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二章・二十節 挑発的で、不器用な優しさ

【前節のあらすじ】

詳らかとなった烙蛹魔術の全容。

霊能力者を魔術師へ成り変える稀代の術式を前にして、和泉と同じ様に揺れる誠明は寸でのところで雀に救われる。

環境に苛まれる苦悩に理解を示さない涼らの態度に、猛り狂う翡翠に立ちはだかるのは雨取照。

世界そのものを侵食する大魔術・編纂魔術によって世界は雪原へ変貌し始めた。

「ゴホッ……ゴボォ、グゥッ……!!」

「ちょっと、涼」


 穢れ無き雪原を汚す夥しい吐血。


 体内を駆け巡る形容し難い激痛に苛まれ、這いつくばる涼は止めどもなく溢れる血を吐き出し続ける。感覚が壊れ始め、熱いようで冷たい。


 心配そうに手を伸ばしてくる雀に「大丈夫だ」と告げるも、それすら吐血に遮られ満足に言えなかった。


 いま涼の体内では喰い込んだ影が活発に活動し、涼の命を苛んでいた。

 翡翠の巨大な樹影と共鳴していることも要因ではあるが、それは副次的なものに過ぎない。


 より確実に照の魔術に翡翠を捉えるために、涼の影を術式の要石にすることで共鳴する翡翠の影を捕捉。翡翠を照の魔術に強制投獄したのだ。


 過剰なまでの念の入れようだと雀は反対していたのだが、烙蛹魔術の危険性を考慮して涼が押し通して納得させたのだ。


 あくまでも危険視しているのは魔術であって、シスター・オノデラや翡翠ではない。

 彼女たちにどれだけ失望し、落胆しようともアストレアたる涼には要石になる義務があると認識していた。


(とはいえ、流石にこれは……)


 想定を遥かに超える負荷に身体は断末魔の叫びを上げていた。ぶっちゃけ冗談抜きで死にそうである。


 影の共鳴もそうだが、起動時だけとはいえ照の編纂魔術の一部になった反動が幾重にも張っていた防護術式を木端微塵にしたことが効いている。


 であるが翡翠を閉じ込めたことで要石の役割は既に終えた。もう影を完全に除去しても問題は無い。


「離れていろ、神崎」


 絞り出すように雀に警告を飛ばし、涼は式神・連鶴を呼び出す。

 現れたのは雪原世界の中でなお、一際白く映える着物の女性式神。


「―――」


 言われた通り少し距離を置いていた雀は連鶴が実体化するや、半歩更に距離をとった。


 幾度となく涼の式神を眼にし、世話役に借り受けたこともある雀だがこの式神だけは得体が知れず苦手としていた。


 上手く言い表せないが、限りなく人間に近しくも、式神としては遠い印象を抱くのだ。姉妹機の淑艶には全くそういった印象は受けないのだが。


 以前照にその事を話すと「人間を模した造形物は得てしてそういうものでしょ」と、一般論で一蹴された。

 その時は《不気味の谷現象》と呼ばれる心理現象に紐づけられ講義されたが、どうも違う気がするのだ。


 いや。そもそも照は連鶴を眼にした事があっただろうか。


「くっ―――」


 そうこうしている内に涼の治療が終わりかけていた。

 彼が普段髪を束ねているリボンを解いた連鶴が背後から主の眼を覆うと、リボンとコートの内側に無数の膨らみが現れ、次々と真紅の彼岸花が咲き誇る。


 連鶴は涼に咲いた華達を丁寧に全て手折ると、一度だけ雀に黒(つるばみ)の瞳を向け、霊体化した。


「除去は出来たの?」

「……ああ。滞りなく」


 自然と慎重になった足取りで倒れ伏す涼に歩み寄り、呼び掛けると直ぐにハッキリとした返事が来た。

 血色は良くないが、見れば涼の体内で蟠っていた魔力は確かに駆除されている。


 ホッ、と安堵の溜息が雀から零れると、


「寒い!」


 と、遅まきながら不満を露わにする。


 見渡す限りの銀世界に雀は防寒性能皆無のドレス姿。一応初歩的な火の魔術で対策はしているが、雀の属性と相性が良くない為に効果は今一だ。


「………おいで、淑艶」


 見かねた涼がふら付きながら起き上がると、柏手を一つ打つ。


 現れたのは雀も良く知る式神少女・淑艶だ。

 十四~十五歳程度の小柄な少女姿であり、小豆色の袴と籠目柄の着物を合わせた大正ファッションの式神だ。


 貸し出されている時は雀がフリルのエプロンを勝手に着させているが、本日は割愛である。


「失礼します、神崎様」

「ん?」


 ペコリとお辞儀を挟んだ淑艶は雀の反応を待たずに手を取ると、霊体化を解いた。

 霊気は依代の簪には戻らず雀に取り巻くと、再び実体化の兆しを見せる。


「おお! こんなことも出来るのね」


 感嘆の声を上げる雀がクルクルと回りながら自分を見下ろす。


 ドレス姿から一転、雀は淑艶の服装になっていた。

 雀と淑艶では体格も身長も大きく異なるが、そこは術者である涼の手腕なのだろう。キッチリと雀の体躯に調整されていた。


 体形を把握されているようで思う所が無いわけではないが、それはそれ。普段着にはハードルの高い着物姿に雀は中々に上機嫌である。


 魔法少女よろしく変身したわけではなく、重ね着の要領であるようでドレスは着用したままだ。


 いつの間にか持っていた朱色の番傘を差せば、降りしきる雪とも縁遠し。着物を除いた淑艶本体分の余剰霊力は暖房機能に回されており、防寒対策に隙は無かった。


「エプロンも着けるか?」

「いりません」

「そう」


 人にやらせる分には良いが自分は御免被る。

 そんな御都合主義を雀は恥ずかしげもなく貫き通し、着物に合わせて髪を結い直している。


 見れば涼もスーツから何時もの仕事着姿になっている。こちらはスーツが見かけだったのだろう。


 涼は傘を差さずに煙草に火を着け、白息交じりに紫煙を吹く。

 煙中の水分が忽ち凍り付き、前髪が薄らと白くなる。


 大凡、マイナス二十度。

 何もしなければ忽ち低体温症に陥り、凍死だ。


 見渡せば延々と続く雪景色。空は鈍色の曇天。

 白と灰だけが存在するシンプルな景色。他には雑草の一本さえ生えておらず、後には無音が残るだけ。


 この空間が雨取照ただ一人の魔術師によって創造されたなど、誰が信じよう。


 ―――編纂魔術。


 現実を侵食し、全く別の理を敷き、彼女が望む世界を現界させる空前絶後の大魔術。


 本人曰く、原理上では理解さえ及べば四次元空間すら再現できるという。

 術者の力が及ぶ限り空間の創造は自由自在。地面の無い空だろうが、死者が彷徨う死の街であろうが創造は可能。


 だが一度照と霊地の利権を争った雀曰く、彼女はこの雪原以外は作ろうとしないらしい。


 ちなみに涼はこの点は上層部には伏せて報告している。

 というより、報告してもまるで意味がない。


 強力無比な魔術故に発動条件は極めて厳しいが、発動を赦してしまったが最後。支配者たる照が相手取るのは俎板の鯉になるのだから。


 構成員の殆どが霊能力者のアストレアからすれば、何を現界させようと些事である。戦うのであれば発動前が大前提。


 もっとも保守派の涼達には争う理由が微塵もないのだが。


 術師と霊地の徹底管理を掲げる協会派が雀たちの監視期間延長を押し通したのは、魔術の調査に対する保守派との見解の食い違いも多々ある。


 そういった意味では紫涅和泉が精神を摩耗させていったのは涼とて不憫に思う。最悪の場合、この世界そのものを相手取る可能性もあるのだから。


 ジュッ、と煙草の火が雪で消える。

 思考を切り上げ、煙草から取り込んだ呪詛で応急処置を施す。欠損部位を補う材料がないため肉体代替は行えず、本当に最低限の応急処置のみ。


 何とか身体が動く事を確認し、ふと雀に振り返る。


「今更だが君は七榊と()らなくていいのか」

「ホントに今更ね。吹けば飛ぶような重傷者を放って置くのは目覚めが悪いとは思わない?」

「もうリベンジの機会は無いぞ」

「別にいいわよ。死にかけて得た教訓に背くほど愚者のつもりはないし。第一共闘しようにも却って脚を引っ張り合いかねないし」


 まあ本音は一発イイのを叩き込みたいけど、と拳を掲げて見せる雀。


(……丸くなったな)


 出会ったばかりの頃の―――何に対しても余裕がなく、抜き身刀の様だった雀の姿が脳裏に浮かび、涼は感慨深いものを感じる。


「なんか失礼な事考えてるでしょ?」

「いいや。何も」


 当たり障りのない言葉でお茶を濁し、涼は先の雀の言葉を反芻する。


 確かに彼女の魔術性質は照と何かと優勢を取りやすい。下手に魔弾を撃ちまくれば同士撃ちの未来図さえあり得る。


 だからこそ照は翡翠たちを二人から引き離したのだろう。

 涼は雀の御目付役、反対に雀は涼への介護としてフォローし合えるように。


「で、私達は何をするの?」

「君、分かっていなかったのか……」

「仕方ないじゃない! ずっと霊脈の調整に走り回って碌に概要も訊いてないんだから」

「………まあ、そうか。なら歩きながら説明するとしよう」


 方向感覚すら掴めない雪原に並んで足跡を残す二人。

 涼は霊感を頼りに周囲を探りながら、雀に此処での役割を簡潔に説明する。


「いいか神崎。色々と事情がこんがらがってはいるが、やる事はそう特別ではない。土地の管理者として外部の術師の侵入を受けたら、君らはどう動く?」

「術師と拠点を叩く」

「前者が七榊翡翠とシスター・オノデラ。後者は王陵内のモルトレ教になる。烙蛹魔術は術式から見てそれなりの工房(アトリエ)が必要な筈だ。君に散々働いて貰ったのは、奴らの巣を炙りだすためだ」


 雀には霊脈を王陵女学院で最も恩恵を受けやすいよう調節して貰ったのだ。


 というのも編纂魔術の発動条件の一つに、一定規模の霊脈の恩恵県内である必要があるのだ。

 術師数人程度を相手取るのであれば、今回の手間は別段必要ないのだが、不確定要素が多分に含まれる状況を鑑みて実行したのだ。


「ああ、なるほど。つまり涼を要石にした本命は拠点なのね」

「そう」


 納得、と雀が手堤を打つ。

 つまり照は涼の影を使い翡翠のみならず、彼女らが王陵の何処かに設けている工房(アトリエ)もこの世界に引き摺り込んでいるはずなのだ。


 失敗した際は事前の打ち合わせで連絡が入る手筈になっており、それは届いていない。


 ひたすら銀世界のこの景色であれば、異物が混じれば一目瞭然だろう。影に感化されたお蔭で涼には何となくの方向も分かる。

 見つけ次第調査に入り、必要な情報を回収次第、破壊する。

 それが涼達の役割だ。


「よしよし。なら気合いを入れて殴り込みますか」


 意気揚々と足取りを軽くする雀。一晩中街中を駆けまわったフラストレーションでやる気は十二分だ。


 それ以降会話は途絶え、ギュッ、ギュッと雪を踏み鳴らす音だけが規則的に聞こえる。

 しばし無言に包まれる二人。


「あ~………涼?」

「なんだ」


 耐え切れない様に口を開いた雀は言うか言わないか迷っていた疑問を口にする。


「もしかして、傘って一本しかないの?」


 雀は傘を傾け、雪を積もらせる涼を見やる。

 微妙に視線を逸らす涼。


「ちょっと! いまこれが必要なのは私よりアンタなんじゃないの!?」

「いや、別に……使って貰って構わん」


 何とも歯切れの悪い。一体何が別になのか。


 呆れ果てる雀の嘆息に、涼は気まずそうに柳眉を下げる。


 薄々感づいてはいたが、雀の記憶が確かならこの番傘は連鶴の補助機構(オプション)だった筈だ。

 普段なら涼が使うか連鶴に差させるかのどちらかなのだが、式神を使役する余裕などないのだろう。


 雀が着る淑艶の着物とてそれは同じ筈。照との付き合いで言えば雀の方が長く、編纂魔術の環境対策は容易に講じられる筈だが、準備を完全に失念しフォローして貰った手前、非常にバツが悪い。


 意地を張って淑艶を解除しろと言ったところで涼は絶対に解かないだろう。


 宵波涼という人間は奉仕と自己の天秤が異様に前者に傾いている事は、この一年半の付き合いで嫌という程理解している。

 万人に平等にではなく、人を選び、必要以上に踏み込まず、決して重みにならぬよう。


 だからこそ、この状況が雀にはとても腹立たしい。

 自己解決の信条を軽々しく破った自分に。最低限の礼儀として涼が引いてきた一線を踏み越えさせた自分に。


 ではどうするか。


「………………」


 暫し迷った末、沸々と煮える怒りに落とし前を付けに掛かる。

 もう此処まで来れば、あと一つや二つ踏み越えたところで変わらないと開き直って。


 むしろ数秒後の彼の反応が楽しみだ。

 具体的には涼の腕を強引に引き寄せ、傘の下に入れたのだ。所謂、合い合い傘というやつだ。


 涼が過度な接触を避けていることを承知の上で、雀はがっちりと腕を固め身を寄せる。


「ちょ、神崎……!?」

「いいでしょ、これなら二人で傘に入れるし。それとも女の子と腕を組むのは恥ずかしい? さっきダンスも断ってたものね」

「別にそういう訳では……」


 敢えて挑発的に言うことで事後承諾をあやふやにする雀の策略にはまり、涼はなし崩し的に許諾する形になった。


 その間も二人は止まらず、慣れない姿勢で何度もお互いの脚を縺れさせながら二人は歩く。


 涼は不用意な所に触れないよう慎重にエスコートしながら、雀は足取りの覚束ない涼を支えながら。


 吹き曝しの顔はお互いポーカーフェイスだが、熱い体温は正直にお互いの心根を伝えあっていた。


 それに気付きながらも、モルトレ教の工房(アトリエ)を見付けるまで二人は一つの傘を共にした。


 余談ではあるが、編纂魔術を行使した照は雪原で起きたあらゆる事象を録画機能の様にいつでも参照可能だったりする。

 今この瞬間に照が翡翠を相手取っていた間、青臭い行為に勤しんでいた件で二人に猛抗議が入るのは、後の話。

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