一章・二十六節 伽藍の墓標
涼が収集した情報は事件の概要と集団失踪した――否、外来魔術師の餌食になった学生たちの名簿、現場に残されていた術式。あとは建人たちの細々とした素性や人間関係をざっくりと。この霊園も調査の過程で知り得たものである。
眼前の墓誌に名が乗る有澤皐月の親縁、有澤那月とは学生時代に面識があり、卒業後も行き付けの喫茶店でアルバイトする彼女には雀という共通の友人を持つ者同士懇意にしてもらっている。
皐月と那月。
容姿はクローンと説明されても頷けるほど相似している。親族に言わせれば性格も似通っている部分が多いという。彼女たちを知る者たち全員が神の悪戯を疑ったことだろう。もしかしたら亡くなった皐月の将来を那月は取り戻しに来たのではないか。
親族たちの気持ちは察するに余りある。
しかして涼は同情することはしない。皐月や建人を取り巻く数奇な運命を悼みはするものの、それは所詮他人事で誰かが背負えるものでも肩代わりできるものでもなく、ましてや安易に彼らの心中を推量り同情や憐憫を抱いていいものではない。少なくとも他者でしかない涼はそうであるべきと考えている。
利己主義者を気取るつもりはないが、他人との境界線を明確にしなければ少なくともアストレアの監視官など勤まらない。
監視官は観察対象が世に不利益になると判断すれば、任務外の対象であろうと処分する殺し屋。
故にこそ涼は雀から建人の処分を譲り受けた。
過去に取りこぼした悲劇を清算する為に。事件を紐解きすべての要素をアストレアの天秤に掛け、生かすか殺すかを涼は見極める。
そして裁定の時はすぐそこだ。
建人を有澤皐月の墓と引き合わせてから、建人は糸が切れた様に動かない。項垂れたまま声一つ上げず雨に打たれ続ける。
聞き及んだ彼の生前――聴取した親族からすれば建人は亡くなっている――の性格からして、友人達の結末と向き合わせた方がよいと判断し、霊園へ連れて来たのだが効果の程はどうやらあったようだ。
常に澱み乱れていた魔力に芯が通り、羽化する身体に合わせて調律されていく。視れば漏れ出ていた余剰魔力がいまや強固な鎧に転じ、朱の燐光となって肉眼で捉えられるレベルまで昇華されているではないか。
外見こそ顕著な変化は視て取れないが、内部では目まぐるしくその在り方が覆っているはずだ。
「思い出したのか?」
「ああ。全部思い出した」
そうか、と涼は返すばかりでその後は本日三本目の煙草に火を着けるだけ。
記憶を取り戻したのであれば、それはそれで結構。暴風雨の中に出掛けたかいもあったというもの。
意志さえ感じさせる暴風雨の咆哮は一層激しさを増していき、大地よ砕けろとばかりに降り注ぐ豪雨は一寸先を水の闇に埋没させる。
両者の視界から互いの姿が隠れ消える。
天上渦巻く豪雲は生物に畏怖を刷り込む咆哮を轟かせ、木端を攫う暴風は不可視の腕のようだ。天災を頭上に称え、最後の人獣の羽化を迎えるには御あつらえ向きの舞台。
涼が捉える建人の魔力は、既に五輪で観測された人獣を超過し尚高まり続けている。
先程から坊主が何やら叫んでいる気配がするが、今は余計な情報と切り捨てる。
「一つだけ、聞いていいか?」
投げ掛けられた問いに、涼は応えない。答える為に待っていたのだから、無用な承諾だ。
沈黙を承諾と取ったのかあるいは涼の意図を察したのか。雨の帳を超えて歪んだ声が届く。
「あんたらは皐月をどうするつもりだ?」
生かすか、殺すか。
二者択一の解答を欲する声に、元から不味い煙草に拍車がかかる。
行動選択の誤りを指摘してやる事に不利益は生じないが、涼はやり方が少々迂遠過ぎただろうかと自問する。しかしそれも刹那の事で、まあいいかと相手に乗ってやることにした。どう転んでもやる事は明確。
ハッピーエンドかデッドエンド。
どちらを手繰り寄せるかは建人自身。
「有澤皐月が己の使命を全うするのであれば、殺すとも」
晩御飯のメニューを決めるかのような気安さで提示された、後の選択肢。
直後。
雨の帳は横一文字に断ち割られる。
首元に迫るは赤一閃。
鮮血より尚朱に染まる剛腕を振るうのは異形と化した砂純建人。浅黒く変色した肌には痣の様に術式が浮かび、体躯は三メートルに迫る巨躯に変化。額に閃くは第三の眼は巨人族の末裔に稀に発現する魔眼に酷似している。加えて剛腕を覆う苛烈な魔血は吸血鬼に視られる特徴。砂純建人は巨人と吸血鬼の因子を組み込まれた混成人獣。
建人が狙うは涼が肌を曝す数少ない首元。魔術師や霊能力者が服の内側に護符や防護術式を施すのは珍しいことではなく、仕込まれた術式によっては手酷い反撃を加えるものもある。そういった意味では無防備な首元を狙った点はセオリー通りで、手堅い攻撃とも評価してもいいだろう。
ただ一点。履き違えている事があるとすれば。
「な、何故避けないんだっ!?」
――涼には回避する気が最初から無かったということ。
涼は薄皮一枚で制止する剛腕と建人を一瞥すると、煙草を携帯灰皿に落とすとポケットから煙草の箱を取り出す。さっきの一本が最後のようで、残り香を届ける箱は空。
反対のポケットから財布を取り出してみせると、建人はやや焦燥交じりの恫喝を浴びせてくる。チッ。
「応えろ! なんで避けなかった。殺されてもいいって言うのか」
「……君があと少し攻撃を止めるのが遅ければ殺していたさ。意味もなく未成年者に喫煙を薦めるとでも?」
なに――と疑問符を口にしかけた建人の前で、涼は煙草に仕込んだ呪詛を限定的に解き放って見せる。
パチンッと鳴らされる手指の音を合図にして、前触れもなく建人の身体中から鮮血が噴き出す。
否。それらは血ではない。
肌を突き破ることなく出現したのは涼が髪を纏める赤いリボン。
蛇蝎の如く奔るリボンは内と外から建人の身体を幾重にも巻き取り、瞬きの間に捕縛を完了させた。
ミイラにしては雑、しかし少女趣味に解釈するには些かリボンの拘束力は強力過ぎた。身動ぎ一つどころか、涼は呼吸さえ赦さず生きた彫像を強制させる。生物としての機能を一切取り上げる“死”そのものを体現した赤いリボンは捕縛者の魔力を貪欲に吸い上げる。やがてリボンたちは幾筋に枝分かれし、その姿を彼岸花へ移ろわせる。死に彩る華々に群がられたその姿は残酷なまでに美しい。
もう一度指が鳴らされるとリボンは跡形もなく霧散していく。
時間にして十秒にも満たない拘束。
しかし涼の言葉を証明し、処刑台に首を差し出していることを実証するには十分過ぎた。
膝から崩れ落ち、頭を垂れ酸素を求め喘ぐ建人の様は罪人のよう。魔力の霧散と共に姿は人間に戻っているが、体温は下がり切っておらず背中からシュウシュウと湯気を上げている。
膝を着く建人の胸倉を掴んで無理矢理立たせると、戦意は失っていないのか煮え滾るような赤眼と視線が交わる。気の弱いものなら一睨みで失神しかねない情念を孕んでいるが、諸共薙ぎ払うように建人の頬に平手が打ち込まれる。
肌を打つ快音が不思議なほど霊園に響き渡った。
霊力も呪詛も籠っていない、何の変哲もないただのビンタ。何をされたのか本人は理解が追いつかず、呆然と歪な紅葉を押さえつける。
「君が今優先することは俺を殺す事か?」
ハッと息を詰まらせる気配が建人から漏れる。頬の痛みを意識するより先に「どうなんだ」という涼に促され、建人の首が曖昧に横に振られる。
「では君達を好き勝手に弄り回した魔術師の操り人形に徹する事か?」
違うと、今度は口に出してハッキリと否定してみせる。激情に駆られるばかりであった建人の眼に精細な感情が浮き出てくる。獣性を想起させる憤怒に隠れた、病魔の様な心の揺れ。
「取り繕った決別に中身を詰め込んで何の意味がある。伽藍の墓標を本物にすることが君のやりたいことか?」
「違う!!」
血を吐くように後悔と悔悛に溺れながらも、声を荒らげ否を叫ぶ。涙と鼻水でグシャグシャになりながらも違う違うと口に出すが、迷いを拭い切れていない。
「俺は、俺はあの日、失敗してしまったんだ……! 道化男の誘惑に負けて、クラスメイト全員の命と顔も知らない街の魔術師を天秤にかけて、勝手に他人を切り捨てる事を選んだ。銃を奪ってあのトンネルから抜け出せた時は、正直安心したよ。都合の良い希望ばっか口にして、皆を勇気づけていた筈が、結局は俺が一番萎縮していた、折れていたんだ。銃を向ける相手を間違えて、結局何も出来なくて。記憶を無くしたまま今日まで無様に生きちまった。鉄平が言うように此処で死ぬはずの皐月の肩代わりが出来るなら、俺は死ぬ! あいつだけでも今度こそ助けて――」
「甘えるなッ」
鋭い叱声がそれ以上の戯言を赦さない。強い瞋恚に満ちた涼の一喝は銃弾の様に建人を撃ち抜き、建人が奥底に隠そうとする本音を戒める。
彼を見ているとどうにも苛立って仕方がない。波風立つ理由はとうに知れている。きっと自分は彼に嫉妬しているのだ。
道を外れ、帰り方を忘れてしまい行き付く先には何もない自身とは違う。彼には帰る場所があって、その方法も既に示されている。だが自責の念から建人は眼を背け、結局は裏で糸を引く誰かの掌に留まったままだ。
それが涼には無性に気に喰わない。
「それが贖罪のつもりかッ。一体それで何が報われる、誰が救える? 履き違えた贖罪で救えるものなど何一つない!」
覆水盆に返らず。失った過去をやり直すことも零れた幸福を拾い上げることは出来ない。ならばせめて残されたものは手放してはいけない。力の限り繋ぎ止め、抱き留めなければそれこそ罪になる。
「手段と方法を、銃を向ける相手を間違えるな。今も昔も君達を蝕む不倶戴天の敵は変わっていないだろう」
「……でも、ッ!」
魔術師の影に怯え、躊躇いを見せる建人は完全に竦んでしまっている。
涼とて酷な選択を強いていることは自覚している。自己犠牲という名の強迫観念に縛られ、欺瞞と虚飾に捕われた精神を癒すのなら、本来は長い時間を費やすべきだろう。涼に襲い掛かったのも精神的に追い詰められ、他者に強要された償いに縋るほか彼が己を罰する選択肢がなかったからだ。
だがそれでは遅すぎる。これ以上彼に自分を誤魔化す事を赦してはいけない。輩の屍がまた一つ積み上がっては意味がない。
思い出せ。
在りし日の友たちを。有り触れた日常を。愛した人を、焦がれた想いを。
ずっと見てきたはずだ。
「――有り得たかも知れない未来を、君は二年半もの間見てきただろう」
あっ、というか細い声が建人の口から漏れる。
ポロポロと建人の眼から涙が零れ落ち、泣き崩れていく。
雨で流れようとも、とめどもなく溢れる滴。
五輪での学校生活はまさしく建人たちが失った、あったかも知れない幻想風景。一年毎に変わるクラスメイトと過ごし、気心の知れた友人とダラダラと締まらない平凡を謳歌した。そして幼馴染の写し鏡の少女に恋焦がれ、甘い苦悩に心を躍らせた。
ああ。なんて狂おしい程に幸せな夢を見ていたのか。
いつしか泣き腫らした少年の口元には笑みが浮かび、迷いながらも二度と揺るぐことの無い決意と覚悟を秘めていた。
死者は蘇らない。親族が立てた決別に嘘はない。魔術師の傀儡である事実に変わりはない。
それでも、あの日の後悔を明日に繋げる事はもう二度とない。
「皐月……」
いま自分が成すべきこと。
奇跡的にも術師からの呪縛から逃れたことには、きっと意味がある。
なら今度こそ、彼女を守らなくては。
今度こそ彼女の元に最後までいなくては。
墓標に刻まれた想い人の名を否定する為に。
有り得たかもしれない幸せを、今度は彼女へ




