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一章・一節 補講帰りに青臭い青春

「痛ってー。こぶになってやがる。どんな馬鹿力だよ」


 野球グランドに隣接する駐輪場から自転車を引っ張り出しながら、砂済建人は鈍痛に呻く。

 色素の薄い頭髪をこんもりと持ち上げるこぶは真夏の日差しに焼かれた様に腫れていた。


「生徒会長の御前で居眠りとは、赤点王はやることが違うな。間違っても真似できん」

「褒め言葉になってねえぞ、鉄平」

「褒めてないからな。これに懲りたらせめて聞く振りだけでもするんだな」

「サボりの韋駄天がよく言うぜ」


 自転車を押す建人を揶揄(からか)うのは隣を歩く大和屋鉄平だ。

 生活指導を恐れない制服の着崩しと眼つきの悪さから、鉄平の見た目はヤンキーのそれだ。目鼻立ちが整っているので女生徒からは野性味のある美男子だと秘かに人気があるのは、建人は微妙に納得できない。


 対して建人の外見はと言えば至って平凡。

 運動が人並み以上に得意という事を除けば、自他共に何処にでもいるような男子高校生の一例と称される青年である。


 そんな二人が在籍する此処五輪高校は現在夏休み真っ只中。

 部活動でもない建人らが登校しているわけは、一学期の成績が芳しくなく休み返上で補講の栄誉を授かった猛者たちであるからだ。

 もうじきお盆だというのにこうして学校に脚を運んでいる所を見るに、彼ら二人、砂済建人と大和屋鉄平は猛者の中でも一際箔の付いた歴戦の勇士なのだろう。


「だいたい何で生徒会長が教鞭をとってんだよ。教師はどうした」

「働き方改革が叫ばれて久しいからな。成績優秀者をアルバイトで夏季補修の見張り役に付けたんだと」

「何だそりゃ。だからって『舌切り雀』を雇うかよ。平気で体罰加える様な女に見張られたんじゃ、身が持たねえぜ」

「生徒会長を前にしても勉学意欲が湧かないとは、何とも嘆かわしいな。いよいよ持って首輪が必要か。おお、怖え」

「サボりの度に副会長の追跡躱してる奴が吐く台詞じゃねえだろ」

「俺は授業がかったるいだけで、中間も期末も全教科はパスしてるからな。必要出席日数が俺の気分と釣り合ってないだけだ」

「………どんな理屈だよ、秀才め。」


 詭弁にもなっていない鉄平の言い分に、建人は悪態をつかずにはいられない。

 事実、鉄平は学力だけ見れば学年でも余裕で五十位以内を常にキープしている。

 補講用に調整された優しめの課題プリントに悪戦苦闘している建人とは頭の出来からして違うのだろう。


 ただそんな二人にも夏の日差しは平等に降り注ぐ。

 焼き焦げたアスファルトは陽炎を立ち昇らせており、燦々と照り付ける陽光は景色を漂白するようだ。


「……あっちー」

「いつもの所に寄って行くか」


 鉄平の提案に建人は生返事で賛成を伝える。

 建人と鉄平は高校入学からの友人だ。

 特別共通の趣味があるわけでもないが、初顔合わせから不思議と意気投合して、三年生の今に至るまでこうして肩を並べるのが日常となっている。


 今日も今日とて午前中一杯仲良く補講を受け、ようやく夏休みらしい自由を得た二人が向かうのは時代劇さながらの茶屋・一式屋である。

 木造建築の古き良き造りの一式屋は背の竹林の影を程よく被り、直ぐ傍を流れる小川が涼を運んでくるので、火照った身体を休めるには丁度よい。

 店の外に立つ朱塗りの和傘の影には緋色の毛氈(もうせん)が敷かれた縁台が並び、夏季休暇を謳歌する若者たちが和菓子に舌鼓を打っていた。


 昼時という事もあり、決して多くない席は外も中もそれなりに埋まっている。

 建人たちが席を探していると、


「おーい、建人、鉄平。こっちこっち」


 見慣れた少女が屈託のない笑顔を浮かべ、大きく手を振っていた。


「有澤っ」

「やっぱ此処に来たね。ちょっと分かり易すぎるんじゃない」

「ほほう、言うね。んじゃ今日の建人君の武勇伝を当ててみてくれよ」

「鉄平! なに言いだすんだ!?」

「んん? 建人ってばまた生徒会長を怒らせたの? そうねー、昨日の夜は快晴だったから、天文部部長さんは観測で削った睡眠時間を補講中に補った、とか?」

「パーフェクトだな。賞金として此処での会計をその天文部部長さんに持って貰うか」

「勝手なことを……」


 いけしゃあしゃあとタダ飯を集る友人を横目に、建人は思わぬ幸運に胸を弾ませていた。

 二人を自分が座る縁台に招いたのは、同じ高校に通う少女・有澤那月だった。

 建人としても秘かに恋心を抱く少女に昼食を奢るのは全く問題ないが、その過程があまりにも恰好が付かないではないか。


「有澤は部活帰りか?」

「そ。まあ私ら三年は実質引退だから、今日は部室の整理をしに行っただけ。あとは夏季補講の資料造りに生徒会にちょこっとね」

「夏休みだってのに、よく働くな」

「君ら補講組がもう少し減ってくれれば、私達の負担も減るけどね~」

「……これでも善処はしているつもりだぜ?」

「つもりじゃなくて、大真面目にお願いね。鉄平は授業さえ出てれば問題ないんだから、ホントに頼むよ」

「うちの教師はどうにも張り合いがないから、出る気もないね。いっそのことずっと生徒会長に登壇して貰う方が俺としちゃ大変愉快だ」

「恐ろしいこと言うなよ……」


 サッと頭のこぶを覆う建人の様子に、那月がカラカラと笑い声を上げる。


 那月もまたクラスこそ違うが同じ高校に通う同級生である。彼女を加えた三人の付き合いもまた高校入学以来からのものだ。

 那月は竹を割ったようなさっぱりとした人柄であり、ミディアムショートの髪型と小柄ながら引き締まった体躯とよく合っている。

 後輩の面倒見がよく、生徒会と兼任する水泳部では全国大会に三年連続で出場する実力者だ。おまけに実家が古武道の道場であり、やんちゃする男子生徒を軽々と組み伏せるほどの腕っぷし。


 そう言った諸々の要素が噛み合わさり、学内では性別問わず人気が高い。建人などは那月の隣にいるだけで、彼女のファンに睨まれるほどである。

 さらに言えば、学内では数少ない生徒会長と対等に付き合える人物であるのだから、生徒・教員問わず評価が高いのは当然の帰結だ。


「いやいや、私なんかは上手く使われているだけよ」

「教師だって会長の前じゃ及び腰なんだ。十分スゲえと思うぜ」

「幸白副会長みたく噛み付いてばっかって訳でもないしな。見てるぶんには退屈しないが」

「それ本人の前では言わないでよ。彼若干癇癪持ちなんだから」


 建人と那月は看板メニューのみたらし団子を、鉄平は風情ぶち壊しの缶コーヒーを傾けながら他愛のない話に華を咲かせる。

 夏休みで三人揃う機会は少なかったが、放課後は時間さえ合えばいつもこんな感じである。

 食事を終えた三人は小一時間程ゲームセンターで時間を潰すと、そのまま駅前をぶらついていた。

 ふと、建人はあることを思い出し那月に呼び掛けた。


「そういや有澤、この間の全国大会の結果はどうだったんだ? まさか三連覇か?」

「……バカ建人が」

「は?」

「あー、いいのいいの鉄平。気を使わないで」


 建人へ呆れた顔を浮かべる鉄平に那月がすかさずフォローを入れる。

 一瞬疑問符を浮かべていた建人だが、那月の右足首にテーピングが巻かれている事に遅まきながら気付く。


「有澤、もしかして……」

「……まあ、こういう事もあるよね。大会前に捻挫なんて、自己管理が出来てない証拠よね」


 失敗、失敗と那月は笑い飛ばすもののそう軽々しく流せるものでも無いだろう。

 建人も鉄平も、那月が高校最後の大会であり全国大会三連覇へ向けた努力を影なら見てきたのだから。

 星を眺めている事が主な活動内容の天文部とは、注いだ熱量も時間も比較にならない筈だ。

 話題選びの失策に建人がまごついていると、


「とはいっても今年は世界レベルのスイマーがゴロゴロでね。自己べを更新したとしても、いいところベスト8が精々かな」


 そう那月は難しい表情を浮かべ唸る。

 肩を落とす那月の様子は建人へのフォローを狙っただけでなく、本気でそう納得しているようだった。

 ただ切り替えの速さも彼女の美点の一つであり、那月は「はい。この話はお終い」と場の空気を切り替えるように手を叩く。


「次は気を付ける事だな」

「……分かってら」


 耳元で小言をくれる鉄平に建人はぶっきらぼうに返しながら、先を歩く那月を追いかける。


「んで、明日はどうすんだ?」

「灯篭祭のこと?」

「ああ、そう言えばもうそんな時期か」


 鉄平が持ち掛けた話題に那月が確認を入れ、建人はちょうど張り出されていた祭りのビラを指差す。

 ビラには木枠と紙で作られた灯篭を川へ流すイラストが描かれている。

 お盆の時期に行われる送り火の一種であり、祭りというだけはあり当日は屋台や出店が軒を連ね、花火も上がる。

 開催日はちょうど明日であり、周りを見渡せばあちこちでその準備も行われていた。


「去年は建人が風邪引いてたから、三人で行けなかったんだよね」

「何とかは風邪引かないってのは嘘だな」

「悪かったな馬鹿で」

「俺は一言も馬鹿なんて口にしてないぜ。それとも自覚があったのか?」

「……のやろぉ」

「まあまあ。それで二人とも予定は大丈夫? 私は生徒会の有志活動が終わった後なら時間あるけど」


 五輪高校の生徒会では毎年灯篭流しに使われる灯篭を、町内会からの委託で製作から配布まで行っている。有志とはそのことだ。

 多忙な那月とは異なり、男二人は補修以外予定などなく、那月に合わせて集合時間と場所を決めた。


(有澤は浴衣とか着てくんのかな)


 鉄平への憤りで誤魔化してはいたが、建人は内心飛び跳ねたいほど心を弾ませていた。

 恋心を抱く異性と祭りに赴くなど誰もが夢見るシチュエーションではないか。

 明日は何を着て行こうと箪笥の記憶を漁っていると、そのままの流れで今日は解散という事になっていた。


「んじゃ、建人は有澤を家まで送ってけよ」

「おう。そうだな。……は?」


 話半分にしか聞いていなかったので建人は一瞬反応が遅れた。


「送る?」

「怪我人をこのまま歩いて返す気かお前。自転車の後ろに乗っけてけ」

「だ、大丈夫だよ。そんな大したもんじゃないし」

「遠慮はいらねえよ。じゃあな、お二人さん」


 それだけ言うと鉄平は背を向け駅へ消えていった。

 残された二人の間に漂うぎこちない空気。

 鉄平という緩衝材が消え、二人乗りというイベントが横たわるこの状況。

 会話が途切れてしまい、しばし二人の間には気恥ずかしさに沈黙が落ちる。

 ただ何時までも突っ立っている訳にはいかない。


「あー。乗ってけよ有澤。そんな足で無理に歩くことねえよ」


 意を決して切り出した建人は自転車の金網に座布団代わりに鞄を置く。

 二ケツ程度は鉄平と何度もやっているので、やる分には何ら問題ないのだ。

 自分も跨ると、慌てる那月へ背中越しに手招きする。


「ほれほれ。日頃課題を写させて貰ってる礼代わりだよ」

「……じゃあ、お言葉に甘えて。重かったら言ってよね」

「大丈夫だよ。それよかしっかり摑まってろよ」


 タイヤが沈み、肩にほっそりとした手が掛かるのを合図に建人は慎重にペダルを漕ぎ出す。


「うわ、軽っる」


 鉄平が乗っている時と同じ調子でペダルを踏んだら、車体がグンと加速していったので建人は思わず声を上げた。

 180cm以上のタッパがある鉄平と違い、那月は小柄な分軽いとは踏んでいたが想像以上だった。


「おおっ。やっぱ男子はパワーが違うね。私が普通に漕ぐのと同じぐらいスピード出てるよ」

「いや、有澤が軽いんだって。前に軽々チンピラ転がしてた奴とは思えねえ」

「あれは力じゃなくて技だからね。重心と位置取りさえ覚えれば、割と簡単なもんよ」

「それで倍近く体格差がある人間が宙を舞うか?」

「なんなら教えようか? 建人運動神経は悪くないんだし」

「頭の出来が悪い分、身体に憶えさせようって方針になるから、簡便だな」

「ん~。理屈より感覚派の人は結構多いけどね」

「ねえ。ちょっとはフォローしてくれよ」


 建人の抗議は茜色の時間帯を迎えた街の喧騒に呑まれていく。那月の笑い声が蝉時雨に加わり、頬を赤らめた建人はペダルに掛ける力を大きくした。

 八月の中旬。

 まだ暑い日が続いていた。


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