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二章・九節 死に様に尊厳はなく

【前節のあらすじ】

紫涅和泉監視官の寮部屋の捜査に着手した涼と警察。

荒らされた部屋は外部との通信手段が徹底的に破壊され、結界や迎撃トラップは全て解除されていた。

侵入者の存在は確実な一方、手掛りが殆どない状況に困惑する一行だったが、涼は何者かに見られている事に気付く。何者かへあと一歩の所まで肉薄した涼だったが、取り逃がしてしまう。

しかし微かに残った霊気は何処か覚えがあった。

 新月が五輪の街並みに一層色濃く闇を落とす中、八坂慎一郎は役立たずの左腕から血の尾を引きながら己が運命を嘆いた。


「くそ、くそッ、くそ! 何が簡単な任務だ、とんでもねえ貧乏くじじゃねえか」


 今にも失血で気を失いかねない容体でありながら、行き場を失った憤懣が八坂の気を繋ぎ止めていた。

 繁華街の路地裏はごみ箱やビールケースが雑多に積まれ、それらに何度も足を取られながらも直走る。その度に止血もしていない左腕が跳ねまわり耐え難い激痛が走る。もう指先一本動かせない癖に、痛覚だけは鋭さが増す一方だ。


 だが構っていられない。とにかく逃げなければ。

 何度も振り向いては追手の姿を探すが、知覚できるのは漠然とした気配だけ。霊気を探っても当たりを付けることさえ出来ない。

 その上八坂が少しでも人気の多い道を選ぼうとすると明確な殺意を持った攻撃が飛んでくる。結果として一人孤立した八坂は建造物の谷間へ深く誘導されつつあった。


「ちっくしょう」


 何度目とも知れない悪態を吐く。

 武器は失った。術式は展開するだけの霊力を練る余力もない。身体は凍えそうだ。仲間は彼一人を残し殆どやられた。


 簡単な任務なはずだった。

 アストレアの協会派に属する八坂は先日数人の仲間と共にこの地へ訪れた。

 任務はとある少女を連れ帰る事。ただそれだけだった。


 協会派の後ろ盾の一つとなっているある大家では一年前に当主の孫娘の一人が行方不明になっていた。

 別任務でこの地に滞在していた監視官の報告で、その少女の所在が明らかになったことを機に協会派へ大家から依頼が舞い込んだ。

 即ち少女の保護である。


 それがつい数日前。

 小娘一人を連れ帰るには些か過剰なまでの人数の派遣に八坂達は疑問を覚えつつも、紫涅監視官の手引きの元、滞りなく少女と接触を果たした。

 場所は駅前の地下駐車場。人目を避けて深夜を指定し、仲間が人払いの結界まで張った念の入りようだった。


 しかし順当に事が運んだのはそこまで。

 予定時刻に現れた少女は紫涅ではなく、見知らぬ青年と共に地下駐車場を訪れた。

 部外者の青年は二十代半ばといったあたりか。仕立ての良いスリーピースを着こなし、理知的な面立ちに反してその眼は澱み、人の意志を感じさせない。精巧な泥人形でも見ている気分だった。

 素性を訪ねても当たり障りのない言葉と笑顔で流されるばかり。


 本来少女に随伴しているはずの紫涅監視官の姿はなく、仲間が連絡を試みても一向に繋がらない。

 イレギュラーに僅かな動揺を見せた八坂達だったが、彼等とてプロだ。

 余計な事に時間を割く余裕もないことから、警戒だけは怠らず青年の対応は後回しにし八坂達は本題に入った。


『御当主殿の依頼を受け、貴女をお迎えに上がりました』


 仲間内の誰かがそう少女に伝えると、表情を強張らせた少女は視線を何度か青年と八坂達の間を往復させると、やや躊躇う素振りを見せたもののキッパリと口にした。


 ──あの家には二度と戻りません。


 存外に強い口調だった。

 八坂が少女から得た印象は良くも悪くも良家の娘。美しくはあるが、表社会から廃された全てが混在する術師の世界では搾取されるのみの弱者そのもの。あの大家の血筋なら才覚は八坂達の誰もが劣るだろうが、少女には術師としての気質が決定的に欠けているように見えた。


 だからこそ、八坂達は侮った。失敗したのだろう。自分たちが捕食する側だと錯覚した。

 少女の拒絶は八坂達の予想の範疇だった。

 待機させていた結界が仲間の柏手で一斉に励起し、駐車場を外界と隔離。非常用の防火シャッターがそれに連動し出口を塞ぎ、全ての扉からロック音が鳴る。


 突然の事態に慌てる少女を八坂達は素早く囲む。

 彼らの手には拳銃が握られ、中には散弾銃(ショットガン)を構える者もいる。


「すみませんが。拘束させて頂く」


 事務的に通告に温情は一切が廃されていた。

 銃口は少女と同伴の青年。

 依頼は少女の保護。


 ──ただし生死は問わず。


 大家からの依頼は正確には少女ではなく、彼女が持つ肉体情報(DNA)を対象としたもの。そこにどのような理由があるかは八坂達が知るところではない。

 銃を向けられた少女はその限りではないらしく、大家の思惑に理解があるのか唇を噛み締め身を震わせた。


『……やはり御爺様は私達を御父様のスペアとしか見ていない』


 小さく吐かれた独白は八坂達には届かなかった。

 構わず仲間が投降の最後通牒を告げると、事態が急変した。


『逃げるんだ!』


 それまで沈黙を貫いていた青年が少女を石柱の影に突き飛ばすと、隠し持っていたナイフで仲間へ襲い掛かった。

 身のこなしこそ素人そのものであったが、躊躇なく突き出されたナイフは深々と仲間の一人の脇腹を貫いた。

 銃を突きつけられたこの状況でまさか青年が大胆な行動に出るとは、誰もが思っていなかった故の油断。


 八坂達は知る由もないが、この青年は名の知れた麻薬の売人。売るだけでなく自身にも薬を盛っていたのだろう。理性など壊れてしまえば、人を指す程度わけもない。

 刺された仲間は不思議そうに真赤に染まる脇腹を見下ろすと、痛みに呻く間もなく青年に殴り倒される。


 青年は刺した仲間の銃を奪うと狙いもそこそこに引き金を引きまくった。

 素人の射撃などそうそう当たるものではないが、技術が伴っていないということは偶発性を多様に孕んでいるという事。

 結果的に運悪く二人が被弾し、一人は腎臓を撃ち抜かれた。

 だが青年の奮闘もそこまで。


「そこまでだッ」


 仲間が投擲した木行符から伸びる蔓が青年の腕を銃ごと絡めとると、背後に回った仲間が組み伏せた。

 手首を捻り上げればナイフは簡単に奪い取られ、青年が幾ら暴れようとも仲間が的確に抑え込んでいく。

 後は手錠なり符術で拘束すればそれで青年への対処は十分だった。

 しかし誰もが理性を駆使して適切な状況判断が下せるわけではない。


『貴様ッ!』


 仲間を刺され、撃たれたことで激昂した一人が組み伏せられた青年の頭部を蹴り抜いた。

 鈍い音がして血の飛沫が地面を汚す。

 そのまま青年は糸が切れた様に微動だにしなくなった。


 彼に襲われた者も運が悪ければ、青年もまた悲運であった。

 青年を拘束していた男がドクドクと頭部から血を流す青年の脈を取ると、蹴り抜いた男に怒鳴り散らす。


『……っ! 馬鹿野郎死んじまったぞ』


 人間というのは時に信じられない生命力を発揮する一方で、同じくして脆く弱くもある。

 当たり所が悪かったのだろう。

 脈動は止まり、瞳孔反射は確認できず。心肺蘇生を試みるも二度と青年の喉が震えることはなく、粘ついた金臭さが閉鎖空間を埋めていく。


 予定外だ。

 いくら麻薬の売人とはいえ、一般人に死者を出す事などあってはならない。

 アストレアは時としてその手を血で汚す事も決して珍しくはないが、それは命を奪う業を飲み下した上での最終手段。此度の任務でも少女は可能な限り生きて連行することは八坂達には暗黙の了解であった。


 青年の死を呼び水に事態は後戻りを許さない所に来てしまった。


『――――――………嘘』


 ポツリと零れ落ちる少女の声。

 その視線は青年に貼り付けになり、覚束ない足取りで近づいていく。

 制止の声も、向けられる銃口にも構うことなく。

 ベチャリと血溜まりに力なく膝を落とした少女。

 顔色は血の気が失せ、蒼白を通り越して人間味さえ薄れていくようだ。


 八坂達に構う様子もなく青年の亡骸を細い腕で抱き上げようとするも、非力な彼女ではそれすら難しい。

 支える事が出来す亡骸と倒れた少女は、そこで初めて青年を直視した。

 頭部の打撲傷を除けば生前と何ら変わりない姿であるが、死に彩られた亡骸は容赦なく現実を少女に突き刺した。


 小さな嗚咽が漏れ始める。

 沈鬱な顔を浮かべる八坂達の中で、一人だけ少女の腕を掴み上げ無理矢理立たせる男がいた。


『早く撤収するぞ。後始末は現地の人間の仕事だ』


 急かすような口調で『早くしろ!』という男の声に、八坂達は遅ればせながら動き始める。

 男の言う通り、今は撤収が最優先。

 隠蔽工作に抜かりはないが、此処は神崎家が管理する霊地。特にいまは神崎家との関係に軋轢が生まれている状況だ。直接の目的が霊地でなくとも、他家の所有する土地に八坂達は土足で入り込んでいるのだ。決して褒められる行為ではない。


 結界を展開し続ければいずれ感知され、面倒な事になりかねない。

 人死が出てしまったいま、行動は早い方がいい。

 八坂は撤収用の車を回すため、他二人と共に少女達から離れようとしている時だった。


『おい、お前は一応拘束させて貰うぞ。そいつは後で回収していてやるから大人しく……』


 青年を指差す男の声が不自然に途切れる。

 べしゃり、という泥を投げつけたような音に八坂は歩きながら振り返ると、信じられないものを眼にした。


 少女を拘束しようとしていた男が倒れ、その身体が溶けている(・・・・・)

 何らかの術式によるものか。

 男の身体は溶解というより、生物としての型を失ってしまったかのように、外からだけでなく内側から崩れていた。原型がなくなる頃になると、男だった者は青白い霊気となって少女へ取り込まれていった。


 ありえない。

 誰が発したのか、そんな言葉が聞こえた。

 古今東西、魔術・呪術問わず人間を霊気として取り込むことなど不可能だ。大前提として人間に限らず生物というのはこの世で最も強固な霊気であり、言い換えればいまだ神秘に包まれた秘奥の存在。


 即ち魂だ。

 未だそこへ至るメゾッドは確立されておらず、各地で行われた研究が凄惨を極めたことから二十世紀には禁忌ともされた秘奥中の秘奥。

 それが何故、十六、七の小娘が手にしている。


 誰もが困惑を隠せない中、犠牲者はまた一人積み上がる。

 先程青年を蹴り殺した仲間だ。

 悲鳴一つ上げることなく僅かな痙攣を見せた次の瞬間には、先程の男と同じ末路を辿った。

 術式を展開した様子はない。それどころか指一本動かしていない。ただ微かに霊気の揺らぎを感じ取っただけ。


『殺せッ』


 号令が飛ぶ。

 常識外れの力を前に呆然自失となっていた八坂達は、その一言で意識がガチリと切り替わる。

 銃を構える者、式神を呼び出す者、結界に仕込んだ悪霊を呼び出す者。

 それぞれが仲間を殺された憤慨を最も得意な戦闘で少女に叩き込もうと、フル回転させた経絡系から術式へ霊力を流し込む。


 捕縛の選択肢は憤怒の炎で燃え尽きた。

 万感の怒りを持って少女の命を蹂躙する。


 しかして、八坂達の戦意は一瞬で砕け散った。

 少女には攻撃の一切が意味を成さなかった。

 ただただ、手近な仲間が碌な抵抗すら出来ずに溶けていく。


 攻撃は全て無意味。

 弾丸も呪術も、少女の髪先にすら触れる事すら叶わず霊気となって霧散する。

 殺された者たちは何が起きたのかすら理解出来なかっただろう。

 それを眼にしたのは、偶然にも距離を取っていた八坂と二人の仲間のみ。


 恐らくは──影。

 無数の帯状に枝分かれした少女の影が実態を伴って仲間を襲い、何らかの術式で霊基融解を引き起こしているのだろう。


 だがそれが分かったとして何だというのだ。

 八坂にあれを防ぐ手段など持ち合わせていない。解があったとしても実行できる力量があるかも疑わしい。


 いいや。現状はそれ以前の問題か。

 圧倒的な力量差を前にして、八坂の戦意は既に折られている。

 荼毘に伏すことすら許されない仲間の蹂躙を前にして、恐怖で脚が竦み、歯がガチガチと音を立てる。本能が逃走の警鐘をがなり立てるも、身体は石造の様に固まっている。


『……いの』


 僅かに届く少女の声。

 譫言の様に何かを呟く少女の周囲から、気付けば仲間は消失していた。

 生き残りは八坂を含めた三人のみ。

 分隊規模の人数は雲霞の如き壊滅を呈していた。


『彼がいないと、私は私でいられる場所がないの。私はあの人の様に捨てられたくないの』


 また一人、仲間が溶けた。

 八坂の隣にいた女だ。

 連発したことで威力が弱まっているのか即死せず、こちらに手を伸ばす崩れゆく彼女と眼が合った。


「助け……」


 恐怖で雁字搦めになっていた脚が、女の助けを求める声にびくりと怯える。

 堪らず、八坂は逃げた。

 それまでどうあっても動かなかった身体は逃走一つの為に全力で駆動を始めた。

 もう一人の仲間は動き始めが遅かった。

 十歩と進まぬうちに影に捉えられ、他の者と同じ末路を辿る。


『紫涅さんですよね。彼女何処にいます?』


 答える暇などない。

 階段への扉へ直走る八坂をしかし影は逃がさない。

 逃げる八坂の左手の指先に絡んだ影は凄まじい痛みを伴って侵食していく。

 影は瞬く間に腕部を駆けのぼり、左腕はまるで水を吸った土くれの様にボロボロと崩れていく。


「あああああああ!!? ぐっ、うう」


 唇を噛んだ八坂は父の形見である短刀を抜きざまに、融解が進む肘から先を切り落とした。

 切断された肘先は直ぐに泡沫と消えたが、八坂自身は融解を免れた。


 無我夢中で走った。

 少女は追って来ない。

 ほんの一時だけ八坂に安堵を覚えたが、直ぐに勘違いだと知る事になる。


 ただ悪戯に恐怖を先延ばしにしただけに過ぎず。

 仲間達と訳も分からず死んでいた方が、ずっと慈悲深い最後だっただろう。

 安寧を脅かす害虫に安息の地はなく。

 少女の影は一晩と経たずに獲物を捕らえていた。


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