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一章・五節 掛け違えた恐怖

 程なくして灯篭流しが始まった。

 事前に那月が確保していた灯篭を建人は有難く受け取り、持参したライターで蝋燭に火を着ける。

 川辺に集まった人々に混じり、二人は思い思いに灯篭を川へ離していく。


 灯篭を流して屈んだままの那月を見れば、眼を瞑り手を合わせていた。

 死者の魂を弔う行事である為に、手を合わせる者は他にも存在多い。


 SNSに映えるという理由でスマホ片手に騒ぐ行儀知らずもそれなりに多いことが、嘆かわしくもあるが。

 ただこの景色はやはり写真に収めたくなるほどには幻想的だ。

 穏やかな川に乗った数え切れない灯篭はまるで天の川の様だ。

 屋台もこの時間だけは消灯され、満月の金の光と淡い灯篭の灯りが穏やかに周囲を包み込んでいた。


「昔、私と同じぐらいの歳で叔母さんが亡くなったって御爺ちゃんが言ってた」


 不意に那月がそのような事を語り出した。


「最近物忘れが酷いんだけど『お前は死んだ娘に瓜二つだ』っていつも口にしてるのよ」

「へえ。実際どうなんだ。そこんところ」

「これがビックリでね。遺影の叔母さんはホントに私そっくり。いや、私が叔母さんに似ているのか」


 相槌を打ちつつ、建人はふと鉄平から聞いた【死んだ人間が生き返った】噂話を思い出す。

 案外、あの噂の老夫婦も話もソックリな別人と死んだ子供を見間違えたのかも知れない。

 間違えられた人も、見知らぬ誰かから急に『お前は息子だ』と言われれば、逃げ出しても不思議ではない。


「んじゃ。その人の分まで人生楽しまないとな」

「そうね。上京の夢も案外叶いそうだし。叔母さんの供養も兼ねられるなら、これ以上は無いかな」

「そうだな。供養も兼ねて……は!?」


 聞き捨てならない単語に建人は思わず声を上げる。

 非難めいた周囲の眼が幾らか建人へ向くが、そんな視線気にもならない。


「上京って、お前ここ離れるのか!?」

「しっ! 声が大きいってば」


 那月からの叱咤を受けようやく建人は周囲の痛い視線に気付くと、一瞬の躊躇の後に那月の手を引っ張りその場から離れた。


「お前確か水泳で強豪の地元大学から声掛かってるって話だったろ。東京の大学を受験すんのか」

「それは先方からそう言うお誘いもあったってだけで。受けるつもりはそもそもないし」

「……そんなに脚がヤバイのか?」

「違う違う。元々私は大学に行く気が無いの。少数派だけど、私は就職組よ」


 初耳だ。

 建人はてっきり那月は大学まで水泳を続けるつもりだとばかり思っていたからだ。

 彼女の口振りからするに随分前から決めていたのだろう。


「なんでまた東京なんて。就職先なら大阪当たりだってあるだろうし、通えなくもないだろ」


 華やいでいた気分に罅が入る様だった。

 先程那月は口にしていた。上京は夢だと。

 建人たちは今年で三年生だ。来年の春には卒業し、一つの区切りと共に次の始まりへの門戸を叩く。


 日々を締まりなく無為に流しているだけの建人と違い、那月はしっかりと目標を立て、準備をして来たのだろう。

 だから恋心一つを理由に建人が彼女の進路に口出す権利などありはしない。


「まあ……家計の問題なわけよ。うちは両親が離婚して、母子家庭で私の下にも弟が二人いるし。まだまだ入用だからね。宵波先輩にそのあたり相談したら、色々と面倒見てくれて目途が立ちそうなのよ」

「……けどよ。まだ18だろ」


 建人は自分でも驚くほど心が戦慄いている事に戸惑いを覚えていた。

 想いを伝えようと伝えまいと、彼女は来年には此処を去ってしまう。そう思うと、取り返しのつかない大切なものを失ってしまいそうだった。


 怖い(・・)

 恋心だけではない、得体の知れない恐怖が湧き出る。


「……っ!」


 それを引き金に建人は頭蓋を引っ掻き回す様な頭痛に苛まれる。経験の無い痛みに立っていられず、蹲る。

 どういう事か、視界には夢に出る土砂降りの光景がチラつき始める。


「建人? 大丈夫?」


 頭を抱え蹲る建人を心配する那月の声が遠い。

 眼の前の少女を失いたくない。

 そんな何かを掛け違えた衝動に駆られるまま、建人は口を付いていた。


「金の問題だったら博士に……親父さんに相談すればいいだろ。離婚したっていっても実の親子なんだ。あの人は金には全然困ってないし、なんなら俺から口添えしても――」

「あの人はもう関係ない」


 突き放す様な那月の声に、ハッと建人は口を覆う。遅まきながら建人は自分の失態に気付くが後の祭りである。

 釘差し役の鉄平がこの場にいなかった事も災いした。

 どのような温和な人間であれ、決して踏み込んではならない領域というのがある。


 那月とてそれは例外でなく、今まさに建人は其処を踏み越えてしまった。

 それがまさしく父親、否、()父親の件だ。


「有澤、いまのは――」

「あの人と建人がどういう関係にあるのかは私は知らないし、干渉する気もない。けど私達はもうあの人には頼らないで生きるって決めてるの」


 建人の言葉を遮る那月の声は微かに、しかしハッキリと怒りで震えていた。

 那月にとって父親の話は唯一といっていいほどのタブーだ。それこそ普段は人当たりのよい那月でさえ、感情的になってしまう程に。


「自分の進路は自分で決める。毎日自堕落に過ごしてる建人に、あれこれ心配されるいわれは無いよ」

「なっ、なんだよその言い方っ!」


 感情の抑制が外れた建人は、那月の鋭い指摘に声を荒らげる。

 那月は一瞬だけ後悔の色を浮かべるが、直ぐに攻撃的な眼光を宿らせる。


「事実でしょ! 出席日数が足りないだけの鉄平と違って勉強も碌にしないで、いつも赤点ばかりの補修組。何かに打ち込む訳でもなく、ただ星を見上げるだけの惰性の毎日。私達を捨てた、あの人と一緒よ! 誰も君を頼ろうなんて思わない」


 もはや周囲の視線など憚る事無く、那月は矢継ぎ早に捲し立てる。

 いまの彼女は十人が十人振り返る出で立ち故に余計に視線を集める。

 建人は純然たる事実に何一つ言い返せず、固く口を引き結んでいたが、やがて、


「……そんな風に思ってたのか」


 自分でも耳にした事ない低い声音で、建人はそう口にしていた。

 那月はおろか野次馬たちでさえ押し黙るほどに、重く、それでいて何処か悲痛に満ちた独白だった。

 ビクリと身を竦ませる那月から建人は顔を背けると、それ以上建人は言葉を発しようとはしなかった。


「兄ちゃん。何があったか知らないけど、こういう時は男が折れるもんだ」


 そんな二人を見かねた初老の男性が仲裁に入って来る。

 だが幾ら促されようとも建人は一向に口を開かず、押し黙るばかりであった。

 その様子に那月は目尻に大粒の涙を溜め込んでいた。


「建人もちゃんと進路は考えた方がいいと思うよ。おやすみなさい」


 那月は涙が零れるより先にそれを拭うと、逃げるように走って行った。堤防を駆けあがったその背中はあっと言う間に見えなくなる。


 結局、建人がその場に一時間以上立ち尽くしていた。

 人気も疎らになり、建人たちを修羅場だと遠巻きに面白がっていた輩ももういない。


(やっちまった……)


 自分を殴り殺してやりたい気分だ。

 いやいっその事、そこの川に身投げしてやろうかと本気で思案するほどに。


 那月の父親は此処からでも小さく見える天文台の最高責任者だ。

 詳しいことは知らないが、仕事に没頭するあまり家庭をないがしろしにした国枝氏は二年前に那月たちと家族の関係を断っている。那月自身も父親と一悶着あったらしく、先程の様な拒否反応を示す程だ。


 大雑把ではあるが建人がその辺りの事情を知っているのは、かの人物と些か特殊な交流があるからだ。


「……追いかけるか。でもなんて言えば」


 途方に暮れていると、電話の着信があった。

 正直出る気は全く無かったが、しつこく鳴り続けるので緩慢な動作で名前も確認せずに電話に出る。


『暇なら今から研究室に来い。提供素材が尽きそうだ』


 声の主は一方的にそう言うと、返答も待たずに通話を切ってしまった。

 最新の通話履歴には国枝忠隆という名前。即ち、那月の元父親だ。

 なんと間の悪いことであろう。


「くっそ」


 悪態を吐くと、建人は天文台へ歩き出した。

 このまま家に帰っても、到底眠れそうにもない。何でも言いから時間を潰して頭を冷やしたかった。


 後になって考えれば那月と喧嘩別れした直後に天文台へ行くのはどうなのだろうとは思う。

 しかしてこの選択が建人の人生を180度ひっくり戻す(・・)事となるなど、本人は愚か誰も知らない。


 夜が、深まっていく。

 日常の裏に隠れた魔が顔を覗かせるまで、あともう少し。


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