一章・終節 そして日常へ
数日後、涼と雀は再び霊園を訪れていた。
夏らしい突き抜けるような青空は何処までも高く、直射日光を降り注ぐ太陽は地上の人間に恨みでもあるのか頑として雲に隠れようとしない。霊園の構造上、日陰になる場所は皆無なので太陽の恩恵は此処では有難くないことに二人占めである。
此度の事件の被害者たちに花を手向け終える頃には二人とも球汗を浮かべ、逃げるように冷房の利いた車内に避難していく。
「そういえば親族以外がお墓参りするのって、宗教的にどうなの?」
「親族への連絡がマナーだが、俺達が生まれる前に亡くなった人達に手を合わせたいなんて正直に言っても不自然すぎる」
「遺灰すら残らず葬ったから本来はあそこに手を合わせるのも違う気がするけどね」
「そうだな……」
霊園を後にした車は来た道を戻っていく。途中建人と皐月を弔った路傍も通過する。彼岸花の群生はSNSを通じてちょっとした話題を呼び、スマホ片手の若者が今もシャッターを切っている。
何も知らないとはいえ、彼らを葬った涼達からすればあまり気持ちのいいものではない。指先に魔弾を装填し始めた同乗者の暴挙を阻止すべく、悼む暇もなく涼はスピードを上げていく。
二人の亡骸は雀が述べた通り花達が残した骨を回収して、火葬場で滅却される運びとなった。雀と交戦した十鷺右京と大和屋鉄平の亡骸もサンプルを採取した後同様に焼却処分され、五輪市に潜伏していた人獣は跡形もなく消え去った。
可能であれば墓地に還して弔うべきなのだろうが、いまだ術式の全容を解明できない以上は慎重過ぎるという事はないのだ。奇妙な噂もいずれ時間の流れに埋没していくだろう。
五輪高校に在籍していた建人と鉄平は転校扱いになる予定で、諸々の事務処理と根回しは既に済んでいる。夏休みが終われば彼らの不在は否応なく知れ渡ることになるだろうが、これも究極的には時間に頼るほかない。
かくして事態は一端の沈静化を見せるものの、根本的な解決にはまだ至っていないのが現状だ。
約三十年前に日本へ潜伏していたのが本当に“魔術翁”であるなら、事態は五輪市に留まらず、日本は最強の吸血鬼・“真祖”を敵に回す可能性が示唆されることとなる。そうなれば涼が所属するアストレアを始め、世界最大勢力を誇る聖王協会との連携が必要不可欠になるが……ぶっちゃけた話、アストレアと聖王協会は水と油だ。
そもそもアストレアも一枚岩とは到底言えない状況で、現在内部分裂の危機にある。
勢力は二つに分かれ、一方は保守派と呼称されている設立当初の労働組合兼警察組織の中立的立場を順守する派閥。涼はこちらの保守派に属しているが、五輪で監視官の任に付いている誠明ともう一人の監視官はもう一方の派閥。聖王協会との合流を推進し、アストレアが築いてきた術師たちの監視網のより強固な運営を目的としている協会派。
神崎家の監視を強引に延長したのも協会派の勢力が急速な成長と求心力を高めている結果なのだ。保守派は対応策が遅れ、劣勢を強いられ後手に回り続けている始末。アストレアの運営に関わる重要なポストの大部分は保守派が押さえているものの、早々の打開策を見出さなければ状況は悪くなるばかりだ。
監視官の任を解かれた涼が今だ五輪に滞在している理由の半分が、このいざこざに原因があるのだ。
ああ、まったく。これでは身勝手な都合で命を摘み取った彼らが報われないではないか。
「ちょっと涼、煙草」
「ん? ああ、すまん……」
同乗者の非難の視線の先には火が付いた煙草。無意識に取り出していたのか、うねる煙は車内に広がりつつある。一吸いもしていないが早急に揉み消して灰皿へ捨ててしまう。
「イライラすると吸う癖、直した方がいいわよ。明日から照も寮から帰って来ることだし」
「……」
「どうしたの?」
「いや、悪い癖だな。昼食はこっちが持つから今日は勘弁してくれ」
「ふむ……。じゃあ紅鹿亭にしよっか。ちょうど割引券もあるし」
どうやら赦して貰えたらしい。無自覚の癖を指摘され微妙にショックを受けながらも、雀の提案を受けて涼は馴染みの喫茶店・紅鹿亭に向けて細かい進路変更をしていく。
紅鹿亭は商業施設が建ち並ぶ中心街から少し外れた住宅街寄りの場所に居を構えている。十字路の一角に建つ店の外観は一言でいえば昭和レトロといったところか。外壁の殆どが蔦植物に覆われており、傍に立つ電柱にまで伸びている。僅かに覗くレンガ壁のくすんだ錆色は時代を感じさせ、塗装の禿げた重厚な扉の傍には手書きの看板がお薦めメニューを知らせる。
近くのコインパーキングに車を停めた二人は日陰を選びながら紅鹿亭の扉を潜ると、顔なじみのマスターに軽く手を振ってから奥のテーブル席に向かっていく。店内はアルファベットのbの様な構造になっており、入口から直ぐにカウンター席と四人掛けのテーブル席が実に気ままに配置されている。奥には仕切りの高いテーブル席が用意されており、涼達はこちらに付いた。ちなみに全席禁煙である。
「さてさて、何にしようかな~。ここのオムライスはまだ涼も射程圏外の味だし、ボロネーゼも捨てがたいかな」
「む……聞き捨てならないな。二ヶ月前は確かに大敗したが、もう味は拮抗レベルにまで達しているはずだぞ。何ならデザートのプディングだっておまけしてもいい」
「あらあら? そんな事言っていいのかしら。じゃあ交渉は私がするから近々リベンジマッチを開くとしますか。宣伝は幸白君にやらせておくとして、涼が勝ったら涼流オムライスに挿げ替えて、また負けちゃったら商店街の鳴龍房の新メニュー開発に協力ってことで」
「いいだろう」
「いやいや良くないでしょ。もうメニューの半分以上が先輩の味に塗り替えられているわけだし。鳴龍房に関しては真剣に検討お願いします」
メモ帳を開いて予定を掻き込む雀と静かに闘志を燃やす涼。そんな彼らに横から口を挟んで来たのは聞き馴染みのある店員の声。
二人揃って顔を向ければそこにはお冷を運んで来た有澤那月の姿があった。視線を向けられた途端、うっと僅かにたじろいだがこれは別に二人の視線がきつかったとかではない。涼は何かを察したようにメニューを開き、無遠慮に視線を往復させるのは雀のみである。
「コスプレ?」
「ちがっ……! 演劇部のエキストラを依頼されて、採寸合わせしていたら遅刻しそうになってそのまま……」
「拡散しておきますね」
「待ってよ!?」
ノーモーションでスマホのシャッターを切りまくる雀とお盆でカメラを必死に阻害する那月。
紅鹿亭は基本的に所定のエプロンだけ着用していれば服装はよほど奇抜でない限りは自由になっている。
ただ那月の服装は少々、いやかなり場にそぐわない様相を呈している。
大きく裾を広げる黒のジャンパースカートは腰のくびれを金具の多いベルトでやたらと強調しており、大胆に肩を露出させるブラウスは袖や襟がフリルで彩られ可愛らしい。袖は精緻な装飾が入ったレースで構成されており、右腕は蜘蛛の巣、左腕は茨をそれぞれモチーフにしている。いわゆるゴシックロリィタ系のファッション。
普段の快活なイメージからはかけ離れた甘々な服装は大変刺激的だが、昭和レトロ漂う店内の雰囲気とは些かミスマッチだ。
女子二人がやんやと騒いでいる横で涼は早々に注文を決めて窓の外へ視線を投げていた。蔦に縁どられた景色は何の変哲もない街並み。夏の日差しを活力に走り行く少年たち、日傘で直射日光を避ける若い女性。更に向うには中心街で建設が進む高層施設の影が屹立し、クレーンが物資を吊り上げている。際立って高い影は巨人のようで、生まれた世界を間違えてしまったよう。
地方創生の煽りを受け急速に推し進められる都市開発は、五輪市がゆったりと刻んできた時計の針を強引に動かしている。もっとも人々は案外のんびりしており、日に日に高くなっていく摩天楼を見上げても皆何処か胡乱気な表情を見せるものだ。
しかしながら街の変化を象徴するような摩天楼の足元でも、街並は頻繁に様相を移ろわせているものだ。先週まで古書店だった場所にコンビニが、空家がいつの間にか更地に、いつの間にかに変わっている隣室の住人。
一日、一週間、一月と経過するごとに記憶から零れてしまう変化に富んだ日常を不変と錯覚してしまい、未知に溢れた明日を極当たり前に享受する。
それが当たり前で、当たり前から零れた誰かは日常の雑踏へ飲み込まれていく。気付いても大抵は手遅れで精一杯伸ばした手は決して届かず、それでも一方通行の未来へ手を引かれて、やがては遠すぎる過去に背を向けなければならない。
いずれ那月も彼らの死を知ることとなるだろう。誰かが誤魔化し続けても、一度結ばれた縁というのはどれだけ時間を経ようとも切れることは無い、強固な呪いでもある。
その時彼女が何を思うかは、その時が来なければ分からない。
涼達の役目は当たり前から零れた彼らを決して忘却せぬよう、その時を待つこと。残された者たちの当たり前が零れぬよう、尽くす事だろう。
「ねえ、涼はどう思う? 秋の文化祭でこの那月が売り子やれば結構いい線いくと思うんだけど! 那月ってば泳ぎで割と周辺地域に幅利かせているし、布面積が多い那月は新鮮で喰いつきもいいと思うの」
「勝手に人を使って商売画策しないでちょうだい。絶対嫌よ! こんなの恥ずかしくて死んじゃうし、そもそも似合ってないしっ……」
割と真剣にロリィタ那月の起用を検討する雀と頬を赤らめて身体を掻き抱く那月。生徒会内で名実共に上下関係が築かれている彼女たちの勝勢は明確であり、第三者の意見次第ではより強固なものとなるだろう。
水を向けられた涼は窓から那月に視線を戻すと、改めて観察してみる。雀の見立てに狂いはなく、本人の主張とは裏腹に性格とのギャップも相まって大変魅力的である。文化祭での立ち振る舞いにもよるが客を呼ぶには十分なポテンシャルだ。
ただし──
「看板娘が一人ってのは客層を狭める結果にもならないか。やるならもっと手広くやるべきだ」
「先輩!?」
「ん~、確かにそうね。飲食店をやるなら売り子を兼ねた従業員は幾らか確保しないとだし……今のうちに候補を絞っておくか」
「君もやるんだぞ」
「は?」
「旗振り役も必要だが、立場あるものが陣頭に立てば下は自然と付いてくるし、なにより有澤と同じぐらい意外性もある。なに、OBとして多少の協力ぐらいはするさ」
「くっ……、卑怯な……!」
涼の過去の実績を知る人間からすれば彼自らの協力の申し出は垂涎ものだろうが、遠回しに提示された雀のロリィタ化はアウトラインギリギリを攻めた実に巧妙なものだった。やるとなればとことんまで突き進む雀を逆手に取った涼の手腕に那月は感服する。結局自分のロリィタ化の可能性が消えていない事に後から気付いいたのはアルバイトが終わってから。
「……まあ、要検討ってところかしら。時間はもう少しあるし」
葛藤する事数十秒。
結論を先送りにした雀はわざとらしくメニューを手に取って昼食を選び始める。その視線はチラチラと涼と那月を行き来しており、微妙に引き摺っているようだ。
小さく笑いながら涼は先に注文を済ませる事にした。
「いつものを頼む」
「ホットサンドとエスプレッソ、デザートにバニラアイスですね。生徒会長はどうする?」
涼の注文にこれ以上は話題を引き摺らないという合図を見出した雀は、手玉に取られているようで面白くなかったが結局はこれを受け入れた。
「ハヤシライスとウズラ肉のグラタン、店長の気紛れサンドとイタリアンコーヒー、デザートにメロンパフェで」
奢りをいいことに遠慮なく注文を連ねる。ちょっとした反撃。
注文を確定させて奥へ引っ込んで行く那月を見送れば、後は涼と雀だけが残される。
料理が運ばれるまで会話は途切れず、午後の使い方に始まり、今後の方針をざっくりと議論していく。明日王陵女学院から帰省するこの街のもう一人の魔術師・雨取照の意見を交えて詳細を決定するあたりに話を纏めると、タイミングよく食欲を刺激する香りが運ばれてきた。
キチンと手を合わせてから各々の料理に手を付け始めると、無言を気にすることなく二人は黙々と料理を頬張る。
これから待ち受ける艱難辛苦を前にした、ささやかな幸福。
彼等は監視官と魔術師。滅ぼし滅ぼされる歪な関係。
しかしそれ以上に、今ではかけ替えのない友人なのだから。
これにて一章は完結です。二章は書き上がり次第、また節毎に投稿していく予定です。




