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一章・二十二節 崩れ行く砂上の日常

 青天の霹靂とはこのことを言うのだろうか。

 初対面の人物に会って五分と経たないうちにパシらされるとは、砂純建人の人生において未知の体験だった。雀と円満な人間関係を築いていると那月を唸らせた涼だが、なんてことは無い。人使いが彼女より上手いだけの同類ではないか。死ぬがよい。


 更に驚いたことは涼が財布と一緒に車のキーを握らせてきたことだ。「雨だから徒歩は大変だろう」と気遣いらしき理由を宣っていたが、運転免許など建人は有していない。当然抗議したが無言で車まで連れていかれ運転席に座らされると、一方的に運転方法を口頭のみでレクチャーした後、建人を残して不良教官はそのまま洋館へ戻っていった。


 チュートリアルもあったものではない。カーレースのゲームだってもうちょっとマシな説明が差し込まれるはずだ。

 だが戻るという選択肢はない。涼が雀と同類であると判明した以上、任務遂行は絶対条件。任務失敗、逃亡は死を意味する。


 半泣き状態でキーを回してエンジンを掛けると、建人は恐る恐る車を発進させる。

 霊能力者の車なら漫画やアニメみたいなアシスト機能が付いているかもしれない。例えば自動運転機能搭載だったり飛行形態機能だったりタイムトラベル機能だったり? 等という希望・妄想・羨望の現実逃避は道路標識に激突したことで粉々に砕け散った。耐久力だけは底上げされているのか、鉄柱は折れ曲がっても車には傷一つ付いていない。まだ丘すら抜けておらず人眼もないのが幸いだった。何かあっても全て涼に責任転嫁しようと鋼の誓いを立てて再スタート。


 常々想う。良い子は決して真似してはいけない。決してだ。


「お帰り」

「おかえりなさい。ちゃんとお買い物は出来たかしら?」


 疲労困憊、這々の体で帰宅した建人を労う涼と雀。香り良い紅茶を楽しみながらミスマッチな将棋を楽しんでいる姿は貴族か何かか。悔しいがそれなりに画になっているので怒りも削がれてしまう。


「買ってきましたよ。中身の良し悪しに関しての抗議は受け付けませんから」


 ささやかな反撃で食材が詰まった袋をドンッと勢いよく置く。

 その振動で駒がズレて雀が睨んで来るが、涼は気にした様子もなく袋の中身を確かめる。


 不慣れな運転を一刻も早く切り上げたかった建人は一番近く、また街で一番大きいショッピングモールへ向かった。他人の金という事で値段など気にせず普段は眺めるだけの肉やら魚やらを籠に放り込み、兎に角眼につく物は手当たり次第に買い込んできた。

 建人の食費換算で凡そ三月分強の会計をポンと済ませた際のレジ係のリアクションはそれなりに満足ではあったので、ささくれていた機嫌も今はそれなりに良い。


「ジャ○プがないじゃない!」

「この時期は合併号が続くんだよ。あんた『ジャ○プ買って来いよ』って言いたかっただけだ……ああ嘘です、ごめんなさい」


 ずいっと雀の眼だけ笑っていない笑顔が近づけられ、反骨精神は容易くねじ伏せられる。生徒会長に口喧嘩で叶う者など大人にもいない。


「まあいいわ。取り敢えず君の手番よ」

「は? あ、ちょっと!」


 素っ頓狂な声を上げて一瞬呆けたが、ちょうど涼が台所へ消えていくところだった。つまり、今度は雀の相手を押し付けられたという事だ。拒否権は最初から用意されていないだろう。

 将棋のルールは鉄平に付き合わされたこともあって一応知ってはいるが、万年赤点生の建人には戦略ゲームは荷が勝ち過ぎだ。

 せめて涼が勝勢を優位に保っていますようにと、祈りを込めて盤面を睨む。


「なにこれ……」


 盤に並べられた駒数に違和感を憶えついそんな言葉が口を付いた。盤面も記憶にあるものより一回り大きく12×12マス。駒に至っては“獅子”や“麒麟”といった見慣れないものまである。


「中将棋ってやつよ」

「中!?」

「祖父の倉庫で埃被っていたものを引っ張り出してきたの。リハビリを兼ねて遊んでるだけだから。ルールはこんな感じよ。ちなみに敗者はお風呂掃除ね」


 差し出されたノートには几帳面な字でルールと各駒の動きが図解を交えて綴られている。一般的に知れ渡っている本将棋と勝敗の決し方は殆ど同じ様だが、駒数は三倍近くあり動きもやや複雑だ。

 考えるだけで頭から煙が立ちかねない情報量。ひとまず敵陣目前の歩兵を突いて手番を回しておく。


 同じようにして雀も歩兵を動かすと、ふと建人はあることに気付く。


「生徒会長、その腕――」

「言ったでしょ、リハビリって」


 ヒラヒラと振って見せる雀の右腕は包帯が取れており、白くきめ細かい肌が惜しげもなく曝されている。鉄平との戦闘で負った傷はかなり深かったらしく、雑居が始まってからも常に右腕は包帯に覆われ、絶えず血が滲んでいた。だがいまはその影も形もない。


「もしかして宵波先輩が?」

「正解」


 パチパチと軽快に手を叩く雀。その動きに支障はなく、外見だけ誤魔化しているというわけではないらしい。瑞々しい肌の向うに薄く透けて見える血管、綺麗に整えられた爪。左腕と見比べても何ら変わりが見られない。完璧に治療されている。


「魔術は傷の治療にも使えるのか。便利だな」

「彼は魔術師じゃないけど、そういう術もあるわ。ただし彼の術法は“治療”じゃなくて“修理”の方が近いかも」

「意味がよく分からないんだが……」


 以前国枝は「魔術師は思考回路がそれに属している為に魔術師たりえる」といった趣旨のことを離していた。

 建人が雀の説明をいまいち理解出来なかったのは原因がこれかと一瞬訝しんだが、それを察してか雀は再度噛み砕いて説明を加えた。


「ぐちゃぐちゃになっていた私の腕を切ったり縫ったりで治療したんじゃなくて、破損・欠損部分を代替品で穴埋めしたって感じ。ほら、どちらかと言えば治療より修理って感じじゃない? 目隠しされてたから、実際にこの眼で見たわけじゃないけど。涼君は業界でもわりと有名な式神デザイナーで、彼の作品の中でも人型は特に評価が高いのよね、あんまり売りたがらないけど。で、精巧な人型式神を造るためには人体構造を模倣するのが手っ取り早いって勉強していくうちに、人体を“修復”する技術を独学で習得したらしいの」

「……部分的な義手みたいな感じか?」

「だいたい合っているかな」


 にわかには信じ難い話だが、実際こうして雀の傷は完治している。


「じゃあ淑艶は人造人間なのか。ホムなんとかっていう」

「ホムンクルスね。あれは錬金術で生み出された人工生命だから、ちゃんと寿命がある。淑艶みたいな式神は限りなく実体に近い霊体であって、あくまで術者の力で動くラジコンみたいなもんよ。現にこの腕も二割近くが私の魔力で構成されているから、供給をカットすればあちこちの肉と皮がなくなって大惨事ね」


 サラリととんでもない事実が暴露された。

 暫くすれば細胞分裂に上書きされるように本物の肉が付くというが、常時魔力を通し続けるのはかなりの重労働のはずだ。微塵もそんな様子を見せないあたり魔術師としての技量の高さを伺わせる。


 ただ魔力というのは無条件で使える力ではなく、コントロールを誤れば自身を斬り付ける諸刃の剣だ。鉄平との一戦で極短時間といえど魔力を行使した建人もいまだ身体中に細かい痛みが残っている。


 もっとも場合によっては後遺症が残るほどの傷が完治出来るのであれば、その程度は安いと雀は考えているのだろうか。


(――破損・欠損部分を他から持ってくる?)


 雀の言葉を思い出し、それを呼び水として今まで放置していた疑問が浮上してくる。

 あの日、あの大橋で。魔弾の射手である雀と人龍の戦いを目撃した夜。

 建人は確かに弾き飛ばされた人龍の巨体に押し潰され、死を覚悟するする暇もなく意識は暗黒へと呑まれていった。しかし、意識を取り戻せば五体満足で自室で横たわっていた。


『お前には右京の分も合わせた呪詛がたっぷり溜め込まれているはずだ』


 双人狼となった鉄平の言葉が蘇る。

 心臓が否応なく早まり、そのくせ巡る血は熱を失っていく。

 記憶の断片でもみた右京という人物が大橋で目撃した人龍であることはほぼ間違いない。鉄平や誠明の口振りから、建人自身にも呪詛というものが内包されているらしい。それが具体的にどういうものであるかは定かではないが、鉄平が見せた再生力を鑑みるに無関係と断じることは出来ない。


「ついでだから伝えておくけどね、砂済君」


 ポットから紅茶を注ぎながら対面の少女が切り出してくる。建人の動揺を察しているのか、先程までの気楽さは成りを潜めている。

 自然、建人も姿勢を正す。


「廃工場で君が負った傷の殆どはね、此処に運び込む頃には殆ど完治していたの。頭部の裂傷、肩の咬傷、腕部脚部の刺創、打撲、擦り傷等々……まるで――」


 まるで大和屋鉄平の様に、と続く言葉を雀は飲み込んだ。勿体ぶった訳ではなく、建人の眼を覗いてそう判断しただけ。

「……そうですか」


 駒を打ちながら建人は何とかそう絞り出す。

 雀自身の傷を放置し、建人の治療を優先する理由がないことは早い内から理解していた。だから深く考えることを避けていたのだ。恐ろしくて、眼を背けていた。


 それ以降建人は無言で駒を動かし続けた。損得など考えず空いたスペースに駒を突貫させるのみで、自陣は砂上の城の如くボロボロに崩れていく。涼が昼食を運びに来る頃にはあれだけあった駒達は対面の駒大に積み上げられ、自玉は落城を眼の前にしていた。


「まずは食べなさい。話はそれからでもいいだろう」


 建人は曖昧な返事しか出来なかった。


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