間章 臨時開設五輪高校生徒会恋愛相談所③
放課後。
生徒会室で行われた恋愛相談は、喫茶店・紅鹿亭の一角で延長戦が開かれていた。
「さっきはすみませんでした」
「いや、別に誰が悪い訳でもないからな、うん……」
「元はと言えば私が余計な茶々入れたのが原因だから。ごめんなさい、二人とも」
「宵波が女作ってれば何の問題も無かったわけだがな」
深々と頭を下げる博之に、涼は歯切れ悪く言葉を返す。それに続くようにして那月がシュンと肩を落とし、一人空気の読めない智巳がケラケラと笑う。
四人とも頼んだ飲み物に手を付けず、中々本題に斬り込めないでいた。
その最たる原因は、博之にあった。
時は数時間前に巻き戻る。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ」
博之は生徒会室を飛び出してそのまま学校の外へ猛然とダッシュしていた。
人目も憚らず、世間体もかなぐり捨てて、次期サッカー部部長のホープは街中を走った。
とにかく走った。一心不乱に。
勢いで校舎を飛び出したので全力疾走には向かない上履きは何処かで脱げ落ち、裸足同然の靴下に成ろうとも博之の脚は暴走し続けた。
そして泣いた。泣いて喚き散らした。涙と鼻水と涎で顔とシャツがグシャグシャになるほどに。
あまりにも周囲を顧ない駄々走りは危険そのもので、追いかけてきた涼と智巳が止めなければ博之は線路に侵入する所だった。
博之の暴走が止まった頃には、彼の脚はアスファルトと砂利で削れボロボロだった。
近くの病院で診察を終えた頃には、学校は本日の授業日程を恙なく消化された後。
ややあって教員らに事情説明をしていた那月の提案で、彼女のバイト先である紅鹿亭に合流して現在に至る。
店長が気を利かせて一番奥のテーブル席を空けてくれたので、覗き込まれない限りはこの席の遮蔽性は高い。
密談には丁度いいスペースだ。
幸いにして博之の脚が早過ぎたことでSNSに彼の醜態が知れ渡る可能性はあまりないだろう。
授業をサボった事で何か良くない評判が付くかも知れないが、そこは生徒会にパシられたとか適当な理由付けで何とか出来るはず。
とにかく、博之は涼が生徒会室に訪れる水曜日を狙って、恋愛相談に脚を運んだのだ。
勝手に盛り上がった挙句の果てに、傷だけつけてはいさようならでは余りにも不憫。
このまま帰しては彼個人の、ひいては生徒会の沽券にも関わる。
――何とかしなくては!
涼、那月は決意を一致させ、智巳は「もう少し楽しめそうだな」と顔だけは二人に合わせておく。
しかしどう切り出せばいいのだろうか。
会話の糸口が見つからず、黙りこくる四人。
店長が心配そうに遠目に見守る中、動き出したのは那月だった。
「ええっと……あ! 宵波先輩、今更だけど紹介しますよ。こちら二年生の大迫博之君。次期サッカー部部長で、ポジションはミドルブロッカーです!」
「……ミドルブロッカーはバレーボールのポジションじゃなかったか?」
「有澤ハンドで反則~」
隣に座る涼に冷静に凡ミスを指摘され、智巳がイエローカード代わりに紙ナプキンを立てる。これにはかぁと那月は顔を熱くする。
「ミッドフィーリュダーですっ」
慌てて訂正しようとしたところ、今度は甘噛みした。
正しくはミッドフィールダー。
か細い悲鳴と共に顔を覆う那月に涼は黙ってハンカチを差し出す。
そんなコメディじみたやり取りに緊張がやや解れたのか、博之は一つ笑みを溢すと顔を引き締める。
「二年三組の大迫博之です。サッカー部所属、ポジションはミドルブロッカーです」
「大迫君っ」
博之は今度は声を上げて笑い、つられて涼も笑みを浮かべる。
自業自得とはいえダシに使われた那月は膨れっ面だが、それも直ぐに収めた。
「宵波涼だ。まずは、わざわざ俺を尋ねに来てくれてありがとう。嬉しく思う」
「い、いえ、そんな。こっちから一方的に来たのに」
先の博之より何倍も折り目正しい涼のお辞儀に、自然と博之の背筋が伸びる。
「さて。さっきもカミングアウトしたが、俺に恋愛経験は皆無だ。申し訳ないが、そっち方面で的確な助言は正直難しい」
改めて恋愛相談に話を持ち直した涼は、やはり見栄を張らずに自分の経験値の低さを打ち明ける。
こればかりはどうしようもない。
下手に知ったかぶりをして、博之を傷つける事になれば元も子もない。
諦めた様に博之が頭を下げようとすると、しかし涼はやんわりと止める。
「ただ人付き合いに関しては、これでも一家言あるつもりだ。社交界に今すぐ行けと命令されれても、問題ない程度には」
カップを持ち上げ最後には片目を瞑り茶目っ気たっぷりにそう豪語する涼は、見栄を言っているようには見えなかった。
少なくともいまの何気ない所作から教養を感じ取れるほどに。
「恋愛といっても結局は人と人との付き合い、その延長だ。恋の何たるかを語るのは、相手が出来てからでも遅くはないだろう?」
その言葉に盲点だったと那月は感心し、博之は順序を違えていた自分に気付く。
「ほほう。つまり神崎との関係もその辺のノウハウがあってこそだと言うわけだ。確かにお前は誰とでも距離の詰め方が上手いよな」
訳知り顔の智巳がサラリと凡例を交えつつ合いの手を入れる。
那月が思い出したのは、正にその神崎雀だった。
入学当初から飢えた野犬の様に必要最低限に他人を寄せ付けなかった彼女だが、涼は転校して間もなくもせずに雀の隣に居ることがあった。
少なくとも荒れ放題の野犬が、毛並みを整えられた凶暴な飼い犬の印象程度には落ち着くほどに。
他であれば智巳もまたその一例だろう。
生徒からの信頼は厚いものの、それは親愛の裏返しではない。寧ろ最後には拳で語る系の天然記念物の智巳と昼を共にするなど、一般生徒は愚か那月ですら考えた事すらない。
つまり、見栄は一切無く、実績は十二分以上。
「ただ、それでも最後の一線を越えるのは君自身だ。そこまで至る道程のハードルを幾らか下げる手伝いは出来ても、最後の一歩は君次第。それでも良いというなら、微力ながら手を貸すつもりだ」
どうかな、と問われる博之は一つ呼吸を挟むと
「是非、ご教授をお願いします」
と頭を下げた。
体育会系だからなのか、目上の人間には腰が低いのかも知れない。
「じゃあ。ひとまず相手と君の関係性を教えて欲しい」
「!? ……それは、名前とかもですかっ?」
「言いたくないなら強要はしないが、そうなったら当たり障りのない助言しか出来なくなるかも知れない」
「そう、ですね……ええ、っと」
最初からそこまで突っ込んだ話になるとは博之も考えて無かったのだろう。急に言葉使いがたどたどしくなり、視線を左右に泳がせる。
涼の隣に座る那月はそんな彼の反応に一喜一憂しながら、相手の顔を想像していた。
決心が付いたのか、博之は件の相手のことを語り出す。
「相手は同じクラスの薬利摩理って人です。中学から同じクラスで親しいってまでの仲じゃないんですけど、会えばあいさつ程度はする程度です」
「おお! 弓道部のエースにして今年のミス・五輪高校の準グランプリ。大迫君って彼女とッ中学同じだったの」
「ん、まあ。いやでも地元なんだし、別に珍しくもないだろ」
ミスコンが開催されていたなど涼は初耳であった。
文化祭当日は殆ど調理に掛かりきりで、あまり出し物は見て回る余裕が無かったからだ。
「百瀬は知っているか、その子?」
「薬利摩理。二年三組 出席番号14番 身長は159cm 体重割愛。成績は入学以来五十位以内を常にキープ。得意科目は英語、苦手科目は無し。大手通信会社幹部の一人娘で、兄弟は兄が一人と妹が一人。隠れファンクラブの加盟人数は有澤より……いや、これは割愛。下駄箱には一月にニ、三通のラヴレターが投函されているとか。へえ、趣味はプラモデルだと」
「何処で集めたんですかそんな情報!?」
「会長っ……」
智巳からもたらされた膨大な個人情報に博之と那月は戦慄を禁じ得ない。いまも智巳のスマホには無数の文字の羅列が画面を覆い尽くし、無造作に視線が投げられていた。
那月の見間違えでなければ、顔写真まで添付された徹底した造りだ。
「ほれ。確か文化祭でお前のアシスタントに入ってたろ」
「ああ、彼女か」
寄越された写真を眼にして、涼は確かにいたと頷く。
恐る恐る博之は覗いてみると、そこには確かに件の想い人がいた。
豊かな栗色の髪を品よく纏め、理想的な卵型のフェイスライン。小ぶりな唇は桜色を湛え、武道を嗜んでいる者特有の芯のある佇まい。女性的な膨らみを主張するボディーラインは綺麗な流線型を描き、指でなぞれば爪先まで抵抗なく抜けるだろう。
写真は教室移動の時を捉えた一枚だろうか。教科書とノートらを抱えてクラスメイトと廊下を歩いている様子が映し出されている。
誰もがカメラの存在など意識しておらず、極自然体で移動している様に見える。
「盗撮ですよ……」
「卒業アルバム用の記念撮影を任されているだけだ。これも生徒会の業務の一環だ」
いけしゃあしゃあと合法だと言い張る生徒会長からは、嘘の匂いがプンプン漂うようだった。少なくとも、那月にはそう感じられた。
那月は後で雀を巻き込んでキッチリ絞ろうと誓いを立てると、涼に向き直る。
「というか先輩。アシスタントの顔なんて覚えてたんですか?」
「いいや。正直君と数人ぐらいしか覚えていない」
「じゃあ、どうして」
那月に続いて、今度は博之が問い掛ける。
何故か彼の胸中は嫌な予感にざわつき始めていた。
「文化祭の後に何度か紅茶の淹れ方を聞かれたからな。いたく感銘を受けたとか言ってたが、手順さえ間違わなければ誰だって美味しく淹れられる筈だ」
「なんてつまらん事実だ」
「ほっ……」
何故か智巳には貶され、博之には安堵されたが涼はコーヒーを一口含むと、本題を進める。
「で。君と薬利さんとの接点は他にはあるか?」
「あ、はい。同じ図書委員なのと後は中学から週一で参加しているゴミ拾いの慈善活動ぐらいです。その二つの時は、部活とかニュースとかの世間話くらいはしますけど。ああ、でもゴミ拾いは例の猟奇殺人事件が以来、彼女は参加していないですけど」
「……」
「?……先輩?」
「ん? ああ、いや何でもない」
一瞬考え込むような仕草を見せた涼は那月の呼び掛けで直ぐに我に返る。
「つまり、知り合い以上、友達未満ってところか。世間話が出来る程度にはあっちも気を許している様だし、個人的には距離を縮めるだけなら難しくは無いとは思う」
「ほ、本当ですかっ。脈在りですか!?」
「それは気が早いんじゃない」
あくまでも希望的観測に基づいた涼の結論に博之は喰いつく。どうやら一番の懸念材料は其処だったらしい。
那月が宥めるも、勢い着いた博之は前のめりだ。
「それで、接近するにはどうすれば」
「まあ。二人っきりになる事が手っ取り早いと思うが」
「二人っ、きり……」
不自然に硬直する博之。
二人っきり。気になる異性と1 on 1。
「先輩、流石に雑じゃありませんか」
すかさず那月が突っ込みを入れる。
人付き合いに一家言あると言っておきながら、アプロートはなんと大雑把なことだろうか。
そんなことホイホイ出来ていれば皆恋に悩んだりはしない。
が、その程度涼とて認識している。
「順を追って説明するから待て。その為に有澤と百瀬にも同席して貰ったんだ」
小首を傾げる那月を他所に、涼はノートにプランを箇条書きで書き連ねていく。
「これは受け売りだが、コミュニケーションというのは言葉の応酬ではなく、共感によるところが多い。カップルがよく美術館をデート場所にするのは《美しい》とか《素晴らしい》という概念を共有しやすいからだ」
涼の噛み砕いた説明に那月と博之はふむふむ頷く。
共感は心理学や脳科学においても重要視されるものた。
どのような人間であれ、自分に近しい感覚を共有できる相手の方が好ましいのは、本能で理解している事であろう。
仕事、趣味、部活、学業、宗教、服装、等々……これは人が集まる様々な場面で当てはまるはずだ。
例え言葉を交わさずとも、不思議と分かり合える人がいるのは、こういった理屈だ。
時には共感の摩擦が対人関係の悪化に繋がる事もあるが、此処では割愛。
「じゃあ俺と薬利はある程度共感出来ている部分があると?」
「まあな。ただそれは不特定多数の人と共有する部分も大きいだろう」
涼の的確な指摘に、博之の浮かれかけた気分が急速に萎む。
確かに慈善活動も図書委員の仕事も博之とだけ共有するものではない。寧ろ、やる事が決まっている分、薄味ですらある。
博之は一瞬肩を落としかけたが、しかしハッと気づく。
ではその逆。
博之と薬利だけで共感を得られる何かをすれば?
その考えは当たりだったようで、涼は同席する二人の生徒会役員に協力を呼び掛ける。
「百瀬、有澤。適当な雑務を用意できるか? 素人でも手が付けやすい簡単なものがいい」
「……! なるほど」
「ちょうど先生方から資料倉庫の整理を頼まれててな。中身が分類されてない雑多に積まれた段ボール箱が何個かある」
得心がいったように手を叩く那月、既に涼の考えを先読みしていた智巳が適当な仕事を見繕っていた。
「そうだなー、書類分けと運び手で男女二人。これぐらいで済むだろうさ」
「会長!」
一つの仕事を協力してやり遂げる。
これもまた共感を得る一つのアプローチだろう。
四人は涼がノートに書き綴ったプランを元に計画を建て、細かな修正を加えていった。
思い立ったが吉日。
生徒会の二人は早速準備に取り掛かるため学校へ蜻蛉返り、涼は博之はちょっとした予行演習を熟した。
決行日の翌日。
両頬を思いっきり叩き気合い入魂を済ませた博之は、生徒会室の扉を叩く。
間章は次回で終了予定です。
果たしてこれは、恋愛ものといっていいのか?




