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二章・五節 養父・宵波直嗣

【前節のあらすじ】

任務の引継ぎの為東京へ一時帰省した涼。

先輩である氷杜由良監視官から御小言を頂戴し、ちょっとしたハプニングで二人は赤いリボンで絡まり、崩れ伏せる(文字通り)。

人気のない路地裏、師弟の若い男女が息使いすら感じられる距離で重なれば、スキャンダルに飢えた目撃者の舌は機関銃の如き速度で回る。

 夕方。

 由良との一件での誤解を何とか解いた涼は、予定通り引継ぎに伴う資料整理を終えてから、直属の上司こと養父・宵波直嗣と共にエレベータを待っていた。


「いやいやしかし、さっきはビックリしたね。由良ちゃんとは家族同然の付き合いだったけど、まさか僕たち以上に涼ちゃんに踏み込んでたなんて」

「だからそういう事じゃないって。あといい加減ちゃん付けはやめてくれよ義父さん」

「だって家族にだって触れさせないのに由良ちゃんには……あれ、そういえば神崎と雨取の娘さん方を匿ってるんだよね。ハッ……イケません! 君達はもう結婚も子供も設けられる年齢なんだよ。そういうのは、まず義父さん達に挨拶してからだよ」

「仕事とプライベートは分けてる! あくまで我々の不祥事が招いた生活環境への償いとして部屋を提供しているだけだ」

「いや~、それなら部屋にいる間は監視関係なく純度100%プライベート空間なわけだよね? ほらよく言うじゃない、ハムスターだって番をあてがえば自然とゴファッ……!!」


 言葉は最後まで続かず。

 養父へ放たれたボディーブローはエレベーターホールに鈍い打撃音を響かせ、次いでスキャンダルに狂喜乱舞していた男の汚い呻き声が漏れる。

 白目を剥いて死にかけの魚の如くピチピチと悶える養父を置いて、ぷりぷりと怒りながら涼は一人到着したエレベータに乗り込む。


 義理の親子なだけあって彼等は容姿も性格もまるで違う。

 比較的華奢な身体つきの涼に対して、直嗣は肩幅の広いがっしりとした骨格だ。人懐っこい容姿に似つかわしくない大柄な身体は鎧の様に鍛え抜かれており、以前50口径の大型マグナム拳銃を豆鉄砲でも扱うように撃ちまくり涼達の度肝を抜いていた。


 人好きのする性格であり養子の涼もそうであるがアストレアの人間は皆家族同然に接する。先程の通り出歯亀精神旺盛であるが故に手酷い仕打ちを受ける事も暫しあるが、直ぐに調子を取り戻して気が付けば輪に加わっているのが常だ。


 老若男女問わずその性格を煙たがられるものの、不思議と誰も彼の事を嫌っていないのは彼の人徳であり、積み上げてきた実績が周りを惹き付けるのだろう。

 名実ともに直嗣はアストレアでも屈指の実力者だ。その証拠に――


「酷いよ涼ちゃん。遅めの反抗期にしてはちょっと過激すぎやしないかい」


 到着階で待ち構えていた直嗣はこの通り。涼のボディーブローは毛ほども効いていない。大根芝居に一々リアクションをくれてやるつもりはないが。

 というより、どうやったらエレベータに乗った涼に先んじて回り込んでいるのか。まるで意味が分からん。


「ぶっちゃけさっきのはセクハラなわけで、悪いのは大体義父さんだ。伊予(いよ)も本格的に思春期を迎える頃だし、そういうの良くない」

「うっ……い、いや、確かにそうだけど我が子ながら伊予ちゃんは本当に良くできた子だよ。陸奥じゃあるまいし、一時の感情に身を任せて家族の絆に罅を入れるようなことはしないさ!」

「あれは陸奥のガールフレンドを落とした義父さんが悪い」

「違うよ!? アルバイト先を探していたから色々面倒見ただけだよ……ホントだよ!? なんか言ってよ涼ちゃん」


 あたふたと弁明を繰り返す直嗣に胡散臭い顔を浮かべる涼。

 困ったことに直嗣は女性に対して愛情と誠実の区別がついていない。妻子持ちにも関わらず、誰に対しても。

 長男長女は既にこの悪癖矯正を諦め、彼の妻に至っては寛容な事にこれを承知で婚姻を交わしているのだ。ある日突然やってきた涼をアッサリ養子に迎え入れたのも、そのあたりの器の大きさが滲み出ている。


 そうこうしている内に二人は更衣室に立ち寄る。

 これから二人が面会する人物の元へは和装で赴くことがアストレアでは暗黙の了解となっている。面会する人物が常に和装であるため、組織の幹部が合せた事がキッカケだ。

 専用の更衣室に入った涼たちは一度別れ、各々に宛てがわれた個室で着替えていく。


 洋服とは異なり和服というのは長着を身体に掛けて帯で結んで着込むので、着替えには手間と時間を要する。

 特に涼は体質の問題で普段から着込んでいるので、こういう時は余計に手間だ。一般の構成員であればお手伝いに全て任せればいいのだが、涼は毎度丁重にお断りし一人で済ませている。


 といってもそれで直嗣より時間を掛けて良い理由にはならない。

 衣服に手をかける前にパチンと軽快に指を鳴らすと、着物の式神・連鶴を呼び出す。勝手知る式神の手を借り手早く身支度を済ませる。


 涼に宛がわれた和服は黒に近い藍染で統一され、袖に籠目模様があしらわれた比較的質素な長衣と同色の袴。涼の普段のコーディネートに合わせて詰襟のシャツも用意され、その横には普段愛用している新品の長手袋。長髪を纏める髪飾りもあったが、こちらは時間が押している為に使用せず櫛を入れるにとどめた。


 ざっと姿見で全身をチェックし、靴を雪駄に履き替えて式神を引き攣れ更衣室を出る。

 先に出ていた直嗣の視線が連鶴へ吸い込まれていく。彼の着付けについた女性も同じく視線を釘付けにされ気圧されたように後退さった。


「相変わらず魔的な美しさだね。モデルとかいるの?」

「モデルを立てることもあるけど、この子は少し特別で一から俺が設計した」

「え~」


 涼の手掛ける式神は息づく人間と遜色のない完成度を誇ることで知られているが、中でもこの連鶴は別格だ。

 品よく纏められた黒髪は艶のある濡れ羽色。長い睫毛を震わせる双眸は淡く碧みかかった黒。白を基調にした菊柄の和服に包まれた体躯は慎ましく収められているが、よく観察すれば起伏に富んでいることが分かる。常に涼の一歩後ろに付く佇まいは、女性という概念が匂い立つよう。


 加えてこの連鶴には涼の特異体質由来のある能力を付与されているが――普段は姉妹機の淑艶と同じく見回りの世話をする式神だ。


 アストレアは構成員の多くが独自の戦闘スタイルを確立させていることから諸々の経費を鑑みて副業を許されている。刀鍛冶、占い師、学者、etc……と職種は多種に渡り、涼も監視官の傍ら式神職人を名乗っている。


 といっても正式に窓口を設けているわけではなく、直嗣に迫られ連絡先用のSNSを雑に開設したのみ。しかしながら製作依頼、特に連鶴のような人型式神の依頼は本業の職人に勝るとも劣らない量であり、報酬も軽くサラリーマンの平均年収を超えるものが殆ど。


 もっとも本人は式神販売には全く積極的ではなく、時折失敗作をざつに出品するのがせいぜい。それでも毛髪から爪先、筋組織や内蔵まで緻密に作り込まれた彼の作品を求めるものは多い。


 主な納入先は金を持て余した資産家や造形師、そして唯一オーダーメイドを卸したのは涼達のトップに立つ人物。

 此処アストレアの本拠地の最上階。洋式を基調とした内装のなか一つだけ顔を覗かせる障子の前で立つ男女の式神は、涼が正式に依頼を受けて納品した数少ない個体だ。


「お待ちしておりました。宵波直嗣様、宵波涼様」

「フランチェスカは間もなく参ります。どうぞ中でお待ち頂きますよう」


 恭しく一礼し式神達は二人を招き入れる。

 中は大広間の座敷になっており、中央に鎮座する座卓には緑茶と茶菓子が置いてある。

 迷うことなく涼は下座に付き、直嗣はその次点へ腰を下ろす。付き人達は部屋の隅で影に徹し、皆言葉を交わさず、待つこと暫し。


「や〜暑っつい暑っつい。もう全身汗でびちゃびちゃで塩漬けになるところやった」


 パタパタと扇子を仰ぎながら取って付けたような関西弁を使う男が座敷に現れた。


 普段から着まわしている事が伺える着流しは皺が寄り、帯が緩みははだけた襟に片腕を突っ込み浅黒い肌をバリバリと掻き毟る。野暮ったい眼鏡の奥には糸の様に細められた双眸。ただし左眼には大きな痣が見られ、僅かに覗く眼球は白く濁っている。年齢は直嗣と近しい四十代後半から五十代前半あたり。雑踏に紛れれば人波みに埋もれてしまう中年男性といった印象だが、宵波親子の反応は堅い。


 抜銃しないことが不思議なほどの殺気を放つ彼等と相対し、意に介せんとばかりに男は飄々とした態度で対面にどっかりと腰を下ろす。


「なんや御二方、そんな怖い顔で睨まれたらかなわんわ。こんな歳でパンツに黄色いシミ作った暁にはもう娘と正面切ってお喋り出来んわ。勘弁してや」

「正々堂々と組織に離反している身で、よくそこまでふざけた口が利けるもんだ伊調銀治」


 直嗣の言葉を受け口端を吊り上げる男――伊調銀治は何のことだとせせら笑う。

 伊調は現在アストレア内部を二分する勢力の一方、涼達と対立する協会派と呼称される派閥の先導者とされる人物。つまり保守派の涼達の敵である。


 霊能力者・魔術師に関わらず全ての術師というのはその大多数は術式の研鑽・研究の更なる飛躍を求め、聖王協会をはじめとした何らかの組織に所属するのが一般的だ。そして同じくして大多数の組織はその影響力を強めようと、有望な人材の確保に躍起になり場合によっては抗争に発展する場合も多い。術式の研鑽・研究と切っても切り離せない霊地の保有者に関しては特にそれが顕著になる。


 組織への加入へ意欲的な人物であれば問題にはならないが、此処に否が加わるとなれば事情は真逆だ。

 単純な話如何に優れた術師であれど、数で迫られては蹂躙を待つばかりであり、それまで受け継ぎ守り続けた霊地も利権があろうとも組織の運営方針という楔を打たれる事となる。つまり所有者の権利は半ば喪失している事と同義だ。


 そういった組織の圧力に曝される術師を守る労働組合のような機関がアストレアなのだ。

 あらゆる術師の研鑽を尊重し、不当な干渉を阻む壁となる――とは設立者の理念。いまに至るまで脈々と受け付かれてきた意思に、ある時を境に亀裂が奔った。


 それこそが聖王協会への合流のシナリオを突き進む離反集団。

 涼達保守派と水面下で洗い出しに躍起になっている、主犯格の一人である伊調銀治が先導する協会派である。


 協会派の目的はより大規模な術師と霊地の管理。その行き着く先に何を見据えているか、詳細は調査中であるが保守派にとって其処は大した問題点ではない。


 両派閥の情勢を鑑みるに協会派の脅威判定はまだまだ低いものの、もし協会派がアストレアの実権を握る、または聖王協会が強硬策に移るに足りえる情報――特にアストレが管理する術師やその保有術式、大規模儀式に適した霊地の情報、そして保守派の戦力が割れた暁には聖王協会の支配体制が整う恐れもある。


 運営に関する重要なポストを保守派が握っているものの、保守派の面々は事体の打開策に頭を悩ませている。

 神崎雀や雨取照の監視期間延長を赦してしまったように、保守派は対応の殆どが後手に回っている。というのも問題は内部分裂の危機に瀕していること自体ではなく、実際にどの程度の人数が協会派に属しているのかが把握出来ていないのだ。


 何しろ内部分裂は水面下でのこと。「私は協会派です」と解りやすく手を上げている訳ではないのだ。雀たちの監視期間延長が認可されてしまった理由も、最終的な承認プロセスに教会派の人間が噛んでいたのも要因の一つだ。加えてその殆どが術師。書類等のアナログな手法故に改竄や短期間の記憶のすり替えなどもやりようによっては可能だ。これでは完全犯罪に近い。


 疑心暗鬼の影が確実に迫る中、追い打ちとばかりに実力者が堂々と聖王協会への合流を訴えるものが現れれば嫌が応にも意識せざるおえない。

 その筆頭が伊調銀治。直嗣と並び、アストレア最強の一角の術師。


「人聞きが悪いわ。僕はただ組織の更なる飛躍を提示しているだけや。アストレアは組織力に対して、抱える管理術師が多すぎる。つり合いが取れてへん」

「その認識は根底から間違っている。我々の責務は数多ある組織の権力暴走への抑止力となることだ。これは外部干渉に左右されない、独立したものでなくてはならない」

「狭い狭い。この業界において独立した立場を維持するなんて不可能や。実際に西欧圏ではもう幾つかの魔術大家が聖王協会の圧力に屈しかけとる。いくらこっちから制裁を掛けようとも、奴さんらは貰うもんと失うもんの損得勘定を済ませてる。焼け石に水や」

「ならいっその事彼等に組してしまおうと? ふざけたことを抜かすな。何のための政府公認執行機関だと思っている。法への背信に鉄槌を下す事に、個人も組織も関係ない。我々はそういう存在だ」


 淡々と言葉を連ねる伊調と語気を荒らげる直嗣。

 共に相反する主義主張を貫き一歩も引く様子を見せない。

 同期であり唯一無二の戦友の間柄だったらしいが、伝え聞いただけの涼からはその名残りすら掬い取れない。

 身を乗り出せば手が届く机一つ挟んだこの隔てりは、その実延々に埋まることの無い断崖と化している。


 一触即発。

 今や座敷は殺気の坩堝と化していた。霊気が震え、直嗣たちから漏れ出る霊力が周囲に波及し室内の陰陽五行の均衡が崩れ始める。

 ビシッ、と湯呑に亀裂が入ったかと思えば、信じ難いことに中身の緑茶は沸騰している。


「……ッ」


 涼もまたこの影響下に曝され続けていた。

 ただ漏れ出るだけの僅かな霊力であるが、その圧力は桁が違う。


 たった8グラムのみの弾丸が亜音速の速度を以って人体を貫く威力を生み出すように、直嗣たちから放たれる霊圧はその質と密度の次元が悉く違う。

 今ここで彼らが争えば涼など台風に巻き込まれるだけの虫けら同然だろう。


 噴き出す汗で和服が鉛のように重く、耐え難い喉の渇きに苛まれる。霊気の均衡が崩れた影響が涼の身体に及んだのか、耳鳴りに類似した症状を自覚するや否や左半分の視界がグニャリと歪み平衡感覚が狂い始める。

 倒れないよう唇の端を噛みちぎり膝に爪を立てて必死に堪えるも、涼には最早自分が座っていられるかすら把握出来ていなかった。


「ハッ! やはり貴様とは意見が合わん。いいや。そもそも意見の一致なんて一度と無かったな」

「おいおい、寂しい奴やな。確かに政治から女のタイプまで気が合ったことはないけど―――お互い目障りってことだけは一緒やろ」


 伊調の糸目が見開かれる。普段は隠れた蛇のような鈍色の瞳に宿る殺気を感じ取った瞬間、涼の身に二つの衝撃が走った。

 一つ目は伊調の挑発と受けた直嗣の大幕府の如き霊圧。

 押し流される寸前の涼の意識を繋ぎ止めたのが、二つ目の衝撃。


「何やってんだテメーら!!」


 突如割って入った第三者が残像を引くほどの速さで直嗣と伊調の頭を鷲掴みにすると、二人の顔面同士を叩きつけた。

 これ即ち、五十台のおっさん同士による強制ディープキッス。

 決して、決して需要の見込めない絵面の暴力。おえっ。


「――ォッ」

「……も!?」


 味見を強制する弾力を失った唇の味、二酸化炭素と共に送り合われる地層の如く蓄積された加齢臭。

 視覚、味覚、触覚、聴覚、嗅覚をもがけばもがくほど堪能させられる地獄絵図。


 文字通り死に物狂いで暴れまくるアストレアでも五本指に入る実力者二人を、しかして労なく押さえつける闖入者。

 頭部をひっとらえるその腕は小動もせず、そんなに力を込めてサンドイッチのハムでも作りたいのか、顔と顔の接着面が一本の線になるほど締め上げ続ける。


「全くテメーらは妻子を持って責任ある立場になってもガキの頃のまんまだ。もうそろそろファーストキスの味を思い出さなくてもいいだろうに、まだ足りないか。ああ?」


 吐気すら催す衝撃情報に涼はいよいよ突っ伏しかねない勢いだった。

 今の話を家族が耳にしたら軽く家庭崩壊しかねない。


「……ぶは、ち、違うのです大柳殿。これは別に私闘を始めようとしていたわけでなく」

「おえええ……堪忍、おえッ、堪忍ですよ剣聖さん。僕らがじゃれ合うのはいつものことでしょうて。そない血相変えることでもありまオボロロロロロ」

「ギャー! テメッ、せめて顔を背けやがれ。引っ掛かっちまっただゲボロロロロ」


 歯車のように同じ方向に顔を背けることで何とか顔面凌辱から脱出した直嗣たちだったが、やはりダメージは大きかったようで弁明も碌に出来る間もなく胃の中をぶちまけ始めた。


 もはや人相が分からない程頭部が癒着同然に密着している状態で汚物をぶちまければ、モザイク修正は物だけでなく顔まで波及することだろう。

 しかしそれより早く闖入者こと、大柳応鋳が動いた。


「宝永の間でゲロぶちまけてんじゃねえ。わしにも掛かるだろうが!!」


 今年で齢八十を超える身でありながら、丸太の様に太い腕が直嗣たちを座敷の外へ投げ飛ばす。それに合わせて直嗣たちが框を越えたと同時に、式神たちが事前に開けていた障子をピシャリと閉じる。


 障子が閉まる寸前までは男達の悲鳴が上がっていたが、結界が敷いてあるのか障子一枚隔てただけで外の音は一切漏れて来ない。


「利かん坊どもめ。デカくなったのは図体だけか。すまんの涼坊、あれでも奴らなりに組織の未来を憂いての事だ。大いに失望して構わん」

「……フォローになっていませんよ」


 襟元を正しながら気遣いを見せる大柳に涼は嘆息を交えてそう返す。


 大柳応鋳。

 名実ともにアストレアのNo.2に君臨する重鎮の一人であり、古くは直嗣たちの指南役を務めた実力者だ。

 本来であれば礼節を持って返答するべき相手であるが、内心は穏やかではなくただ平静を装うのが精一杯だった。


 直嗣たちの霊圧に当てられ、涼の霊基は千々に乱れ身体にまで影響が及んでいる。いまだ耳鳴りは止まず、左眼は焦点を結んでいない。内側から炙られている様に身体は高熱を発し息が知らず荒くなる。


 良くない兆候だ。

 普通の霊能力者なら如何に実力者たる直嗣たちの霊圧を浴びたからと言って、不調を兆す事などありはしない。

 が、涼の場合は持って生まれた特異体質ゆえに些か事情が異なる。そしてそれを把握している人間はアストレアでもほんの一握りのみ。


 結界を張る間もなく強大な力に曝された影響で、普段押さえ込んでいる“赤服の呪い”がプロテクトをこじ開けられた間隙を縫って表出しつつある。


 汗の蒸発に血の匂いが混じり始める。

 見れば肌着や手袋に血が滲み始め首筋には亀裂が奔り始め、血の滴りと共に徐々に枝分かれしていく。


 否。それは亀裂ではない。

 よく観察すれば亀裂は刺青のように肌を侵食していき、一本の線の先端から花弁のような模様を形成している様に見て取れる。


「……ッ」


 神経を焼かれたような激痛に襲われ、滝のような汗が零れる。

 急いで制御術式を再起動させなくてはならないのだが、思考とは裏腹に焦燥に駆られ乱れた霊力の手綱を握る事すらままならない。


「どうした涼坊」

「来ないで下さい……!」


 一刻ごとに暴走していく涼の異変に大柳も気付き駆け寄ってくるが、涼は声を荒らげ制止させる。

 いま他人に干渉を赦せば何が引き金となって“赤服”が解き放たれるか分からない。この“赤服”は一端を用いただけでも、魔術翁の人獣を殺し尽くした力なのだ。無秩序に吹き荒れればどんな被害が及ぶか想像もつかない。


 しかし――既に制御は外れ掛け、宿主の涼すら喰い尽くされかねない状況だ。


「こらこら。こういう時の為に君はその力の入れ物を拵えたんだろう」


 明朗な声にハッとし、懐から式神・連鶴の形代である糸きり鋏を取り出し間髪入れずに緊急術式を作動させる。

 術者を介さない独立起動術式故に現状の涼でも問題なく、まさしく今のような状態のために用意した救命器具のようなもの。


 術式は直ちにその効力を発揮した。

 命令の入力を受領した式神・連鶴が涼の髪を縛るリボンを解くと、主の両目をそれで隠してしまう。リボンにも予め術式が施しており連鶴と照応し複雑な呪文を浮かび上がらせていく。


「あぐっ……」


 小さな苦悶が涼の口から漏れると、それを皮切りに首元から、恐らくは全身に行き渡っていたであろう赤い刺青が競りあがり、リボンの術式に吸い込まれていく。


 やがて眼球を直下に置くリボンから無数の小さな膨らみが生まれ、それらは瞬く間に成長し幾輪もの彼岸花を咲かせた。

 見るものが視れば彼岸花の一輪一輪に内包された高濃度の呪詛に身を竦ませる事だろう。量にもよるが扱い方を誤れば施設内の人間の大半が死に絶える威力だ。


 しかし何よりも驚嘆すべきはその後に起きる。

 下手に人間が触れれば忽ち肉は腐敗し、骨は溶け堕ちるであろう呪詛の塊を連鶴は一息に摘み取ると小振りな口で咀嚼し始めた。


 唖然とする大柳を他所にものの数分で花を食べ終えた連鶴は些かの変化を伺わせない。


 一方である術者の涼の変化は顕著だった。

 出血こそ収まっていないものの、荒涼とした霊気は一目瞭然の沈静化が見られ、異常発汗も引きつつある。体温を図れば、平熱に戻っていることだろう。


「うんうん。キチンと制御を取り戻したようだね。ああ目隠しはまだそのままで結構だ。まだ視力が戻り切らないだろう? ふふふ、君の手掛ける式神たちは大そう美しいが、君のそういった憔悴ぶりも中々絵になるね」


 式神を通して聞こえてくるサディスティック気味な口調。声音は幼さが残るも言葉の端々に気品を感じさせる少女のもの。はじめて面会した時と寸分たがわぬ声音である事に少々疑問を抱くも、涼は居住まいを正して非礼を詫びる。


「御見苦しい所を御見せしました」


 重い身体で何とか頭を下げようとすると、額を小突かれ阻止される。


「よせよせ。そもそも場所を弁えずに喧嘩をおっぱじめようとした君の父君とその連れにこそ問題ありだ。若い頃の心を忘れないのは大いに結構だけど、部下の体調管理を疎かにするようじゃ今度の昇進も見送りだねえ。いやいや残念」

「あの童たちはいまの地位すら勿体ないですぞ」


 幼齢と老齢のカラカラとした笑い声が座敷に響く。

 連鶴との視覚共有が完了し、いつもと高さの違う景色が開ける。

 第三者の視点から自分を見るという奇妙な光景に違和感を憶えるも、直ぐに他へ眼を奪われる。


 涼の眼前で真剣に直嗣たちの減給を大柳と検討する少女。

 特徴的な藍鼠色の髪をざっくばらんに切ったセミロングに陶器人形も裸足で逃げ出す白い肌、それらを引き立て役に下がらせる強い意志を宿した銀の瞳。精緻な装飾が入ったブラウスと眼も映えるような緋袴に身を包んだその立ち姿は華族の様。


 実際に高貴な生まれとの噂もあるが、その実態は定かではない。

 しかしながら彼女の祖父は一代でアストレアを築き上げた実業家。

 様々な恩恵を術師に与えた彼女の家系は人の上に立つ華族と称しても何ら問題のない功績を造り上げている。


「さてさて。涼の体調も悪そうだしとっとと要件をすませてしまおうか」


 直嗣たちへの処罰を一度棚上げした少女は上座に着くと、大柳は彼女に付き添いやや離れた場所で正座する。

 それはちょうど涼が連鶴を引き連れる様子と重なる光景。


 No.2である大柳が付き従う人物など、アストレアではたった一人。

 即ち若干十五にして涼達を率いるアストレアの象徴にしてトップ。

 フランチェスカ・E・ユースティアその人である。


直嗣と伊調の下りはもっとコミカルに書けると思うんですが、いまの自分はこれが精一杯。

だってオッサン同士のキスなんて想像したくないですし?(なぜこんな発想に至ってのか、これがわからない……)

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