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終章・二十節 降臨

「あらら、ついにご降臨ですかい。やっぱ魔術翁さんの方が老獪ってことかいね」


 半殺しで捨て置かれた伊調銀治はさして驚いた様子もなくそうぼやいた。


 芋虫のように身を捩って何とか視界に入れた五輪市は、その舞台装置としての役目を終えようとしている。


「ということは、涼君はやられてしまったいうことか」


 万全の状態であれば結果は違ったかもしれないが、流石に荷が勝ちすぎたか。


 シズの一族を通して、彼ならば魔術翁が描く計画をある程度予想出来ていたはずだが、如何せん身体を酷使しすぎていた。


 銀治をもってしても想定外(イレギュラー)の連続。遠回しに仕込んでいた計画はほぼ瓦解した。あるいは、どうあっても魔術翁の傀儡でしかない銀治の計画など、最初から想定内であったか。


「Fuck! 僕らが状況を悪化させることは無いけど、だからといってクソする以外何も出来へんやんか」


 銀治たちが内包している呪詛を警戒したのだろう。


 彼の他にも大型人獣二体に吸血鬼三十体以上の混成部隊。これら全てを宵波大和はたった一人で相手取り、全て半殺しに留めて捨てていった。無論、呪詛封じの仕事も完璧にこなして。


 単純な戦闘力だけでいえば全盛期の父親を超えている。数の不利をものともせずに、適度に痛めつけて無力化するなど、実力に絶対的な差がなければ不可能だ。


 それだけに惜しい。


 呪詛封じだけでなく、逆に利用するぐらいの仕込み(・・・)が出来る頭があれば監視官へ昇格できるというのに。


 この辺りの図太さが足りないのは父親譲りか。それとなく由良と引き合わせておいて正解だった──


「……ん、んん?」


 ふと、眼の端に人影が映り込んだ。といってもかなり遠いが。


 人獣化で強化された視力であれば、数百メートル先の一人一人の服装まで正確に捉えられる。


 見覚えのある赤と銀のカラーリングを追いかけ、その人物をハッキリと視認した瞬間、銀治の口の端が大きく吊り上がる。


「流石や」



   ✝   ✝   ✝



 銀幕の外で待機していた大和と由良は真っ先にその異変に気付いた。


「なんか妙だぞ。手応えが無ぇ」


「常識が通じる相手ならこれでケリは付くでしょうが……様子がおかしい」


 放たれた『剣』が天使化の術式と接触した瞬間、夜を退けるほどの凄まじい反応光がばら撒かれ、何が起きているか誰も正確に観測出来なかった。


 理論上、アストレアの『剣』は絶対不可避の必殺だ。衛星軌道上から地上に放たれるために障害物はなく、放たれるのは術式で強化された超高熱の光。速度に換算すれば秒速三十万㎞。


 これが初の運用であり、最大出力に達してこそいないが、ホモサピエンスの一個体を消滅させるには過剰すぎる威力のはずだ。


 なら、この反応光は何だ?


 魔術翁ごと吹き飛ばしたのなら、それで終わりのはず。


 銀幕が縮小していく。銀幕の範囲から外れた街に目立った損害は見られないが、縮小していった銀幕がまるで光を包み込む卵のように丸まっていく。


「これは不味ったかもしれないぞ」


「……利用されてしまいましたか。最悪ですね」


 涼の予測が正しければ、天使化の術式の燃料には土地から吸い上げたエーテルに加え、人獣が用いられる。


 現に大和たちの前に伊調銀治を始めとした人獣が姿を現しており、どの個体も例外なく莫大な呪詛を内包していた。


 恐らくは銀幕にその大部分は飲み込まれ、起動不良に陥っていたらしいが、都合よく降ってきた『剣』は正に天の恵みだったか。


 銀幕は完全に解かれ、五輪市上空に浮かぶ卵から鼓動が伝わってくる。


 実際に空気を震わせているわけではない。


 直接脳に響かせているような音色。微かな高揚感と、それを上回る圧倒的な存在感を知らしめる旋律だ。


 魔術翁の天使化が成功してしまったか。


 想定していたケースでは最悪のパターン。


 卵に籠っているということは、羽化まで多少時間を要するのだろうか。いま攻撃すれば倒せてしまうのか。


 判断材料が少なく、確固たる決断が下せない。


「ちっ! 自分の無能さに腹が立つ。ひとまず神崎の嬢ちゃんらの安否確認をするしかねえか」


 リスクを承知で大和たちは式神軍馬に跨り、五輪ハイムへ急行する。


 その間も卵の鼓動は強さを増していき、距離が近づくにつれ脳が軋むようだった。


 本来脳に痛覚は備わっていないはずだが、未知の感覚に脳が処理不良を引き起こし、激しいノイズによってガリガリと神経網が削られていくよう。


「くっそ……なんだこれっ。しこたま酔った時より酷ぇ。天使ってのはジャイアンなみの音痴なのか」


「防音術式も役に立たない。いよいよ我々の常識を超えつつあるようですね」


 気を張っていなければどこかで発狂してしまいそうだ。


 式神の操作が覚束ず、危く落馬しかけた頃に目的の少女たちを見つけた。卵はもう目前だ。


「いたぞッ! とっとと攫って離脱だ」


「二人とも気を失っている……ですが息はある」


 ベランダに飛び降り大和が雀を、由良が照を回収し、急いでこの場から離れる。


 体力の消耗が激しい。小娘を担いで馬を駆るだけで疲労感が全身に圧し掛かってきた。砂漠のど真ん中を歩いたとしてもこうはなるまい。


 羽化はまだ始まっていない。


 何か手を打つならいまの内だが。


 可能性があるとすれば雀と照だが、至近距離で天使の旋律を浴びたためか意識が戻る様子がない。


「万事休すか。こうなれば総力戦に持ち込むしかないか」


「本部を……最低でも関西支部を解放しなければ戦の形も取れない。どうにか態勢を立て直すしか……あれはっ!?」


 由良の警告が飛ぶ。


 馬を全力で駆りながら二人が振り向くその先で、遂に卵に亀裂が走った。


 剥がれ落ちた殻が光粒と散り、枝分かれした亀裂が卵全域に波及し羽化の時を迎える。


 崩れ去った卵の中からは──誰も現れなかった。


 虚空のみがそこにあり、何者の姿もない。


 失敗か。


 いや、天使の音は消えていない。出所は──


「上かッ」


 バッと上を見た正にその瞬間であった。


 夜空が一変した。


 星々は消え失せ、空は昼と夜の境である黄昏色に染まり果てた。


 太陽はいない。月もまた人々と褥を共にしない。橙と藍が全体へ入り混じった奇妙な空。


 支配者たる彼女は空を踏みしめ大和らを睥睨した。


『ふふふ』


 ──天使。


 翼は無い。容姿は依然として子供の宮藤カイのままだが、やはり別物へと羽化したか。


 吸血鬼の代名詞である赤目はアイスブルーを示し、《セラフィム》独自の血管に流れる黄金の高密度魔力が肌に透け、独特の紋様を描き出していた。


 最も顕著な変化は頭部の角だ。成長し枝分かれした先から揺らぐ無数の触手。色はなく、一本一本は目視が困難なほどに細い。見ようによってはあれが翼と言えなくもないか。警戒するべきはあの触手だろう。


 問題は以前の宮藤カイとどの程度まで性能が向上しているかだ。


 肌感覚から概算した魔力量だけでも大和の背筋に冷や汗が流れた。


「はっ! 大層なもんを拵えてまあ。媚薬でも仕込んでんのか」


『五分経って君たちがまだ立っていたら、そういう趣向もありかもね』


 不意に生暖かいものが大和の口元に伝い、拭った掌にべっとりと付着したそれを見て、大和は顔をしかめた。


 鼻血だ。それも大量に。鼻からだけでなく、眼や耳からも出血している。大和だけでなく由良も同様だ。


 あまりにも広範囲であったが為に気付くのが遅れてしまった。


 此処はもう彼女の支配域の内側というわけだ。彼女の許しなくては生きることすら満足に叶わない。


 何らかの毒か、もしくは放射線か。


 いずれにしてもこの空の下に留まっては不味い。早急に離脱しなくては。


『逃げるならその二人を置いていくことだ』


 パキンッ、と高い音を鳴らし触手の一束が群青色を示す。


「ッ!!」


 途端、最大音量で打ち鳴らされる本能の警報に従い、大和と由良は軍馬を蹴りつけ全力で飛び降りた。


 そうでもしなければ間に合わない。


 直後、カラ馬に角の触手の群れが殺到。その馬体は容易く貫かれ、塩の彫像と化した(・・・・・・・・)


 涼と同じようにではない。


「っ!?」


 由良が銃が自身の軍馬を撃ち抜いた。


 命中した弾丸は脆い塩の馬体を砕き、霊体であるはずの式神が物質へと変化したことを知らしめる。


 式神の塩化が可能ということは、術式による防御は不可能ということ。軍馬を乗り捨てた大和たちの直感は正しいといえよう。


『流石は先輩たちだ。でも空中じゃ選択肢が限られるよ?』


 いまのは慣らしといわんばかりに、先程とは比較にならない攻撃範囲で触手が雨のように降り注ぐ。


「あの触手は絶対に避けなさい! 受けては駄目!」


「んなこたあ百も承知だっ」


 攻撃範囲外への離脱は間に合わない。掠っただけでも致命傷になりかねず、そもそも大和たちは未だ空中だ。ワイヤーを伸ばして近くの建物へ飛び込んでも、自分たちの行動範囲を制限するようなもの。


 判断の猶予は一瞬にも満たない僅かなもの。


 二人はほぼ同時にワイヤーを下へと投げ、電柱や標識に巻き付けるや否や全力で霊力を流し込んだ。


 『収縮』の術式が刻まれた特殊ワイヤーが凄まじい速度で縮み、大和と由良を地面へと引き込んだ。タッチの差で触手は二人に届かない。


 地面に降り立つや否や脇目も降らずに全力で走る。一瞬前に彼らが着地した場所に触手が降り注ぎ、アスファルトが塩と砕け散る。支えを失った電柱と標識がこれに沈む。


 霊体のみならず、物体でも同様の塩化現象。


 掠っただけでも致命傷であることは明白。


『逃げられるとでも?』


 大きく見開いたカイの右目に群青色の触手が束となって突き刺さる。


「おい、まさかとは思うが……」


 真偽はともあれ魔術翁は権能を創り出そうとし、成功したならその能力は塩化なんて控えめなものではないだろう。


 仮に物質を自在に作り変える能力だとすれば、いま奴は右目を何に加工している?


 触手が解かれ、露わとなった右目が怪しく光る。


 ──編纂完了。穿剣の魔眼、起動。


「避けろ由良!」


『遅い』


 大和たちの足元。半径百メートル圏内に、爪のような魔力が満ち満ちたその直後。


 不可視の刃が一斉に咲き狂った。


 避ける暇などあるわけがない。


 足元から爆発するように撃ち出された無数の刃の群れ。


 咄嗟に展開した防護術式も五秒と持たずに砕け散り、大和たちの身体は瞬く間にズタズタに切り刻まれた。


 穿剣の魔眼。視界内の任意の場所に不可視の刃を発生させる魔眼。


 本来の使い手であるアルベルト・ブリアードの魔眼とは威力、範囲の桁がまるで違う。


 都合四人分の血を存分に啜った不可視の刃がカイの合図で消え、刃に付着した血糊が二度目の血の雨となってアスファルトを濡らした。


「生き……てるか?」


「なん、とか……」


 辛くも大和と由良は命を繋いだ。


 お互いどうにか人の形を保っているのが不思議なくらいだ。急所こそどうにか避けたが、あちこちで肉が削げ落ちて指も何本か無くなっていた。


 真正面から霊術と魔術が衝突した場合、エネルギー密度の差で必ず魔術に軍配が上がる。


 回避が困難な時点で本来であれば助かるはずはなかった。


 助けるはずが、庇われたのだ。


「っ、貴女たち……!?」


 倒れ伏す由良たちの盾となるように、雀と照がやはり全身を切り刻まれ立っていた。


 切り傷とは別に雀の右腕からは白煙が立ち上り、彼女を中心に辺り一帯の地面が大きく陥没していた。魔弾で不可視の刃をある程度相殺したか。


 全身の激痛と、眼に入った血で気付くのが遅れたが、黄昏の領域が由良たちに及んでいない。赤服を纏った照が咄嗟に張った結界がカイの支配域を退けている。


 間一髪。少しでも対応が遅れていれば全員再起不能に陥っていただろう。


 しかしやはり代償は高くついた。


 大和たちほどではないにせよ、雀と照も重症であることに違いはない。咄嗟のことだったために術式の組み上げはおざなりになり、即時展開を優先したことで魔術は暴発同然であった。


 無理に魔弾を撃ち出した雀の腕は内部から焼け焦げ、身の丈を超えた出力の魔術に照の肉体は熱暴走寸前であった。


「照。アンタの編纂魔術でこの陰鬱な空間を中和できる?」


「……街を丸ごとは無理。精々が半径百メートル程度。それでも持って五分」


「じゃあ今すぐやって」


「もうやってる」


 誰に言われるまでもなく、照は自身の役目を心得ている。


 近隣住宅の窓ガラスや鏡が一斉に砕け散ると、展開された編纂魔術が黄昏の領域を力強く押し返す。


 途端に大和と由良を蝕んでいた疑似放射線が消え、出血が治まった。


『やるね照ちゃん。でもかなり辛いんじゃないの? 本当に五分も持つの?』


「…………」


 沈黙は肯定と同じだ。


 致命傷こそ負っていないが小柄な照にとってこの出血量は命に関わる。その上で魔術を行使することは、傷口を自ら広げるようなもの。いくら赤服の権能を有したところで血を流しすぎれば死は免れない。


『惜しいね。本来その権能はスー君みたいに人体を熟知した人間が扱って初めて意味を成す力さ。扱い方によっては人間を魔族に改編することも出来れば、より高次の存在へ昇華させることだって出来る。寿命を延ばすなんてちんけな使い方をするなんて、卒倒ものさ』


「ああ、なるほど。だからアンタは吸血鬼に堕ちたわけね。納得」


『おっと、これは言われてしまったね。雀ちゃんらしい手厳しさだ。それで君はこれからどうするつもりかな?』


 逃げられると思う?


 両角の触手が翼のように広げられ、その切っ先が地上へ向けられる。


 黄昏の領域を中和したとしても、結局はカイから逃げられなければ同じこと。


 認めるのは癪だが、雀も照も自分たちが全く赤服を扱えていないことは自覚している。帯刀しているだけでは剣士とは名乗れぬように、彼女たちは決して赤服の魔術師にはなれない。


 ──しかしそれは相手にも当てはまること。


「その権能、鏡海由来でしょ?」


 黄昏、塩化、そして魔眼。


 情報を上書きされ、機能と性質を書き換えられたとすれば出鱈目な現象にも説明がつく。


 ちょうど鏡海によって五輪市が別の世界線のものになったように。


『正解。僕の権能は理論さえこの頭にあれば、過程をすっ飛ばしてあらゆるものを改変できる。つまりは《編纂の権能》だね』


「正確にはその触手で触れたものは、でしょ」


『術式を組めばその限りじゃないけどね。あとできれば《指》と呼んでおくれよ。触手はこの国じゃ卑しい意味合いが強すぎる。イジメちゃうよ?』


「やりたきゃどうぞ。あらかじめ断っておくけど、今日の下着は地味だから」


『ふぅん? まるで見せるためのものを用意しているような口ぶりだね』


「逆にアンタは安物ばっかだったわね。多分下着泥でもあんなもっさい白パンはスルーするでしょ」

『言ってくれるじゃないか。可愛い下着は高いから訓練じゃ身に着けられないし、監視官は武器や霊具で何かと入用なのさ』


「ああ、薄給なのね。ごめんごめん。でもそのお子様体型なら問題ないでしょ。なんなら作り放題盛り放題じゃん。右目なんてケチ臭いことやってないで、やっちゃえば?」


『敵対してるから当然だけど、その物言いには悪意しか感じないね』


 軽口の応酬をしながら、雀は内心で舌を打った。


 やはり雀たちを相手取るとなれば、カイは軽々に触手を撃ってこない。


 編纂の権能の性質そのものは間違いなく照の編纂魔術──つまり鏡海の『門』が下地になっている。


 ただカイ自身に『門』の機能は備わっておらず、照から半ば乗っ取っているか。


 だとすれば雀の『鍵』で権能を封じられるかもしれない。黄昏の領域の影響を受けなかったことからも、その可能性は十分にある。


 読みが外れていたとしても、やることは変わらないが。そのためにはやはり大和と由良の力が必要だ。


「こんなこと頼める立場じゃないけど、お願い、力を貸して下さい」


「義理の義理の妹になってたはずの女の頼みだ。無下にはしねえさ」


「私は貴女のことが嫌いだ。そこは肝に銘じておくように」


 お喋りの間に応急処置を終えた大和と由良が雀と肩を並べた。大きな傷を縫合で止めただけであり、長くは戦えない。照が黄昏の領域を中和している間が精々だろう。


 大和は徒手空拳、由良は両手に縛ったナイフ二振り、雀は言わずもがな魔弾を構えた。


『戦う気かい?』


「当然でしょ」


『僕がその気になれば、スー君を生き返らせることが出来る、っていったらどうする?』


「鏡海から仕入れた情報を元に適当な人間を編纂してあいつに仕立てる、ってことでしょ」


『そうなるね』


「ああ言っていってるけど、御三方の意見は?」


 答えは決まり切っている。


 大和は中指を突き立て、由良は逆に立てた親指を下に向け、照は舌を出した。


「「「ふざけるなッ」」」


 先に動いたのは大和だ。


 手近な電柱を根元から叩き折ると、軽々とこれを掴み跳躍。電柱をカイ目掛け叩き付ける。


 うるさげに振るわれた触手によって塩と砕けたが、電柱と一緒に引きちぎった電線を素早く打ち込んだ。


 鞭というには太く技術は素人そのもの。しかし大和の剛腕で振るわれた電線は塩化しきる前にカイへと届き、流れ出る高圧電流がカイに流れ込み、暴れ狂う。


『なるほど、塩化させるには電流は早すぎるね』


 能力は人間を超越したが、思考速度はその限りではないか。


 高圧電流への対処が遅れ硬直するカイと触手が一瞬硬直する。


 術式で電流を強化しつつ、電線を手繰った大和の手から不意に血が噴き出す。


 電線を伝って、魔眼の不可視の刃を手に打たれたか。


「知ったことかッ!」


 握る手間が省けたとばかりに、構わず電線を手繰り寄せ。迫りくるカイへ手刀を落とす。


 打ち鳴らされる打撃音。血を吹いたのはまたもや大和だった。


 重機に匹敵する大和の剛腕を、カイは首を僅かに傾け角で受け止めた。


 自ら生み出した激力がそのまま跳ね返り、肘から先の骨が残らず砕けた。


『いらないの? その腕?』


「おいおい、俺を誰だと思ってんだ。宵波涼のお兄ちゃんだぜ?」


 憎たらしいほど白い歯を見せつけるように笑う。


「一本なんてケチ臭いこと言わず、両方くれてやるよ!」


 怯まない。


 塩化することも厭わず大和は砕けた手を触手に絡め、残った手も全身全霊力をもって角を掴んだ。大和の全力の霊力と触手の編纂力が鎬を削り合い、掌の中で激しい火花を散らした。


 そうなれば当然、大和の胴体はがら空きであり、カイの小さな拳が鳩尾に深く抉り込む。


 鍛え抜かれた腹筋など関係なしと、体格からは想像も付かない重い殴打の嵐。塞いだばかりの傷口から無理矢理血が絞り出されていく。


 だが大和の握力は一向に緩まない。


 反撃など重々承知。彼の目的は最初から命を投げ打ってでも自分にカイを縛ること。


 本命は別。


 眼下。大規模展開された術式陣の中心で雀が左腕を突き出し、フルスロットルで砲撃の態勢に入っていた。大きく後ろに引かれた右足の靴底がアスファルトを噛んだ。


『いいのかい雀ちゃん? そんなのぶっ放したらお兄さんが死んじゃうよ』


 弾道補正術式が複数展開され、直線状に連なり疑似的な砲身を象る。術式陣が唸りを上げ、威力速度硬度を底上げされた魔弾が雀の左腕に装填される。激しいスパーク現象が引き起こされる。


 魔力の生産工場である経絡系は暴走寸前。神経、血管、頭部を除いた骨まで即席の疑似経絡へと仕立て上げ術式の制御機能に割り当て精度を無理矢理立高める。


 激痛なんて生易しいものではない。痛みの塊と化した事で五感が狂いだす。色が突如として滅茶苦茶に入れ替わり、奇怪な幻聴が脳の奥で響き、舌の上を泥と油の味が踊っている。


 だが構うものか。


 余りある膨大な魔力故に今まで自身を傷つけかねず、叶わなかった全力全開の魔弾。赤服を纏った今ならば撃てるはず。


 生まれて初めて何の憂いなく放つ──一等星の魔弾。


『正気かい!?』


「おっとその反応。流石にあれだけの火力を喰らえばヤバいってことか。そいつは僥倖、僥倖。構わずやれッ、神崎雀!」


 言わずもがな、そのつもりだ。


 捨て石覚悟で大和が突っ込んだ時点で涼に呪い殺される覚悟はとうに出来ている。


 後先は考えない。いまはただ撃つのみ。


 撃鉄を下ろせ。


「くらえ、一等星ッ!」


 大砲撃。


 放たれた瞬間、腕の皮が肘まで蒸発した。


 魔弾は砲撃や交戦というより雷に近い。極限まで凝縮された極小の弾頭は音を切り裂き、大和ごとカイを貫くかと思われた。


『なんてね☆』


 刹那、大和が抑える角が急成長を遂げ、新たに芽吹いた触手が魔弾へと迫った。


 別世界のこととはいえ、彼女もまた監視官。雀の魔弾の脅威も弱点も熟知している。


 火力も弾速も脅威ではあるが、銃弾がそうであるように基本彼女の魔弾も直進しかしない。


 来ると分かっているならば備えておけばいいだけのこと。


 ダメージは免れないが、大幅に威力を削いでしまえば後はどうとでもなる。


 だが驚愕に染まったのはカイの方であった。


 触手が魔弾を包み込むより先に、突如として赤く輝いた魔弾が無数に割れた。


 星型射出(スターマイン)。あるいは彼岸花の花弁のごとく咲いた魔弾の流星群はカイらを迂回し、その真価を彼女へと託す。


「いい()だ、神崎雀」


 頭上へと回り込んでいた由良が魔弾の花弁をナイフで受け止める。


 一等星の魔弾。その弾頭は剣。


 照の編纂魔術を組み込まれた魔弾は由良のナイフを剣と化し、雀の火力を剣と成した。


 手の内がバレているからこそ、まんまと派手な砲撃にカイは釣られてくれた。


『しま──』


 姦計に気付いた時には、由良の発走は終わっている。


 踏みしめた魔弾の一発の炸裂を利用し、加速。一気にカイへと肉薄する。


 それでもカイは反応してみせた。備えに残していた触手で壁を形成しにかかるが


「俺のこと忘れてんだろ」


『っ!?』


 トンと、大和がカイを突き飛ばし、彼我の距離が一気に縮まる。


 触手の間を搔い潜り、すれ違いざまに由良の魔弾の剣を振り抜いた。


 二振りの軌跡がカイの首筋へと吸い込まれ、断ち切った。


 カイの身体が、頭と胴に寸断された。


「お兄さんッ」


 雀の意図を即座に理解した大和は落ちてきた生首を蹴り飛ばした。


 今度こそ全力砲撃。塵さえ残さない。


「これで終わりよッ!」


 即時装填した一等星の魔弾をぶっ放した。凄まじい反動で地面が割れ、撃ち出された魔弾が大気に大穴を穿つ。


 刹那、雀とカイを一筋の光が繋ぎ、大輪が咲いた。


 極大の爆発。赤と青のグラデーションで描き出された極小の太陽に抱かれ、カイの頭部は光へと消えていった。髪の毛一本、触手の一欠けらも残さず。


「…………ッ!?」


 やがて爆発が収まり、凄まじい熱量を物語るように景色が歪んでいた。


 砲撃の姿勢のまま雀は動けず、熾火があちこちで残る腕をどうにかして下ろした。以前にも似たような状態になったが、今度こそ義手のお世話になるしかないようだ。


 腕のみならず、恐らく経絡系も半ば焼けてしまっただろう。二度と元通りに魔術を使うことは出来まい。


「はっ……だから何よ。くそったれ」


 未だ感覚は狂ったままだ。自分の声すらひび割れてノイズだらけ。視界は随分と前衛的な色使いをしている。こちらも正常に戻るか随分と怪しいものだが、どうでもよかった。


 終わったと、安堵に胸を撫でおろすことなど一生できそうにない。


 効力が切れたか、赤いドレスが霧のように消えていく。心のどこかで感じていた温かみも共に連れて行ってしまった。


「一応、決着か……」


「そのようです」


 両腕を失った大和を由良が支え、動かぬカイの胴体の沈黙を再確認した。


 誰も勝利とは口にしない。


 黄昏の空は徐々に解けていき、星の少ない人里の夜空が戻ってくる。


 分厚い雲から降り注ぐ雪はなく、街を囲う銀幕も二度と現れることは無いだろう。


「念のため、亡骸は完全に焼却処分しておいた方がいい。サンプル採取もなしだ」


「そうですね。また利用されるような事があってはいけない」


 重い沈黙を紛らわすように大和たちはカイの亡骸に火を放った。


 なけなしの霊力を使い、灰すら残さないよう火葬術式で燃やし尽くす。


()も回収しなくてはいけませんね」


「ああ。親父たちになんて説明すればいいか……」


 亡骸とも言えない塩と変わり果てたものが義息子だと、誰が信じようか。


「私たちも、東京へ行きます。罰を受ける意味でも」


「……そうだな」


 同行を申し出る照と眼を合わせられず、大和は苦労して言葉を絞り出した。


 この一件、真の意味での加害者などいやしない。


 誰もが被害者で、禍根を断ち切れたわけでもない。


 成し遂げたことなどありはせず、これから流す涙の分だけ自分の中の空虚さが増していくだろう。


 ただただ虚しく、潰れてしまいそうだ。



『──赤服の呪い(・・)だったらこれで詰みだったかな』



「「「「!?」」」」


 声。


 誰の。


 魔術翁、宮藤カイのだ。


 身構える雀たちを嘲笑うかのように、彼女はあっさりと、降って湧いたように雀たちの前に満面の笑みを浮かべ姿を現した。


「殺してくれてありがとう」


 直後、振り抜かれたカイの蹴り足が由良へと突き刺さった。


 防御も回避も許さない、強烈な一撃。


 幾本もの骨が同時に折れ、砕けた音が鳴り響き、大和諸共に吹き飛ばされた。


 何十メートルと吹き飛ばされ、幾度となく地面に打ち付けられるたびに文字通り身を削られる。路駐していた車に衝突して止まった頃には、由良の意識は飛んでいた。


「由r……」


「喋らなくていいよ」


 辛うじて意識を繋ぎ止めた大和の鳩尾に、カイの小さな踵が落ちる。


 アスファルトがV字に割れ跳ね上がるほどに、重く強烈な一撃。無理矢理絞り出された血塊が口から勢いよく迸った後、やはり大和も動かなくなった。


「なんの冗談よ、それ」


 雀の声が上擦る。


 理解が追い付かず、迎撃態勢に移れない。


 もし雀の視覚が故障したことが原因でなければ、これは一体どんな悪夢だ。


「宮藤さんが、二人っ!?」


 悪夢であっても、信じ難い現実らしい。


 照もまた童女の宮藤カイを二人(・・)と認識を同じくする。


 由良を蹴り飛ばし、大和に追撃をかけたのはそれぞれ別個体だ。


 背格好も、声音も、気配さえ全く同じ。


『驚いたかい? でも君たちは似たような魔術を既に知っているはずだよ』


洛蛹(らくよう)魔術って君たちは呼んでいるんだっけ?』


 今年の九月。七榊翡翠がその身に宿した赤子に術式を刻み、転生を企てた術師がいた。


 首謀者は霊能力者から魔術師への新生を望んだが、洛蛹魔術と名付けられたこの術式はその仕組み上、複数人の同一人物の誕生が示唆されていた。


 だが目の前のカイは童女の姿だ。事前に仕込みを済ませていたのなら、十九歳のカイでなければ不自然だ。


『勿論、あんな回りくどい駄作を使ったわけじゃない』


『でも仕組みは似てるよ。要するに僕という情報で上書きしてしまえば、誰であれ魔術翁(ぼく)になるってことさ。編纂の権能なら簡単だね』


『どこの誰でも』


 物陰から三人目が顔を出す。


『老若男女、人種も問わず』


 足元に寝転がる四人目。


『うぶ毛の本数や長さまでそっくりそのまま、宮藤カイになる』


 五人目、六人目、七、八、九──


 気付けば、雀と照は無数の宮藤カイに囲まれていた。


 喉を鳴らす笑い声が重なり合い、何対とも知れない愉快気な視線を浴びせかけられる。


 遅まきながらに理解した。


 あの黄昏の領域は雀たちを閉じ込めるための檻などではなかった。


 何十、何百という保険を作り上げるためのただの作業場に過ぎなかった。


 元五輪市民。それがこの宮藤カイ達の正体だ。


 認識が甘かった。


 全てはこの最低の状況を想像できなかった、妹とカイに生きて欲しいがための雀の甘さが原因。


 雀も照も満身創痍だ。戦えるわけがない。


 宮藤カイという無数の『門』を全て閉じなければ編纂の権能は失われず、その可能性は今しがた潰えた。


 ──敗北だ。


「は……」


 壊れる音がした。


 いままで誰を相手取ろうと決して衰えず、怯むことのなかった雀の戦意がついに砕けてしまった。


 膝から崩れた雀の首ががくりと落ちる。


 戦えない。立てない。抗えない。


 お前こそが全ての元凶、魔女だ。


「雀っ……」


 両脚で立ってこそいるが、照もまた心を摘まれた。頼みの綱である服からは加護は失せている。


 せめてもの抵抗と隠し持っていたナイフで喉を貫こうとしたが、あっさりと阻まれ拘束されてしまった。


『ああ、可愛そうに』


『もう楽になるといい』


『何も考えなくていいんだよ』


 群がるカイ達の甘い声が雀の心を犯す。


 伸ばされた小さな手に自由を奪われながら、諦めてしまった事で仄暗い安堵を覚えてしまった。


 照が必死に雀に向かって何かを叫ぶも、雀の意識はそれさえ届かない場所へと沈んでいく。他でもない自らの罪の重さによって。


 誰も自分たちを許さなくていい。


 認めてしまえばいい。


 歴史に魔女と誹られようとも、壊れてしまえば骸と同じだ。


 ごめんなさいと、口にする権利さえ自分から手放した女には似合いの末路。


『──おやすみなさい、雀ちゃん。照ちゃん』

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