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一章・二十四節 残酷な奇跡が招いた恋心

「嘘だ嘘だ嘘だ! 俺はこうして生きているぞ! 脚だってある、心臓だって動いている。それともあんたは俺が屍人(ゾンビ)だって言いたいのか!?」


 砂純建人は既に死者としてこの世から葬られている。

 確かな現実として刻まれている自身の名がどうして眼の前にあるのか。涼に掴みかかり感情に任せて喚き散らす。


 当たる相手を間違えている事は理解している。

 だが一度決壊した感情は壊れたように溢れ出てくる。哀しいのか、怖いのか、それとも怒っているのか自分でも分からない。グチャグチャになった心に溺れてしまいそうで、叶うなら感情の全てを削ぎ落としてしまいたい。


「言っただろ。死者は蘇らない、と。この墓は二十八年前に行方不明になった君達との決別を家族が具象化したものだ」

「……君達……行方不明?」


 胸倉を掴まれる涼は体裁を崩すことなく一つの墓石を指差す。砂純家の墓の三つ隣。他と比べても何ら変わりのない他家の墓石。

 強張る手を苦労して離し、覚束ない足取りで示された墓へ。極度のストレスで視界が揺れ、感覚が希釈されたように手足の感覚が鈍い。あと数歩の所で僅かな段差に躓き転んでしまう。拍子に唇を切ってしまい、口元が血と泥で汚れる。


 這いつくばるようにして顔を上げると、そこにあったのは親友の墓。此処に至って醜態を曝す事に頓着はなく、四つん這いで墓誌に駆け寄り刻まれた名前に目を走らせる。

 無意味と分かっていても、祈らずにはいられない。

 例え僅かな希望でさえ悉くが砕けるとしても。


 大和屋鉄平

 平成三年一一月七日没 享年十六歳


 冷たく無機質に綴られる、清算された死。

 途端に急激な吐き気が込上げ、場所も憚らず胃の中身を撒き散らす。胃の収縮は止まらず、嘔吐は何度も続いた。小さく蹲る身体が痙攣する度に嗚咽交じりの水音が弾ける。


 暴れる胃が落ち着いた頃には建人は力尽きていた、

 なけなしの体力で桶に水を汲んで来ると、吐瀉物を可能な限り洗い流す。豪雨も手伝って汚物は墓所から消えたが、気力は底を着いている。


 緩慢な動きで涼を探すと、着物の式神と共に別の墓所へ移動していた。建人の視線に気付くと、番傘の下で手招きしてくる。

 もうこれ以上何も見たくなかった。知りたくなかった。

 それでも建人の脚は涼へ向かっていく。


 頭痛が酷い。

 痛みを訴える頭は熱の塊になったようで、破れた記憶の檻の穴が広がっていく。ドロドロと流れ込んでくる記憶は此処ではない何処かで鉄平と過ごした、取るに足らない日常。五輪で過した日々と遜色ない過去。


 途中、十鷺右京の墓を見た。没年は同じ平成三年十一月七日、十六歳だ。

 鉄平に呼び起こされた記憶にいた青年。一年中カメラを携帯していた青年で、彼からシャッター音を聞かない日は無かった。


 綻んでいく記憶の檻。

 割れ目から覗くのはかつて砂純建人が辿った軌跡。

 両親、兄弟、親戚、友人、故郷――

 忘却していたのは自身の生立ち。取り巻く人々と環境。人格と価値観を連綿と繋げた確かな過去の現実が取り戻されていく。


 やがて最後に視えるのは幼馴染の少女の姿。肩口で切り揃える黒髪は絹のように綺麗で、陽光に照らされるとほんのりとした鶯色掛かっている。竹を割ったような気持ちのいい人柄で、誰からも慕われ、愛されていた少女。


 視線はいつも無意識に彼女ばかりを追っていて、それを鉄平に揶揄われては気恥ずかしさから口喧嘩に発展する。攻守が逆になる事も喧嘩が絶えない原因だった。気の知れた友人同士が恋敵になれば戦争は泥沼化必至だ。


「よく似ているな、彼女たち。まるで双子か」


 親族から頂戴していたのだろう。古い写真を見る涼の指摘には心底から同意せざるを得ない。

 何しろ生き写しそのもので、性格も酷似しているのだ。記憶を忘却して尚、純粋に引かれてしまう程に。


「事の発端は平成三年十一月七日に起きた修学旅行生の集団失踪だ」


 やがてずぶ濡れになった建人が涼の元へ辿り着くと、彼は先程と同じ様に場所を譲ると迷宮入りとなったとある事件を語り出す。


 二十八年前。

 朝から振り続ける雨の中、修学旅行生を乗せた一台のバスが乗客の学生を諸共突如行方知らずとなった。

 関係者によれば疾走したバスは途中立ち寄ったサービスエリアを最後に他のバスと離れて走行しており、高速道路を降りて暫くして逸れたという。バスは当時から殆ど交通量の無い山道へ入っていったとの目撃情報を最後に完全に行方を眩ませた。


 捜査本部が設置され問題の山道が調査されるも、崖から転落したバスが見付かるのみで行方不明者の遺品一つ見付からず捜査は打ち止めになった。間もなく問題のバスに搭乗していた修学旅行生二十九名、教員二名、運転手一名は死亡と処理されることとなった。


「だが最近になって行方不明者の目撃談が頻発するようになった。それも当時の外見のまま、歳を取っていない」


 ネットやこの街でも話題となっていた噂だ。

 親族に声を掛けられたその人は後に変死体となって発見された。

 噂の概要をなぞり事体の核心へ迫る涼の声が何処か遠くに聞こえる。


「変死体から採取したDNAを照合すれば、確かに彼等は生きていた。だが少なくとも、人としてではなく」


 封じ込めた魔物(きおく)が正体を現していく。

 呪わしい、全てが狂った平成三年十一月七日。

 右京を、鉄平を、クラスメイトを、建人を一生醒めない悪夢へ堕した運命の日。

 そして誰よりも愛おしく、大切だった彼女を失った日。


「君達はその日、ある魔術師に拉致され“人外の駒”となって今日まで使役されてきた」


 脳の奥で魔物(きおく)が眼を覚ます。

 魔物に飲み込まれた自我が辿るのは、二十八年前のあの日。

 恐怖と闇が埋め尽くす人工の洞窟に捕われた地獄を追想する。

 意識が飛ぶ直前、最後に建人が見たのは墓誌に刻まれた想い人の名前――救うことが出来なかった、女性の名前。

 有澤那月の叔母。


 有澤皐月

 平成三年十一月七日没 享年十六歳

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