終章・七節 死の狭間から
「…………っ、ぅ」
宵波涼の人生において、最悪の気分で目覚めることはよくあることだ。
大抵は任務先での戦闘による負傷か、呪いの増長に起因している。寝かされているベッドの感触でそこが馴染みの病院であるか直ぐに判別出来てしまう程度には、入院病棟の常連であった。
苦痛の海から這い上がり、霞み掛かっていた意識が徐々に覚醒していく。
頭は泥を詰め込まれたように重い。呼吸をするだけで体力がガリガリと削られ、汗が噴き出して気持ち悪い。
目を開けようとするも瞼が異様に重い。何度か細かく目を瞬せると、ようやくぼんやりと天井が見えてきた。
知らない天井だ。病院の青白い天井でも、年季の入った神崎邸のものとも、五輪ハイムの味気ないそれとも違う。
昭和レトロなアルミ製の電気傘が吊り下げられた板張りの天井。歪んだ木目が人の顔を連想させて大層不気味だ。
井草の匂いは畳の上だからか。ぴたんぴたんとシンクを叩く水滴の音に、時折電車の走行音が遠くに聞こえる。
何処かのアパートの一室か。視線だけ動かして確認すると、間取りはよくある1DK。玄関とキッチンスペースが直結し、トイレや浴室が隣接している。涼が寝かされているのは更に奥の和室だろう。
視界の端に映る窓の外は重苦しい曇天模様。壁掛け時計は正午を過ぎて間もないというのに薄暗い。照明が落とされていることもあって、部屋には更に濃い影が落ちていた。
「気付きましたか?」
声は耳元から聞こえてきた。吐息が耳に掛かるほどの至近距離。
今更になって人肌の温もりを認識した。伴ってシトラスの香水と体臭に馴染んだ硝煙の匂い。
衰弱しきっているとはいえ、今更になって同衾者の存在に気付くとは。
何より驚いたのは相手の女性だ。
声を聞いた直後は幻聴の可能性さえ疑った。宵波涼が知る限り彼女は軽々しく男と床を共にするような人物ではない。というか涼の勝手な決定事項では近い将来に義理の義理の姉になる人で、尊敬とその百倍の畏怖を抱く師匠だ。
秒で布団から飛び出して土下座からの拳銃自殺の義務がたった今発生したところだが、ほんの少し首を回すだけで体力が尽きた。
結局、涼にできたのは蚊のような細い声を絞り出すだけ。
「氷杜……先、輩。どうして……」
「いまは何も考えないように。峠は越えたようですが、まだ眠っていた方がいい」
同衾者──アストレアの監視官である氷杜由良は何も答えず、汗で顔に張り付いた涼の髪をそっと指先で払った。
その動作で布団が押し上げられ、由良が白衣に袖を通していることに涼は気付く。同時に白衣の下に着こんだ同色のインナーに刻まれた複雑な術式の存在にも。
泥のように意識が朦朧としながらも、事の経緯と状況が大まかに見えた。
恐らく、由良は同期蘇生の術式を涼に施したのだ。
蘇生と名がついてはいるが、実態は寿命の割譲が表現としては正しいだろう。
この術式の分かりやすい例が輸血だ。不足した血液を他者から補う治療法であり、通常は献血であらかじめ保管された血液が使われる。これは当然、一度に生命維持に関わるほどの血液を失った際に施される処置だ。
同期蘇生は献血でやることを人間そのもので行う、強引な治療法だ。
つまり、今の涼のように手術や治療術式ではリカバリー出来ない生命力を、提供者のそれで補うということ。
手段は単純明快。瀕死の涼の身体を、術式を介して由良がその身で運営しているのだ。即ち由良は現在自身に加えて涼の生命活動を肩代わりしていることになる。
言うまでもなく術者への負担は凄まじい。本来は本格的な治療まで持たせるための一時的な応急処置の域を出ず、長時間術式を行使すれば術者が死亡する危険すらある。
時代を遡れば、戦時下において負傷した将兵を生かすために、一般兵がその死を肩代わりしたという話まである曰くつきの治療法だ。
「先輩……もう、大丈夫ですから」
「気遣いは不要です。私はあの男が補給を済ませている間の穴埋めだ」
身を案じる涼に由良は枕の上で首を横に振った。
真実、瀕死の涼を生かしたにしては由良は平然としている。流石に顔には疲労が色濃く表れているが、涼と比較すればそれこそ死人と生者ほどの差がある。
強者がひしめき合う群雄割拠のアストレアにおいても由良は屈指の実力者であるが、保有する霊力量は平均をやや上回る程度。瀕死の涼を活かすには少々無理がある。
瀕死の涼を活かすほどに生命力に溢れ、由良が『あの男』と露骨に名を避ける人物の心当たりなど、涼には一人しかない。
「うぃーす。飯買ってきたぞ、マイハニー」
ちょうどその時だ。パンパンに食料が詰め込まれたレジ袋を片手に、一人の男が玄関から現れた。
大方の予想通り、涼がよく知る人物だった。
窮屈そうに玄関を潜る恵まれた体格と身長は親譲りのもの。二メートルに迫る肉体はそれでいて贅肉とは無縁であり、マウンテンパーカーとジーンズの上からでも鎧のような筋肉が想像できる。
垂れ目で愛嬌のある顔立ちは父親からは遺伝せず、彫りの深い精悍な顔付きだ。
ただし──
「お。起きたか涼。精の付くものとゴムも買ってきたから、試合が終わったら呼んでくれ。我儘を言えば俺は甥が欲しあぎゃあああああああああっ!?」
宵波家の女好きの悪癖はこの男──宵波大和にもしっかりと遺伝している。
父親の直嗣が無自覚の女たらしであるのに対し、彼はセクハラ方面へ開花してしまったわけだが。
悶絶しているのは、由良が枕に忍ばせていた棒手裏剣で由良に額を串刺しにされたからだ。
大和のセクハラ発言通り涼が由良に邪な行為をしでかせば、首を一突きされる未来もあったということ。治療の同衾とは言え、そこはしっかり警戒していたのは由良という女性の性格をよく表している。
「大和義兄さん……大丈夫か?」
「いてて……。よお、涼、久しぶりだなお兄ちゃんだぞ。もっとはしゃげ。あと人の心配出来る立場かよ」
引き抜いた棒手裏剣を投げ捨てて、大和は何事もなかったかの用に布団の脇に腰を下ろす。
玄関から居間へと進むたった数歩足らずの間に出血は収まり、無遠慮に袖で血をゴシゴシと拭うともうそこには傷はなかった。
袖の内側に治癒術式を仕込んでいたわけではない。
ただ全うに傷が自然治癒で塞がっただけだ。
傷口に血小板が凝集することで止血が成され、細胞分裂で傷口の修復が始まり血管新生が起こる。常人では数日から数週間単位で行われる過程が大和の場合、その特異体質によって何百倍も早いというだけの話。
彼からすれば先程の負傷はかすり傷程度の扱いなのだろう。
「そうやって美女を傍らにぶっ倒れてると、なんだかお前を拾った日を思い出すな」
「茶化すな大和。容体はまだ予断は許さない」
胡坐をかく大和が涼の髪をかき混ぜる様に撫でると、由良がその手を弾いて諫める。由良も流石に大和を前に横になり続けることはせず、今は上半身だけを起こして、涼は二人に挟まれる形だ。
恥ずかしい以上に情けなく、涼もせめて身を起こそうとするが、身体は悲鳴を上げるばかりで命令を受け付けない。両腕の義手を失っている今、誰かの介助なしには何をするにもままならない。
「無理すんな。マジで死にかけ……いや、ほとんど死んでたんだからよ。助けておいてなんだが、よく命を繋いだもんだ。ま、いまはとりあえず休んでろ」
「……俺の装備、回収してありますか?」
「ある程度はな」
「……ベルトのバックルに仕込んでいるものが…………」
「ちょっと待ってろ」
立ち上がった大和は押入れの襖を開け、籐籠に纏めていた涼の装備品を引っ張り出す。
破損した銃やナイフが乗せられているのは、丁寧に折りたたまれた涼のコートだろう。血と埃で穢れ、焼け焦げた跡や切り傷、銃弾の穴で無残な有様だ。
スラックスも同様に損傷が激しい。ベルトは千切れて使いものになりそうにないが、金属製のバックルは多少拉げている程度で原型は留めている。
非常時に備えてベルトのバックルや靴底に剃刀や予備弾丸などを仕込むことはアストレアにおいて珍しいことではない。
短い言葉ながら大和は涼が言わんとすることを察し、直ぐにそれを探し当てた。
「こいつか?」
「……そう」
涼が隠していたのは呪符で包装されたカプセル錠剤。それが三つ。
由良に身を起こしてもらい、彼女に支えられながら涼は大和に全てのカプセルを口の中へと放り込んでもらう。水はいらない。そのまま嚙み潰して、中身を飲み込む。
たったそれだけで全身の体力を搔き集め、文字通り死力を尽くさなければならなかったが、見返りは十分。
カプセルに充填されていたのは薬ではなく、ドロリと粘性が高く甘い液体。
嚥下し、食道を通るそれは胃袋へと落ちる前に体内へと吸収され、内包する高密度の霊力が血流を介して全身へ巡る。
砂漠に水を撒いたように、渇きに喘ぐ全細胞が急速に賦活し、蘇っていく。
霊力さえ充実すれば、宵波涼にとって肉体の修復は容易い。
肉体補完の術式で傷付いた内臓を優先的に修繕していき、最低限の生命維持をこなせるよう身体機能を整えていく。至る所で折れた骨は運動に支障をきたす部分以外は放っておくか、分解して損傷の激しい部分の補填に回した。
同時に味覚や嗅覚といった優先度の低い身体機能をカットしていき、微々たるものだが余分な霊力・体力消費を抑える。
荒れていた呼吸が整い、青白かった肌が赤みが戻り始めた。
全快とは言えないものの、数分前と比べればゾンビから重症患者ぐらいには回復しただろう。
穴だらけのバケツ同然であった涼の身体が最低限回復したことで、全身に巻かれている包帯状の治癒符もようやくその効能を本格的に発揮し始めた。
後回しにした筋肉や皮膚の損傷がじわじわと癒えていき、傷口が塞がっていく。
大きく息を吐いて、涼は布団に倒れ込んだ。
慣れている術式とはいえ、やはり瀕死同然の状態での術式行使は負担が大きい。普段は自覚すらしていない術式の反動が恐ろしく重い。
とはいえ無理を押し通したリターンは大きい。
共倒れの危険すらある同期蘇生でこれ以上由良に負担をかける必要もなくなった。
「今のカプセルは?」
「……俺に纏わりついたGHCの連中から巻き上げた霊力です」
甲斐甲斐しく布団を掛けなおす由良に涼は手短に説明した。
現在アストレアは当主であるフランチェスカを筆頭とした保守派と、ヨーロッパ最大の魔術結社・聖王協会への迎合を訴える協会派に二分されている。
協会派が最も大きく動いたのが直近のGHCの手引きだ。
長年対立してきたアストレアと聖王協会の首脳陣が集う初めての会合に際して、聖王協会は先手を打つように姉妹機関であるGHCの祓魔師を差し向けてきた。
牽制と抑止が目的だろう。
涼たち三等以上の監視官は与えられた権限の強大さと独立性の高さ故に、個人にして最小単位の組織と称されることもある。
聖王協会側からすれば会合に臨むならば、アストレア首脳陣よりも剣であり銃である涼たち主力の抑止に動くのは当然と言える。
カプセルの正体は涼についた祓魔師の二人組。魔眼の一族であるシャノン・コーデリオンとアルベルト・ブリアードから搾り取った霊力だ。
シャノンらの要求に応じる代償として要求した、魔眼の研究用に徴収した霊力を濃縮し、貯蔵していたのだ。
常に霊力不足に悩まされる涼が緊急事態に備えていた代物ではなく、本来はシャノンたちと矛を交えた際の最後の切り札であったものだが。
命を奪う事態を想定していたものに救われるとは、死んだアルベルトはあの世でほくそ笑んでいることだろう。
依然として重症であることに変わりはないが、お陰で窮地は完全に脱した。事が全て済んだ暁には彼らの故郷に赴いて、墓を建てなければ。
「お二人にもGHCの祓魔師が付いたと聞いていましたが?」
「洲巻にして質に入れておいた」
「畑の案山子にしておきました」
大和は自分用に買ってきた牛丼にガッツきながら、由良は生真面目な顔でサラリと恐ろしいことを言う。
この手の冗談が彼らにとっては冗談ではないことを、涼は訓練時代に身に染みて理解している。多分マジなのだろう。
問題は、組織間の問題になりかねない強引な手段を用いてまで、二人が祓魔師の排除に動いた点だ。事実が露見すればせっかく漕ぎ付けた会合の成果は水の泡となり、聖王協会との確執は修復不能なレベルになりかねない。
同時にそれはアストレアの分裂を確実なものとする愚行でもある。
その程度の事、大和と由良が理解していないはずもない。
それでもやったということは、祓魔師の排除を強いられるほどに状況が変化した証明。
べっとりとした脂汗に冷たいものが混じる。
「何があったんですか?」
「……それはこっちが聞きたいぐらいなんだがな。ま、とりあえず結論から言うとだ──」
箸を動かす手を止め、大和の瞳が真剣な色を帯びる。
「──魔術翁が動いた」
心身を痛めつけた現実が再び涼に突き刺さる。
認めなければならない事実を脳と心が拒絶して、目と耳を塞ぎたくなる。
現実逃避という甘美な誘惑が心の奥底に這い寄ってくるも、そこはもう泥と血の味でとうの昔に満ちていた。
「宮藤……」
彼女の名をこれほど虚しく呼びたくなどなかった。
押し寄せる無念と寂寥感で息が詰まりそうで、そのくせ涸れてしまったのか涙の気配はいつまで経っても訪れない。
──今度こそボクを殺して欲しい。
最後の記憶。意識が途絶える間際に刻み込まれた呪いを、宵波涼が受けた証左か。
「成田空港の監視カメラに貴方が交戦した人物がハッキリと記録されていたそうです。本部はその映像を元に、魔術翁と名乗る人物の身元を特定しました。その上で確認します。──本当に彼女なのですか?」
「…………」
確たる証拠が揃いながら、由良は半信半疑といった様子だった。
それはそうだろう。人獣の犠牲となった砂純健人や有澤皐月のような事例はあくまで特殊。彼らの遺体は発見されていなかった故に、生きていた事実の辻褄は合う。
しかし彼女──宮藤カイの遺体は回収され、弔われたはずだった。
葬儀に参列した当時の大和と由良も、死化粧を施されたカイと対面していただけに、本部からの情報に困惑したことだろう。
首を傾けて、涼はボロ糸のような有様となった長い髪を見た。
どれだけ探しても、見慣れたはずの形見のリボンが見当たらない。
それが現実を突きつける最後の一刺しとなった。
「間違いなく、あれは宮藤カイでしょう」
断言する。
生きていた彼女は、アストレアの不倶戴天の敵であると。
涼がカイと友好的だった期間はそう長くはなく、当時の彼は赤服の呪いの封印の影響で視覚は殆ど働いていなかった。
対面した事など片手で足りるほど。記憶のカイの容姿はごく曖昧に納められている。
本来であれば証人としては涼は最も不適格な人物。
「そうですか……」
「悪趣味な真実だな」
由良も大和も疑いはしなかった。
理屈ではなく、ただ『そういうこともあるだろう』と受け入れる。
重い沈黙が部屋を支配するも、長くは続かず。
大和は残りの牛丼を一気に掻き込んで、義弟の双眸を正視した。
「宮藤カイが自ら存在の開示するのと同時に、協会派が一斉蜂起してアストレアの本部を包囲した。フランチェスカお嬢とお付きの大柳公らの無事は確認されてるが、首脳陣は身動きができない状態だ」
「本部を解放しようにも、保守派の主力である監視官や攻城官には、GHCの祓魔師という枷が付けられている。聖王協会には魔術翁の息がかかっているとみて、間違いないでしょう」
「魔術翁っつー、特大の異常が出たにせよ、ついに保守派と協会派の全面戦争が始まったわけだが、協会派の連中も伊調銀治の不在でイマイチ統制に欠ける。本部は放っておいても即時陥落って事態にはなりそうにない」
「協会派の動きは明らかに保守派の足止めを目的としたものだ。理由は言うに及ばず、魔術翁の邪魔をさせないためでしょう」
悲観も憶測も交えず事実だけを淡々と、大和と由良が現状を語る。
「宮藤と誰か交戦しましたか?」
「少なくとも二回交戦が確認されている。一回目は成田でのお前との戦闘。二回目は五輪市での神崎雀と雨取照との戦闘。今から約三日前のことだ」
「…………っ!」
一気に血の気が引いた。
雀たちとカイの衝突は予想出来ていたが、既に三日も経過しているとは。
「二人の安否はっ!? 神崎には安芸義姉さんもついていたはずっ。まさか義姉さんやられたわけじゃっ?」
「安芸は手傷を負ったようですが命に別状はないようです。ですが神崎雀と雨取照の安否は今のところ確認されていない」
「何故!?」
自身の容体すら忘れて無理に起き上がろうとする涼を、由良が両肩を押さえて布団に押しとどめる。
だが焦らずにはいられない。
アルベルトとの戦闘ダメージが十分に癒えない状態であったとはいえ、涼はカイに完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
現状において最も魔術翁の脅威を理解しているのは、他ならぬ涼だ。
雀は射撃の腕は勿論、魔弾の威力は一級品だ。
照の編纂魔術を筆頭とした魔術の才覚は類を見ない。
それらは魔術師としての性能であって、悪意に対しては年相応に彼女たちは脆い。
実際に一年前に単純な性能では遥かに劣るはずの七榊響と倉橋の策略に、雀たちは完全に後手に回され追い詰められている。
ましてや今回の相手は魔術翁。その裏には間違いなく聖王協会という組織があるはずだ。
安否が不明であるならば猶更だ。今すぐにでも向かわなければ。
『事態は君が考えているより深刻だよ~、スーザン』
唐突に聞こえてきた間延びした幼い声に、涼はハッとする。
音源は大和が取り出したスマホだ。
最初からビデオ通話がオンになっていたのか。
スタンドで起立するスマホが枕元に置かれると、画面に映る見目麗しい少女とまみえる。
刀剣を髣髴とさせる藍鼠色の頭髪。フリルで袖や前立てが派手に装飾されたブラウスと、緋袴という和洋折衷甚だしい装いを、不思議と着こなす小さき淑女。
アストレアが現当主、フランチェスカ・E・ユースティアその人である。
「フラン。無事なのか?」
『まあね。脱出経路は押さえてはあるんだけど、下手に私がいなくなると協会派の子たちを刺激しちゃうからね。いざとなれば一掃できるし、穴熊で様子見しているところさ』
フランの軽い口調は決して演技の類ではないのだろう。目立った外傷は見当たらず、非常食のカロリーメイトを齧っている。
目立った外傷も少なくとも見える範囲では見受けられない。今フランがいる場所が本部の何処であるかは涼には分からないが、安全は確保されているようだ。
『むしろ、由良に添い寝して貰ってる君への腹立たしさの捌け口が無い方が問題さ。っていうかそこ代れよ不忠者。恩知らず! 浮気者~!』
「責任取って嫁に貰え~」
三日間の缶詰め状態に早くもストレスが許容限界に達しているのか、フランはキーキーと喚きだし、便乗する大和に由良に肘鉄を打ち込んだ。
普段であればこの時点で通話を切ってしまうのだが、生憎といまの涼には両腕もなければ自力で動くこともままならない。
理不尽なクレーム対応を余儀なくされてた。
『──っとまあ、騒ぎ立てたいのは山々何だけど、状況は結構深刻でね。早速だけど結論から入ろうか』
一転して、フランが顔が少女から当主のそれへと入れ替わる。
頭髪よりも眩い銀の双眸に意識が研がれてるようで、スマホ越しでありながらフランの表情の機微がハッキリと見て取れた。
自然、涼の背筋は伸び、同時に嫌な予感を覚えた。
『心して聞いてほしい、スーザン。今から約七十七時間前。神崎雀及び雨取照が魔術翁と交戦を開始。詳細は省くけど、結果を言えば──』
朗々と紡がれるフランは一拍の間を挟み、予感の正体を口にした。
『五輪市は陥落した。あの街はもう魔術翁の手中だ』