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終章・十六節 呪いの女

「あいつホント、容赦ないわね……ゲホッ」


「あれが歴代最速で監視官に成り上がった宵波涼、か。監視官に求められる才能は聖人とは真逆だって、お師匠が言ってたことが分かった気がするよ」


 雀の恨み節に相槌を打ちながらカイは天文台から離脱していた。


 天文台は小高い山の頂上という立地のために、敷地から出て森に入ってしまえば夜の暗闇も手伝い身を隠すのには事欠かない。


 無秩序に木の根が飛び出し、岩が転がる山を女鹿のように苦も無く走り抜け、ぐんぐん天文台から離れていく。


「……っ」


 ただその全力疾走もそう長くは続かない。


 涼から受けた銃創からはいまも血が吹きこぼれ、服をぐっしょりと濡らしている。


 手持ちの治癒札を殆ど費やして右膝だけは強引に治療したために走れてはいるが、恐らくは骨が上手く繋がっていない。魔術翁の知識があるいまは大分ましだが、カイは治癒術は昔から不得手なのだ。


 逆に言えば、あの場では戦うという選択肢がなかった。


 戦わなかったのではない。戦えなかった。


 終始涼が戦況を動かしていたとはいえ、圧倒された。機転と基礎術式、あとは純粋な射撃技術のみで敗北寸前まで追いやられた。


 照のクラッキングによる支援がなければ、どうなっていたか。


 羽田の時は逆であったが、あの時のカイは魔術翁であってカイではない。その自分さえ人工物である事実に直面し、カイの心中はかつてないほどにグチャグチャに荒れ果てている。


 いや、それは言い訳か。


 等級でいえばカイは涼と同じ三等監視官。同格であってもその実力はかけ離れている。


 両者の決定的な違いはやはり赤服の呪いの有無だろう。


 極端な話、カイほどの才能を持って生まれ、幼少期から英才教育を受けたのなら、三等監視官という地位は決して非現実的なものではない。


 勿論、そこに至る道程は決して生易しいものではないのも確か。


 重すぎるハンデを背負いながら同じ道を辿ってきたのなら、実戦でどちらに軍配が上がるか。身体に空いた銃創が答えを雄弁に語る。


「くそっ……!」


 無意識の内に唇を嚙み締めていたらしく、鉄の味がした。


 一体何のためにリスクを承知で雀の護衛に付いて来たのだ。状況だけを客観視すれば宮藤カイは悪影響しかもたらしていない。こちらの世界ではその死さえ利用されて。


 アストレアの意匠を今日ほど重荷に感じたことはない。


「あ、あああっ、アアぁああ!?」


「雀ちゃん!?」


 苦痛の声にカイはハッとした。


 急いで手近な大木の影に滑り込んでから、慎重に雀を降ろして、息を呑んだ。


 呪いの浸食速度が想定よりもかなり早い。


 既に雀の身体の半分以上を痣に浸食され、手足の末端は腐肉のような有様だ。赤服の対策は十分にしてきたが、照に持たされた身代わりの鏡は全て砕け、身体中に仕込んだ護符は軒並み壊れていた。いまはもう雀の魔力のみで抗っている状況だ。加えて止血も十分ではない。


 呪いを解除するには、天使の術式の中心地、つまり神崎邸に戻り術式を発動させる必要があるが、とてもではないがそこまで雀が持たない。


 だからこそ、それを見越して雀は中継役を請け負った。しかしこのままでは照が赤服を掌握する前に雀が死んでしまう。


 いや、膨大な魔力量を誇る雀でこれなのだ。単純な魔力量で劣る照が赤服に耐えられる道理はない。


 見込みが甘かったか。


 今からでも涼に停戦を申し込むか?


 無理だ。それが通じるなら最初から涼は協力していたはずだ。


「雀ちゃん、気をしっかり持って! いまモルヒネを打つから」


 三等級以上の監視官には強力な鎮痛作用を持つモルヒネの携行を許可されている。魔術翁の知識を参照しても、薬でも呪いの痛みはある程度和らげることが出来る。効果はあるはずだ。


 右腕は涼に撃ち抜かれたままで使えないが、アストレアではこういう事態に備えて両利きに矯正される。


 カイは専用ケースから注射器を慎重に取り出し、暗がりの中で針先を雀の静脈に合わせ、針を押し込むその時だった。


 ザシュ、という不快な音の直後、不意に視界が暗転した。


「……?」


 何も見えない。月明かりが消えたとか、両眼を塞がれたとかのレベルではない。


 完全な暗闇。


 遅れて、顔にドロリと熱い何かが流れる。


 熱く、金臭く、嚙み切った唇と同じ味。


「あ」


 注射器が手から零れ落ちた。モルヒネは一本しかないが、そんな事は頭から吹き飛んでいた。


 恐る恐る震える手を持ち上げて、顔に触れると、暗闇の正体を知った。


「あ、あっ、ああああ、アアアアアアアア!?」


 遅れて走る激痛。


 半狂乱に陥ったカイは潰れた眼球を抑えながら、反射的に立ち上がってしまった。壊れた人形のように暴れる彼女は木の根に躓き、緩い斜面を転がり落ちる。碌な受け身など取れるはずもなく、木や岩で身体を削られ、木の幹に衝突してようやく止まった。


 背中を強打し、無理矢理肺から空気が絞り出されたカイはそのまま気を失ってしまう。


「か、カイ……!」


 最早気力のみで起き上がった雀にも、同様の現象を襲う。


 目尻のあたりにヒヤリとした冷たい感覚を覚えた直後、横一文字に両眼が引き裂かれた。


「い、やあああああああああああッ!!?」


 搔き集めた気力が木端微塵に砕けた。灼熱の塊となった眼球は二度と光をもたらさず、代わりに激痛と永遠の闇を少女らに押し付ける。


 顔を焼く血の熱は幻術の類を疑う余地さえ奪い、現実であると知らしめる。


『──彼の遠隔呪殺には気を付けて』


「ま、さか……!」


 出立前、照からの警告が脳裏に蘇り、雀は自分たちに起きた現象を悟る。


 まず間違いなく日本古来の呪術、『呪いの藁人形』だ。


 呪う相手の人形を傷つけることで、直接手を下すことなく対象に危害を加える呪いの儀式。


 呪術に用いる人形は通常、相手の肉体の一部を組み込むことで人形と対象の肉体を対応させるが、爪や髪の毛程度では効果はほぼ見込めない。人造人間(ホムンクルス)でも用意していれば話は別だが、カイはともかく雀の複製体などあるわけがない。


 もっとも、術者が対象と何らかの繋がりが形成されていれば、話は別だ。


「赤服を、通じて……!」


 クラッキングを逆に利用された。


 中継役を担う雀は無論のこと、銀幕を超えるためにカイは涼の呪詛煙草を吸っている上に、地下室には遺体(オリジナル)もある。呪殺の儀式にはあの場はうってつけだ。


 術式に必要な霊力は彼が愛用する特殊弾、インドラの鎗弾に封入された霊力を用いたか。あれは兵器としても完成され、技術さえあれば内包される莫大な霊力を別の術式に転用できるなど、汎用性にも優れている。


 常に霊力不足に悩まされる涼が愛用するのは必然だ。


 極め付きは、呪殺のための人形は涼自身だということ。


「正気じゃない。あいつ自分の両眼を潰して……!」


 確証はないが、雀はそう確信している。そうでなければこれだけの威力は発揮できない。


 恐らくは銀幕を超えて照を呪うまでの出力はないはずだが、雀たちは動けなくなった。


 身を隠そうにも視界が利かないばかりか満足に動くことさえ出来ない。


「ここまでか……」


 命運は尽きた。


 あとは照が上手くやってくれるのを祈るしかなく、雀にできることは一秒でも長く赤服を妹に繋ぐことだけ。その照も赤服に耐えられなければ全てがパーだが、少なくとも鏡海の『鍵』と『門』は汚染されたはず。最低限の成果は保証されたか。


「だっさい姉貴ね、私」


 何度か血反吐をぶちまけて、もはや痛みさえ感じなくなってきた。


 何とか抗えると高を括って赤服を奪いにかかったが、甘すぎる見通しと言わざる得ない。


 目玉を潰されたのは幸いだったかもしれない。自分の悲惨な身体を見なくて済む。


 フクロウだろうか。低くも、山に響く鳴き声を数えて、信じたこともない神に祈った。


 果たして、雀たちに寄越されたのは死神だった。


「無様ね、神崎雀」


 女性の声。


 意識が朦朧として上手く聞き取れないが、国枝と先に脱出した由良か。涼が雀たちを取りこぼすことを見越して、付近で待機していたのだろう。


 開口一番で随分と辛辣な言葉を浴びせてきたが、反論は出来ない。


「散々大立ち回りをした割には成果に乏しい上に、魔術と同じく死に方まで大雑把ね。見ていて恥ずかしくなるわ」


 涼の話通り死にかけの人間にも容赦がない。


 確かに無謀な賭けではあったが、初対面の人間にそこまで言われる筋合いはない。


「あら。人を寝取っておいて随分な言いようね。今のは流石にカチンときたわ」


「何を人聞きの悪いことを……って──え?」


 口が動く。呻き声さえ真面に上げられなかったのに。


 いや、それより──


「どこ、ここ?」


 両眼は潰されたはずなのに、気付けば雀の視界は取り戻されていた。正確には視力が戻ったのは左目だけか。


 仰向け倒れ仰ぎ見るのは分厚い雲に蓋をされた曇天。舞い散る雪の重みに負けじと、背を伸ばす彼岸花たちが視界を占領していた。


 この冬空には見覚えがある。言うまでもなく照が造り出す編纂魔術の異空間の空。彼岸花もまた説明不要の赤服の呪いか。


 なら照が赤服を掌握したか。


 起き上がろうとして、それは叶わなかった。全身を赤服で侵されつくしたのだから、それは当然だろう。よくよく観察すれば視界を占領する花のほとんどが自分の身体から生えているではないか。


 だったらどうして目は見えているのか。


「左の目玉は呪いに食われる前だったから、ここではまだ機能しているだけ。口は私からのおまけ」

 それも時間の問題だけれど。


 花を掻き分けて、声の主が姿を見せる。


 由良ではない。


 古風なドレスに袖を通した、蒼玉(サファイア)の瞳を持つ夢魔の童女。


「あんた……!?」


 向う(β)側で涼が接触してきた際の姿そのもの。


 だが口調や所作は勿論、纏う雰囲気や佇まいから察するに全くの別人だ。


 何より近づかれてた事で分かる。


 ──彼女が【赤服】だ。涼は呪いそのものに蓮鶴という器と人格を与え式神として制御していたが、目の前の童女こそが本物。呪いに蝕まれたいまなら、理屈無しにそう確信できる。


 だったら、今ここで彼女を屈服してしまえば。


「処女の貴女には無理よ」


「は、はあ!?」


 出鼻をくじかれたどころの話ではない。


 状況も何もかも忘れて、羞恥心と怒りが込み上げてくる。


「一番多感な時期で、しかも同棲までしている割にあの子は情事に興味が薄い。貴女や照の場合、肌より先に臓物と骨を見せつけたから、異性という意識が希薄なのかも」


「なっ」


「出会いもロマンの欠片もなかったものね。泥水被せられた挙句に、生命線の呪詛煙草を取り上げられて一時的に左遷されたもの」


「くっ……」


「今回に至ってはあの子と敵対するだけでなく、私を寝取って無様に死にかけてる。どんな女たらしでも願い下げでしょうね」


「う、うるさい! こっちだってアストレアのいざこざに散々巻き込まれてきたんだから、御相子でしょうが!」


「そうね。負い目があるから猶更異性として見ないようにしているのね」


 止めの一撃だった。


 赤服の激痛なんて彼方に吹き飛ぶほどの、容赦のない言葉がザクザクと雀に刺さる。


 薄々感づいてはいた。


 涼はその辺りはしっかり自制心が働かせて、そもそも過度な接触を嫌っているので、最初はそういう性格なのだと思っていた。


 神崎邸では家事を疎かにしがちな雀たちの代わりに、炊事や掃除、庭の手入れまで意欲的に請け負ってくれたが、洗濯や風呂周りには近づかず、式神にすらやらせず興味すら示さない。


 雀が彼の部屋に転がり込むようになってからもそうだ。雀が風呂から上がる時は決まってバルコニーで喫煙するか武器の手入れをしているかで、それなりにラフな格好をしている雀を直視しなかった。


 ここ最近でいえば少し大胆に腕を組んだり、思い切って水着姿を披露したりもしたが、成果は乏しく。


 もしやと、不安を心の片隅に押し込んで自分を誤魔化してはいたが、流石にショックが大きかった。現実を突きつけるにも、もっと手心というものがあるだろうに。


 気付けば眼の端に涙が浮かんでいた。


「あいつにその気は無いって……そう言いたいわけ?」


 止せばいいのに、しかし聞かないわけにもいかず。


「皆無ではないけれど、無いわね」


 どうしよう。本気で泣きそうだ。


 雀は涼と戦う気は満々だったが、それは彼が憎いわけでも嫌いなわけでもないのだ。


 カイの複製に関しても彼の立場や状況を鑑みれば、納得は出来ずとも理解はできる。


 言ってしまえば雀は甘えていたのだ。


「宮藤カイが決定打ね。あれだけを諦めるなら、まだ妥協の余地はあった」


「……どういう意味?」


「憶測だけれど、こっち(α)向う(β)の世界を別つ決定的な差は、魔術翁じゃないかしら? 言い換えれば四年前に死ぬのが宮藤カイかあの子か」


 恐らくは現在銀治が用意した舞台が、β世界では四年前には整っていたのだろう。赤服の呪いは魔術翁を撃滅し、涼は命を落とした。赤服の力を用いてもβ世界で涼が存在を保てなかった理由がこれだろう。


 監視官としての宮藤カイを通して、その運命の分かれ目を涼も察したことだろう。


「残酷よね。異性としては微妙だけど、信頼していた貴女たちに力を奪われるばかりか、運命そのものである宮藤カイを貴女たちは生かそうというのだから」


「……っ」


 ずきりと、胸が痛んだ。


 終わりが確約されながらも、短くも『姉妹』というもしもを手に入れた雀たちとは違う。


 多くの心無い人間から涼は四年前に生き残ったことを疎まれ、結果でそれらの声を黙らせてきた。


 しかし鏡海によってこれが覆るかもしれない。


 もしカイが人間に戻り、万事が雀たちの理想通りに治まったらどうだ。


 ──やはりあの時死ぬべきは宵波涼だったと、証明するようなものだ。他ならぬ雀たちによって。


「赤服の呪いを解く、という狙いそのものは悪くなかったけれど、あまりにも悪手だったわね」


 あの女も『剣』を発動させた。


 童女が指さす頭上を目で追うと、分厚い雲の向うで何かが眩く光っている。


「あれは衛星軌道上にあるアストレアの兵器よ。鏡と術式で太陽光を蓄積・凝縮して、地表の目標に向けて照射する殲滅兵器。最大出力までは準備にまだ時間がかかるけれど、貴女の屋敷一帯を蒸発させる程度の威力は十分にある」


「なっ!?」


 童女の姿を借りた涼の言葉が蘇る。


 ──俺は事態を収める責務がある。例えこの街とここに住まう、十四万人を皆殺しにしようとも。


 告げられた刻限までまだ二日程度残っているが、もはや交渉の余地も無しと判断されたか。


「知っていて? あの子は意外と血の気が多い方よ。どんな手を使ってでも、次は必ず仕留めに来る」


「っ、でも動けるはずが」


「そうね。雨取照のクラッキングは確かに優秀よ。でも貴女たちが赤服を制御出来ていないことはもうあの子も分かっている。だったらあえて主導権を押し付けてしまえば、貴女たちへの攻撃にもなり、クラッキングからも解放される。私がこうして貴女の死に際に立ち会えているのは、それだけ貴女が侵されているからね」


 あとは『剣』で銀幕の核である照を消却し、カイを通じて魔術翁を撃滅すればいい。涼は一連の責任を負わされ、アストレアからは追放されるだろう。最悪の場合は、自ら命を絶つ未来さえある。


「どうすれば……」


 考えが浅かった。違う、あまりにも涼に甘えすぎていた。


 これでは何も残らない。


「宮藤カイを諦めなさい。そうすれば貴女と妹はまだ何とかなるかもしれない」


「それは……!」


「でしょうね。いまの貴女は宮藤カイの友人でもあるものね。二兎追う者は一兎も得られず、とはこの国の言葉だけど、まさに今の貴女そのもの。二兎ところか三兎だけれど。──あら、お喋りしていたらもう時間が来たみたいね」


「……! か、身体がっ!」


 遂に雀の命が完全に赤服に飲み込まれるときが来たか。


 痣に犯されつくした身体から次々と彼岸花が芽吹き、神崎雀の輪郭が失われていく。


 華葬だ。幾人もの犯罪者が同じように葬られてきたように、いままさに雀も消滅しようとしている。


 お終いだ。何もかも。無責任極まりない。


 このまま消滅するのが、神崎雀にはお似合いだ。悲鳴を上げる資格すらない。


 けれど──


「もし、私が処女じゃなければ、何か変わってたの?」


「それは言葉のあや。あの子が貴女に恋をしていれば、愛していれば。そういう意味よ」


「なら私があいつを──」


 少女の全てが花へと姿を変えた。


 残された童女はそのうちの一本を手折り、可憐な唇で花を食む。


「初心な味。同姓を食べるのはやっぱり趣味じゃないわ」

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