで控えている。
要人警護の如く険しい面持ちで立つ彼等は悪目立ちして仕方がない。先程から店員や一般客がチラチラと盗み見ては「なにあれ恐喝?」「あの子、大丈夫かな……」「ちょっと店員さん。あれ、警察呼んだ方がいいんじゃ」などと不穏な話が聞こえてくる。
「なあ君ら座らん? どう考えても世間体悪いと思うんだけど。こんなんSNSに曝されたら不味いやろ。世間はきっと僕らが考えているよりこういうの敏感だと思うんよ」
「お言葉ですけど、アイツの脇まで固めたら完全に囲い込みですよ」
「うん。我々の国では密輸の加担か水商売の二択を迫るマフィアだな。この場合は伊調殿がボスになるかと」
「アルベルト。そうなると私もかなり際どい立ち位置になってしまいます」
冷静に現状の世間体を指摘する誠明に、アルベルトが真面目な顔で笑えない捕捉を加え、シャノンが不満を口にした。
常磐津からしてみれば一般客が抱く印象と殆ど変わらぬ状況に身を置いているわけだ。いまの彼女は身一つ。
誠明やGHCの二人だけであれば、逃亡は難しくも不可能ではない。だが銀治の参戦は完全に予想の埒外。例え万全の状態であっても、彼を出し抜ける自信など微塵もない。
(……いや。考え方を改めよう)
協会派の先導者である銀治自身がわざわざ出向き、涼/常磐津へ接触を図ったのには明確な目的があっての事だろう。シャノンと肩を並べている以上、銀治にGHCとのコネクションが形成されているのは明白。
銀治にどのような思惑があるにせよ、常磐津が今成すべきことは弱者に甘んじ情報収集に徹する事だ。
むしろ危惧すべきは仮に銀治らの真の目的が涼/常磐津に無く、雀や照にあった場合だ。
これ以上彼女たちにアストレアの事情で不自由を強いる事があれば、
(──その時はこの命を賭してでも退けてくれる)
覚悟を決めれば手の震えは多少マシになった。
「失礼」
一応気を使ってか、銀治は喫煙スペースを選んだので常磐津は煙遠慮なく草に火を付けた。シャノンとアルベルトが僅かに顔を顰めたが、構うものか。
呪詛入りでも何でもない、唯の紫煙は二週間ぶりということも手伝ってか、格別に不味かった。肺の奥がカリカリと引っ掛かれるような不快感まで覚える始末だ。
まだこの程度は感情を揺らがせる余裕はあるという事だ。悪くはない。
銀治が浮かべる常磐津の心境を全て見透かしたような狐面の様な笑みだけは癪だが。
「まずは本題に入る前に、御礼を言うておこうか。八坂君と紫涅ちゃんらが随分と世話になったようやな。誠明からよう聞いたわ。えーっと……もう一回聞くけど、自分は宵波涼でええんかな? 何度見ても別嬪さんにしか見えへんけど」
「呼び難いようなら常磐津と呼んで貰えれば。それに伊調銀治ともあろう御方が、“こちらが本物”という可能性に思い至らないので?」
「言うやんけ。まあ僕としては目の保養的にも全然イケるし。うん、ぶっちゃけあと二十年若かったら本気で口説いたかも」
ゾッと身の毛がよだつ。
冗談でも聞きたくなかった言葉だ。慣れない腹芸などするものではなかった。
一応いまの涼は女の身。言い知れぬ危機感を抱いた涼/常磐津は事情を簡単に説明しておくことにする。
「……これは式神を細胞レベルで受肉させることで、肉体を再構成しているだけです。宵波涼の肉体は霊視レベルまで分解して、其処の伊達男に付けられた傷を癒しているところなんですよ」
「その様な技術がアストレアでは確立されているのですかっ!?」
説明に紛れたアルベルトの非難を無視してシャノンが身を乗り出した。誠明やアルベルトもまた声こそ上げないが驚愕を露わにし、銀治は興味深く耳を傾ける。
何かを期待するようなシャノンの眼差しに疑問を覚えつつも、常磐津は特に誇る事も無くアッサリと告げた。
「式神技術の基礎こそアストレアで習得したものだけど、これ自体は私のオリジナル」
所謂“あっかんべー”で常磐津は下瞼の裏側と舌先を見せてみる。肉質は勿論のこと毛細血管や舌の微細な凹凸まで本物と遜色のない再現度。
「式神と、同化。まさかとは思っていましたが、本当に……」
間接的ではあるが、実際に眼の前で変身を目の当たりにしたシャノン達ですら、俄かには信じ難い話だ。
人形師や義肢職人の歴史は人体構造が詳らかになった十六世紀に端を発している。純粋に人体という未知への探求、あるいは実用的な義手や義足の製作を目的としたものなど、研究理由は様々である。
それらの研究は今日まで人工生命や自動人形といった術式体系を築くに至ったほどだ。
八月に五輪市に出現した人に野獣や幻獣の遺伝子を掛け合わせた“人獣”も、広義では複数の生物を掛け合わせた混合獣の一種。高度な術式を構築されてはいたものの、既存のものではある。
一方で常磐津をそれら生体術式の既成概念に当てはめるには、あまりにも異質。
常磐津はいわば式神という器に術者の肉体を当て嵌め、再設定したようなものなのだ。
「その話がホンマなら自分はスペアの身体を持っとる、って事と同義やな」
「軽率な発言は慎んで下さい。実際にこの女が宵波涼であると立証されたわけではないんですよ!」
「本人は否定しとらんやろ」
「俺が宵波の首を砕いた直後に、あの男はハッキリと言葉を口にしていた。煙に隠れて変貌を確認した訳ではないが、少なくとも霊力の陰陽反転はこの眼で視た」
銀治の要約を嗜める誠明の横で、アルベルトは自身の知見を交えて銀治を支持した。
シャノン達の驚愕は術師であれば常磐津の証言が如何実現性に乏しいか理解出来るからだ。荒唐無稽とさいってもいい。
例えば式神や使い魔を外付けの補助機構として運用する事は、割とメジャーだ。式神を用いた遠視や盗聴などが此れに当たる。もう少し発展すれば緋々色金などの希少金属を触媒に術力の増幅や、あるいは人間の身体機能が失ってしまった古代言語の再現などにも応用される。
しかしあくまでも補助機構であり、スマートフォンや車といった道具と同じ様なもの。優れた道具を扱っているだけで、人間自体の性能が向上しているわけではないのだ。
仮に術者そのものに式神を同化が実現されれば、長らく停滞する霊術に革命さえ起こすと唱える研究者もいるほどだ。
──言い直せばそれは人間の式神化に他ならない。
七榊翡翠、そして小野寺叡治が魔術師への羽化を目指した烙蛹魔術もこれに似た発想だろう。
「馬鹿な。不可能だ! 人間の式神化の可能性は数十年前に完全否定されている。あの陰陽術の開祖・安倍清明でさえ成し得なかった到達点だ」
「ほな今煙草吹かしとる別嬪さんをどう説明する気や、誠明? 全員白昼夢でも見てる言うんか? あの雷撃が既存技術で練り上げられる術式を超過しとんのは、受けた自分がよう知っとるやろ」
誠明の主張は術師としては至極真っ当なものだ。常識の範疇から外れた概念は異常と称され、時には常人が膨大な時間を掛け積み上げ、培った努力をあっさり壊す。
常磐津の存在は其れほどまでに有り得ないとされるもの。
人間の式神化が不可能とされる定説、その最たる理由となるのが拒否反応だ。
単純な話、身体の免疫機構が式神を異物と判断し激しい拒否反応を引き起こす事が殆ど。
式神に強力な機構を備えようとすればするほど、この問題は顕著になり、術式で無理矢理拒否反応を押さえ込もうものなら身体への負担は増すばかり。
涼が八坂や紫涅に施した肉体代替の様に、患者の体組織をベースに半ば培養したものであれば、身体の欠損部分を一時的に補修する事は出来る。これを更に応用すれば、手足の追加移植なんて荒業も不可能ではない。
実際に数十年の歳月を掛けて六十三本の腕を移植した霊能力者もいるほどだ。
──涼の場合、肉体そのものを常磐津へと置き換えているのだ。
全く異なる女性の姿へ変貌を遂げ、塵ほどの霊子の乱れなく実体化を保っている。それも何の儀式も介さず、シャノン達との戦闘中でありながらだ。
つまり涼は式神化に付随する難題を解決し、自身を別物へと成り変えているに等しい状態ということだ。一歩誤れば拒否反応で即死さえあり得る所業だ。
EU圏での勢力覇権を不動のものとしたGHCの聖典儀礼でさえ、この事実の前では霞んでしまう。
男性陣が言葉を失う中、シャノンだけが彼等より平静を保っていた。
「少し近くで観察しても?」
「指一本触れなければご自由に。この状況で私に拒否権はないでしょうし。ただしシャノン、貴女だけだ」
「……ありがとうございます」
礼を告げるや常磐津の隣へ移動したシャノンは忠告に従い、両手をテーブルへ置く。
アルベルトが不安げに見守るのを他所に、シャノンは忙しなく視線を常磐津へ走らせる。常磐津も涼に劣らず露出が少ないため、実際に観察できる範囲は首から上が精々だ。
和洋の美女二人の息遣いが伝わる距離で身を寄せる光景に、外野が俄かにざわつき始める。
常磐津はといえば、日本人にはあまり馴染みのない香水の匂いに戸惑いと微かな高揚感を覚える。うかうか煙草も吸えない。
「……すごい。霊気の流動が私達と全く変わらない。寧ろ何倍も滑らかで、全身に淀みなく循環している。霊気は確かに宵波涼の骨格を残しているのに、中身が女性に相応しい形態に即しているから術式との不和が無い。外見の人体模倣に眼を奪われがちだけど、術式の根幹は中身に置かれている。器が中身に沿っているから存在が安定しているのですね」
恐らく無意識なのだろう。シャノンの手がテーブルから離れ、常磐津へ伸ばされる。触れないようにという忠告を忘れ、吸い寄せられるように。
それを常磐津は煙草をシャノンの唇へ宛がう事で、やんわりと阻止する。
「……っ!」
「動かないで。火が勿体ない」
新しく口にする煙草を常磐津は火が着くシャノンの煙草へ押し付ける。俗にシガーキスと呼ばれるものだ。
「なっ、なにを……!!」
シャノン以上に顔を赤らめるアルベルトが声を上げる。
煙草というのはただ火を当てるだけではなく、同時に息を吸わなければならない。
顔を近づけ、息を共有する為に見ようによっては間接キスの様に捉えられるだろう。
常磐津が離れゆっくりと紫煙を吐いたことで、我に返ったシャノンが慌てて後退る。何故か乱れてもいない胸元をしきりに直している。
白磁の肌にピンクを散らし、宝玉の様な瞳を悩まし気に伏せる様子は嗜虐心と保護欲を掻き乱される。
「舞踏会のお返し」
二週間前。王陵女学院の舞踏会場に突然涼の前へ現れ、シャノンは涼の手の甲へ口付けをしている。
あの時のシャノンと比較すれば優美さに欠ける低俗なもの。状況もやり方も舞踏会とは真逆といえよう。
だがささやかな復讐の成果はシャノンの初々しい反応を見れば一目瞭然だ。
「百合……」
「伊調さん、黙った方がいいです」
「キッツいな、誠明。こんなの幾ら金積んでも拝めんぞ、たぶん」
「御二人とも今すぐ忘れてください。でなければ裁きますよ?」
「おねーさん。追加注文お願いしますよ」
割とマジなトーンでアルベルトの脅しが入り、伊調は大人しく引き下がる。
「……あれは、貴女に殺意が無いことを前もって念押しする意味があったのですが」
「首を圧し折っておいてよく言う。仮にも騎士を名乗る組織にしては、主導権を握るには些か粗野に過ぎる」
途中で常磐津の声音に冷たいものが混じる。
緩んでいた空気が一瞬で張り詰め、常磐津の圧に当てられ竦んだ店員のお盆からパフェが落ちる。
「おっとっと、危ない。全部零れるところだったわ」
席から身を乗り出した銀治が空中でパフェを掴み取る。同じく落ちたタピオカミルクティーも一滴たりともグラスから零れていない。
「も、申し訳ありませんお客様。直ぐに新しいものをご用意致しますので……っ」
「ええよ、ええよ。何ともあらへんし。あ、そう言えばここってタバスコとかある? ない……。しゃあないか、自前のを使わせて貰うわ」
意気揚々と銀治が取り出したのはタバスコの約四倍辛いと言われるデスソース。そんなもの一体何に使うつもりなのか。後ろに控える誠明の苦々しく歪んむ顔が物語っている。
部下の奇異の視線など気にも留めず、銀治はあろうことかパフェにぶっかけ始める。
甘味の塔は眼に染みそうな赤に塗れ、ソース瓶が空になる頃には後ろ髪を引かれていた店員も逃げるようにキッチンへ戻っていた。
「まあそんなカリカリせんでくれや。GHCの兄さんらを焚き付けたのは、僕なんよ」
「何故?」
「聖王協会との協定結ぶ言う話、君なら聞いているやろ?」
「……」
常磐津の視線が鋭くなる。
九月初頭にアストレア本部に帰投した際、アストレアの最高責任者であるフランからその話は聞かされている。ただし具体的な内容は調整中との事で知らされていない。
しかもこの話を明かされているのはごく少数のはず。
「実は聖王協会の指名で僕が外交官に指名されてね。いやぁ、僕みたいな中年には勿体ない役職やわ」
白々しい。
聖王協会と確実な癒着が無ければ、あちらが銀治を指名する事などないだろうに。
「ただまあ。それは丁重に辞退させてもろたわ。代わりに僕から直嗣を推薦しといた」
「──ッ!?」
「何故正式なコネクションの形成を無下にするような事をっ」
驚愕は常磐津のみならず。協定締結を初めて聞いた誠明は銀治の謀反とも捉えられる発言に詰め寄る。それも対立する名実ともに保守派屈指の実力者である宵波直嗣を推すとなれば、自分の首を絞めるようなもの。
銀治と対峙する緊張で張り詰める常磐津にとって、この不意打ちは大きく彼女を揺さぶった。
まるで掌で踊らされている様だ。
いつか来るであろう協会派の大掃討の時、これでは足手まといに成りかねない。
常磐津は己を叱咤し、一瞬だけこの場から意識を外した。
紫煙をいつもより多めに吸い、精神を整える。体内の淀みを煙に巻いて排出するイメージを浮かべ、吐息は細く。
クリアな思考、とまではいかないが幾分マシになった。
そして改めて状況を整理すれば、見えて来るものもある。
「外交官を蹴った理由がそこの二人ですか?」
「意外に肝っ玉が据わってるやん。いや今は玉はないんか」
毅然とした態度の常磐津の推察を、銀治は大して美味そうにもなくパフェ(だったもの)を口に運びながら肯定する。
GHCと何らかの繋がりを銀治が既に構築している事は疑いの余地はない。外交官を辞退したのは裏を返せばアストレアの後ろ盾を得ずとも、銀治は十分に協会派として動ける証左だろう。
確かに現状はアストレアの地位に座していた方が、暗躍するには都合がいいだろう。
そしてどうやら常磐津は銀治の張った糸に絡めとられているらしい。
「もう察しているとは思うけど、シャノンちゃんらに君を紹介したのは僕なんよ。どんな協定を締結するにしても、現場の人間置き去りにしちゃアカンやろってな」
「ではこれは視察の一環とでも? 双方ともに領分とやり方はとっくに理解している筈だ」
「そうや。犬猿の仲だからこそ、気に喰わん部分もよう理解しとる。それは聖王協会の姉妹機関のGHCとてそうや。組織の対立はいわば思想の対立」
聖王協会とアストレアの思想は真逆と言える。
聖王協会は術式の発展、叡智の繁栄を目的としその為のあらゆる“個”を結集させようとしている。重きを置いているのは“個”より“総体”だ。
対してアストレアは組織に属しない個人の研究・研鑽の権利と自由を尊重し、これを脅かさない為の一枚岩となる事を存在意義としている。聖王協会とは真逆の“個”に天秤を傾ける。
かといって一方を軽視している訳でないが、判断基準の物差しとして重視されているに過ぎない。
「思想が違えば、同じもん見ても下す審判にも影響が出る。視点の違いで天国と地獄への分かれ道を決めんのは、違うと思わん、涼君?」
「何が言いたいのです? 異なる思想が導く結論が相いれないのは当然でしょう」
要領を得ない銀治に、常磐津は訝しむ。これも搦め手の何かかという疑念は、直ぐに泡沫となって消える。
「例えばアストレアが独自に制定した──第一級指定魔族。シャノンちゃんらがその被害者、って言えば分かるよな?」
「──!」
第一級指定魔族。これが意味するところは、アストレアが“犯罪者”の存在価値を公認したという事。例えどれだけの無辜の命が脅かされようとも。
同時に常磐津が頭の隅でずっと引っ掛かっていた疑問が一気に氷解し、激しく銀治を睨む。
監視官として能力不足の誠明と和泉の配置。
烙蛹魔術の被検体である七榊翡翠に蹂躙された八坂慎一郎攻城官とその分隊。
そして、今回のシャノン達の襲撃。
一見無関係のピースがある策謀を描き出し、常磐津は己の失態を激しく呪った。
予想が正しければ、恐らくGHCの襲撃は常磐津だけではない筈だ。
「……そういうことかッ。随分と手の込んだ人員配置だ。どうりで神崎と雨取に役不足の五等監視官が配属されるわけだ」
「おや何のことやろね」
「詐欺師めッ!!」
実力差を忘れるほどに常磐津は、いや涼は激昂した。
それも無理からぬこと。
本当に涼の想像通りであれば、最悪の場合保守派は壊滅さえあり得るからだ。協会派は殆ど痛みを伴わずにだ。
腹立たしい事に現状涼は銀治の操り人形に徹する他選択肢が無い。
「ようやく本題に入る事が出来る」
「そうですね。改めて宜しいでしょうか、宵波涼監視官」
アルベルトが一歩前へ踏み出し、シャノンが居住まいを正す。
いまとなっては彼等の独特の風合いの“眼”の正体も判る。宝石の如き双眸が第一級指定魔族との因果そのものだ。
銀治が操り人形を支配する道化師ならば、二人は涼を縛る糸。糸を断ち切っても常磐津は地面に力なく伏す定め。ここでシャノン達を拒絶すれば銀治やGHCが黙っていない。
「私達はとある討伐対象の魔族の撃滅を彼岸に掲げている。此度は伊調殿からの紹介の元、貴殿に協力を要請する」
「……対象の名は?」
「こちらを」
アルベルトの前口上に常磐津が続きを促すと、シャノンが一枚の写真を差し出す。
映し出されているのは、一人の男。隠し撮りされたものを限界まで拡大したのもので、ピンボケしたようになっている。
しかし写真越しでも伝わる圧倒的な存在感と威容。数々の屍の山を築いたにも関わらず、妖しく光る血の様な紅眼は驚くほど穏やかだ。
「……馬鹿な!? 一体アストレアが過去に何人の犠牲を払っていると思っている。伊達や酔狂で第一級指定魔族に定めたとでも思っているのか」
術者であれば誰しも一度は耳にした事がある、戦慄を覚える魔族の名。
最悪だ。シャノン達の血族を察した時点で真っ先に浮かんだ名ではあった。それでも戦力差を考慮すれば討伐対象は精々が“奴”の眷属の誰かと高を括っていたが、甘かった。
「正気かッ?」
「いまも同胞が慰み者になっていることでしょう」
「まず間違いなく、全員死ぬぞ」
「死は同胞の痛みを忘れる理由にはならない」
シャノンは胸元のブローチを手に答え、アルベルトはその眼に哀悼と憤激を織り交ぜる。
「ま、魔眼公……!!」
写真の男の異名を口にする誠明の声が震える。
現代に至るまで人類は少なくない生物を絶滅へ追いやった。その多くが乱獲や密猟といった金銭に結びつく理由が大多数だ。
だが数百年前に人類が撃滅を掲げ、いまだ根絶やしを成し得ない生物が存在する。
それが魔族。外法の身で人外へ堕ちた正真正銘の人類悪の血族。人間という種の悪性腫瘍──その内の一柱が“吸血鬼”。
数いる吸血鬼の中でも魔眼公はアストレが莫大な犠牲を払った末に、討伐不可と結論付けなければならなかった、正真正銘の不死身の怪物。
大粒の冷や汗を流す常磐津の手から煙草が零れる。
シャノンの玲瓏な声が二の次を告げられない常磐津の耳朶を打つ。
「宵波涼監視官。貴方に魔眼公――ヴラド・オルギアの討伐。その協力を要請します」




