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終章・二十一節 登壇

「なんて面してやがる。神崎テメェ」


 暴君が君臨した。


 雀たちに群がるカイたちが紙でも破くような容易さで蹴り飛ばされた。


 文字通りの一蹴。


 技も駆け引きもあったものではない。道端の空き缶でも蹴るような気安さで、天使の肉体がバラバラになってしまった。


 以前にもこんな風に助けられたことがあったが、あの時と違うのは助けるために敵を蹴散らしたわけではないということ。


 方々走り回って漸く終わりが見えた仕事をパアにされては、特別手当が出ないからだ。


「会ちょ──」


 百瀬智巳は雀の死人面の頬に拳を叩き込んだ。


 五十メートル以上も直線を引いて吹き飛んだ雀の口から血と折れた歯が零れる。


 どちゃりと、落ちた拍子に壊れかけの左腕が嫌な音を立てて妙な方向に曲がった。殆ど炭化していた手首から先は割れてしまったが、痛覚は当の昔に消えている。


 口の中で血と砂利が混じって気持ち悪い。


 吐き出そうと頭を上げた矢先に、後頭部を踏みつけられて地面とのキスを強要される。


「ダセえ死に方しようとしやがって。こんなことならあの時犬に食わせておけば良かったな」


 靴底を執拗に後頭部に擦りつける。その度に髪が傷付き、頭皮が破れ頭蓋が軋む。


 雀は呻きながら藻掻くが、いまにも割れそうな頭の痛みと、人外の膂力によって地面に押さえつけられる。


「おいおい、どうして抵抗するよ負け犬。一度捨てたもんがやっぱり惜しいか、神崎雀よ。なら毎日生ごみ食わせてやるから、卑しく腰振ってみろよ。ほら、どした。やってみろ」


 口ではそう命令しながら、百瀬は雀を踏みつけることを止めない。


 赤と銀に染めた髪を跳ね上げた派手な髪型、常日頃の軽薄な言葉遣いからは想像が付かない侮蔑と嫌悪が込められた冷え切った声音。


 助ける気など毛頭ないことは容易に察せる。


 たまらず邪魔された挙句に無視され続けるカイの一人が声を上げた。


『誰だい君、いきなり出てきて随分と下品だな。部外者はご退場願……』


 唐突に声が途切れた。


 いつの間にかに百瀬の手には長大な鉄パイプが握られており、長く延長したそれがカイの一体を割っていた(・・・・・)


 左右へと倒れる半身から遅れて血が吹き出し、臓物が零れ落ちる。


 一撃。またしても。


 あまりにも異常。


「煩い。説教の最中だ。ガキどもは引っ込んでろ」


 百瀬はカイたちを見ていない。


 脅威ではないからだ。


 殺意を向けているのはむしろ、足元で死にかけている雀に他ならない。


『ふ、ふざけるなっ!』


 魔術翁としてこれほどまでの屈辱は無かった。


 眼の色を変えたカイ達が一斉に触手を解放する。


 一帯の空を埋め尽くすほどの群青の触手はそれ自体が檻であり、必殺の武器だ。触れたが最後、万物の行く末は全てカイの思うままであり、彼女は実質的に不死身だ。素体となる人間がいる限り誰であろうと宮藤カイへと生まれ変わるのだから。


 恐れるものなどありはしない。


 裏を返せば、カイが明確に百瀬を脅威と認識したということでもあった。


 惜しむらくは魔術翁である彼女をもってしても、百瀬智巳という異常(イレギュラー)を測りかねたということか。


 群体であるが故に、疑似的に死の概念がないだけ。個体としては死ににくくも不死身ではない。自らの死の証人を量産することになろうとは、想像もしなかったはずだ。


 一閃。術式で伸びる以外はただの鉄パイプを軽く振り回す。ただし物理法法則など無縁とばかりに出鱈目に早く、重く、そして理不尽に。


 鉄パイプの軌道上にあったものはその形を削り取られ、先端に近いところは衝撃波で更に深く抉り取られた。


 ぼたぼたと、触手ごと薙ぎ払われたカイだった肉片が降り注いだ。


 その悪夢のような光景に助れれた照でさえ言葉を失い、カイ達の間に動揺が走った。


『な、なんだその力。どんな術式を使ってる!?』


『いや、凄まじい高水準だけど肉体強化の術式だけだ』


『ふざけないでほしいな。人の身でありながら、魔神の領域に片足を突っ込んでいるよ』


 カイの困惑に拍車をかけたのは、百瀬の立ち位置が不明なためだ。


 助けたと思った雀を嬲っているが、魔術翁の信者というわけでもない。


 権能を手にしたとはいえ、『鍵』と『門』である神崎姉妹を殺されては鏡海への道が閉ざされてしまう。傍観するわけにはいかず、しかし止めに入るには彼は強すぎる。


『何者だい、君はっ』


「見れば分かんだろ。喧嘩っ早いただの餓鬼だ。いまは宵波から発注されたもんを届けに来たわけだが、代理人がこのザマだ」


『……なるほど。スー君の指金か。その割には随分手荒い真似をするじゃないか。後輩を足蹴にするなんて、いけない人だ』


「御覧の通り粗野でね。俺は宵波とは違って所有物には必ず首輪をかける。躾のなってない犬なら痛みで教育するし、手遅れなら始末する。顔見知りなら尚のこと」


 元の長さに戻った鉄パイプが地面に突き立てられる。


 あと数センチずれるか、そのまま横に薙げば雀の頭蓋は砕ける。百瀬にとっては足元の果実を踏み潰すようなもの。


 躊躇いなく雀を踏みつけているように、百瀬はやると決めたら()るだろう。真っ先にカイたちを殲滅しに掛からないのは、彼の言うところの躾が優先されているからか。


 冷や汗を浮かべながらも、カイは内心でほくそ笑んだ。何を企てているかは知らないが、百瀬がまだ戦わないというのなら、対応策は幾らでも練れる。


「甘っちょろいな──とか思ってるだろ?」


『実際その通りじゃないかい? 君がスー君の部下だっていうなら、仇を取るのがべきだと思うけれど』


「……部下? 仇ぃ?」


 何を言っているのか分からないといった風に、百瀬は片眉を吊り上げて明後日の方向に視線を飛ばす。


『ああ、そうか。君は知らないんだね。スー君は僕に殺されたってこと』


「へえ、そう。凄いじゃん。飴玉でもやろうか」


『…………』


 おかしい。百瀬の反応が鈍い。


 気丈に振舞っているわけでもなく、かといって芝居をうてるほど器用さも感じられず、その必要性もない。


 心底、何を言っているか理解できない。とでも言いたげに真面に取り合わない。


 然程親しくない間柄であったとしても、感情に漣一つ立たない事などありえるのだろうか。


 これではまるで──


「まあその辺りはどうでもいい。仕事に影響があるとしたら、少し見ない間に随分女々しくなった後輩の方だ」


「……んで」


「あ?」


「なんで、戦わないの。会長ならカイに勝てるんでしょっ……涼が殺されても平気だっての!?」


 歯を食いしばりながら無理矢理振り返った雀が百瀬に訴える。


 戦ってくれ。仇を討ってくれと。


「それはテメェのけつを拭いて下さいってことか。はっ! やなこった」


 鼻で笑い、百瀬は雀を踏みつける足に更に体重を乗せた。


 頭蓋が軋んで今にも割れそうだ。


 だがもう縋るしかないのだ。


「お願い……私にできることなら何でもっ……」


「死のうとしてた奴が何を差し出せんだよ。笑わせんな」


「……っ」


 何も言い返せない。全てを諦め、手放した雀にはその命でさえ無価値だ。


 惨めなことこの上ない。もし過去の自分がここに現れたのなら、心底失望することだろう。


 だがもう懇願するしかないのだ。裸になれと命令されれば従う。仕えろというのなら道具になっても構わない。死ねというのならどんな惨たらしい処刑法だろうが喜んで身を差し出そう。


 砂と混じる雀の涙を前にしても、しかし百瀬の心には何も届かない。


 冷え冷えとした視線を下すのみ。


「今回の事件。俺が理解していることは殆ど無いと言ってもいい。一応アストレアに籍を置いている身じゃあるが、派閥争いだ聖王協会だの七面倒臭いったらありゃしない。いざ現場に駆けつけてみれば、俺の青春が詰まった街は鏡海に呑まれている手出しが出来ねえ。最も正確に内と外の状況を把握していたのは間違いなく宵波唯一人だったろうよ。だからアイツは必ず最善の選択肢をお前に伝えていたはずだ。例え痛みが伴おうとも」


 ──鍵だ、鍵を閉めろ神崎。


 蒼玉(サファイア)の瞳の童女の姿を借りて、確かに彼は伝えに来た。(α)との道を繋げ記憶を取り戻せるよう、残り僅かな呪詛煙草を残して。


 鏡海を閉じれば照は消滅し、カイは魔術翁に戻ってしまうが、逆に言えば支払う犠牲はそれだけで済んだ可能性もあった。


 ハッピーエンドを目指し、真逆になった現状よりは遥かにマシだっただろう。


「アストレアの『剣』にしても同じだ。街一つ犠牲にしてでも回避しなきゃならん最悪の事態を予期したからだ。そっちの方がマシだと腹を括ったからだ。それがどれだけの重みなのか、想像するだけで吐き気がしてくる。だがッ──」


 腹を蹴りつけ、無理矢理仰向けにした雀の胸倉を掴み上げ、宙吊りにした。


「お前には何の覚悟もないッ! 宵波が死ぬことを覚悟していなかった。アイツはしていたぞ、お前たちを殺す覚悟をッ。テメエにはそれがあったか。宵波を殺してでも我儘を押し通す覚悟が欠片でもあったか、ああッ!?」


「…………ッ」


「あるはずがない。いいところ敵対する程度だろうよ。だからみっともなく俺に縋った。寝小便して泣き喚く餓鬼と同じだッ、恥を知れ神崎雀ッ!!」


 剥き出しの怒りが死にかけの心を燃やし尽くしていく。


 二度と戯言を吐けないよう、徹底的に壊し踏みにじる。


 百瀬はその力があっても救世主ではない。


 彼女の尻拭いを請け負うつもりも更になく。元より誰かのために身を粉にして働く人間ではないからだ。


「──やるならお前がやれ、神崎」


 されど、高みの見物を決め込んで他人の不幸で悦に浸る種類の人間でもない。


「………………え」


 どちらかといえば、相談役や地味な裏方仕事に回ることが多い。


 悩める子羊には教えを説くのではなく、答えのありそうな方向に尻を蹴飛ばす。


 迷子には家までの最短距離の障害物を全てぶち壊す爆薬を提供して、自分は後ろからにやついている。


 そういう人間だ、百瀬智巳という男は。


 安易に手を貸しはしないが、だからといって見捨てることもしない。


 強引であろうと野蛮であろうと何かしらの解決手段をもたらす。


「どうせ捨てた命なら派手に散ってみろ。そのいまにも吐きそうな最低な面のまま宵波に会いに行くのか? 顔ぐらい洗っていけ」


「!?」


 地面に下ろされると、頼りなくも雀は自身の脚で立った。


 そこで初めて百瀬と視線が合い、気付く。見捨てられたのでも、罵倒されているのではなく、叱ってくれていたのだと。


 そうでなければ、こうも真っ直ぐ相手の瞳と向き合うものか。


 百瀬の瞳に映り込む自分の顔の、何と醜いことか。


 こんな面では会えるはずもない。


 バチンと、雀は頬をおもいっきり叩いた。左手は動かず、ジンジンと痛むのは右頬だけだが、左には百瀬の拳跡がくっきり残っている。


「ゴメン、会長。殴ってくれてありがとう」


「はいはい、今度飯ぐらい奢れよ。そら、雨取照。お前もこっちにこい」


 やはり主役になる気はないのか、百瀬は照を手招きして自身は後ろに下がった。戦力としては期待するなということだろう。


 しかしそうなれば雀たちの置かれた状況は何ら好転していないということだ。


 雀は満身創痍。照もまた黄昏の領域の中和に魔力を吐きつくしている。気合を入れ直したところで彼女たちは依然として追い詰められたまま。大和も由良も再起不能だ。


『本当に君は戦う気がないんだねえ、百瀬君』


「ないね。ただでさえ時間外労働でクタクタだってのに、ロリ魔王の相手なんざしてられるかっての。俺は峰不二子みたいな女がタイプでね」


『別の何かを企んでいる……って解釈でいいのかな?』


「ご名答。とびっきりの小細工を用意させてもらった」


『へえ、それが何なのか興味津々だけど、またの機会にさせてもらおうかなッ』


 軽口の応酬を先に切り上げ、カイが手を打つ。


 百瀬にその気がなくとも、カイは彼をこの上ない脅威と認識した。排除は最優先事項。


 お喋りの間に悠々と準備していた術式が起動。


 カイを中心に複雑な紋様を描く術式陣が地面へ展開された。雀たちを過ぎ去り大きく大きく広がり、直ぐに目視ではその規模が分からなくなる。


『自壊しろッ』


 直後に発生した超重力の檻に雀たちは地面へと叩き伏せられた。


「ッ、あアッ!?」


「息が、でき、な……」


 超広域の重力魔術。何倍へと膨れ上がった自重に耐える間もなかった。ただ地面へと倒れ込んだだけでも高所から飛び降りたような凄まじい衝撃に襲われ、超重力に全身の骨は軋み、細胞が悲鳴を上げている。


 筋肉が上手く動かせないために呼吸すらままならず、急速に血流が悪くなるために臓器が真面に機能しなくなる。


 電線は引きちぎれ、街灯は折れ曲がり、家屋は崩壊し、車は潰れた空き缶のような有様になってしまう。


 生物どころか真面な建造物さえひれ伏すことを強要される領域にありながら、しかしこの男だけは例外だ。


「はあ~、出・た・よ・重力魔術。手数自慢がよくやる手口だ。ワンパだよな」


 堪えた様子さえなく、百瀬はつまらなげに耳の穴をほじる。


 ──効いていない。


 彼にとってこの程度の重力は無いに等しいとか、抵抗(レジスト)しているとか、そんなレベルの話ではなく。単純に重力魔術の影響下に入っていないだけのこと。


 遺伝子レベルで刻み込まれた身体強化の術式があまりにも強力に過ぎ、殆どの術式は彼に達すると同時に砕けてしまうのだ。言ってしまえば百瀬智巳そのものが魔術の一つの到達点。


『流石だね。でも力場はただのおまけさ。下をご覧』


「あん?」


 カイが指さすのは百瀬の足元、その影。


 夜であるために気付くのが遅れたが、彼の脚元にありえないほど濃い影が集まり、唐突に圧し掛かってきた重みに片膝をついた。


 生まれて初めて感じる重み。少し気合を入れて踏ん張ってみても動きそうにない。


「なるほど。重力魔術じゃなくて、操影魔術だったか」


『理解が早いね。そう、ここら一帯の影を君へ繋いだんだよ。魔術において影は同じ情報を有する分身のようなもの。いま君を縛り付けているのは土地そのもの重さだよ』


 言い方を変えれば、影を通して百瀬は街そのものに固定されてしまったようなもの。


 重力魔術は操影魔術を気取られないためのブラフであり、どの程度の魔術強度であれば届くかの物差し代わり。


 例え街を揺るがす神の如き膂力を有していたとしても、一瞬でも動きを止められたのならそれで十分。


『終わりだよッ。塩になってどこへなりとも消えてしまえッ!』


 全個体最大出力の触手による驟雨が百瀬を飲み込んだ。


 地面が瞬く間に塩化した傍から砕け、大きく逆巻き、塩煙の大輪が濛々と咲き誇る。


 触れたが最後。核ミサイルの直撃さえ、その爆風と放射線ごと塩へと強制的に生まれ変わらせる、理の力。


 抗う術はない。


 勝利を確信し、笑みさえ浮かべたカイの耳に直後、チョキン、と小気味よい金属音が届いた。


 魔術翁(カイ)にとっては忌々しく、雀と照には馴染み深くも恐ろしい呪いの気配。


 次の瞬間、塩煙ごと触手が断ち切られた。


『…………ッ、それは』


 記憶に刻み込まれている。憎たらしいほど白い歯を剥き出しにて笑い、平然と立っている百瀬が手にするのは、赤いリボンが結ばれた糸切り鋏(・・・・)


「持って無かったろ? 殺したと息巻いた宵波はよ。この式神・蓮鶴の形代を!」


 赤服の呪いの器。権能ではなく、呪いとして最も適した入れ物として設計された唯一無二の適合機体。その形代。


 魔術翁に対する効果の是非などいう議論の余地なく極上である。


「顔色が引きつったな。やっぱりこの女はおっかないか。上等、上等」


『何故君がそれをっ!?』


「金庫代わりにされてたんだよ。後手に回った以上、手元から離してでもアンタを殺す切り札として温存しておいた。付け加えるならアンタが用意していた人獣の呪詛をほぼ全て注ぎ込んである。いやー、大変だった」


『天使化の術式の動力にするはずだったやつか……。はっ! 確かに少し驚かされたけど、その式神が他人に扱える代物じゃないことは君だって知っているだろう。幾ら君でも、付け焼刃以下の呪いで仕留められるほど僕は甘くはないよ』


「おいおいボケてんのか。散々雑用で走りまわされた俺がヒーローにでも見えてたか? 状況的にも展開的にもお助けキャラが精々だろうよ」


 本命はこっち。


 舌を出した百瀬は手にした糸切り狭をあっさりと放り投げた。


 くるくると、魔術翁の魔術を受け付けないそれは円を描き、落ちていったのは──雀の掌。


「呼べ」


 真の役者を登壇させる時だ。


「照!」


「分かってるっ」


 姉妹は手を伸ばす。重力で潰れかけの腕に命を賭けて。


 アスファルト上を無理矢理這わせた腕は皮膚が削れ、濡れた雑巾のように血が絞り出される。指先の骨はとうに砕け、間もなく腕も砕けるだろう。


 関係ない。


 血反吐をぶちまけようと、潰れたヒキガエルのような有様になろうとも。


 この形代に眠る式神を呼び起こせと、魂が叫ぶ。


『させないよッ!』


 眼の色を変え、カイ達が一挙に飛び掛かる。触手に頼らず直接その手で糸切狭を破壊するつもりだろうが、それは失策であった。


 一瞬であろうとも、カイは百瀬から意識を逸らしてしまったのだから。


「アフターケアにはちょいと自信がある」


 落雷にも似た轟音の直後だった。


 百瀬を中心に地面に蜘蛛の巣状の罅が走ったその瞬間、地面が大きく陥没──いや、踏み抜かれた。


 なんてことは無い。ただ単純に思いっきり百瀬は踏ん張っただけである。都合よく街に縛り付けられているために、支えも十分。魔術さえ不要。力技の落とし穴を作り出す。


 さしもの魔術翁といえど唐突に足場を奪われれば、僅かといえど思考に空白が生まれ、動きが止まる。


 本能的にカイ達は術式を行使して落下を回避したが、やはり失策。


 落ち行く雀と照に、もはや魔術翁の手は届かない。


 血まみれの手が繋がる。


 髪と衣服を大きく逆巻かせ、共に握り締めた糸切狭に眠る最強の式神へと、赤服を通して意識を繋ぐ。


「力を貸して」


 祈るように照が(こいねが)う。


「来なさい──蓮鶴!」


 身命を賭して雀が叫ぶ。


 暗闇に満たされた奈落へと姉妹は吸い込まれ、その姿が見えなくなる。


 穴の奥を注視するカイ達が、僅かな変化さえ見逃さんと神経を尖らせる。


 静寂。


 そして、不変。


『何も起こらない?』


 鏡海の権能たる触手は何一つとして変化を拾えず、警戒を強めていたカイ達は首を傾げた。


 式神の起動に失敗したのか。それとも式神を呼び起こす前に雀たちは奈落の底へ叩きつけられでもしたか。


 安直な考えだ。


 そんな都合の良い憶測など巡らせずとも、この大穴を魔術で埋め尽くしてしまえばいい。


 腕を振り上げた、正にその瞬間であった。


 カラン、コロン。


 雅な下駄の音が静寂の間に響く。


 これまで街中を騒がせた戦闘音と比べれば、とても小さな鈴のような音。


 されど全ての魔術翁の動きを止める。


 出所は、やはり大穴の底。


 カラコロという下駄の音が徐々に近づき、その女は姿を現した。


 菊柄の着物に袖を通し、朱塗りの番傘をさしたその一挙手一投足がどうしようもなく女を意識させる。品よく纏められた濡羽色の黒髪は触れずともその手触りが伝わってくるようだ。


 長い睫毛の下で憂いを帯びた眼が、以前と異なる蒼玉(サファイヤ)色を示す。


「やはり君に頼んでおいて正解だった。感謝するぞ、百瀬」


「美女に褒められていると考えていいのか?」


「中身を考慮しなければ」


「じゃあ素直に友人からと受け取っておくぜ」


 男口調で微笑を浮かべた彼女は百瀬を労う。


『まさか、どういうことだ!?』


 平然と軽口を交わす百瀬とは対照的に、カイ達は激しい動揺に見舞われていた。


 彼女から滲み出る気配には覚えがある。


 何しろ、つい先程この手で塩に変え、確実に殺した相手だ。


 姿も、形も、性別すら異なる。そもそもあれは式神のはずだ。


 生きていたと、衝撃を受けることさえ間違っているというのに。


 理由も理屈も分からないが、しかし確信してしまう。


 彼だ、と。


 その確信を察したのだろう。


 番傘を下ろし、髪に結った赤いリボンを露わにする。


「御機嫌よう、宮藤。殺してくれてありがとう」

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