二章・二節 馴れ合いではないけれど
午前七時。
雀たちの朝食は比較的ゆっくりと進む。
「神崎、食事が終わったら腕の経過を見るから、そのつもりでいてくれ」
「わかったけど、四日前にも診てたでしょ?」
「少し東京に戻らなければならない。数日空けるだけだが念のため」
既に食事は済ませている涼は洗い物をしつつキッチンから雀に診察を予告する。
照は詳細をつい最近聞いたばかりだが、八月上旬に五輪市に潜伏していた外部の魔術師の傀儡──人獣と霊地の管理者として戦った雀は右腕に重傷を負っている。
本来であれば隻腕になっても不思議ではない深手だったが、涼が持つ技術を駆使して表面上は五体満足に見せている。あくまで表面上であって自他ともにペテンにかけて誤魔化しているだけなのだ。
が、雀と照は診察とは別に、涼の東京への帰省にあからさまな難色を示す。
「……仕事?」
「それもある。いくつか引き継がなくてはいけない案件があって、人獣の報告も兼ねて一度上司と相談しにいく。今日はいいが、二人とも明日以降は洋館で過してくれ」
「よりにもよって明日から……」
本日は8月31日。
学生である雀と照は今日で夏季休暇が幕を閉じ、明日から二学期が始まる事になる。
二人が通う学校はどちらも洋館より涼の部屋の方が距離は圧倒的に近い。丘の上に位置する洋館までは延々と坂道が続いているため、行きも帰りも面倒この上ない。
五輪ハイムは駅から徒歩三十分と離れているものの、学校との距離は近く通学路も平坦だ。
が、二人が難色を示すのはそういった理由からではなく、彼女たちが置かれている状況に起因する。
「監視期間の延長はまだ撤回されないの?」
「……すまない。圧力は掛けているが、どうも聖王協会が本格的に後ろ盾に付いているらしい。不便を掛けるがまた暫く彼等の監視下にいてくれ。何があっても身の潔白は証明できるよう式神を預ける」
申し訳ないと目を伏せる涼を照はそれ以上追及しなかった。雀は最早割り切っている様子で護衛用にと差し出された簪、式神・淑艶の形代を受け取る。照には薄手のレース手袋型の形代を預けられる。
神崎雀と雨取照。両名の監視期間は今年の3月に終了するはずであったが、アストレア内部で二極化する一方の派閥、協会派が雀たちの監視期間を強引に延長・強行監視に踏み切ったのだ。
当然ながら涼達保守派は抗議と異議を申し立て反発をしたものの、世界最大規模の組織の一つが後ろ盾に付いているだけに下手な対応を取るわけにもいかなかった。
協議の末に涼の直接的な保護下にある限りを持って二人は監視状態を限定的に解除される規約になっているのだ。その他幾つかの細かい規定はあるものの、この部屋は彼女たちが唯一羽を伸ばせる場所ということ。
雀の監視官・幸白誠明、照の監視官・紫涅和泉。二十四時間監視を基本とする任務に付く協会派の二人がこの場にいないのはそういった理由だ。
つまり、涼がこの土地を離れると雀と照の監視は再開されることになる。生活上のプライベートは保障されているが、やはり気持ちの良いものではない。
ましてや幸城たちは魔術師を目の敵にしている節があり度々雀たちとも軋轢を生んでいる。
「事情があるのは分かってるけど、早めにどうにかして頂戴。これ以上不当な扱いが続くようだと、私達も身の振り方を考え直さなきゃならないし」
「雀の言う通りよ宵波君。アストレアは必ずしも私達に必要というわけでもないもの」
表情を一転、魔術師の空気を纏う魔女二人の視線は危険な色を孕む。
照の言葉通り、アストレアが提供する役割は術師たちを生きやすくし、利便性の富んだものではあるが、絶対的な必要性を確立している訳ではない。
自分たちの研究・技術・土地を侵害略奪する不埒ものが現れれば、実力を持って排除する。古来から術師を問わず人間とはそうして自分たちの資産と地位を守ってきた。
涼の説得によって雀も照も判断を保留処分にしているだけであって、これ以上はアストレアが逆に二人に見限られることになる。
年齢に似つかわしくない確かな死線の積み重ねを滲ませる少女たちの圧を前にして、しかして涼は平然と正対する。
「最もな意見だな。ただ今の状況は長くともあと一月で終わらせる。すまないがあと少しだけ辛抱欲しい」
「具体的にはどうするつもり?」
「? 協会派が監視の停止に応じないようであれば、幸白たちを始末するだけだ」
もう仕込みは済んでいると、自家製ローストビーフに包丁を入れる涼。
彼の懐からチラリと覗いた煙草が眼に入り、二人の少女は揃って閉口。顔を見合わせる。
一年間生活を共にする中で涼が生殺与奪に一切の躊躇いを持たないことを、幾度となく雀と照は目にしている。ただ一度の例外なく。
つまり殺すと一度判断を下せば、速やかに実行する。
彼の持つ煙草はその為の呪具の一つ。充填した呪詛を紫煙に乗せ、執行対象を呪殺する。その威力たるや雀が腕一本犠牲にした人獣を──個体や事情が異なるとはいえ──完封したほどだ。
事前準備が済んでいるという事は、時が来れば宵波涼は躊躇いなく命を摘み取るだろう。
幸白や紫涅と涼が大きく実力が離れているとは雀も照も考えていないが、最終的に屍を足元に転がす赤いリボンが想起される。
「いいの? 派閥は違うけど、組織としては同じ構成員なんでしょ?」
同情したわけではないが思わず雀は幸白たちの身を案ずる様な問い掛けをする。
「そう。同じ組織だから、これ以上無駄に経費を掛けるわけにはいかない。監視期間の延長の君達の生活費と学費の補助だって、元々予算に無かったんだ」
もう経理部の人達からの視線が痛いのだ、とズレた解答を口にする涼。
金銭の問題でアッサリ首を物理的に飛ばす選択肢を入れては、幸白たちもたまったものではない。
無論だが選択肢が首チョンパ一択というわけではなく、最終的な対応として有力候補の一つというだけである。
「ん? じゃあアストレアから生活援助を受けられるもの来月一杯が目途ってわけ!?」
「!!」
「何を驚いているんだ。当たり前だろう」
実家からの仕送りに加えアストレアからの生活費の援助が入っていた事で、雀と照は歳不相応に懐が潤っていたのだ。自由に動かせる金額は多くは無かったが、高校生の欲を満たすには十分以上だった。
照は寮生活故に娯楽の類は最低限のものに限られたが、雀の場合お気に入りの歌手グループのイベント等への参加などアストレアの恩恵を甘受していた。
悠々自適な生活が一転、生活を潤わせていた恩恵を全て取り上げられた人間は、例え忌み嫌っていた堕落であろうとも欲するものだ。
「ぐぐぐ……もう少し大学資金を貯められると思ってたけど、そう上手くはないか」
「……」
脳内でそろばんを弾き始めた雀たちに涼は苦笑を零す。特に雀は今年受験生だ。遊ぶ時は派手にやっているが、裏では自立へ向けてせっせと貯金に励んでいるらしい。
照に関しては修める魔術系統が金食い虫な事もあり、やりくりに大変困っている。
「まあ金銭面に関しては斡旋出来る仕事もある。内容にもよるが上手くやれば大学の授業料ぐらいは賄えるかも知れないぞ」
少なくとも来年の三月までは涼は二人の面倒を見るつもりだ。
戦闘能力は同年代の魔術師と比較しても雀も照も頭一つ抜けており、才能も申し分ない。順当に育てば名の知れた術師になる事は必定だろう。
──ただし全てが戦闘で片付ける事が出来るほど、事態は単純ではない。
「もっとも全てが順調に進めば、だけどな」
声のトーンを落とし切り出す涼。
本題はこれからなのだ。
雀は眦を捕捉し、照は姿勢をやや正す。
「例の魔術翁の件?」
雀の言葉に涼は頷く事で肯定する。
魔術翁。
名前、性別、年齢、国籍、人種そのほか全てが一切不明の魔術師。その存在は必定とされていながら僅かな痕跡のみを残し、世界各地で魔導犯罪を繰り返す魔術師。
世界最強の吸血鬼・真祖の後ろ盾を得ていると思われる魔術翁は長年アストレアを始め、あらゆる政府組織がその足取りを追っているが、影すら掴めぬ亡霊の如き人物。
判明していることは、引き起こされる魔導犯罪から鑑みて現状の魔術系統に収まらない程高度な知識と技術を有しているということのみ。それこそ現代の魔術技術と2~3世紀もの隔てりあると言われる程に。
今月上旬に雀が接敵した人獣も魔術翁の傀儡である可能性が濃厚であり、アストレアは数十キロ圏内に残された術式から解析を急いでいる。
が、現状アストレアが危険視している点は魔術翁そのものではないのだ。
「彼、もしくは彼女の痕跡が見つかれば、未知の高度技術を得ようとこれまで以上に外部の魔術師たちが五輪に来るでしょうね」
「雨取の危惧はこちらも同意見でな。情報統制は直ぐに敷いたが何かしらの形で漏れている可能性は否定できない」
「術式を見付けたっていうトンネルはどうしたの」
「監視用の式神を付けて既に崩落させている。元々地盤が緩い土地だから、この前の台風に合わせて少々強引に進めた。何なら見に行くか?」
「遠慮しとく。あの辺は神崎より古い家系が管轄していた土地だし。もう廃れたみたいだけど、気軽に入る気はないわ」
雀の言葉を涼は暫し熟慮する。
確かにあの山間部は数世代前に衰退したとある霊能力者の一族が管轄していたものだ。
トンネルを訪れた際に涼が邂逅した式神は形式こそ古かったものの、確かな歴史を垣間見せていた。ともすれば魔術翁の目的はその一族であった可能性も浮上するが、憶測の域を出ない。
「どうあれ近頃あちこちでキナ臭い動きが目立つ。先日もその案件を追っていた仲間内から人死が出たばかりだ。君達には既に釈迦に説法だろうが、何かあれば上手く俺を使え」
自身を指差し、そう告げる涼に二人の少女は無言で頷く。
頼れと手を差し出すでもなく、協力を申し入れるでもない。
使え、という言葉の裏に込められた“真意”と“警告”を神崎雀も雨取照も正しく把握している。
彼等は馴れ合いではない。
個人間ではこうして食卓を囲む友人であるが、先程のやり取りの通り術師としては互いに利用し合う利害関係の上で成立している。
明確なリターンが得られないならば当然手は貸さず、誰かが故人となっても御愁傷様と手を合わせるのみ。
アストレアが最低限援助するのは保有する霊地に伴う利権と、不当な監視期間の延長分のみ。線引きは明確。それ以上はビジネスの分野。
上手く使えとは「仲間の様に死にたくなければ賢く立ち振る舞え」という意味だ。
「これも利害関係ってこと?」
オムレツの皿を持ち上げておどけてみせる雀。
食事時になれば黙っていても用意される料理に危機感──具体的には金銭的なものが発生することを危惧する苦学生予備軍の少女。照もまたナイフとフォークを動かす手を止めジッと様子を伺う。
それに対し、
「食パンとサプリ生活に戻るか?」
さっと掘り返された黒歴史から眼を逸らす二人の少女。
まだ三人が出会って間もない頃。雀と照はコスパと効率ばかりを重視して偏った食事ばかりをしていた。エネルギーを安い食パンで摂取し、足りない栄養は有り合わせの野菜とサプリで補う生活。
学業と魔術師の二足の草鞋を履く二人にとって食事に裂ける時間と余裕が無かった故の結果であるが、日に日にやつれた野犬の様な眼つきになっていく二人を見かねて涼が食事を作り始めたのだ。
特に朝食を抜く悪癖が崇り度々寝込む照に関しては点滴まで用意したほどだ。
全て涼のポケットマネーから拠出されたもの。監視官の任務とは関係の無い、言ってしまえば自己満足。ただただ好きでやっているだけ。
「そこは今まで通りで構わない。君達さえ良ければな。年度末までは部屋も好きに使うといい」
此処では日常を守りたい。
そう思っているのは或いは自分だけなのか、一瞬過った涼の不安は次の瞬間には払拭されていた。
「じゃあ、食後にコーヒーお願い。砂糖とミルクたっぷりで」
「ダージリン」
去年の三月まで洋館で繰り返されて来た朝の一幕は、雀と照の中でも存命だった。
酷く迂遠なやり取りで結局は何ら変わらない関係を確かめた。他人が見れば恥ずかしくて見ていられなかっただろうに。
キッチンカウンター越しに居間を見やれば、微妙に視線を逸らす少女達に思わず笑みが零れる。
既に身体に染み付いた食後の一杯を淹れる一連の動作は澱みなく。
これから幕開ける事件を前に、知ってか知らずか三人はこのひと時を噛み締めた。




