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終章・二十二節 蓮鶴

「全く……手間のかかる」


「幸白君。どうして君が?」


 狐の式神の背に乗せられた雀はそう聞かずにはいられなかった。


 百瀬が出鱈目な力でぶち開けた大穴から雀と照を救い上げているのは、アストレア協会派の幸白誠明、つまり魔術翁に与しているはずの人間だからだ。


 そうでなくとも顔を合わせれば憎まれ口を叩き合う仲だというのに、誠明は雀たちを拘束する事さえせず、呼び出した式神に乗せてゆっくりと地上へ上昇しているところだ。


「不本意に決まっているだろう。あの怪力男に強要されているだけだ。解任されはしたが、俺は依然としてアストレアの監視官だ。事態を鑑みれば本来君ら二人は処断対象だが、現状は俺の権限が及ぶ範囲を超えてしまった上に、上司とも連絡がつかん。だから仕方なく、だ」


「なんかずいぶん言い訳臭く聞こえるけど」


「当たり前だ。街が謎の領域に包まれあたふたしてたら、あの馬鹿力に無理矢理強力させられて人獣を狩り回された。いまだって宵波の式神の起動を確認したら、君らを連れて撤退する手筈だったのに、合図も寄越さず落としよってッ」


「あ、近くにいたんだ」


 救助がいやに迅速だったのは単に巻き込まれただけだったようだ。なるほど、下手をすれば死んでいてもおかしくは無かった。そりゃ機嫌の一つも悪くなる。


 逆に言えば、それだけの仕打ちを受けながらも彼は従っていたということだ。よく言えば誠実、悪く言えば馬鹿正直で柔軟性に欠ける誠明らしくはない。


「……奴には借りがある。恩を仇で返したこともな」


「うん」


 散々言い訳を連ねたが結局は本音を隠せず、最後に誠明は白状した。


 誠明のような実直な人間は往々にして状況や環境に振り回されやすい。彼なりの苦悩と葛藤の末に、百瀬に従ったのだろう。


 そのお陰で雀たちはこうして地上へ帰還出来そうなのだから感謝しなければなるまい。


 だがそんなことは雀たちは正直どうでもよかった。


「蓮鶴の起動は出来た。でも……」


「繋がってはいるけれど、主従権は私たちに移っていない。単騎で地上へ行ってしまったようね」


 蓮鶴の起動直後、そのあまりの膨大な魔力消費に雀も照も一時気を失ってしまった。誠明が控えていなければ穴の底に叩きつけられシミになっていただろうが、切り札は単独で魔術翁へと向かったらしい。


 ハッキリ言ってこんな風にお喋りしている場合ではない。蓮鶴が破壊されてしまえば、本当に打つ手が無くなってしまう。


 しかし駆け付けたところで何ができるわけでもなく。


「その様子だと、やはりあの機体について何も知らないようだな」


「どういう意味?」


 チラリと肩越しに確認した誠明の言葉に、照は眉をひそめる。


 確かに詳しく説明されたことは無いが、あれが赤服の呪いを制御するための機体であることぐらいは聞かずとも察している。


 いや、待て。おかしい。


 確かに涼にとってあの式神は重要な代物であろう。何しろ彼の生命線そのもの。破壊されてしまえば呪いの制御が利かない。


 逆に言えば、蓮鶴とはそれだけの機体だ。戦闘能力は無いに等しく、そもそも制御するための呪いがいまは無い。多少は機体に染みついているであろうが、やはり決定打にはなりえないだろう。


 しかし形代の糸切狭を手にした瞬間、衝動めいた何かに突き動かされたのも確か。


「宵波の出生について、お前たちはどこまで知っている?」


 唐突に投げかけられた問いに、雀も照も咄嗟に答えられない。


 これもまた詳しくは知らない。興味関心がないのではなく、安易に踏み込んでいい話題ではないからだ。


 付け加えるならば、いまはただ罪と無力に苛まれるばかり。


 そんな二人の心境を察しながらも、誠明は返事を待たずに語り始める。


「七榊家で生を受けた奴は両性具有だったそうだ」


「……男女の特徴を併せ持った特異体質?」


「そうだ。それだけなら稀有であっても、術師の世界ではない話ではない。ただ奴の場合、男性の部分は霊能力者、女性の部分は魔術師の肉体だったらしい」


「それはまた……日常生活にすら支障をきたしそうね」


 初めて知る涼の過去に触れ、照は表情を曇らせた。


 本来、人間は必ず霊力か魔力か、どちらか一方をもって生まれてくる。逆に言えば、この二つは生物として相反する代物なのだ。


 それが混在してしまえば、身体が機能不全に陥っても不思議ではない。


「記録が抹消されているから何とも言えんが、恐らく真面な生活は送れていなかったはずだ。当時の七榊家が奴をどう扱ったまでは知らんが、宵波家に引き取られた時点ではそこに赤服の呪いが追加されていたらしい。だが知っての通り宵波はこれに折り合いを付けた」


「それが蓮鶴?」


「そうだ。式神・蓮鶴の機体の基礎(ベース)は奴の女性だ。赤服の呪いを受け継いだ奴自身の肉体なのだから、器としてはこれ以上ない素体なのは言うまでもない。逆を言えばあの式神もまた、宵波涼に他ならないということ」


「待って、それって!?」


「……うそ」


 ようやく誠明が言わんとすることを察し、雀は驚愕に目を見開き、照は胸を抑えた。


 彼はこうなることを予見していたのか。あるいは備えていたのか。


 いずれにしても、彼は正しく理解していたのだろう。


 魔術翁を真に滅することが出来るのは自分しかいないという宿命を。


「地上に出るぞ」


 大穴から脱し、視界に彼女(・・)が映り込んだ途端、涙ですぐにその姿は滲んでしまった。


 背格好も、性別すら異なるが馴染み深い煙草の匂いと、間違えるはずのない呪いの気配。



   ✝   ✝   ✝



「御機嫌よう、宮藤。殺してくれてありがとう」


 微笑む女性は日本美人。


 稀代の式神職人に手掛けられ、蓮鶴と名を与えられた機体。


 一目でもその姿を視界に収めたのであれば、望む望まぬと関係なく忘れることは永劫叶わない。その美しさ故か、あるいは呪いの器としてかは定かではない。


 断言できることがあるとすれば、魔術翁(カイ)らにとってはそのどちらでもない、ということだろう。


『スー君……宵波涼、かい?』


 確信はあっても確証を得られないかのように、カイは慎重にその名を口にした。


 殺した相手。その死を見届けるまでもなく致命傷を与え、葬ったはずの人間の名を言葉にすることに薄ら寒さを感じずにはいられない。


 鏡海という全知全能の領域に踏み込んでなお、不可侵を強制する存在がただただ受け入れがたいのか。


 無意識にカイの脚が引かれた時であった。


 なんの前触れもなく、赤い稲妻が無数のカイらを一斉に撃ち抜いた。


 肺腑を揺るがす衝撃波。眼を焼く閃光の嵐。肌を炙る莫大な熱。


 時間にすれば、それこそ瞬きに満たない刹那の間だ。無数の破壊後の数だけ、ただ一人を残しそこにカイらがいた(・・)ことを物語る。


『…………ッ!?』


 壊滅していた。


 鏡海の権能を有する宮藤カイの群体が抵抗さえ許されずに。


 百瀬に後れをとった事はまだ理解できる。魔術翁の想定を遥かに超えた肉体強化術式の究極にせよ、魔術自体は普遍的なものだからだ。


 だがいまのは違う。


 霊術か魔術か。いつ術式が発動したのか。なぜ触手の権能ごと貫かれたのか。全ての知覚を置き去りにされ、気付けば自分たちの死という結果のみが突きつけられる。


「別段驚くことは無いはずだ。遠い昔、その身に落とされた罰と似た味のはず。まさか覚えていないとは言うまい、名も知らぬ吸血鬼の王よ」


『赤服の呪い、とでも言いたいのか』


「無論だ。お前を滅するのにそれ以外の理不尽があるのか?」


『雀ちゃんが解いたはずだろッ。その機体が呪いの器であろうと、満たす中身がなければ伽藍も同じ。何をした!?』


 事実、カイは涼の心臓を貫いた際、解呪を直接確認している。


 あの時にわずかでも呪いが残っていたのなら、絶対に反撃していたはずだ。


 ありえない。


 頭では否定したいが、現実は忌々しい事実をまざまざと見せつける。


「確かに呪いは消えた。しかし神崎が解いたのはあくまでも、この身に宿ったもののみ」


『煙草に封じていた分が無いことは確認している! 他にあるわけが──』


 不意に、カイの言葉が途切れた。


 そう。確かに涼が日頃呪詛へ変換し、煙草として携帯していた呪いは全て吐きつくした。


 元々ギリギリの霊力運用で捻り出していた代物であり、予備など用意出来るはずもなく、そこは念入りに確認している。


 煙草ではない。


 ある。宮藤カイという魔術翁だからこそ生まれた盲点。


「この身を満たす呪いは、宮藤カイの死という概念と(しとね)を共にした、あの旅客機に染みついた赤服の呪いだ」



 四年前。別個体の魔術翁が現れ、カイの死を切っ掛けに呪いが暴走し、汚染された旅客機は一級呪物に指定され、今日まで封印されてきた。


 赤服の呪いの中でも既に魔術翁に死を届けた極上の呪いだ。それを百瀬が回収し、更に人獣の呪詛を食わし育てた。


 正真正銘、これが涼の切り札だ。


 死人同然の肉体でありながらなお涼が前線に出続けたのは、裏で動く百瀬を悟らせないため。


「解呪は想定外だったから、赤服の所有者である彼女たちに呼んでもらう必要が出てしまったが、宵波涼(・・・)の肉体が滅ぼされることは想定済みだった」


『……趣味が悪いね。散々女を泣かせておいて自慢気に言っちゃって』


「人に言えた立場じゃないだろう。まあ、それをお前に言うのは理不尽というものか」


 殺されるためだけに複製され、産み落とされた個体。


 これ以上倫理と道徳に背いた所業もないだろう。


 随分と紆余曲折を経てしまったが、結局は用意された結末に向かおうとしている。


「もしお前が宮藤カイとして生きるのであれば、その権能で、権能ごと魔術翁を破棄しろ。一生首輪を嵌められることになるだろうがな、情状酌量の余地はなくはない」


 最後の交渉だ。


 無数のカイが現れた通り、いまの宮藤カイは名前も知れぬ元五輪市の住人。当然、蓮鶴が殲滅した彼らには何の非はなく、譲歩を口にすることなど傲慢もいいところ。


 だが真の罪人も、この事件にいないことも事実。


 戻れるならば、戻れ。


 望まぬ再会を果たした羽田空港での願いを言葉に込めた。


 例え一方通行の道を進んでいると自覚しても。


「投降しろ。ここがお前の分水嶺だ」


 ある意味では、二人の姿が未来を予言するようだ。


 その成り立ちさえ、出会った頃とは何もかも異なるのだから。


『はっ』


 小さな笑い声。


 次の瞬間、解き放たれた触手が蓮鶴を取り囲み、空間が捻じ曲がっていく。


『身に覚えのない罪を背負わされた挙句、他人に許されなければ満足に生きることさえ叶わない屈辱を、他ならぬ君が理解できないわけがないだろうッ!』


 髪を逆立て吠えるカイの激昂に呼応するように、触手がドス黒く染まり、空間が加速度的に現実から乖離していく。


 権能の力で空間に虚数を入力し、蓮鶴を異次元へ追放するつもりか。


『次元の彼方へ消えてなくなれ、忌まわしき怨念ッ!』


 もしエーテルを宿していなければ。涼の監視任務に就いていなければ。あるいは生まれた時代さえ異なれば。


 何か一つでも食い違っていれば、カイはβ世界のような人生を歩むはずだった。


 決別は魔術翁の意思か、それとも。


「生きることを他人に許される屈辱、か……」


 雀がカイに肩入れしていた理由はきっとそこなのだろう。


 事故にせよ、自分が招いてしまった妹の短すぎる生に憤り、後悔し、足掻いた。


 ハッピーエンドは、ありえない。


 だがこの道を進むことを選んだのは間違いなく──宵波涼だ。


「全く持って、同感だ」


 番傘を一薙ぎ。


 たったそれだけで、虚数に歪む空間がガラス細工のように打ち破られた。


 万物編纂の権能だろうが、関係ない。


 赤服の呪いとはその魂に底なしの穴を穿つ天罰そのもの。ただの人間であれば例外に成り得たかもしれないが、真祖に端を発する魔術翁がこれに抗える道理はない。


 触手を導火線にし、人獣の呪詛を喰らい増大した赤服の呪いがカイ目掛けて奔る。


『く、来るなッ!』


 咄嗟にカイは根元から触手を切り離す。


 瞬時に呪い殺された触手が燃え尽きるように消えた、その瞬間、銃声が響いた。


 カイの小さな身体が、揺れ、口元から血が流れる。


 硝煙の臭い。


 銃口から細い煙を吐き出す回転式拳銃、コルト・SAA(ピースメーカー)が蓮鶴の手に握られていた。


 唯一、魔術翁へ絶対的に有効な赤服の呪いを囮に撃ち込まれた、ただの鉛弾。


 カイの心臓を貫いた。


『……っ、このていど』


 発砲。


 今度は存分に呪いを込め、撃ち抜く。


 五発の残弾の内、二発は牽制と囮に使い、残る三発で喉笛、右腎臓、鳩尾を貫き、呪いを炸裂させた。


 カイの身体が大きく揺らぐ。


「術式は数ある手札の内の一つに過ぎない。そうアストレアで教わらなかったか?」


 不可視の銃弾。


 原理は単純明快、ただの早撃ち。


 ただし視認すら困難なほどに、文字通り眼にも止まらぬ早さで抜銃し、発砲しているだけ。亜音速で放たれる銃弾はただそれだけで脅威であり、それは権能を保持していようと同じこと。


 編纂の権能を有していようと、反応できなければ意味はない。


「いついかなる時も銃とナイフは手放すなと初めに教えられたはずだ」


 排莢。装填。発砲。


 何百回と繰り返し身体に刻み込んだ動作を淀みなく実行する。赤服の呪いは威力の底上げに過ぎず、血の滲む努力によって培われたただの技術で弾丸をカイへと届かせる。


 銃口から発砲炎(マズルフラッシュ)が閃く度に、同じ数だけ風穴が穿たれ、彼岸花となって呪いが咲き誇る。


『う、ああああああああッ、スゥズウウウウウ!?』


 壊れた喉を怨嗟の雄叫びで震わせ、カイは飛び出した。


 鎗襖のごとく撃ち込まれる銃弾に貫かれようとも、猛進した。


 既に権能の触手は呪いに破壊され、その肉体は五体を欠いて朽ちる寸前。


 ──憎い。お前という運命が。


 血に濡れた視線が雄弁に語り、曝け出した本音。


 振り上げられた小さな拳と共に、涼は目前のそれを真正面から受け止め、


「恨め。その魂が尽き果てようとも」


 赤服の呪いを用いた肉体分解によって、魔術翁という存在を受け入れた。


 水に触れた綿菓子のように、振り抜かれた拳が消滅し、勢いのまま流れるカイの重みを感じる間もなく滅却し尽くした。


 赤いミストが蓮鶴の後方へと流れ、それすらも霧散していった。


 立っているのは唯一人。


 不意に風が吹き、髪に結った赤いリボンが解けて攫われる。


 掴まえようと伸ばした手の中をするりと逃げ、彼方へと。


「ごめんな、宮藤」


 さようならは言葉に出来なかった。


 雀と照が大穴から上がってくるまで、宵波涼は空を見上げていた。


 雪は降らず、銀幕は消え、黄昏もなく。


 文明の光で星が隠れた夜空がそこにはあった。

次回で最終回。本作は完結となります。

更新は本日の21時半予定です。

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