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二章・十節 倶利伽羅剣

【前節のあらすじ】

極秘任務で五輪市に潜入していた八坂慎一郎攻城官とその仲間達。

行方不明になっていた大家の少女一人を連れ帰る簡単な任務だった筈が、少女に同行していた青年の思わぬ反抗で事態は悪化。分隊規模の仲間たちは少女の手によって全滅し、辛くも逃げ延びた八坂だったが・・・

「はあ、はあ……ちく、しょう……!」


 狭い路地裏を逃げ回るのは、アストレア所属の八坂慎一郎攻城官。

 背中に突き刺さるプレッシャーを振り払おうと懸命に脚を動かすが、意思とは反してその動きは鈍重そのもの。

 行方不明となっていた大家の娘の保護に失敗し、戦闘とも呼べない一方的蹂躙から一人逃げおおせた八坂だったが、狩りは終わっていなかった。


 手負いの身で更には孤立無援の状況。満足な治療も出来ない。肘から先を失った左腕部の止血に手間取ったことが仇となり、血痕を辿られ一晩を待たずして狩りは再開された。

 任務内容を鵜呑みにして装備を十分に整えなかった事も祟った。手持ち以外に予備の武器も呪具も用意はなく、失敗した際の逃走経路も未確保だ。左腕の傷口は破いた袖で雑に止血し気休め程度の治癒符を張り付けたのみ。


 紫涅との連絡は途絶えたまま。

 秘密裏に動いていた以上、救援は望めない。

 もはや悪態をつく気力も尽きかけ、手足の末端は凍てついた様に寒い。

 それでも一縷の望みを掛けてよろめく脚を懸命に動かすも、ヒュンという風切り音が聞こえたと思えば、脇腹に灼熱が生れていた。


「がああああっ……!!?」


 手探りで脇に刺さったものを乱暴に引き抜くと、それは手の中であっけなく潰れた。

 霊能力者の八坂には見慣れた呪具、金行符だ。


 五行思想を基礎に構築される多くの呪術において、根幹となる火、水、土、金、土の五大元素のうち、金気は最も強度と密度に秀でた霊気だ。武器や防具といった物の強度を一時的に強化することや、簡単な小道具を精製する事に用いられることが多い。


 反面、精密なコントロールは難しいといった特徴もある。

 少なくとも紙切れを刃物並みの強度に押し上げるなど、八坂には一生かかっても不可能だと断じる自信がある。

 紙の強度を上げるだけなら霊能力者なら誰でも可能だ。だがそれは表面をコーティングする程度が精々であり、紙自体に浸透し結合しているわけではない。手元から離れればメッキは容易く剥がれ、強化とは間違っても言えない有様になるだろう。


 だが八坂を貫いた金行符はどうだ。恐らくは繊維の一本一本まで金気が行き渡り霊的確度を押し上げている。直ぐに霊気が散ったのは、必要最低限のみの霊力を注いでいた為だろう。


「ぎゃっ、があ、ああああ……!!」


 追い打ちをかけるように更に金行符が八坂の手足を貫き、金気で関節を固定されてしまった。完全に身動きを封じられた。

 格が違う。

 部隊を全滅させたあの影ばかりを警戒していたが、なんてことはない。基本呪具数枚程度で簡単に圧倒されている。

 否応なく突き付けられた実力差に打ち拉がれる暇さえなく、死がにじり寄る。


「紫涅さんは何処ですか?」


 少女の声。

 だがどういった事だ。

 声自体は直ぐ傍で聞こえるが、気配は愚か姿すら見えない。

 直接頭に語り掛けるテレパスの類ではない。まるで声だけが独立してそこにあるよう奇妙な現象。


「何処にいますか? 早く答えて下さい。じゃないと私、困ります」


 手足に刺さった金行符が白鉛色の光を放ち再駆動する。符から吐き出された無数の鉄線が八坂の手足を万力の様に締め上げ、肉に喰い込んだ鉄線が滲む血を啜る。

 激痛だ。組み上げ掛けた相剋の火の呪術への集中が途切れ、逆流した霊力で経絡系が焼かれてしまった。

 何処にいますか、と三度投げ掛けられる問。


「知らない! 本当に知らないんだ。俺達はこっちに来てからアイツと接触すらしていない」


 もはや任務も仲間の死も忘れ、保身だけを考えていた。


「俺達はただアンタを連れ帰る事だけを命令されて此処に来た。それだけで、アンタの連れを殺す予定なんて全く無かった」


 命だけはと許しを請う。


「お、俺はあんた等に何もしちゃいないだろ。何も危害を加えてねえ。だから頼む、見逃してくれ後生だ! 協力が必要なら俺に出来ることだったら何でもする」


 血反吐を撒き散らしながら八坂は必死に頭を地面に擦り付ける。

 脳裏に浮かぶのは、少女の連れだった青年。


 不運。

 言ってしまえばあの青年が死んだのは運が無かっただけ。

 それは殺された仲間も今の八坂とて同様だろう。

 たまたま命じられた任務で短気な馬鹿二人に巻き込まれた悲運が崇り、こうして死にかけている。


 死にたくない。ただその一身で慈悲を懇願する。こんな薄汚い場所で訳も分からず殺されるのは嫌だ。ここから生きて帰れば、この仕事からは脚を洗って家業を継ごう。そんな幸せすら夢見た。


「それは御爺様が私を見逃す理由には成り得ません」


 ふと、身体が軽くなった。

 拘束が解けたのかとこの時一瞬去来した安堵は、絶望への種火だった。

 ただ身体が崩壊していったなら、必然的に身体も小さく軽くなっていく。それだけだ。


「あああああああああああああああああああああああああっ!!」


 影だ。今まさに仲間を蹂躙していった影が八坂を飲み砕かんとしていた。

 身体をのたうたせて逃げようともがくが、その程度死期を数秒伸ばすことすら叶わない。


「オン・マリシエイ・ソワカ! オン・マリシエイ・ソワカ! オン・マリシエイ・ソワカ!」


 服に仕込んでいた護符は残らず炭化し、碌に霊力も込められない悪鬼払いの摩利支天の結界も薄氷程度の効力さえ見られない。


「貴方では困ります。私の存在を隠蔽する共犯者は紫涅さんじゃないと困ります。彼女は私と同じでイケない人ですから。彼女はいまも彼を感じているでしょうから。だから共謀するなら紫涅さんじゃないと困ります。それに―――貴方たちが来なければそれで私は幸せでした」


 影の勢いが増す。

 仲間たちを喰った時より数倍の質量に膨れ上がった影は、周囲一帯ごと八坂を喰らうつもりだ。影の中で仲間(もうじゃ)たちが新たな犠牲者を求よめる姿を見たのは、果たして錯覚だろうか。


 八坂が影に消える、その間際。

 足掻いて良かったと、自分の意地汚さをほんの少し褒めたい気分になった。


 彼の視線の先は影を通り越して、その向こう。

 建物に切り取られた夜天に一人の夜叉が身を躍らせる。

 剣を手にした長髪の鬼面を被る男はビルの壁面に着地すると、垂直(・・)に駆け降り始める。

 術式の類は一切ない。純粋な身体技能のみで自由落下に任せるより尚早く壁を蹴り、壁面を走り降っているのだ。


 鬼面の男に気付いた少女が動き出す気配がするも、遅い。

 飛来する符術での迎撃を鬼面の男は腰を落とすだけで回避してのけ、地上まで数メートルを残して再び空中へ飛ぶ。

 居合に構える夜叉から迸る霊力が剣へ収斂されると、切られた鯉口から僅かに金色の炎が漏れ出る。


「倶利伽羅剣っ、こんなところで!?」


 焦燥に駆られた少女の声。

 巻き添えに合う程度には存外近くにいるのだろうが、場所が把握出来ないのであれば問答無用。周囲一帯ごと薙ぎ払うまで。


 闇夜を断ち切る、一閃。

 顕現せしは不動明王が背負いし迦楼羅炎(かるらえん)。竜すら滅ぼす聖鳥の加護を受けたこの炎によって、夜叉は路地裏一帯を文字通り焼き祓った(・・・・・)


 劫火に呑まれた路地裏は破滅的な火気が吹き荒れ、少女の隠形術は愚か影まで焼き払い、あらゆる術力が燃え尽くされる。

 ガラス窓が飴細工のように溶け堕ち、赤熱するコンクリートが白煙を立ち上げる。

 その威力は凄まじくここ一帯の五輪の結界が軋んだほどだ。


「ちっ、兎歩で逃げたか。霊脈の上にいたのは偶然じゃなかったかようだな」


 火炎が収まり、火花と白煙が立つ路地裏に降り立った夜叉の第一声は苛立ちに満ちたそんな悪態だった。

 乱暴な手つきで鬼面を剥ぐと、現れたのは年若い少年だった。

 線が細く整った顔立ちは笑えば女性受けがいいだろうに、眉間に深く刻まれた皺と劉備を逆立てる眼つきが全てを台無しにしている。ポケットから取り出したメタルフレームの眼鏡を掛けると神経質な印象が加わり尚一層近寄りがたい。


「幸白か。すまない、助かっ………」

「何故貴方が此処にいるかご説明願えますか、八坂攻城官」


 八坂の言葉を遮り、たった今助けた同胞を斬り殺しかねない剣幕の夜叉──幸白誠明監視官の硬質な声音。

 迦楼羅炎は八坂を侵食する影のみを焼き払っただけであり、傷ついた身体は何一つ癒えていない。早急に治療をせねば命を落とすことは確実だ。


 だが誠明は問いただせずにはいられない。その義務がある。

 同僚(しのくろ)との定期連絡が途絶えたと思えば、知らぬ間にこの街へ入っていた仲間は一人を残し全滅。間に合いはしたが、あと少し遅ければ八坂は殺されていただろう。

 挙句の果てに犯人を追うことは出来ず、手の内をタダで曝したに等しい。


「全部話す。全部話すから……」


 息も絶え絶えにそう約束する八坂に舌打ちを返し、誠明は乱雑な手付きで独自に調合した霊薬を八坂へ振り撒き、運搬用の簡易式神を呼び出す。

 人払いの結界を張り直すと、忸怩たる思いで電話帳の末端に登録されている番号をコールする。身体そのものが崩壊しかけた傷を治療できる人物など、誠明は一人しか知らない。


 深夜にも関わらず、呼び出し人は直ぐに電話に出た。

 やり取り自体は短かく、電話を切ると直ぐにリスの式神が何処からともなく現れ、八坂の体組織を入手すると何処かに去っていった。


「言っておきますが、もう貴方たちの存在はこの土地の管理者にバレている。どのような任務にせよ、アイツの許可なしにはもう動けない。実質的な失敗と考えて下さい」


 車に乗り込み此処からでも見える丘の屋敷に向かう道すがら誠明はミラー越しに警告するも、既に八坂は気を失っていた。


 一層眉間の皺が深くなり、舌打ちが車内に響く。

 これではまともに事情説明をすることなど期待出来そうにない。

 そうなれば必然的に協会派の人間で動ける者は誠明だけになり、任務は彼に移譲されるだろう。

 アストレアと神崎家の板挟みだ。


 全く嫌になる。

 どうか的外れな予見であってくれという願いは通じず。指令が誠明に届いたのは八坂が一命をとりとめた明朝時。

 支援は得られず、事前準備は皆無、おまけに敵対派閥の監視官が陣取る街で全て独力で成すことが求められる状況。


「現場を知らん無能どもめ」


 呪いの一つも吐かずにはいられないというものだ。

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