終章・十二節 師弟強襲
剣術と魔術の研鑽。
それがGHC所属の魔剣士、マンティス・マキュラスが此度の強襲に参加した動機だ。
無論、上層部からの出撃命令に従ったのも事実であるが、組織に対する絶対の忠誠心というのを彼は持ち合わせてはない。
恐らくは他の構成員の腹の内も似たり寄ったりであろう。
GHCは聖王協会の姉妹組織ではあるが、実態としては民間軍事会社が適当だろう。協会が躍起になっている術式や特異民族の蒐集などは、実のところどうでもいいのだ。
多くのGHCの構成員にとって戦闘はビジネスと同義。大半が傭兵を生業としている荒くれもの。中には術式を兵器として扱い、実戦データを元に売り出す武器商人のような輩もいるほどだ。
マンティスのように磨き上げた技術を実戦で試すためだけに、組織に所属している人物も少なくはない。
異端者狩りに精を出している敬虔な信徒は実のところ少数だ。GHCご自慢の聖典儀礼を振り回す優等生となれば更に希少だ。
なにしろ、あの手の輩はよく死ぬ。使命だ神の啓示だのを振りかざして引き際を誤るからだ。つい最近も珍しい眼の男女二人がしくじったと小耳に挟んだばかり。
今回の動員とて魔術翁、つまり吸血鬼の真祖によるものだと優等生らが知ったら、彼らは発狂でもしただろうか。ともすればアストレアに喧嘩を売るより先に、内乱の鎮圧という仕事にありつけたかもしれない。
いや、むしろマンティスとしてはそちらの方が好ましかった。
遥々極東の島国にまで出向いたというのに、命じられたのは地方都市の片隅にある天文台の包囲と警備というから拍子抜けした。包囲は人員を各所に配置しただけで完了し、警備といってもやってることは畑の案山子といい勝負だ。
アストレアとの交戦が予想されると聞かされただけに、肩透かしもいいところ。
よほど天文台かあのクニエダとかいう冴えない中年が重要なのか、聖王協会はこの地の死守を厳命してきたが、命令系統は半ば崩壊したようなものだ。
何しろ旗頭の魔術翁があの銀幕の内側に消え、連絡が途絶えて久しく、何人か強行突破を試みたが誰一人帰還せずだ。
状況はなし崩し的に膠着している。
恐らく協会もアストレアも有効な打開先を見出せていないからだろう。
こうなってはマンティスらのモチベーションは増々右肩下がりだ。報酬は前以て支払われた上に、バックレてしまえば今後の信用に関わるので、この場を離れるわけにもいかないが、この退屈は耐え難い。
今も最低限の見張りだけを残して、天文台のロビーでポーカーに興じている。お陰でマンティスの財布は随分と軽くなってしまった。今も連敗記録を一つ伸ばしたところだ。
ちょうど吹き抜けの採光窓に月が差し掛かっているが、生憎とご加護はないらしい。
手札を放って何気なく周囲を見渡せば、暇を持て余したGHCの面々が眼に入った。同じようにカードで時間を潰す者たち、壁に凭れて眠る者。中には見張り番の者もいたが、誰も咎めはしない。
「吸血鬼共について行くべきだったか」
「同感だな」
「向うは結構派手にやっているようだ。羨ましい」
口々にぼやきながら、マンティスと他二人の視線が同じ方角へ向けられる。
一時間ほど前、吸血鬼の一団とアストレアの間者が出撃し、程なくして戦闘が始まったらしい。
十数㎞離れたここまで届く地鳴りのような轟音と、それに続く血潮を思わせる吸血鬼の濃密な魔力の波動が伝わってくる。
見張りの話では、相手は人為的に大規模崩落を引き起こして吸血鬼を一気に殲滅しようとしたらしい。なるほど、山の一部と引き換えにあの魔族を一掃出来たなら随分と安上がりだ。
しかし流石にしぶといというか、生き汚いというか。死に損なった蝙蝠らは元気に飛び回っているらしい。
この分ではお零れは期待できないだろう。奴らに集団で集られてしまえば、どんなデブであってもミイラに早変わりだ。アストレアも存外に善戦しているようだが、時間の問題だろう。
いよいよ以ってマンティスらから緊張感が失せていく。
遠路はるばる極東まで出向いた結果がこれとは、笑わせる。街があの有様では酒も女も買えないではないか。
「……もう一勝負いくか」
「そうだな」
親が捨て札を纏めてシャッフルしている間に、マンティスは財布からなけなしの掛け金を取り出し、配られた五枚の手札を確認する。
おっ、と口から漏れかけた声を寸でで飲み込んだ。
フォーカードだ。それもAという最高の形。ようやくツキが廻ってきたらしい。
ここは迷わず勝負だが、あまり強気に出て相手に悟られて勝負から降りられては台無しだ。あえて賭けるのは少額に留め、マンティスはまず相手の出方を伺った。
「…………」
「…………? おい、どうした。お前の番だぞ?」
随分と悩んでいるのか、次のプレイヤーが賭け金を出してこない。
マンティスは手札が顔に出ないよう、顔を若干伏せているので相手の様子は分からないが、もしや役無しでも引いたのか。それとも気取られたか?
だがここで変に催促すれば怪しまれてしまう。
逸る心臓を押さえつけ、じっとマンティスは待った。
待って……待ち続け……………………一向に相手が動かない。
「おい、何をもた──」
痺れを切らして顔を上げたマンティスの声が途切れる。
「は?」
いない。
ついさっきまで直ぐ傍にいたはずの仲間の一人が何処にも。代わりのように手札のカードが散らばっているだけ。
トイレか? いやしかし、手を伸ばせば届く距離にいた人間が動いたことに気付かないなど有り得ない。ましてや視線こそ外していたが強く意識していた相手だ。
軽い困惑に襲われていると、ロビーが俄かに騒がしくなる。
殆ど反射的に周囲を確認し、直ぐにその異変に気付いた。
減っている。
ほんの数十秒前とは、明らかにロビーにいた人数が減っている。
忽然と、誰にも気づかれる間もなく。
「おい、あいつどこ行った?」
「隣にいたよな?」
他の者たちも異変に気付き、仲間の頻りに首をあちこちに向けている。
マンティスは半ば無意識に脇に置いていた愛剣を引き寄せて、いつでも抜剣できるよう身構えた。それとほぼ同時にゲームの親をしていた仲間が背中を合わせて互いの死角を補う。
「敵襲か……?」
「そう考えた方がいいだろう。誰か、クニエダの様子を」
ふっと、声と背中の感触が唐突に失せた。
「ッ!?」
マンティスが全力で振り向いたそこに仲間の姿はない。
消えた。またしても。確実に。
だが今度はギリギリ反応できた。本当に一部始終であるが、眼の端にその瞬間を捉えた。
手だ。足元の影から飛び出してきた真っ黒な腕が、一瞬にして仲間を床に引きずり込んでいったのだ。床には勿論穴の類など存在せず、傷一つ見当たらないが、もう間違いない。
攻撃を受けている。
「敵襲だッ!」
マンティスは叫ぶや否や、愛剣を鞘ごと床に突き刺し柄頭に仕込んだ緊急防護術式を起動した。
術式の核となっているのは彼の故郷の土だ。これを触媒にし、剣から半径五十cmを彼の故郷と疑似的に定義することで、外界とは隔絶した空間を作り出す。
視覚や精神に干渉する幻術か、はたまた建物や空間そのものを操作する迷宮術式の類いであってもある程度の抵抗が叶うはず。
実際にマンティスの判断は迅速であった。
素早くロビーを見渡せば、またもや人数が減っている。二十人以上いた術師が半数を割る寸前だ。残っているのは抵抗術式を起動させた者のみ。ほんの僅かではあるが対応が遅れた者は狩られたか。
「何が起きている!?」
「こっちが聞きたいッ」
「クニエダに付けてる護衛と連絡がつかない。やられたぞ、こりゃ」
「とにかくここに留まるのはまずい。ひとまず離脱だ」
誰も正確な状況を把握出来ていない。
見えない蜘蛛の巣に捉えられているようなものだ。マンティスらは全く気付かぬうちに、何らかの術中にハマってしまったのだ。
馬鹿な、有り得ない。ここに居合わせているのはマンティスを含め全員がGHCの手練れの術師だというのに。誰一人として術式の起動すら認知していなかったなど、あるはずがない。
いや。そんなことは些事だ。
とにかく今はこの場から離脱することが最優先。如何に強力無比な術式であろうと、必ず有効範囲というものが存在する。消えた仲間の救出は二の次だ。
決断はやはり迅速であり、マンティスたちは示し合わせたように窓や非常口へとバラバラに向かった。一塊になっていては一気に全滅の恐れがあるからだ。
マンティスは最も近い正面入り口へと駆け出し、自動ドアにびっしりとツタが這い上がっている光景に激しく舌を打った。
当然だろう。マンティスが相手の立場であっても易々と脱出など許さない。
あっと言う間にツタは自動ドアを塞いでしまったが、問題ない。ツタは見た目以上の強度を有しているだろうが、マンティスは足を緩めず、抜き放った魔剣を大きく振りかぶり──いや、待て。
おかしい。GHCの実力者を悉く出し抜く術者がマンティスたちに退避を許すか?
そんな訳がない。
相手に余裕が生まれてしまえば奇襲は失敗だ。
つまりGHCが最も動揺し、尚且つ連携が叶わないこの瞬間こそが、絶好の狩り時だ。
「まずいッ──」
経験と勘、そして本能が最大音量で警報を鳴らすが、あまりに遅すぎた。
各々が脱出口へ向かいGHCの面々が無防備に背中を晒している。
「流石はGHCの精鋭たち。これほど残っていようとは」
直後、けたたましい破砕音を立てて軍馬の式神を操る氷杜由良が採光窓を突き破った。
見張りの探知網が及ばない遥か上空からの急降下突入。本来であれば敵陣のど真ん中に
自ら飛び込む愚行そのものであるが、いまこの瞬間だけは例外だ。
月光を一身に浴びながら、無数のガラス片を従える由良は突入と同時に起動した術式を瞬時に微調整する。
次の瞬間、砕け散った無数のガラス片が眩い光を放ち、亜音速でGHCの精鋭を背後から貫いた。
GHCが緊急展開した防護術式は、あくまでも非常用。強度を補強する間もなく、降り注いだガラス矢の雨に無残に引き裂かれ、血の花が一斉に咲き狂う。
流鏑馬。由良が得意とする対人殲滅術式の名だ。
その概要は大量の任意の弾子に貫通、加速、硬化の三つの基礎術式から成る複合術式。いずれの術式も初歩的なものである一方、高い並列処理能力が求められるために使い手が極端に限られている。
突入からタイムラグ無しにこれを行使したことは、そのまま由良の能力の高さを裏付けるものであり、しかし全てを語るものでもない。
血こそ大量に流れたが、GHCの傷は致命傷とは程遠い。幾ら術式で強化しようと、元は砕けたガラス片である。防護術式で威力もいくらか削がれた。
「身体がッ、動かねえ!?」
「毒!? いや、ガラスが筋肉を」
「魔力を吸われてるのか!? 除去できない」
誰もがすぐに身体の異変に気付く。
ガラスを撃ち込まれた傷口から、パキパキという微細な氷結音のような音が鳴り、皮膚と筋肉が急速に硬化していく。
無論、由良の仕業だ。威力を最小限に抑える代わりに、体内に侵入したガラス片が魔力を吸い上げ、周辺の組織を一時的にガラス質に変えてしまう。
見た目こそ大胆かつ派手だが、実際は緻密な霊力制御と高次元の並列術式処理能力があって初めて成せる、広域制圧術。この分野においてアストレアで由良に比肩する者は唯一人を除いて存在しない。
ロビー中央に軍馬の式神を降り立たせた由良の眼光は依然として鋭利なまま。討ち漏らした一人の男を捉えている。
「投降しますか? 魔剣士・マンティス」
「…………アストレアに俺の名が知れてるとはな。慰めになったよ」
マンティスの人生においてこれほど手する愛剣を頼りなく思ったことはない。
彼が流鏑馬から逃れられたのは、言ってしまえば運だ。位置取りの差に過ぎない。
正面入り口は外に突き出るような間取りになっていたことで、由良とマンティスの対角線上にほんの僅かだが死角があったがために、ギリギリで反応していたマンティスは被弾を逃れた。
たった二手の奇襲でGHCはほぼ全滅。悪い夢にしたってもう少し手心があってもいいだろうに。
「その顔見たことがあるな。アストレアの二等監視官、【戦姫】氷杜由良か」
「不名誉な二つ名です。可能なら口にしないで頂きたかった」
「噂通り日本人は随分謙虚なんだな。俺は異名を一種の誉れや勲章と捉えていたが、そちらは違うのか?」
「目撃者の始末を怠った証左、の間違いでしょう。まあ、不要な殺生は避けるのが理想ではありますが」
マンティスは何とか会話で仲間が復帰する時間を稼ごうと試みたが、直ぐに失策であることを悟った。被弾を免れたなら即刻この場からどうにかして離脱するべきだった。
だがもう後には引けない。
「で、投降の意思はありますか?」
「その前に聞かせて欲しい。さっきの影も貴方の仕業か?」
「……違います。そちらは私の弟子の式神でしょうね」
一転して、それまで怜悧であった由良の表情に苦いものが混じる。より正確に言うならば、かつて味わった屈辱とマンティスに対する憐憫が近いか。
「アストレアで指定される禁術はそれなりの数に上りますが、式神に限れば片手で足ります。いまこの天文台を支配しているのがそのうちの一つです」
由良にはずっと抱いていた疑問があった。何故監視官に昇格してから日の浅い弟子が、未熟とはいえ二人もの魔術師の監視任務に抜擢されたのかと。
五輪の街を丸ごと飲み込んだあの銀幕を直接目にし、ようやく腑に落ちた。
なるほど。魔術翁の介入で最悪の事態に陥ってしまったが、これ以上ない適任だ。
「霊地侵略型式神群・玉天集。人体になぞらえた四十八機の式神を霊地に打ち込み、|土地そのものを使役する《・・・・・・・・・・・》」
「な、にぃ……!?」
マンティスたちが味わった衝撃は、由良も知るところだ。
思い出すのも忌々しい理不尽に等しい暴力。
二年前のことだ。由良の弟子、即ち涼の監視官昇格試験の科目の一つである、模擬戦闘を任された由良は伝手を頼り、自衛隊のレンジャー部隊に相手を依頼した。
レンジャーといえば、いかなる悪条件であろうとも昼夜問わず長距離移動をこなし、屈強な肉体と精神をもって任務を遂行する自衛隊の中でも最上級の称号。当然銃器や爆発物、トラップの作成スキルは国内高水準であり、由良が依頼したのは更に霊術を習得した超精鋭だ。
たかだか一人の監視官候補生が相手取るには、過剰すぎる戦力。結果は火を見るより明らかだった。
故に由良が涼に与えた勝利条件は七日七晩レンジャー部隊から逃げ切ること。部隊の誰か一人を無力化すればその時点で終了という条件付きで。
舞台は富士の樹海。
試されるのは戦闘能力やサバイバル能力は勿論だが、追われる立場というのは精神を極限まですり減らされ、正常な判断力を鈍らせる。その中で如何に自らを律し、レンジャー部隊からの追跡を振り切り、あるいは迎え撃つのか。兵士としての真価を問われた。
結果は──レンジャー部隊の全滅。
試験開始から二日が経過しようとした時、レンジャー部隊から救難信号が発せられたのだ。
『助けてくれっ!! いや、今すぐ試験を中止してくれ、頼むから!』
衛星通信を介して由良に届いたのは、余裕を喪失した震え声。間もなくして通信は完全に途切れ、万一に備えて各隊員に配布していた発信機も全機ロスト。涼との連絡も取れない。
不測の事態が発生したと判断し、由良と応援に駆け付けた大和を含む九人で急遽部隊を編成して救援に走ったが──致命的な判断ミスだった。
消えていくのだ。
救難信号が発せられた地点目指し、森の奥深くへと進む道中で仲間が土地に攫われていく。
飲み水の確保に向かった仲間がそのまま帰らず、ある者は足元のぬかるみに落ちるように消えていき、幻聴に見舞われ正気を保てず逃げ出し、そのまま行方不明になるものまで出始めた。
引き返そうにも電子機器は全滅。衛星電話も機能せず、方位磁石すら狂い、どういうわけか地図を頼りに進んでも森から出られない。
短時間で精神は急速に擦り減り、正気を保つのもままならなくなる。
確証はないが誰もが確信したことだろう。
いま自分たちを襲っているのは自然の驚異を装った、人の害意であると。
形ある脅威、見える敵であれば由良たちの精神が簡単に揺らぐことはない。
しかし樹海という檻に閉じ込められ、次々と仲間が消えていき、徐々に、確実に、由良たちの中に芽生えた恐怖が自らを蝕んでいく。
捜索開始から五日後。
とうとう由良は孤立してしまい、碌な休息もままならず極限状態に陥っていた中、ふっと微かな煙草の匂いに気付いた。
罠だ。
そう理解していても、引き寄せられるように足は動いていた。
鼻腔を刺激する匂いが徐々に強くなり、やがて現れた巨大な木の幹に背中を預ける、見覚えのある赤いリボンが見え、由良は走った。
その直後。
突如として背後から小さな手に視界を塞がれ、抵抗する間もなく更に大量の手によって身体が地面へと引きずり込まれていった。
霊力を練る暇はなく、自動発動する緊急用の護符も不発。
あっと言う間に頭まで沈められ、何かとてつもなく熱い激流に攫われていくような感覚に見舞われ、由良は意識を失った。
確実な死を覚悟したもので、目を覚ました時にそこが試験前に自分で設置したテントの中であると気付くまで、生きている実感がまるでなかった。
同じくして大和やレンジャー部隊もまた無事であり、何食わぬ顔で現れた涼から《式神・玉天集》の概要が明かされ、由良は激しい眩暈に見舞われた。
自分たちを襲ったのは、式神で掌握された土地そのものであると。
一度踏み込んでしまえば、逃げることも、抵抗することも叶わない。ゲームの盤面を一方的に操作するような、不条理そのものだった。
後日、土地を人為的に操作することで発生するダメージと、外部にこの技術が漏れた際のリスクが甚大であることを理由に、《式神・玉天集》は禁術に指定された。
今現在、天文台を支配しているのは出来合いの式神を改造した急造品であり、その出力は本物とは比較すれば児戯に等しい。GHCが抵抗できたことがその証拠だ。
無論、ご親切にそのことを由良が明かすわけもなく。
敵とはいえ心底同情しながら、再び抵抗の意思を問う。
「それでもう一度お聞きしますが、貴方に投降の意思はありますか、魔剣士マンティス?」
玉天集から逃れる方法は実のところ幾つかある。
最もシンプルなのは式神を全て破壊してしまうことだ。もっとも、それは例えるなら鎖に繋がれながら檻の中で狩人から逃げ回りつつ、あてもなく地面を掘り続けるようなもの。現実的ではない。
そのそもGHCはマンティスを残し全滅。土地そのものの掌握は即ち天文台の防衛も失敗したことと同義であり、マンティスの責任能力を超過している。
投降したところで非難される言われはない。
だったら、私欲を優先したところで咎められるいわれもあるまい。
乾いた唇を舐めたマンティスは鞘を剣帯から外し、魔剣を正眼に構えた。
「手合わせ願いたい」
自分の剣技が眼前の強者に通じるのか試す。マンティス個人の予定を優先した。
組織への忠誠心はないが、抵抗したという事実を周囲に示しておけば生き残った後の保身にも繋がるという打算も込みであるが。
拒否されればそれまで。こちらは侵略者である以上、贅沢は望めない。
「……手を出さないように」
逡巡の後、何処かでこの場を見守っているであろう弟子にそう告げ、由良は下馬した。
望み通り、受けて立とうというのだ。
マンティスの得物が典型的な片手剣なのに対し、由良が腰から抜いたのは二振りの両刃短剣。剣先を下ろした自然体の構えを取った。
術式を用いる以上、白兵戦において武器のリーチや重量はさほど重要な要素ではない。使用者の体格や筋肉量も同じだ。
勝負の明暗を分けるのは、純粋な技量のみ。体捌き、見切り、手数、術式の出力、……何か一つでも相手を上回ればいい。
両者正対し、仕掛けの瞬間を待つ。
束の間の静寂。
互いの距離は八メートル弱。
相手の呼吸音さえ拾い上げる極限の集中状態が臨界に達し、弾ける。
「ふっ!」
先に仕掛けたのはマンティスだ。
リノリウムの床が陥没するほどの激烈な踏み込みで瞬時に間合いを詰める。
鍛え上げた身体能力と肉体強化の魔術が、八メートルの距離を一瞬で消し去り、魔剣を振り抜いた。
渾身の一撃だ。
肉体と魔術の連動にタイムラグがない最速最短最高の理想の一刀。そうなるはずだった。
吸い込まれるように肩を切り裂くはずだった魔剣は、剣腹を撫でられるようにして由良のバゼラードで捌かれ、マンティスの身体が泳ぐ。
「美しい一撃でした」
それ故に読みやすい。
もう一振りの両刃短剣を手の中で逆手に持ち替え、由良は柄頭でマンティスのこめかみを強かに撃ち抜いた。
意識を刈り取られたマンティスは踏み込みの勢いのまま床を転がり、沈黙した。
「同情します。このような状況でなければ、貴方の剣はもっと苛烈であったでしょうに」
駆け引きも何もない、愚直な一撃。平静を保っていたようで、実のところまるでなっていない。
致し方あるまい。
そうなるように涼が盤面を支配し、由良が残りの芽を摘み取った。
まったくもって、怖い弟子だ。
「終わりましたよ」
「ご苦労様です」
由良がそう呼びかけると、受け付け所から涼が姿を現した。扉の奥には影に引きずり込まれたGHCが手足を拘束され、雑に寝転がされている。
「上手くいってよかった。急造品の式神ですから、やはり最初の騙し討ちで全部自壊してしまった」
「数の不利を覆すためとはいえ、こういう博打の真似事は二度としないように。確実性に欠ける。それと、あまり無茶をしないように」
口の端から流れる涼の血を、由良がそっとハンカチで拭った。
《玉天集》の威力は絶大だ。その代償として強大な力はそれ相応のリスクもまた伴う。
四十八の式神で土地を人体と定義し、これを操る仕組みのために術者の身体に相当な負荷が掛かってしまうのだ。例えば人間の筋肉で鯨の身体を意のままに操ろうとすれば、壊れるのはどちらかは言うまでもないように。
本来であれば何重にも安全装置を設置し、尚且つ補助制御専用の式神と併用するのが望ましいのだが、その全てが銀幕に消えた。
どのみち悠長に準備をしていてはGHCに気取られてしまう。
涼は急造品の《玉天集》を使役し、天文台制圧の代償をその身で支払うこととなった。破裂した臓器は材料が全部揃っているので涼ならば修復は容易だが、痛覚をカットしてもかなりふら付く。
「しっかり」
「……大丈夫です。それより先輩は国枝博士の確保をお願いします。階段を下りて手前から三つ目の部屋があの男の研究室です」
由良が一方の両刃短剣を納めて肩を貸そうとするが、涼は自身のことを後回しにする。
玉天集で把握した敵は全て処理した。いまなら容易にあの男を捕えることが可能だ。
「その必要はない」
ロビーに声が響き、二人の視線が地下へ続く階段へ向けられる。
靴音を鳴らし、クタクタになった白衣のポケットに手を突っ込みながら、国枝忠隆が姿を現した。
即座に由良が前に出るが、一見しただけでは国枝は拳銃一丁所持してない丸腰だ。脚運びから直ぐに素人であると分かり、むしろ由良は困惑さえした。
国枝という男がこの一件の重要人物というには、あまりにも平凡でどこにでもいる中年男性で、相対するになり両手を挙げたからだ。
「待っていたぞ、監視官」
「……なに?」
「ついてこい。お前に見せたいものが、いや、会わせたい奴がいる」
一方的にそう告げ、国枝は階段を下って行ってしまう。
「どうします?」
「……行きましょう。罠ではなさそうだ」
逡巡した後、念のため警戒は怠らずに二人は国枝の後を追った。
階段を下り、扉が開け放たれた国枝の研究室に踏み込むと、国枝の姿はない。相変わらず室内は本棚と金属ラックで迷路の様相を呈しており、その中の一つが横にずらされ、隠されていた地下への入り口が露わになっていた。
昇降用の梯子以外には特別変わったものもない。
涼がここの立ち入り調査した時は、別件で立て込んでいた為にこの隠し通路の存在には気付けなかった。
「先輩はここで退路の確保を。俺一人で下ります」
「分かりました。ですが、油断しないように」
生存報告代わりの煙草に火をつけて、涼は由良を残し梯子に慎重に下る。
梯子を下りきると、直ぐに分厚い金属製の扉が待ち構えていたが、こちらも先程と同様に開け放たれている。
地下室は存外広く、上の研究室の軽く三倍の面積はあるか。どうやらこちらが国枝の本当の研究室らしい。照明の類いを最小限に抑えられ、室内は薄暗い。
上と変わらず壁際に限らず本棚や金属ラックが雑然と並び、涼には用途も分からない機器も幾つか見受けられた。
とりわけ目立つのは、SF映画でよく目にする巨大な強化ガラス製の円柱状の培養ポット。
ペールブルーに培養液に満たされたポットを中心には案の定、国枝が研究する権能の三重環の術式が刻まれ、それを中心に何語かも判別できない文字が刻まれている。
が、そんなもの涼にはどうでもよかった。
彼の眼は、培養液の中。膝を抱えて身体を丸める少女に奪われ、釘付けになっていた。
どういうことだ、これは。
何故、彼女がここにいる?
「紹介の必要はないな」
口から零れた煙草がリノリウムの床を小さく跳ね、灰が散る。
国枝の声が遠い。
聞きたいことは山ほどある。なのに、声は一向に出てこず。
混乱しながらも、脳は確かに《彼女》を認識している。
他ならぬあのハイジャック事件で赤服の呪いが染みついた、亡き友を。あの時のまま、十五歳で時を止めている。
「宮、藤……!?」
弔われたはずの亡骸がそこにはあった。