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終章・八節 鏡の住人

「っ……!」


 五輪市陥落。


 魔術翁/宮藤カイと交戦した神崎雀、雨取照の安否は不明。


 およそ考えられる最悪の事態に、床に臥せる涼の首筋に冷や汗が伝う。


 身体が満足に動いたならば、今すぐにでも飛び出していたことだろう。


 幸か不幸かそれは実現できず、また三日という致命的な出遅れが思考の手綱をしっかりと握らせた。


 もう焦る段階はとうに過ぎている。


 はやる鼓動を抑えつけて、枕元に置かれたスマホに向き直る。


 確認しなければならないことは山ほどあった。


「フラン。神崎と雨取の安否はまだ確認できていないのか?」


『言ったろ、事態は君が思っているより深刻だって。安否確認が出来ていないのは、彼女たちだけじゃない。これを見たまえ』


 画面に映るフランが上隅へ縮小されると、別の写真が表示された。


 瞬間、涼の眼があらん限りに見開かれる。


 遠方から撮影された一枚だろう。小高い山に囲まれた小さな街が光り輝く銀幕に取り囲まれていた。


 銀幕の内側は伺い知れないが、地形や川橋の位置から推察するに、間違いなく五輪市だ。


『これは約六時間前に撮影されたものだが、銀幕は徐々に拡大している。これの正体はさておいて、目下の最大の問題はこの銀幕が外部からの干渉を完全に断絶しているということだ』


「なら市民は」


『当然、安否不明だ』


 詳細な報告を初めて聞いたのは大和と由良も同じだった。


 絶望的な状況に歴戦の術師である二人も小さく息を呑んだ。


 五輪市の人口は約十四万人だ。全域に銀幕が飲み込まれているわけではないが、少なくとも駅前や住宅密集地は間違いなく銀幕の内側。軽く見積もっても被害者数は数万は下らない。


 戦後最悪の前代未聞の術式災害だ。


「銀幕の遮断性能の詳細を聞いても?」


『まず第一に、少なくとも内部からの脱出者は確認されていない』


「魔術翁と交戦した神崎と雨取は別にしても、一般人がただの一人も出てこない……?」


 大和の問いに対するフランの回答に、由良は形の良い眉を歪めた。


 術師における結界というものは、一般的に想像されるバリアとは異なる。


 バリアは簡潔に言ってしまえば《障壁》だ。内と外を物理的に隔てる壁や盾。


 術式で再現することは可能だが、これはガソリンを燃やし続けて炎の壁を維持するようなものだ。エネルギー消費が激しく成果も乏しい。コンクリートやアスファルトを操作して物理的な障壁を作ってしまう方がコスパに優れている。


 一方、術師が展開する結界の真髄は《ルールの強制》にある。


 最も有名で使用頻度の高い結界の一つとして、人払いの結界が挙げられる。


 この術式は簡単に言えば、街中でよく目にする【関係者以外立ち入り禁止】の文言と同じだ。


 大抵の人間はあの注意書きがあれば不用意には近づかず、逆に関係者は受け入れ通過する人間を限定している。


 人払いの結界がまさにこれだ。


 無関係な一般人を遠ざけ、術師や魔族といった例外のみを範囲内に残す。


 それ以上の効力は有していないため、例えば効果範囲内を通過する電車や飛行機を止める力はない。


 だからこそ、大和たちは銀幕に困惑を禁じえなかった。


 十中八九、銀幕は何らかの術式が働いている。


 街一つを覆い隠し、内外を完全に遮断する術式障壁など非常識も甚だしい。


「この様子では術式の構造解析も難航しているようですね」


『氷杜君の言う通りでね。何しろ未知の事象だし、霊術か魔術かさえ不明だ。現地には魔術翁の息がかかった聖王協会の連中も確認されているけど、どうもあちら側にとってもイレギュラーな事態みたいなんだよね』


「破壊出来る可能性は?」


『今のところは無理そうだね。一応、証明術式と虚数術式を駆使しながら、あとは単純に人としての強度を増強すれば無理矢理突破することは出来なくはないって話だけど、内部がどんな状態か分からないんじゃ、ゴーサインは迂闊に出せない。ただ──』


 不意にフランの双眸がすうと細められる。


『非常に類似した魔術が報告されているよね、宵波監視官』


 期待と、それを遥かに上回る非難の視線が涼に突き刺さる。


『あれ、雨取照の編纂魔術だろう?』


「…………っ」


 否定しなかった。出来るはずもなかった。


 当然だ。涼が逆の立場であったら、真っ先に照の編纂魔術を疑う。


 一時的に現実という素材にメスを入れ、異空間を世界に上書きする雨取照にのみ許された大魔術。

 そこに魔術翁という特急のイレギュラーが干渉したのならば、五輪市の事体にもある程度の筋が通る。


 何しろ、過去に一度起きてしまった事例だ。


『正確には七榊響によって暴走した編纂魔術、いやパンドラ魔術だったかな。事象も規模も、継続時間さえ元となった編纂魔術とは異なる。物は試しにと君とは別ルートで採取した雨取照の血と魔力をあの銀幕に近づけてみれば共鳴するじゃないか』


「…………何が言いたい」


『とぼけるんじゃない』


 普段の甘い声音は欠片も存在しない鋭い叱責。


 戦闘職の涼たちとは違う、組織の長が放つ規律と合理性に基づいたカリスマの殺気が、画面越しに涼に突き刺さる。


『君は監視官としての役目を失念していたのか? 神崎雀と雨取照が社会に仇成す危険因子であれば、実力をもって排除せよと命じたはずだ』


「七榊響との一件はお前も含めて上層部は納得したはずだろう」


『確かにあの一件は倉橋という非がこちらにあったし、事態収拾を優先して特例として認めた。だがね、二度目(・・・)を許した覚えはないよ』


 フランの最後の言葉に、涼の表情が痛烈に歪む。


『銀幕を見た君の反応を見て確信したよ。過去にも一度、恐らくは去年の十二月に同じ事態が起きかけただろ』


 やはり誤魔化しきれなかった。


 遂にこの時が来てしまい、涼はほぞを噛む。


『神崎雀と雨取照は二回の戦闘が確認されているんだ。一度目は痛み分けの末に、神崎雀が霊地の一部を割譲することで終着している。そして二度目が去年の十二月。報告書によれば雨取照が再び霊地の強奪に走ったことが衝突の理由だとあるけど、この時に強い時空間の歪みが遠方からも観測されているんだ』


「時空間の歪み……もしや」


『そう。いま現在五輪市で起きている現象と酷似している。当時は編纂魔術の影響だと解析課の子たちも納得していたけど、違ったようだ。実際、今年の九月に行使された編纂魔術の反応と明らかに違う』


「……涼、どういうことだ」


 大和は義理の弟を直視出来ず、呻くように説明を求めた。


 もし本当に去年の十二月に銀幕が発生しかけ、その原因が照にあったのなら、涼は監視官としての責務を放棄し、あまつさえ事態の隠蔽を図ったことになる。


 言い逃れようのない規律違反。返答次第では魔術翁に与したと疑われかねない。


 既に規律違反者としてフランは涼を断ずる構えだ。彼女がやれと命ずれば、大和と由良は涼を罪人として扱い、場合によってはその手を汚さなくてはならない。


 いや、元よりフランはそのつもりだったのか。


 例え瀕死とはいえ涼は三等監視官。加えて等級以上の実力を秘めていることは、他ならぬ涼を鍛え上げた二人がよく知るところ。アストレアにおいて彼に対抗できる者は、それこそ数える程しかいない。


 確実に排除するには、いまはこれ以上とない機会。


『慎重に答えたまえ、宵波涼。今日という脅威を君は誰よりも予見できたはずだ。にも拘らず、何故雨取照を殺さなかった』


 最悪の未来が過り、大和は一気に喉が干上がり、由良は否応になく懐の自衛用ナイフを意識した。

「まあ……こうなってしまった以上、守秘義務もなにもないだろうな」


 瞑目し、諦観の念に満ちた涼の独白。


 ついにこの時を迎えてしまった運命を呪わずにはいられない。


「まずは肯定を。確かに去年の十二月に銀幕は発生しかけ、俺はその事実を報告せず、神崎夜鷹と協力して隠蔽した」


「涼、お前……!」


「…………っ」


 涼の自白に、大和は握りこぶしを固め、由良は耐え切れず視線を切った。


「しかし断言する。隠蔽は監視官としての責務に背いたわけでも、ましてや造反の意図があったわけでもない。必要と判断してのこと」


『何故だい』


「アストレアの現状が何よりの証拠だろう」


『ふむ、痛いところを突くね。でもそれは結果論だ。過去の君の行動を正当化するには些か説得力が足りないね』


 協会派という爆弾を抱えるアストレアを不安視しての対処だと弁明する涼に、フランは動じることなく的確に論理の穴を突く。


 決して言い逃れは許さない。


 涼自身、そのつもりもない。


「お前はさっきこう言ったな? 何故雨取照を始末しなかったのか。生かした結果が銀幕発生を招いたと」


『だから何だい』


「逆だ」


「なに?」


 明らかにする。一年間、五輪市で見てきた全てを。


「雨取を殺さなかったからではない。彼女が死んだ結果、あの銀幕──鏡海が出現してしまったんだ」


『…………は?』


 呆けた声はフランのもの。


 彼女のみならず、大和も由良も、誰も涼の言葉の意味を理解できていない。


 無理もない。実際に雀と照(・・・)と触れ合い、過ごした涼であっても受け入れがたい事実であり、しかし厳然たる事実でもあった。


『何を言って……』


「事実だ。恐らくはもう、雨取は死亡しているだろう」


 淡々と、しかし血を吐くように涼は己の確信を告げた。


 正確には状況に基づいた推察の域は出ないものの、希望的観測はここでは毒となる。


 いま必要なのは過去との、昨年十二月の悲劇との擦り合わせだ。


「フラン。さっきお前が語ったように、去年の十二月にあの銀幕は現れかけた。その原因は雨取の寿命が尽きたことに起因する」


「ちょ、ちょっと待てよ。詳しくは知らんが、雨取嬢は十五歳ぐらいの子供のはずだろ。寿命ってどういうことだ?」


「いえ、それよりあの銀幕が鏡海とはどういう意味ですか? 鏡海とは確か、並行世界を含めた過去から未来に至る情報記録帯のはず」


 要領を得ない涼の説明に、我に返った大和と由良が矢継ぎ早に疑問をぶつける。


 順を追って説明する必要がある。


 何処から語るべきか思案し、やはり最初から語るべきだと結論付ける。


「先輩の言う通り、鏡海はこの世全ての情報記録帯。あらゆる事象の可能性を内包した、全と一の領域です。数十年前、神崎家はそこに至る門を造りだしました」


「しかしそれは事実無根の噂話なのでは」


 由良の指摘は至極真っ当なものだ。


 本当に神崎家が鏡海に辿り着いていたのならば、この世の支配者も同然の存在だ。


 鏡海が全ての情報を内包してるということは、遥か過去の神代に失われた秘術の復活も容易であれば、現代のあらゆるセキュリティシステムも意味をなさないということ。


 極端な話、神崎家が世界征服を企ててしまえば、これを阻むことは不可能といえる。


 にもかからわず、神崎家は何もしていない(・・・・・・・)。ただの地方都市に住まう、多少名の知れた魔術師の家系であるままだ。


 故に一部を除いて誰もが神崎家の偉業を眉唾と信じて疑わなかった。


 だが事実は違う。


「神崎家は鏡海に辿り着いていないから何も成していないわけじゃない。辿り着いても、何もしていない、いや、出来ないだけです」


「何らかのリスクがあるってことか?」


「それもあります。それ以上に思い描いていた鏡海と実物に乖離があったということです」


 強大な力程、それに比例して代価が求められる。


 大和が持ち出したのは術式のセオリーだが、認識が違うと涼は首を振った。


「そうですね……。多分、一般的に想像される鏡海は巨大な図書館のようなものだと思います。あらゆる(じょうほう)が陳列され、自由に取り出せる場所だと」


「違うのですか?」


「情報の集積地、という意味のみであれば正解。あそこには確かに古今東西の情報が詰まっている。小さな事象……例えばいまの我々の会話内容が記録されているかはわかりませんが、少なくともこの地上に現れた生物は全て記録されているはず」


「では原初の人間であるアダムとイヴの存在を証明することも可能であると?」


「そうです」


「なんと……!」


 未だ解明されていない人類の起源、それに対する何らかの答えさえあると涼は断言し、指物由良も動揺を隠せなかった。


 まさしく知恵の果実。事実であればあらゆる学問はその階梯を十でも二十でも一気に駆け上がることが可能となり、人類は進化する。


 魔術翁が鏡海を求める理由がまさにこれだろう。


 失った権能を、いや全能を鏡海から引き出し、我がものとする。


「鏡海はその名の通り鏡です。この世界そのものを写し取る巨大な鏡。そこに映り込んだ生物や地形といったあらゆる物理的事象、並びに宗教や思想なども情報として記録される。──要するに一方通行なんですよ。自由に閲覧できるようなものじゃない」


『それはおかしいぞ。なら何故君は先程、少なくとも人間単位では記録されている、と言った? 鏡海が不干渉の領域であれば、機能の確認など出来るはずがない』


 すかさずフランが反論を挟んできた。


 たった一度の説明でよくそこに気付けたものだと、涼は内心で舌を巻いた。


 もし本当に鏡海が人の干渉を拒むのであれば、鏡海に辿り着いたとしても、鏡海という代物は噂の域を出ない。


 鏡海の性能を証明するには、実際に何らかの情報を引き抜いた事実がなくてはならない。


 先程の涼はこれが不可能と断言したのだ。


 ただし、まだ全てを詳らかにしたわけでもない。


「いるんだよ、たった一人だけ。鏡海から引きずり出された、並行世界の住人が一人。そいつを監視せよと命じられ、俺は五輪へ赴いた」


『なっ!? まさか──』


 確信に触れる。


 七榊響との一件で垣間見え、昨年の十二月に知った真実に。



「──そう雨取だ。彼女は本来この世界ではなく、別の並行世界の人間だ」

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