一章・四節 気になる彼女が気にする彼
鉄平がゲーム系の屋台を荒らし回るなら、那月は主に飲食系列を万遍なく堪能していた。
「やっぱお祭りといったら焼きそばよね。鉄板で焼けたソースの匂いがたまんない」
「思うに、ジャガイモとバターの組み合わせは中毒レベルね。マーガリンは認めません」
「ん~、キーンっと来た! この頭にキーンとくる奴ね、かき氷頭痛って名称らしいわよ」
まさか端から端まで屋台を制覇するつもりだろうか、と疑いたくなる勢いで那月は次々に胃袋へ食べ物を押し込んでいく。それも全くペースを変えずに。
那月が元々大食いであることは建人も知っていたが、ハメが外れた様なはしゃぎっぷりだ。
少々唖然としながら、建人は鉄平も耳打ちする。
「なあ。去年もこんなんだったのか?」
「いいや。去年はこの三割減ってところだな」
缶コーヒーを煽りながら鉄平は「何か良いことでもあったのかね~」と意味深な言葉を建人へ向けて来る。
「……~っ」
友人の言葉の裏に隠れた意図を察し、かあと建人は身体が熱くなる。
建人が那月の浴衣姿を率直に褒めたことに起因しているとすれば、気恥ずかしいことこの上ない。
熱を誤魔化すように建人はラムネを煽ると、キンと冷えた液体が火照った身体に浸透してく。
「それにしても随分上等な浴衣に見えるが、お袋さんのか?」
「ん? ああ、違う違う。これは借り物よ」
鉄平の指摘に那月はリンゴ飴を齧りながら小さく首を横に振る。
改めて観察すると素人目の建人から見ても、那月の浴衣は他の浴衣姿の人と比べて一段上等な仕立てに見える。
それを裏付ける様に、擦れ違う人の視線も那月の容姿というより全身に惹かれている様な印象だ。
「宵波先輩に偶々出くわしてね。世間話で今日の灯篭祭の話してたら、どうせなら着飾って行きなさいって、諸々手配してくれたの」
その時に簡単な治療をしてくれたと、那月は裾をたくし上げ捻挫した足首を曝しだす。足首には艶やかな紋様が描かれた浅葱色の手拭いが巻かれており、その下にはよく見れば肌と同色のシップの様なものが張られている。
「宵波先輩?」
憶えがあるようで思い起こせない名前に建人は首を捻る。
「ほら。この人よ、宵波涼先輩。見たことあるでしょ」
「……あ~、去年転校してきた一個上の人か」
那月が画像フォルダから呼び出した写真を見て、建人はハッキリと思い出す。
なにせ五輪高校に一つの功績を残した人物だ。
写真は去年の文化祭の一幕を切り取ったものだった。
『五輪市唯一のメイド喫茶へようこそ』とポップ調の謳い文句が踊る黒板を背にし、食事の準備をする男子生徒が一人。
写真からでも伝わる落ち着いた佇まいと長く伸ばした髪を束ねる赤いリボンが印象的だ。
という情報は半分以上建人の脳を通過し、どう見ても隠し撮りしたと思われる先輩の写真を那月が持っている事実に建人はひっそりと打ちのめされていた。
まさかご機嫌なのは別に自分の褒め言葉によるものではないのでは?
「どうしたの?」
「……、えっ。あ、いや。何でもない! 確か、そう。先輩が作る料理がやたら美味くて行列が出来たんだよな!」
顔を覗き込んできた那月に建人は遅れて気付き、慌てて去年の文化祭の記憶を掘り起こした。
幸いにも那月は別段言及せずに懐かしむように話題に乗っかる。
「正確には先輩が作るサイドメニューばっかりが売れるもんだから、午後には全メニュー担当していたけどね。そうしてたら――」
「学園創設以来最高金額の売り上げ記録を樹立」
「マジか。その辺は全然知らんかった」
天文部の出し物で殆ど部室に籠っていた建人は事のあらましを初めて耳にした。その様な事が起きていようとは。
「おかげで飲食系の出し物で先輩の取り合いになって、私たち生徒会が仕切ることになったのよね」
結果、最終的に調理室に籠った宵波涼が飲食系の出店の全メニューを取り持つことになり、那月を含めた料理スキル持ち数名がアシスタントとして彼をサポートすることになった。
あとは鉄平が述べた通り。
学校主催のイベントとしては異例の収益を叩き出し、ネットではちょっとしたニュースになっていたほどだ。
「あれ以来かな。先輩と生徒会長がよく二人でいるのを見かけるようになったのは。いっつも不機嫌そうなのに、先輩がいると彼女大人しくなるのよね」
「同学年なのにそんな浮ついた話は聞いたことねえな」
「同棲してるって噂もあるのよね」
「なにそれ。ゆすりのネタに使えそうだな」
未成年でそのようなうらやま、もとい如何わしい関係にあるとなれば内閣総辞職改め生徒会総辞職待ったなしである。
「『つまらない冷やかしを口に出来る余裕があるなら、補講を延長しようか?』とかいいそうだけど」
「やめときます……」
嬉々として補講の意趣返しのチャンスに喰いつく建人であったが、那月の非常に現実味を帯びた切り返しに秒で撃沈。
もっとも生徒会長に対して恋愛話は暗黙の了解としてタブーであると生徒のみならず教員にまで知れ渡っている。建人とて本気で地雷を踏みぬく覚悟は無い。
「それで、浴衣はその宵波先輩からの好意によるもんだと」
「あ、そんな話題だったね。そう。先輩が義妹さんにって仕立てものらしいんだけど、突き返されたって言うもんでね。勿体ないから袖を通してくれないかって」
「切ねえ……」
どうやら妹さんとは上手くいっていないらしい。
建人の曖昧な記憶が確かなら、宵波涼は確か去年に東京から転校してきたはずだ。
決して安くないであろう浴衣が東京から送り返される。建人は兄弟はいないが、想像するだけで胸に暗澹たるものが溢れる。
ただそのお蔭で建人はこうして眼福を得られたのだ。彼の分までじっくり堪能しようと、心の中で手を合わせる。
「あの人は確か就職組だったよな。今の時期だとちょうど盆休みに入ってるのかね」
「就職……進路……うっ、頭が……!」
「元々こっちでの勤務が決まってるから一年前倒しで転校してきたみたいね。社会人に夏休みなんかの無いっ珍しくボヤいてたな」
「……有澤は先輩と仲いいのか?」
「会えば世間話をする程度にはね。バイト先にもちょくちょく顔見せてくれるし、個人的な相談にも乗って貰ってるし」
「へえ……」
建人は無関心を装いつつも、内心で滝の様に冷や汗を流していた。
入学当初からの付き合いの建人に対して、かの青年はたった一年かそこいらで距離を詰めていようとは。
話を聞く限り、那月も少なからず好意を抱いている様子。相談事などどのような内容であれ信頼できる人物にしか持ち掛けないだろう。そして建人はその様な話初耳である。
手をこまねいた純然たる結果が此れである。
この分ではまた鉄平に嫌味の一つでも浴びせかけられない。
「……? 鉄平、どうした?」
だがその友人は何やら難しい思案顔を浮かべ黙り込んでいた。
いつもなら冷やかしの一つでも建人に暮れている頃だが、元々悪い目つきが更に鋭くなっている。
容易には話しかけづらい雰囲気だったが、不意に「ちょっと古い友人を見付けた」というと引き止める間もなく人波へ消えていった。
「なんだよ急に」
「なんか怒らせるような事言ったかな……」
「いや、気にすんなよ有澤。アイツ昔からああいう所あるし。それよか、あっちの方から美味そうな匂いがすんぜ」
那月を気遣ってのことではなく、付き合い初めから鉄平は時々こうして外れる事がある。建人は最早慣れたものだが、那月は初めてだったようだ。
次の屋台へ足を向けようとしたところ、メールの着信を受け建人は確認する。
鉄平からだ。
『二人っきりだぜ。焦ってんならチャンスは逃すなよ?』
やはりしっかりと茶々を入れてきた。
しかし本日何度目とも知れない動悸によって、そんな事すら気にならない。
急な緊張で身体を固くする建人に、しかして運は味方したか。
「まもなく灯篭流しを開始します。ご参加の方は指定の場所へお越しください」
随所に設置された拡声器によるアナウンスが会場へ流れた。
「おっと。もうそんな時間か。二人になったけど、行こうか」
「そうだな。おっと……!」
ちょうどその時、アナウンスを受けて人が大きく動き出した。
比較的ゆったりとしていた通りが少々手狭になり、二人は人波に攫われるように歩き出す。
その時建人は逸れない様に那月の手を反射的に取っていた。
「あっ……」
「――」
か細い声が那月から漏れた気がするが、建人には最早そんな余裕は無かった。
自分でも信じられない大胆な行動への戸惑いと、掌にすっぽりと収まった那月の手の小ささに高鳴る心臓を押さえるのに精一杯。
灯篭流しの指定場所に付くまで、二人はお互いの体温にばかり気を取られていた。




