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一章・二十七節 唯一の希望

「アンタ、最初から俺を……?」


 袖口で涙を拭う建人の察しの悪い質問に、涼はいい加減辟易し始めていた。

 酷く迂遠なやり方をしている自覚はあったが、最初から尻を蹴飛ばしてやればよかったなどという後悔は如何にも遅すぎる。


 雀なら多少強引でも結果的にはスマートに事を納めただろうが、役者不足であったことはもうこの際棚上げする。あのトンネルの惨状を暴いた時からこの案件は涼の預かりになっているのだ。


「これでも正義の女神(レディ・ジャスティス)の名を借りる組織の一員。いつだって天秤の導きに従うのが俺の役目。まあもっとも君は弄られた相手が厄介なだけに限りなく黒に近いグレーだったがな」


 ゾッと建人の顔面から血の気が引いていく。先程指先一つで命にチェックメイトを掛けられた恐怖が蘇り、あからさまに涼から距離を取っていく。今後煙草のお使いは絶対に断ってはいけないと、建人はしっかり胸に留める。


 しかし至極真っ当な脅威判定でもある。


 依然として建人たちが敵魔術師の傀儡であることに変わりはない。人間そのものを霊媒に獣の能力をその身に付加しているだけでも脅威は計り知れない。その上で大規模な霊地汚染を引き起こしかねない呪詛を内包する人獣は、本来であれば抹殺対象として扱う事が無難だ。


 だが涼は彼らの処遇を保留処分へ引き下げた。


 山岳トンネルに残されていた術式と二八年前に潜伏していたと思われる魔術師の魔力痕に加え、雀から提供された人獣の体組織・魔力のサンプルを持って涼は直属の上司に報告し、建人たちの処遇を協議したのだ。


 判断材料は主に“人獣”の脅威、人獣の造形師たる魔術師の詳細の二つ。


 前者に関しては議論するまでもなく殺処分に踏み切るに十分と判断されていたが、問題は後者であった。

 涼個人のツテも通して造形師の該当人物を絞り込んでいった結果、一人の魔術翁の名が候補に挙がり、今回の保留処分に至った。


 現在から過去までその魔術翁の背後には常に“真祖”の影が存在し、長年多くの組織がその足取りを追っているが有益な情報はいまだ掴めていない。

 確定事項ではないにしろ、砂純建人と有澤皐月は影すら掴めない真祖の手掛りを握る生き証人。今後の展望を鑑みれば多分なリスクを飲んでも欲しい情報なのだ。


 無論、二人には暫くはアストレアの監視下で生活を送る事になるだろうが、解呪もしくは能力の封印が済めば自由は保障されている。皐月に関しては建人の頑張り次第ではあるが、既にアストレアも秘密裏に保護に動いている。


 ──現実が、淡い希望を享受していれば。


「さあ、長話に相応しい天気でもないだろう。そろそろ行きなさい」

「……はい。ありがとうございました。生徒会長にもよろしく」


 涼はいずれ使者が訪れる旨を伝え、一時的に獣化能力を押さえる護符を渡すと霊園を去っていく建人を見送った。


 建人の背中が見えなくなっても涼はその場を動かず、着物姿の式神が差す番傘の下で雨風をやり過ごしている。番傘には水行符が仕込まれており、傘の範囲内には雨粒は決して入り込まない仕様になっている。


 便利ではあるが当然使用すれば微量とはいえ霊力を消費し続ける。ピークを迎えつつある暴風雨の只中にいても何の得は無いが、こうもあからさまに殺気(・・)を当てられては無視するわけにはいかない。


 彼女を誘き出す事も外出の目的の一つでもあった為、想定内の事態ではあったが、よくない展開だ。


「そろそろ出てきたらどうだ、有澤皐月」


 視線はままに、殺気の主へ呼び掛ける。

 やや躊躇う気配が漂ったものの、物陰から姿を現したのはビニール傘を差し、簡素なワンピースに袖を通した少女。有澤皐月だった。


 数分前に此処を後にした建人には申し訳ないが、涼達が霊園に到着して間もなく皐月は此処に身を潜めていたのだ。当然、涼は最初から気付いていたが、殺気立つ彼女の前に建人を出せばどうなるかは火を見るよりも明らかだ。


「………………」

「──────」


 一触即発の空気が漂う。


 相対するだけで伝わる皐月の魔力に涼は戦慄を禁じ得ない。質、量ともに並みの魔術師を軽く凌駕し、更には鍛え上げられている。人間ベースといえ、人獣を使い魔に分類することは改めなければならないだろう。


 使い魔というものは基本的に設計された性能を下回ることはあっても、凌駕することは基本的に有り得ない。機械と同じく与えられた能力を忠実に再現する事だけが念頭に置かれているからだ。


 だが人獣はその範疇の限りではない。彼らは云わば改造人間。生物が持つ成長能力を残したまま人外の力を与えられた使い魔の新境地。外法の手段に眼を瞑れば術体形に多大な影響を及ぼすであろう偉業だ。


 付け加えれば、眼前の少女は三十年に迫る悠久の時を闘いに費やしてきたのだ。熟練の魔術師・霊能力者に引けを取らない厚みが、涼の本能に撤退の警鐘を鳴らす。

 戦闘になれば決死の覚悟で挑まなくてはなるまい。


 もっとも、それは涼に戦う意志があればだが。

 戦意は愚か敵意すら出さない涼に毒気を抜かれたように、皐月から発せられる圧が嘘のように失せる。それこそ、彼女自身もこの結果を予想していたように。


「姪がお世話になっているようね」

「大したことは何も。にしても姪とは……その若さには似つかわしくないセリフだな」

「そうね。私自身、全然実感がないわ」


 クスリと茶目っ気のある笑みを向けながら皐月は涼の隣へ歩み寄る。

 こうして相対して涼は改めて驚愕を禁じ得ない。皐月の容姿は那月と瓜二つで、相違点といえば僅かな髪の色と左眼の泣き黒子ぐらいか。こうして言葉を交わし留意して観察しなければ本当に勘違いしてしまうだろう。


「ねぇ、どこまで気付いている?」


 必用最低限の、余計を省いた問い掛け。言葉の裏に隠れた意図を正確に読み取った涼の表情に苦悩の影が落ちる。


「………………やはり、もう止められないのか」


 小さく肯定が返ってきて、痛いほど涼の耳朶に響いた。

 涼が山岳トンネルに残された術式の解明に着手したのは凡そ二週間前。いまだ完了していないが、人を人獣に改編する術式の土台に、古代中国に端を発する呪術が用いられていることは早い段階で解析されていた。


 即ち、蠱毒。

 一壺の中で強制的な生存競争を生き抜いた最後の動物ないし毒虫を利用した呪術。

 人獣を毒虫に見立てれば、毒は内包する呪詛。そこまで分かれば、若輩の術師であろうと人獣の造形師の狙いを察せるというもの。


「渡るのだろう? 呪詛は……」


 再び返る肯定に、涼は臍を噛む。


 蠱毒はメジャーな術式であるが故に使用者や術式体系によって様々な様式に分化しているが、魔術翁が定めた蠱毒は更に洗練されている。詳細は不明だが人獣同士は一部術式で繋がっているのだろう。炸裂する呪詛の威力が不十分、または外部からの干渉によって阻害された場合は次の人獣へ転送されていく仕組み。つまるところ威力を際限なく蓄積していく。


 無論、相対距離に応じて呪詛のロスは大きくなる事は必至であるが、結界に対する人獣のステルス性能を鑑みればこれ以上ない脅威となる。解除した爆弾が何処かにある他の爆弾に威力を上乗せし続けるのだから。


 雀は大橋で邂逅した人龍の呪詛を極小範囲で結界を強化し難を逃れたとの事だが、炸裂した呪詛の殆どが皐月と建人に渡ったことも霊地汚染を免れた要因の一つ。轢殺された建人の再生に大部分が費やされているはずだが、皐月に渡った呪詛は生きている。


 そして残るは建人と皐月の二人のみ。


 ここ数日間、誠明たちと街中に放った式神を駆使した結果、潜伏している人獣はこの二人だけなのは確認済み。これも保護へ踏み切った判断材料の一つでもあった。建人を捕縛する算段は容易に付き、後は能力不明の皐月の拘束のみが課題であった。


 だが、炸裂しない呪詛(ばくだん)に意味などない。

 譲渡機能まで構築した術師が、敵勢力の阻害になんの対策を施していない筈がない。例えターゲットとなる土地から彼らを引き剥がそうとも、二十八年前に仕掛けられているであろう遠隔起爆術式が嘲笑うように皐月を射抜くだろう。仮にその保険が山岳トンネルに残されたものであっても、表面に刻まれた陣を壊した所で土地そのものに喰い込んだ術式は亡くならない。分析が完了していない今、解呪は不可能。


 無論、遠隔起爆の術式は何ら根拠もない憶測に過ぎない。だが無視出来る要素でもない。

 涼達に残された方法は、ただ一つ。


「悼む必要はないわ。貴方は正しく状況を理解しているもの」


 心中を察したのか皐月は涼を気遣ってくる。先程涼に殺気を向けていたのも、きっと同じ理由であろう。


「時間は?」

「もうないわ。彼に会う時間すら、もう残ってない」

「君はそれでいいのか?」

「……私達には資格がないもの。記憶を無くしていようと彼はずっとあり方を曲げなかった。それなのに私達は勝手に彼を裏切者に仕立て上げて、勝手に絶望して、勝手に傷つけてしまった。その上、私達の“咎”はいま彼に人殺しを強制しようとしているのよ」


 皐月は服に手を掛けると躊躇いなくその場で脱ぎ捨てる。足元に落ちるワンピースが雨に濡れ、無防備な下着姿を曝す皐月。本来であれば女性特有のなめらかな肌が現れただろうに、そこには悍ましい膿が鎮座し少女を凌辱していた。


 胸元が人獣特有の白肌に変質し、そこだけ別の生き物のように蠢いている。それが胎動に似ていると見抜いた涼は自身を激しく呪った。少なからず人獣の製作者と感覚を共通していなければこうもあっさりと解るものではない。


 やがて白肌が泡立つような挙動を見せると、それらは体内から姿を現した。

 最初に浮き上がったのは、小指の先ほどの人の顔。頭髪はなく、眼窩は闇色の虚空を覗かせる。一つ、また一つと違う顔が浮上していくと、それらは細い産声と共に短い腕で矮躯を引きずり出そうとする。


 そのまま這い出て来るかと一瞬危惧したが、無貌のそれらは一頻りもがくと力尽き、白肌へ沈んでいった。入れ替わる様にしてまた別の顔が次々と皐月の肌を破いては、彼らは不出来な矮躯に苦しみ、怨嗟を残して死に絶える。


 垣間見る彼女の奥底に宿る破滅の一端。一体どれだけの呪詛が彼女に渡っているのか、想像もつかない。少なくとも片手の指では足りないだろう。


「私達の咎で彼の在り方を損なうのだけは、絶対に嫌。だからお願い」


 膝を着き両手を組んで紡がれる懇願は、咎人の告解そのもの。


「──どうか私達を葬って下さい。どうか、建人を呪詛の円環から解き放って下さい」


 ああ。こんな結末誰も望まなかっただろうに。

 でもこれは有澤皐月が最後の勇気を振り絞って手にした反逆の一手。三十年に迫る魔術師の支配に一矢報いる、気高い散様だろう。その結末は麻酔の様な希望に手を伸ばす少年の命を摘み取ることで、彩られることだとしても。


 だからこれは涼の罪。

 彼女たちは最初から被害者で、魔術師の侵入を許しながら尊い命が弄ばれることに気付かなかった当時のアストレアに罪科が問われ、敗着を喫した涼達が背負うべき業だ。

 全ては二十八年前に決着していた。


 なんて独り善がりな自己満足だろう。

 最後だけは虚飾でも穏やかであって欲しい。虚像であっても幸せな夢を見ていて欲しいなどと、建人を焚き付けた結果がこの結末か。


 涼はコートを脱ぐと跪く皐月の肩にこれを掛ける。比較的背の高い涼が着るロングコートは華奢な皐月をすっぽり覆い隠す。


「他に何か望みがあれば、可能な限り聞こう」


 口調こそぶっきらぼうだが、その声音はとても穏やかだ。本当であれば今すぐにでも始末を付けなければならない状況にも限らず、手向けられる優しさに皐月は涙を零した。

 やがて遠慮がちに、最後には飛び込むように皐月は涼の胸の中へ。胸に掛かる重みに涼は一瞬だけ身体をこわばらせたものの、直ぐに優しく腕の中の少女を抱き寄せ、ぎこちなく頭を撫でる。


「ありがとう。優しいのね、貴方……」


 大粒の涙を流しながら少女はようやく心から安堵した。とうの昔に麻痺した肌から伝わる温もりは傷だらけの心に優しく染み渡り、包み込んでいく。


 恐怖も、苦悩も、悔恨も、今はない。

 そこにいたのは、ただの少女。

 ただの有澤皐月だった。


 ──ねえ。貴方は此処を取り繕った決別って言っていたけど、それは違うわ。

 ──終わりの見えない悪夢に生きていた私達にとって、此処だけは私達が還る唯一の場所であり続けていたのも。

 ──皆いつか此処に還ることを心の支えにしていた。

 ──此処は、私達の救いだったの。


 眠る様にして涼の腕の中で息を引き取る直前に皐月はそう語っていた。

 それが少しでも涼が背負う重荷を減らそうとした少女の健気さが、彼の心に小さな棘を残す。


 嵐は過ぎ去り周囲は闇に没した。

 瞬く星々が浮き彫りにするのは、人気の無い路傍に咲き狂う彼岸花の群れ。

 涼は少女の亡骸を抱え、愛用するリボンと同じ色の花々の中を進んでいく。


 上空から見れば群生花は爆発するように放射状に広がっている事が分かるだろう。

 その中心地に彼はいた。

 もう二度と目を覚ますことの無い彼の死相は思いのほか穏やかで、もしかしたらこの結末を何処かで悟っていたのかも知れない。


 少女の亡骸を彼の傍に横たえる。涼は硬直しつつある彼らの手を取ると、壊れ物を扱うように慎重に二人の手を重ねる。

 短い黙禱を捧げると少しだけ距離を置いて、彼らの眠りを見守る様にして佇む。

 呪詛を糧に芽吹いた花達はやがて彼らの肉体も取り込み、無害な霊気を放出することだろう。


 式神に買わせてきた煙草に火を着けながら、墓守の真似事を始める。

 肺を満たす紫煙の味は酷く曖昧で、そのくせいつまでも口に残って不快だ。

 その時、花びらを巻き上げながら夜風が吹き抜け、涼の手から煙草を空高く攫って行ってしまった。


「煙草は良くないってことじゃない?」

「……そうかもな」


 いつの間にかに来ていた雀に頷くと、差し出された缶コーヒーを有難く受け取る。

 甘いばかりで風味も余韻もないコーヒーは不思議と喉を通っていき、空腹を訴えていた胃を鎮めていく。

 それっきり会話は無く、夜通し続いた華葬が終わるまで二人は静かに立ち会った。


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