二章・十六節 王陵女学院・舞踏会
【前節のあらすじ】
極道でありながら魔術師の血を引く、前生徒会長・百瀬智巳は涼の依頼を受けて七榊翡翠と接触していた。
家柄もあろ麻薬等の売買には鼻が利く智巳は、魔薬の販売販路に巨大な力が働いているのを看破しつつも、あくまで依頼の遂行に徹し、翡翠に涼からの書状を渡す。
その内容は幸白誠明と七榊翡翠のお見合いの日程の知らせであった。
舞踏会。
私立王陵女学院が普段固く閉ざす門を開く、年に一度の公開行事。
その名の通りダンスパーティーを催す行事であり、一年間の教育で培われた立ち振る舞いや文芸、芸事等々の淑女のお披露目会でもある。
同時にイギリスの貴族や富豪名家の教育機関の姉妹校であるが故に、王陵の舞踏会には社交界の側面も持ち合わせていた。
大物政治家や官僚、大企業最高責任者、旧華族等々の御令嬢と親族が一堂に会す故に、政治や経済の流れに多大な影響が及ぶ国営のかじ取り場とさえなり得る。知的な言葉使いを紡ぐ和やかな会話の裏には幾重幾多にも及ぶ駆け引きと権謀術数が飛び交い、その結果として莫大な金が動く事もしばしば。
当然学院側にとっても一大イベントである。
学校主導の元会場設営は二ヶ月前から着工が進み、内装から外装、街路樹に花壇の草木の一本に至るまで徹適的に整える。外部からは星付きホテルやレストランの料理人を招き入れ、念入りに料理メニューを企画し試食会まで開く。学生主体の催しであるが、少量ながらアルコールも並べられる。
そんな舞踏会であるが勿論誰彼構わず招き入れるわけではない。
招待枠は三つに分類される。
大半を占めるのは【在校生枠】と呼ばれる枠組み。在校生にはそれぞれ二名の招待枠が与えられており、多くが親族を招待している。次いで学院側から学院運営の各方面の関係者に招待する【学院枠】。最後に少数ながら一般抽選を募り招待する【一般枠】となる。
【在校生枠】に関しては多くが両親か親戚を招く事が多いが、先に述べたように政治・経済の面が色濃いだけに血縁以外の人間が参加してくる場合も少なくない。
そういった意味では雨取照に招待された宵波涼と神崎雀も、例外的な部類なのだろう。
「なんか浮いてない、私達? フランス料理の中にうっかり紛れ込んだカルメラの気分なんだけど」
「君ならサラリとあの場に溶け込むと踏んでいたが。神崎なら画にも問題ないだろ」
「雀はダメよ。あそこはお金と権力に飢えた魑魅魍魎のバミューダトライアングル。うっかり殿方を惹いてしまえばきっとぺんぺん草も生えない荒れ地になりかねないわ」
「褒めているのかしら、貶しているのかしら雨取さん? それを言うなら錬金術師の貴方の方こそ支援者を募るチャンスじゃなくて。涼に土地の利権まで掛けて融資を引き出したそうじゃない」
「術師にとって研究は第一優先事項よ。ある程度土地を担保にしても、研究に理解のある出資者とは良好な関係であるべき。煽る土俵の選択が甘いわ、雀」
「あら。私は土地抜きで融資を引き出したわよ。そうよね、涼?」
「ん? まあ結果としてはそうかも知れないが。総合的に見れば条件はトントンといったところだろ。あまり張り合っても肩が凝るだけだぞ」
パーティー会場の端で飲み物片手にそんな言葉を交わす涼、雀、照の三人。
ちょっとした屋内競技なら悠々と開催出来そうな会場には随所に配置されたテーブルに料理が並べられ、雇いのスタッフがドリンクを提供している。招待客は料理を口に運びつつ、思い思いに談笑を楽しんでいる。
総換算すればちょっとしたビルが建つのではと思う程、上等品に袖を通す招待客の面々。それでいて誰もがそれらを完璧に着こなし、生まれと地位に裏付けされた格のようなものを感じさせる。
雀の言う通りバックボーンの無い涼達は確かに場違いと言えるだろう。
だが決して場にそぐわないかと言えば、否だ。
画だけで見ればこの場全体を見渡しても決して見劣りしない。
雀は肩と背中が大胆に露出したワインレッドのノースリーブのロングドレス姿。精緻な刺繍が入ったレース生地で構成されたドレスは余計な装飾は一切なく、着用者のスタイルを美しく見せるに留めているのだろう。裾から覗くロングブーツも彼女の人間性によくマッチしている。
対照的に照は露出を抑えた黒のスイングドレスに身を包んでいた。金糸の刺繍を入れたケープを羽織り、ボディラインに合わせたその出で立ちは当世風の魔法使いといったところだろうか。ドレスには唐草模様の透かしが入っている部分もあり、西洋人形を彷彿とさせる照の容姿と良いコントラストを演出している。
ドレスはどちらも自ら手配したもの。自分たちの魅力をしっかりと把握した良いチョイスと言えるだろう。
一方で涼はと言えば、こちらは文句なしに場違いと評して問題ないだろう。
何しろ普段と何ら変わらない平服。もとい、しっかりとしたシックなスーツを着込み、長髪も入念に櫛を入れトレードマークの赤いリボンで纏められている。これだけならギリギリ及第点を得ただろうが、普段から着用しているロングコートが全てを台無しにしていた。
使い古しと一目で分かる摩耗具合、丁寧に繕ってはあるが弾痕や焼け跡など戦闘で傷つきボロボロだ。何度も洗い落としたが誤魔化し切れない血と泥の跡など眼も当てられない。
受付ではスラム街の住民を見るような視線を受け、偶然出くわしたシスター・オノデラにはこっ酷く叱られた始末。いまも近くの招待客がチラチラと不審げに涼達を盗み見ている。
先程から雀や照へ挨拶に赴いた者たちは皆一様に涼を珍獣でも見たような一瞥を残しては、コートに刻まれたアストレアの意匠に眼を剥いていた。これも堂々と曝すものではなく、その手の業界では一種のタブーに近いデザインなのだ。
ただ頑なにドレスコードを崩したのには避けられない理由があった。
「グラスをお下げ致します」
「ああ、どうも……っ!」
空になったグラスを給仕へ渡そうとした時、涼は身体に走った鈍痛に僅かに顔を顰める。
一瞬の事だった故、給仕は気付かず下がっていったが雀と照は見逃さなかった。
普段から露出の少ない服装の為分かりづらいが、よくよく観察すれば涼の首筋に浮かぶ大量の球汗に気付くことだろう。明らかに異常な発汗量。平静を装ってはいるものの顔色からは赤が失せている。
「やっぱ来なかった方がいいんじゃない。その腕両方とも本物の義手でしょ? 付け入られる隙を曝してるもんよ、それ」
「これを隙と捉える程度なら寧ろやりやすい。赤布に突進する闘牛のようなもんだ」
「ハンデを背負っているには変わりないでしょ。呪具は別にしても、まともな銃撃は無理なんじゃない? それってアストレアの霊能力者にとって片翼を捥がれた事と同義じゃない」
「……痛いところを突くな」
雀の的確な指摘に涼は嘆息を付く。
思わずといった風に涼は腕を摩るが、その感触はなく無機質な振動が肘から伝わってくるのみ。摩る動きでカチカチと金属が擦れる音が手袋から漏れてくる。
いまの涼の両腕は肘から先が義手になっている。式神技術の応用による肉体代替ではなく、機械仕掛けの従来品によるもの。
無論一般に出回るような品ではなく、呪術と科学を併用して製作された一品。アストレアの装備科によって戦闘を想定して開発された義手であり、駆動部位の設計に関しては涼も少なからず携わっている。
単純なスペックは涼の肉体代替より上だが、慣れるまでには時間を要し、装着したばかりでは動かすことすらままならない。涼は霊力で動きを補っているが、大雑把な動きが精々だ。
(……確かにこの手じゃ威嚇射撃も満足にできそうにない)
グラスを保持するのでさえかなり気合を入れていたのだ。射撃など問題外。
アストレアの戦闘員の多くは兵士と術師のハイブリットだ。術式はあくまで戦闘技術の一つに過ぎず刀剣や銃器は勿論、爆薬や暗器に毒薬など多彩な手段を用いる。そのような在り方は術師への侮辱だと、これを理由にアストレアの戦闘員を軽視する声も少なくはないが。
だが両腕が使えねばその強みも半減以下。戦闘になればいまの涼は逃げる他ない、一般人と大差がない人間だ。
「覚悟はしていたが紫涅の状態は、想像以上にやばかった。不用意に女性の腹に手を入れたお蔭でこのザマだ」
未熟だ、と涼は肩を落とす。
散々誠明を詰っておいて自分はこの有様。両腕を捥がれた時点で通常であれば引退すら視野に入る。上層部にこの事が伝われば強制送還も有り得るだろう。いや、既に誠明から報告は行っているかもしれない。
協会派の誠明からすれば涼の義手は監視官適性を疑うまたとない失態。権限を剥奪し、治療と引き換えに主導権は涼が握っているが、不利な点を抱えた事に変わりはない。
「安易に自分を過小評価するのは愚かよ、宵波君。事実にそぐわないのなら尚更」
横合いからフォローを入れる照は不意に視線を横へ逸らす。直後に給仕が鮮やかな赤身のローストビーフを勧めに来た。雀だけ小皿に選り分けて貰い、涼と照は丁重に断った。
「しばらく肉料理は遠慮したいな」
「同感ね」
胃袋に嫌な感覚が込上げてきた涼は風に当たろうとバルコニーへ出た。雀は料理を取りに向かい、照は涼に習い外へ出る。
暦の上では九月は夏と秋の狭間。夜気は依然として暑く夏を感じさせるには十分であった。陰陽道の視点から見ても、この時期の夜は冬と比較しても陽の気が多い。
頭上にはまばらに雲が泳いでおり、煌々とした月光が静かに降りている。
空調の行き届いた室内から出るもの好きは涼達以外はおらず、バルコニーに設けられたテーブルに着く。
窓一枚隔てれば喧騒も遠ざかり、入れ替わって虫のさざめきで満たされる。
深呼吸をすればプランターに植えられた月下美人の匂いで包み込まれる。月下美人は夏の夜に開花する花。いまにも弾けんばかりに膨らむ蕾もあることから、舞踏会に開花が合うよう生育されたものだろう。
他にも夜光香と呼ばれる黄色の花を咲かせるイエライシャンや、ムーンフラワーの英名を持つヨルガオも大輪を咲かせている。
談話の合間に英気を養えるようにと、学院の計らいだろう。
それで気が緩んだのか。
「──ァ、っ」
突如身体を内から引き裂くような激痛が走り、両腕の切断面から灼熱が立ち上る。堪らず椅子から転げ落ちかける所を、咄嗟に照が支えた。
礼を口にしようとした涼だったが、ハンカチで鼻腔を塞がれる。
見れば尋常ではない出血量の鼻血でハンカチは真赤になっており、涼はそれに気付けないでいた。
「すまない」
「雀も言っていたけど、休んだ方がいいわ。“あんな”ものに直接干渉したんだもの。貴方の場合やけぼっくいな分、尚更」
「なんだが微妙に間違った使い方だぞ」
「大元の意味合いの方よ」
軽口を交わすも涼の容態は深刻だ。
鼻血は収まる気配がなく、受け取ったハンカチを持つ義手もガタガタと震える始末。蒼白を通り越して土気色になった顔からは活力が失せている。
料理両手に合流した雀も驚いた様子で駆け寄ってくる。
「紫涅さんの治療が原因よね。摘出は上手くいたって聞いたけど、患者に噛み付かれでもしたの?」
「ある意味では間違ってはいないな。気を付けろよ神崎。押さえてはいるが、俺越しでも感化されかねない」
「悪い方向に予想を超えたのよ。見通しが甘かった」
「胎児を術式の駆動源にしてるって話?」
「そう。推察自体はそう外れてはいなかったの。でもそれだけじゃ部分点。大きな見落としが二つもあったわ」
「二つ?」
「推察は全容の途中までしか捉えていなかったんだ、神崎」
紫涅の治療から判明した“影の術式”の正体。照の説明に施術者の涼が捕捉を入れる。時間が無かったため後回しにしていたが、涼は雀にも知り得る情報を伝える。
紫涅の妊娠、摘出した胎児、魔薬との関係性。そして適合していると思われる七榊翡翠の脅威について。
主に照が説明し、涼が都度捕捉を入れる形だ。
「……それ、幸白君は知っているの?」
「まだ伝えていないし、伝えるつもりもない。聞かせたところであいつの性格だとポーカーフェイスは難しそうだからな。今日の見合いは妥協点を確認させる儀礼的なものだが、下手に伝えて当の本人にキョドられても困る」
「お見合いね。そう銘打ってはいるけど、舞踏会だとダンスに誘うのがそうよね」
「正確にはその前段階。男性のダンスへの誘いに女性が応じれば、正式にお見合いへ移行するのよ。女性が拒否すれば、それまで」
照の言葉がちょうど切れたタイミングで王陵に鐘の音が響く。王陵の敷地なら何処からでも見える時計塔に視線を投げると、時刻は二十時を指し示している。
会場がにわかに騒がしくなる。窓越しには遠目からでも浮足立つ男性の様子が見てとれ、その中にはタキシードに身を固めた誠明の姿もある。
目的は違えど、今日この場に秘めたる想いを抱えている男性は少なくない。
今までの立食はいわば前哨戦。先の二十時の鐘は開戦の狼煙に他ならない。
時代地域異なれば権力者が集まる場には、往々にして血縁を足掛かりに勢力拡大に手を伸ばす輩は絶えない。
華のない話ではあるが、その代表例が政略結婚である。
学生の身分故に即婚姻まで事が運ぶことはないが、舞踏会でのダンスカップルが生徒の卒業後に正式に夫婦の契りを交わす例は存外に多い。
殆どは親族同士によって既にレールが敷かれているため、ダンス自体は儀礼的なもの。中には正真正銘花嫁候補を探し求める男性もいるにはいるが、出遅れている感は否めないだろう。
「……来た」
雀の言葉につられ会場を注視すると、彼女は直ぐに見つかった。
お色直しで一度席を外した女生徒たちが新たな装いで煌びやかな姿を見せる中、一際澱んだ霊気を発する生徒が一人。
七榊翡翠だ。
事前に接触していた百瀬智巳からの報告通り、外見に大きな変化は一切ない。魔薬を服用し半廃人となっていた紫涅と異なり、しっかりとした自我と正気を保っている。
「やはり、適合しているな。もう中身だけで言えば人間を越えている」
翡翠の霊基はもはや原型を留めていなかった。歪に崩れた霊基は混沌の坩堝と化しており、絶えず蠢き新たな何かへ成りつつある。
強引に例えるなら、いまは羽化を待つ蛹といったところだろう。
一体何に成り代わろうというのか。
否応に無く三人の表情から弛緩が抜け落ち、瞳は鋭利な光を覗かせる。
鼻血を治癒札で強引に抑え込んだ涼は二人と共に会場へ戻る。ダンスが始まれば、此処にいては何かと不自然だ。
既に生演奏のBGMに合わせて男女のペアが舞踏を始めていた。
ダンスで膨らむ色とりどりのドレスの袖やスカートが花びらのように舞い、ほのかに上気した淑女たちの香を運んでくる。
一方で肝心の誠明と言えば会場の端で口を堅く結び赤面し俯いている。
「完全にビビってるな」
「チェリーボーイ」
「一般人」
口々に貶す悪口を地獄耳の誠明は耳聡く捉えるも、男と女の別世界を前に悔しいながらも動けずにいた。
縁が無ければ一生立ち会うことの無い世界。いきなり放り込まれれば誰でもああなるだろう。
だが手助けは出来ない。してはいけない。
誠明から翡翠をダンスへ誘わなくては、建てた計画そのものが機能しない。
洒落や冗談で涼は見合いの場を設けたわけではなく、一種の示談へ落ち着けるためのもの。
紫涅の治療と引き換えに涼が誠明へ要求した“七榊翡翠への結婚”は、元々は雀と照の監視から誠明たちを強制排除するための策をアレンジしたもの。
現代でこそお見合いは古い慣習になってしまったが、術師の間では今も尚盛んに行われている。
脈々と継承される術式をより優れた才能へ、遺伝子を次世代へ──そういった思想が根強い術師界隈では品種改良じみた婚姻が常に行われてきた。
成人が迫るにつれ見合い話は多かれ少なかれ舞い込み、誠明と紫涅もまた例外ではない。
フランチェスカは此処に眼を付けた。
ユースティア家の伝手を頼り聖王協会に属する名家の子息、子女との見合い話を仲介する算段だったのだ。
結果こそ七榊翡翠の一件で白紙になったものの、計画は順当であった。
もしお見合いが恙なく行われれば、保守派は協会派に聖王協会への橋渡しという貸しを作る事が出来る。アストレアは正式に聖王協会との取引口を開く交渉を進めているだけに、協会派がこれを無下に扱えば聖王協会から非難を浴びかねない。
いずれにしても保守派は協会派へ大きな貸しを強制できるというわけだ。そうなれば雀たちの監視の強行への非難も無視できない。
涼はこれを七榊翡翠との一件へ軌道修正したもの。
八坂慎一郎らの五輪市への七榊翡翠との接触任務、及び神崎家の管理下である霊地への不当侵入。並びに紫涅和泉監視官の魔薬所持及び服用、そして幸白誠明監視官の隠匿行為。
いずれも“七榊翡翠”と“魔薬”へと集約され、保守派が譲歩を提示したのは前者。
協会派と七榊家との取引を公の場で保守派引き合いのもと成立させる、というものだ。見合いの件はフランチェスカから協会派と七榊家へ伝わっている事だろう。
土地の管理者である雀と照の立ち合いが入れば、協会派は両家に貸しを作ったことにもなる。結果としてこれ以上協会派が五輪へ介入することは外交上不可能に近くなるという図式だ。
誠明からの婚姻はあくまでこの一件を諫める儀礼的なもの。
翡翠が受け入れれば魔薬との関係性を詳らかにした後、然るべき処分を。拒否すれば対応は雀たちに一任される事となる。
翡翠がこの見合い事態を蹴ったとしても毛髪から得たDNAから追跡方法は幾らでもある。
どちらに転ぼうとも事態の収束はそう難しくはない。
唯一、懸念があるとすれば──
(──伊調銀治がこの程度の事態を想定していないとは考えづらい)
協会派のトップ、策士の名を欲しいままにする伊調はアストレアで最も情報戦を得意とする男。自らは一切動かず遠方の部隊を指揮し、敵組織を容易く壊滅させた話など枚挙に暇がない。
翡翠と魔薬との癒着は知らずとも、接触を図った紫涅の状態を把握していないとは考えずらい。
上層部も探りは入れているとの事だが、涼にはどうもキナ臭くて仕方がない。
傷が癒えない状態にも関わらず八坂に続き紫涅の治療を強行したのは、協会派が裏で動く何かを探るためでもあった。
両腕が欠損し、影の術式が体内へ深く食い込み重傷を負う代償を支払ったにも関わらず、得られた情報は思いの他少ない。精々が術式の全容と施術方法が判明した程度。今回の事態に潜む思惑は尻尾の先さえ掴めない。
いや、あるいはこの事態そのものは重要ではないのか……。
「踊って頂けませんか?」
思考に埋没していた意識が引き戻される。
一瞬、息を忘れた。
いつの間にか涼の前には一人の女生徒が立っていた。
まるでお伽噺の美姫のような美しい金髪碧眼の女生徒だ。
月光で編まれたような銀に近い金髪。細雪のようなきめ細かく透き通るような白肌に、深い碧眼は星のような深い輝き。白磁の肌と好対照にふっくらと小振りの唇には控えめにルージュが引かれている。
胸元の十字架の刺繍を除けば華美な装飾を嫌ったドレスは白を基調にしたロングドレス。その上から薄手の赤の上着を羽織っている。足元は動きやすさを重視した亜麻色の編み上げブーツが顔を覗かせ、厚手の手袋を着用していた。
これ以上美しい人間は存在しないのではないか。なんの疑念もなくそう信じて疑えない程に、眼前の少女は幻想めいた美であった。
「あんな子いましたか」
「何処の御令嬢でしょうか。恥ずかしながら全く気付きませんでした」
「いやそれより、なぜ彼に相手を……」
周囲がざわつき始め、ハッと我に返る涼。
議論の余地なくこの美女の相手に最も相応しくないのは間違いなく涼だ。前述の通り会場に全く相応しくないドレスコードに、開場してからずっと壁際に張り付いていた事も要因だ。
これ以上場を掻き乱すような真似は避けたかった。
一度咳払いを挟んでから返答する。
「せっかくのお誘いですが、申し訳ない。少し体調が優れず、知人の舞踏を一目見たらお暇しようと思っているのです」
嘘ではない。体調不調は事実であり、誠明の成り行きに立ち合いに来ていることも本当だ。
「大変失礼致しました。よろしければあちらのサロンが休憩用に当てられております。ご案内致しましょうか?」
「いえ、お気遣いなく。それよりもお断りした手前失礼ですが、差し支えなければお名前を伺いたい。私は宵波涼と申します」
やんわりと断りを入れて涼は名を訪ねる。
この舞踏会への主要な参加者の顔と名前は事前に頭に入れてあった。招待客は勿論、生徒も含めて。正確に全員を記憶しているわけではないが、性別や顔立ち、背丈に体格で大雑把に区分けした記憶法を用いての事。
だが幾ら記憶を探っても彼女に関してはまるっきり覚えがない。ましてや彼女ほど美しい女性など覚えないことの方が難しい。
「申し訳御座いません。今は名乗る事が許されておりませんので。ですが、失礼──」
長い睫毛を伏せ申し訳なさそうに謝罪を口にする美女は、何を思ったかその場で跪くと恭しく涼の手を取る。
接触を嫌う涼が反射的に身を引くより先に、美女は涼の手の甲に軽く口付けをした。
「「「―――!!?」」」
広間に音の無い雷撃が波及する。
傍にいた雀はあんぐりと開いた口が塞がらず、滅多に感情を表に出さない照は口に手を当て驚き、外野(主に女生徒)は静かな黄色い悲鳴を上げる。
当の涼はと言えば、口付けの意味を計りきれず困惑の極みに至っていた。
日本ではあまり馴染みは無いが、ヨーロッパなどでは跪いて手の甲へキスするというのは主に忠誠や尊敬の意で行われる風習がある。軽い挨拶程度に行われることもあるが、通常は男性から女性へ示されることだ。逆などついぞ聞き馴染みがない。
「それでは、また」
涼が困惑に絡め取られていると、美女はスカートをつまんで一礼すると広間を後にして行った。
手袋にはうっすらと可憐な花が咲いている。
一瞬だけ魅了の魔術を疑ったが、魔力の残り香すら感じ取れない。霊力もまた然り。
「モテるのね、宵波君。またですって」
「からかうのは止せ雨取。なんにせよ、とびっきりのイレギュラーだ。状況は読みきれないが、二人とも構えろ。多分他にも混じっているぞ」
「注意喚起どうも。こっちはとっくに充電完了」
丁度盛取った料理を完食した雀がちろりと唇を舐め、頼もしい返答を寄越す。彼女のいう充電が魔弾を指しているのか、それとも満腹の暗喩なのか。突っ込みたい気持ちを抑え、本来の目的へ意識を戻す。
ふと誠明が慌てて涼から視線を切った。そのあともチラチラと涼と金髪碧眼の美女が去った方に視線を泳がせ、どこか落ち着かない様子だ。
「……?」
不審に思いつつも涼はウインクによるモールス信号で誠明へ行動を促す。まだ時間はあるが演奏も中盤を過ぎつつある。先の口付けの衝撃も徐々に霧散しつつあるいまなら、自然にダンスへ誘えるだろう。
涼からの先導を受け、迷いを振りほどくように一度頭を振った誠明は、襟を正して翡翠の元へ歩み寄る。
緊張の隠し切れないガチガチのその様子を目聡く捉えた者たちが秘かに注目する。その光景は生徒会長に振り回される副会長を傍観する野次馬と同じ構図だ。
好奇の的になっている事に内心舌打ちする誠明はその苛立ちで緊張を誤魔化すことにした。
八坂救出時の奇襲と異なり、此度は真正面からの対峙。
七榊家といえば霊能力者の家系では間違いなく五指に入る大家。加えて言えば翡翠は歴代最強と言われた七榊家一七代目当主の嫡子。翡翠の兄弟もまた一人を除けばこの界隈では誰もが超一流の術師として名を轟かせている。
敗北を喫したとはいえ、翡翠もまた双子の兄と共に五輪の霊地を求め、一時は雀と照を完封直前まで追い込んだほどだ。卓越した隠形術で一年に及ぶ期間をこの地で過した事からも、その実力は十分以上に図れる。
彼女がこの舞踏会の招待へ何の備えなく応じることなどありはしない。
嫌が応にもなく、緊張で汗が滲む。
誠明と翡翠の距離がゼロになる。
ごくりと、生唾を嚥下する音が涼達へ届いたのは、はたして錯覚か。
「おれと、……私と踊って頂けますか」
恭しく頭を垂れ、白の手袋に包まれた手を差し出す。几帳面な誠明の性格がよく現れた、お手本のような御誘い。
一拍遅れて微笑を浮かべた翡翠が手を重ねる。
「――お芝居はもう結構です」
瞬間、ドレスを纏った十数人の女生徒が弾けた。
撒き散らされた血潮と臓物は立体感の無い黒の単一色。即ち、死神の釜の如き魔力振り撒く“影”だ。
紙一重で回避した誠明の背後で、翡翠から放たれた影が招待客を無差別に薙ぎ払う。
「なっ……」
影の軌道上では一切の生命が存在を許されず、冗談のように人の身が消滅した。まるで現実という絵に消しゴムを掛けるような、非現実的な光景。
女生徒から弾けた影もまた貪欲に招待客を平らげていく。そこに意志は感じられず、溶けた体を恋焦がれるわけでもない。影は一滴の血で会場を汚すことなく、瞬きの間に蹂躙を終えつつあった。
「……そこまで」
体内に喰い込んだ影の共鳴で五臓六腑に走る激痛が涼を貫く。産声を上げる影が全身の血管を駈けずり回り、表皮に近い場所では内出血でどす黒い色を曝す。
だが今の彼を支配する“怒り”によって、それら全ては些末事。
黒い暴風が吹き荒れ舞踏会場を蹂躙する中、涼の眼光が射抜くは影の術者である七榊翡翠――その更に向う。
舞踏会の場であって尚、修道服に袖を通した一人の老女。
「そこまで堕ちたか、シスター・オノデラッ!」




