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二章・十三節 監視官の軋轢

【前節のあらすじ】

八坂攻城官の治療で影の術式に侵食された手を、涼は呪詛の煙草で修復していた。

そこに同伴していたのは、煙草の匂いフェチの雨取照。

現状を整理するまでの一時の安らぎは、今回の事件から脱退するという涼の一言で終了を告げる。

「降りるだと? どういうことだ、宵波監視官ッ」

「喚くなマコアキ」

「そのあだ名で呼ぶなッ!」


 怒りから羞恥に顔色をガラリと変えて掴みかかってくる誠明の手を涼は鬱陶し気に払う。

 雀に遅れる事小一時間。

 屋敷に戻ってきた誠明に涼は雀たちと同じようにして、今回の件から外れることを伝えた。

 雀は事情説明をまだ受けておらず、目立った反発こそないもののやや怪訝な目つきだ。一方で照は既に大方の事情を呑み込んでいるのか、話半分に手元の文庫本に執心だ。


「どういうことか説明しろ。貴様はアストレアの責務を放棄するつもりか」

「言われずとも説明してやる。降りるといっても、八坂達を襲った術師の件に関してだけだ」


 そういうと涼は鞄から手帳を取り出すと、白紙のページに今回の事件を箇条書きで纏め始めた。


「今回の事件は主に三つの要素に分けられる。

①紫涅和泉監視官の失踪

②魔薬の発見

③八坂達を襲った詳細不明の術師

俺達も三つの派閥に分けられ、現状関わる要素は──

Ⅰ.宵波涼=①②③

Ⅱ.幸白誠明=①③

Ⅲ.神崎雀、雨取照=①③

こんな感じだ。異論は?」

「私と照にとって①と③は特別区別するもんじゃないわ。領地内で術師が野放しになれば、管理者として対応する、それだけよ」


 管理者としての見解を述べる雀に、本に視線を落としつつも照も異論を上げない。

 即ち状況次第では紫涅を討つ準備はあるということだ。

 誠明から訂正が入らなかったため、涼は話を次へ進める。


「さて。さっきも言った通り俺が降りるのは③に関してだ。理由はこいつの解析結果にある」


 そういって涼が取り出したチャック付きのナイロン袋を掲げて見せる。中には長い髪の毛が数本入っている。


「これは紫涅和泉の部屋を捜査していた際に俺達を監視していた“何者か”の毛髪だ。これから抽出した霊力パターンを解析したところ、以前この地で確認された術師のそれと一致した。要するに③の術師の正体が割れたということだ」

「……っ」


 背筋に伝う冷や汗が誠明の焦燥の引き金となった。

 術師の正体の判明は殆ど協会派の行動や思惑が明らかになる事と等しい。あの術師はそれほどまでの影響力と権力を有した血族なのだ。

 涼の発言を受けて、何かを察した雀が神妙な面持ちで口を開く。


「それってもしかして……」

「まさしく君の予想通りだ。これは去年の君達の取りこぼし。猟奇吸血事件を引き起こした七榊兄妹の生き残り、七榊翡翠の不始末で起きた不祥事だ」


 七榊の名を聞き、雀と照の少女に去年の屈辱が去来する。雪辱を晴らす機会が訪れた事に歓喜したか、二人の佇まいに適度な緊張感が出る。


 正しく、これは不始末が招いた結果だろう。

 管理者として侵入者を今日まで逃がした雀と照。そして任務の失敗によって死者を出したアストレア協会派。

 よっていまだ雀と照の管轄範囲にある事柄であり、同時に雀の監視官である誠明の観察範囲であると解釈される。


 先の三項目のうちの③【詳細不明の術師】改め【七榊翡翠の処分】には、涼はアストレアの監視官としては任務管轄外、一介の術師としては完全部外者。降りると宣言はしたものの、そもそも五輪市内では関われる立場にはないのだ。

 無論監視官としては誠明から、術師としては雀ないし照からの協力要請があれば話は違うが、プライドの高い三人を考えれば無視していい可能性だ。


「ちなみにだけど、七榊翡翠の居場所は割れてるの?」

「まだだ。あの娘は隠形術の名手で知られている。本気で隠れられたら例え眼の前にいようと捉えられないことは、もうここにいる誰もが実感しているはずだ」


 雀と照は昨年の戦闘で、涼は王陵女学院で、誠明は八坂の救援の際にそれぞれ翡翠を取り逃がしている。


 隠形術は名の通り姿形を隠す術。原理的には保護色と同じで、周囲の霊気に自身の霊気を同調させ存在感を希釈させるだけのもの。透明人間になるわけではないので、本来は意識を傾倒されている人間の眼前から急に姿を眩ませることなど出来ない。


 これは涼と照の考察であるが、七榊翡翠の場合女性の持つ陰の気が特別偏った【傾陰】の属性を有しているのだろう。記録は少ないがこの属性を生まれ持つとあらゆる術式が周囲を引き摺る様に発動するという。火の呪術を用いれば周囲も炎上し、呪詛であれば対象外の人間にも伝播する。


 そして隠形術であれば周囲一帯ごと存在希釈するのだろう。術者が周囲に溶け込ませるのでなく、術者に周囲を溶け込ませるようなもの。相手からすれば術者へ向けていた意識が周囲へ霧散していくのだ。これでは捉えられない。


 考察を聞いた雀は机に広げた五輪の地図に去年の戦闘記録を投影する。地図には七榊兄妹の位置情報と共に行使した術式、霊気のパターンが詳細に浮かび上がっており、翡翠の霊気の霞み方が考察と矛盾していないことを確認していた。


「私も照も翡翠の方は直接対峙したことは無いから能力は知らなかったけど、どうりで結界にも引っかからない筈ね。どうして今まで潜伏に徹していたのかは気掛かりだけど」

「王陵の生徒らしいけど、普段から視線避けの護符を付けていたのでしょうね。顔を知らなかったのが尚効いたわ」

「一応シスター・オノデラに確認してみたら紫涅と同じ日から寮に帰っていないそうだ。もしかしなくとも、八坂が七榊に襲撃されたのと何か関係があるのか、幸白監視官?」


 三人の視線を受け、誠明から小さな舌打ちが上がる。

 普段であれば翡翠の存在を感知できなかったことから、雀たちの霊地の管理能力に苦言を呈する所だが、現状は立場が弱い。

 神崎家の領地への無断侵入は無論の事、紫涅和泉の任務放棄に加え八坂の治療という恩義もある。


「……八坂先輩たちは七榊翡翠の保護を目的に、紫涅監視官の先導の元にこの地へ極秘任務で訪れたようだ。保護といっても実際は生死問わずで、同行に従わない場合は実力行使も厭わないとの事だったらしい。

 ただ七榊翡翠との接触日に紫涅監視官は姿を現さず、同行を拒否した七榊翡翠との戦闘で八坂先輩を除く十一人は全滅。

 その場では逃げ切った先輩も、結局は七榊翡翠に追い付かれて、ああなった」


 最後は組んだ手に爪を喰い込ませて絞り出すように言葉を吐き出した。


「何故戦闘になった? 一年もの間隠居していた娘がいきなり実力行使出るとは考えずらい」

「七榊翡翠と連れ添っていた青年が殺されたことで戦闘になったそうだ。だが接触場所の地下駐車場に行っても、それらしき遺体は無かった。

 先輩が言うには七榊翡翠は紫涅監視官を探していたらしい。恐らく紫涅監視官が呼び出したのが理由のはずだ。八坂先輩から聞けたのはこれが全てだ」

「ふむ……」


 誠明の説明はかなり大雑把なもので、恐らく彼も大筋しか聞けなかったのだろう。彼の話だけでは整合性を検証は望めまい。

 ただ引っ掛かる点があるとすれば、やはり翡翠に連れ添っていた青年だろう。


 ふと涼は照から受け取った紫涅監視官の行動記録を思い出す。

 彼女はある日を境にして頻繁に外出許可を申請し街へ繰り出していたようで、それは日を追うごとに頻度を増していた。それが特に顕著になったのはここ一月半程の事。監視用の式神の増加と時期が一致している事から、恐らくは七榊翡翠と接触したのはこのあたりだろう。

 過剰なまでの式神は隠形対策と考えれば辻褄も合う。


 鴉森諜報官が追い、彼女の寮部屋から発見された魔薬についてはいまのところ用途が不明だ。

 あの魔薬は経絡系に直接作用し組織を変質させる強力なドーピング効果があり、一時的にせよ莫大な力を得られる。その効能と類を見ない快楽物質故に裏では莫大な金額と取引されている代物。一介の術師が簡単に手に入れられるものではない。


「いずれにしても紫涅和泉には詳しい聴取が必要だな」


 既に捜索の手は打っている。

 あと一日もすれば居場所を割り出せると思われるので、そうなれば彼女を追う翡翠も姿を現すはずだ。


「和泉を見付けて、その後どうするつもりだ?」


 涼の結論を受けて、誠明が鋭い視線で問いかけてくる。纏う雰囲気は張り詰め固く握られた拳は爪が喰い込んでいる。それは涼が口にするであろう答えに耐えるよう。

 しかしてそれは無情にも告げられる。


「事情聴取は勿論だが、もし魔薬で手遅れになっているようなら──処刑も止む得まい」


 ギリリと音を立てて誠明は歯を食い縛る。抑圧した怒りで震える拳からは血が滲み、漏れ出た霊気が陽炎となって立ち昇る。


 幸白誠明と紫涅和泉は同期。

 共に十五歳からアストレアで任務に従事し、それ以前も幼い頃から修業時代を共にした気心の知れた仲だ。兄妹同然に育ち監視官に抜擢された日は秘かに喜びを分かち合った。精一杯勤めを果たし、東京へ二人で帰ろうと誓いを立ててこの地へやってきた。

 監視対象はどちらも名の知れた家系の魔術師。もし一年の任期を終えてどちらか一方が欠けていても恨みっこなし。誓いに立てずとも誠明たちはそう互いの覚悟を受け止め合っていた。


 だがそれは監視任務に従事してのこと。

 派閥は違えど同じ監視官に殺させる末路など望んではいない。

 ましてや今の紫涅はただの彼女ではないのだ。


「あいつの……和泉の腹には子供がいるんだぞ。それでも殺すのか」


 断腸の思いで慈悲を訴える誠明の願いは、彼の規律違反の告白でもあった。

 照からの情報提供で紫涅の妊娠期間は三か月目と判明している。個人差もあるがこの時期はお腹の膨らみというのは外見で判別するには厳しい。照の様に逆監視をしていれば話は別だが、仲間内でそれを行う理由は無い。

 本人の口からきいていない限りは、誠明は妊娠を知らない筈である。


「子供って、まさか……」


 事情を知らない雀は驚愕を露わにし、対照的に涼の表情は冷ややかであった。


「ああ、やはり紫涅を匿っているのは君か」


 口を噤む誠明の沈黙は涼の憶測を裏付ける。

 フランチェスカからの幸白誠明及び紫涅和泉両名の監視指令以前から、涼は自分が五輪の地を空ける際には必ず監視用の式神を両者に放っていた。術者が涼という点だけ悟らせないよう、外部から取り寄せた式神をわざと目に付きやすいように放っていた。彼等に監視の眼を意識させるように。


 東京へ呼び出された際に放った式神は不正侵入(クラッキング)され嘘の情報を流し続けていたが、細工時に採取した霊気は分析によって誠明のものと既に判明している。

 任務か、あるいは私的な理由での行動かは不明であるが、嫌疑をかけるには理由は十分。


 ──そして明確な規律違反が判明した場合に限り、涼は彼らを罰する権限を与えられている。方法は問わず、生死もまた同じく問わず。


「赤ん坊がいることは承知している。だからといって規律違反を見逃す理由には成り得ない。いやそもそも君からみて彼女は今正常か? 報告書によればあの魔薬は強い依存性があって薬効が切れると自傷行為を繰り返すらしいが……覚えは?」

「……っ」

「服用による外見的特徴の中にはメラニン色素の過剰生成による痣が多く見られるらしい。主に手足の末端、首筋から顔。酷い場合は一部が壊死したという報告もある」

「……れ」


 つらつらと涼が魔薬の中毒症状、副作用を列挙していく。およそ普遍的な家庭に生れればまず手にしようとすら考えないであろう、劇薬の真の姿を暴き、突き付ける。


「味覚異常が生じ始めると普通の食事はあまり受け付けずにプラスチックなどの無機物に手を出すようになる。俺が資料でみた服用者は車のタイヤに齧り付いていた。餓鬼のようにガリガリに痩せて眼球がせり出していたそいつは言語など忘れたように……」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ。アイツは望んで……」


 魔薬を服用した人間の末路の羅列を薙ぎ払うように、叫び散らした誠明の手が腰の銃へ伸びる。

 しかしそれより早く、


「──動くな」


 涼の一喝が飛んだ瞬間、抜銃姿勢にあった誠明が石像の様に硬直した。指先はおろか眼球運動から呼吸まで停止している。


「言霊、か。強いってより巧い感じね」

「そうね。よほど人体への造詣が深くない限り言霊で呼吸まで止めるのは無理」


 静観を決めていた雀の感嘆に同調するようにして、霊力の迸りで本から顔を上げた照の捕捉が加わる。

 雀の看破通り涼の放った術式は言霊と呼ばれる呪文の一種。正確には術式ではなく、言葉に霊力を乗せただけの発声であるが、緻密に練り込んだ霊力を打ち込むことで相手に干渉する呪術となる。


 アストレアでは尋問などで自白を強要させる手段、戦闘ではよほどの熟練者でも補助技に用いるのがせいぜいだ。視線誘導、自己暗示、痛覚遮断がその主な代表例と言えよう。

 言霊を呼吸まで静止させる術まで押し上げたのは、ひとえに涼の技術が成せる技──というわけではない。


 照の補足は半分正解。人体への造詣が深い涼であれば肺以外の臓器への言霊での干渉は可能だろう。しかしながら完全停止までの威力は持ち合わせていない。


 ただし特定の相手を想定した調整を加え、研ぎ澄ませることができたのであれば話は別だ。

 ましてや涼は誠明と敵対する保守派の人間。監視任務の成果に難癖をつけられ、雀と照から無用な圧力まで受ける身。

 表にこそ出さないが半年近い憤懣と鬱憤は十分な敵意へ研ぎ澄まされている。


 敵対派閥の誠明と紫涅をいつでも排除できるよう入念な準備と観察をしてきた涼に、いまさら温情や手心を与える理由はない。


「なあ幸白監視官。ここにいる四人の中で恐らく君が一番強いだろうな。不動明王の化身と称された君の倶利伽羅剣の威力は国内でも指折りだ」


 雀と照の微かな憤りを感じながら涼は彫像となる誠明へ近づいていく。途中テーブルの花瓶を手に取ると、怒声で大口を開いたままの誠明の口へ花たちを生けかえていく。


「実力も能力も十分。才能だって誰もが認めるものを持っている。歴史は浅いが血筋だって申し分ない、名実ともにエリートだろうさ」


 花を一本、また一本。茎を喉奥へ押し込むように深く。


(動けないっ……ただの言霊じゃないのか!?)


 誠明が動きと呼吸を封じられて既に数十秒。血中二酸化炭素濃度と血圧、心拍の上昇は苦痛となって彼の身体を蝕む。彼ほどの霊能力者であれば言霊に支配されても跳ね除けることなど訳はない。言霊は心を強く保てば一般人でさえ敗れる強度の弱い技でもあるのだ。


 だが破れない。

 刻一刻と苦痛を増していく肉体はどういうわけか急激に霊力が失われつつある。練っても練っても消失し言霊を一向に跳ね返せない。まるで体内に侵入した寄生虫が全てを貪り尽さんとしているようだ。


「なのに何故こうなっているか、理解できるか?」


 花瓶の花を移し替える涼は最後の一本を手に、茎の切り口を誠明の眉間に突き立てる。


「仲間を助けたい、同僚を守りたい。その心意気多いに結構だが、そのために君が取った選択は全て悪手だ」


 涼が持つ花は流し込まれた呪詛によって内側から変貌を遂げ始める。羽化を遂げ現れたのは血の様に赤い一輪の彼岸花。いや涼の手に持つ一輪だけでなく、誠明の生けられた花達も同様の現象が起き始めている。


「さっき俺に慈悲でも訴えたつもりだろうが、君達の任務を滞りなく遂行しようとするなら、それは一番邪魔で不要で余分な思考だ」

「……! ……っ!!」


 眉間から、口腔から根を下ろし始める彼岸花。

 窒息は意識消失の第三期へ移りつつある誠明は形振り構わず知識にある限りの解呪術式を組み立てに掛かるが、練ったそばから霊力が消失していく。

 その原因はもう明らかだ。


 彼岸花だ。花達が誠明の霊力を貪り喰らい、全て自身の栄養分にしてしまっている。


「思い返してみるといい。八坂慎一郎の救命要請、紫涅和泉の隠匿、そして七榊翡翠への接触。全て内々で処理できるものを、敵対派閥の俺だけでなく神崎と雨取まで呼び込んでしまった。アストレアは水面下で抗争中だ。協会派末端の君であろうと派閥の弱みとなる汚点は即刻注いで然るべきだろうに、君の手はいまだ真っ白だ」


 抹殺すれば全て穏便に済んだろうに──覚悟の甘さを糾弾する涼の声は既に遠く、誠明の意識が急速に遠のいていく。引き摺られていく意識の手綱を保持する事が出来ず、身体が凍り付いた様に寒い。

 二体の人獣を呪詛ごと封殺した花達はその能力を無慈悲に振るう。


「ああ、そういえば、まだ治療代の請求がまだだったな」

「……!」


 花達の力をほんの少しだけ緩ませ、強引に繋ぎ止めた誠明の意識へ垂らし込むように涼の命令が投げられる。


「紫涅和泉をこちらに引き渡せ。君がやらないのなら、俺がやる」

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