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終章・五節 蒼玉の瞳

「なに……これ……」


 立ち尽くした雀の表情は困惑に支配された。


 侵入者の迎撃に打って出た彼女を出迎えたのは異様な光景。


 軽自動車がやっと一台通れるほどの道幅の路地裏の一角に、侵入者の一団と思われる人間が悉く倒れ伏している。


 ──まさか。


 警戒しながら雀は倒れる一人に近づき、脈を確認しようとし、その肌の冷たさに息を飲んだ。


「死んでる……!?」


 全身をローブで身を包んだ七人の侵入者には既に薄っすらと雪が積もっている。呼吸もしていない。


 全滅している。


 争った形跡は全くない。弾痕や切り傷はおろか、一滴の血痕すら皆無。死体がほぼ一か所に固まっている事から、抵抗する間もなく一瞬でやられたのだろう。


 絶命時の表情をそのまま残す死体がそれをありありと物語っていた。驚愕と恐怖に支配された顔か、何が起きたのか理解すら出来ていない困惑の表情にどちらかだ。


「……うっ」


 初めて見た死体があまりに綺麗だったせいか、今更ながら吐き気が込み上げてきた。


 咄嗟に口元を押さえて、無様に動揺することだけは許すまいと、気力のみで喉元まで迫った逆流を押しとどめる。


 どうせなら派手に臓物が飛び散っていた方がまだ現実味がなかったというのに。


「とにかく……まずは人除けの結界を張らないと」


 無理矢理吐き気を飲み下した雀は一時的な死体の隠蔽に動いた。


 正直まだ頭は混乱しているが、運悪く一般人でも通りかかれば面倒なことになる。


 懐からペールブルーの液体で満たされた小瓶を取り出し、雀はそれを頭上高くに放り投げると魔弾でこれを撃ち抜いた。


 中身の液体が魔力と反応し、淡く発行する粒子となって周囲に拡散し、即席の人払いの結界が形成される。


 錬金術師でもある照謹製の魔道具だ。術師の眼を欺く強度こそないが、一般人の意識からこの場を遠ざけることは容易く、一時間は結界を維持できる。


 本来は戦闘後の後始末などに用いられるが、いまはそれどころではない。


 人形の送り主とは別に、また別勢力の敵が介入していると分かった以上、孤立している現状は非常に不味い。


 この場は放置し、屋敷で戦っている照のもとへ駆け付けるべく、踵を返した時だ。


 狭い路地から若い女が飛び出してきた。


「た、助けてっ」


「なっ!?」


 全身ローブ姿から察するに、絶命した一団の仲間か。


 滂沱の涙を流し、足をもつれさせながら震える手を雀に伸ばす。


 敵と理解し反射的に後ずさり、ふっと鼻腔を付いた刺激臭に脳が痺れた。


 直後。女性と足元の死体からそれは咲き狂った。


 赤だ。


 闇夜でありながら白銀に支配された五輪市を真っ向から否定するような、目も覚めるような深紅の花──彼岸花。


 女性は悲鳴を上げる暇さえなく、死体はその血肉で死んだ証しすら残せず、文字通り瞬きの間に花達の養分と成り果てた。


 唯一の慈悲か。それとも単に化学繊維の味を嫌っただけか、衣服のみが残される。


「なん……なのよ、これ」


 再び掠れた声。


 眼前での蹂躙、いや捕食を脳が理解を拒む。生物としての本能がそうさせる。


 これはダメだ。関わってはいけない。


 ドクドクと全身が心臓に変わったような錯覚に襲われ、真冬でありながら冷や汗がとめどなく溢れる。


 初めて相対する『死』そのもの。


 捉われたが最後、決して逃げられない。


 生物としての本能がかつてない大音量で警告を発しながら、雀は動けない。


 小刻みに震える足は意に反して全く動かず、眼球は眼前の赤に磔にされたように視線すら動かせない。


 やがて花達もただ突っ立っている間抜けな栄養(すずめ)に気付いたのか。


 無風でありながら、ざわりと花たちが微かに揺れた。


「うああああああああああああああっ!?」


 恐怖が臨界に達し、絶叫を迸らせた雀は腕に魔力を叩き込んだ。


 平静を欠いたことで手順を幾つも飛ばした上に、過剰な魔力供給に術式はほとんど暴走状態。展開された術式陣は起動不良を引き起こし、激しい明滅を繰り返す。


「……──き!」


 スパーク状に漏れ出た魔力は無秩序に荒れ狂い、これに打たれた街灯や打ち捨てられた酒瓶が砕け散る。飛び散った破片が雀の頬を割いても、本人は気付かない。


「──崎ッ!」


 凄まじい魔力は極小範囲ではあるが重力さえ打ち消し、傷口から血の雫が宙に浮く。


 彼女の周囲の雪は軒並み蒸発。


 最早自我すら失いかけ、臨界に達した魔弾が炸裂する、その瞬間。


「この馬鹿! 目を覚ませ神崎ッ」


「ぶへっ」


 痛烈な平手打ちに雀は吹き飛んだ。


 無様に背中から倒れながら、我に返った雀から血の気が引いた。


 完全にやらかしてしまった。


 かろうじて握られていた魔力の手綱がこの時完全に離れてしまったのだ。


 火力だけは一人前の雀から制御(ブレーキ)を外したのなら、魔弾はただ無秩序に破壊をもたらす爆弾となる。


 カッと眩い光を放ち、術者もろともに派手な花火を咲かせるはずの魔弾は、しかし予想に反して沈黙した。


 固く閉じた瞼を持ち上げた雀が見たのは、己の腕に群がる彼岸花の群れ。


 彼女の危惧を他所に花達はそれ以上増長することはなく。パチンという軽快な指鳴らしの音に従い、花びらを散らしてその姿を消した。


 纏わりつかれた腕は無事だ。違和感すらない。


「全く……無様に取り乱してなんだその様は。馬鹿火力以上に度胸が売りの君らしくない。別に初めて見るわけでもあるまいし、生娘みたいな声なんか上げて。それじゃいつまで経っても雨取に移動砲台とか歩く弾薬庫だのと呆れられるぞ」


「だ──」


 カッと頭に上った。いまのが例え挑発であろうとも無視してなるものか。


 飛び起きた雀は拳を震わせて怒鳴り散らす。


「誰が生娘みたいな声なんか出すか!?」


「あ……君、経験があったのか」


「え、いやありませんけど……ってそっちじゃない! 言っておくけど、私がその気になればこの街全土が射程圏内なんですからね。精度が甘いから直接出向いた方がいいだけで」


「知ってる知ってる。クラウンを鍛え(イジメ)た時に何度か巻き添えを食ったから身に染みてる。──っていうか神崎、君この姿でも俺が分かるのか?」


「はあ? 分かるもの何も──」


 言われて雀はハッとした。


 勢いに任せて詰め寄っていたその人物から少し距離を取り、初めてしっかりと目の前の人物を認識する。


「あんた誰?」


「…………………………はあ」


 吐き出されたのはおよそその可憐な容姿には似つかわしくない深々とした溜息。


 光の加減で薄っすらと青みかかって見える白髪に古めかしい黒を基調とした豪奢なドレス。


 伏せ気味の長いまつ毛の下で輝くのは蒼玉(サファイア)の瞳。視線が合えば無意識に息が零れ、惹き込まれ、軽い陶酔感さえ覚える、


 少女の纏う蠱惑的な空気に心地よさを覚える暇もなく、小さな唇が吹いた煙の臭いに雀は顔をしかめた。


「何吸ってんのよ」


「見たら分かるだろ。煙草だよ、煙草」


 流れるような手付きで着火し、不味そうに紙煙草を吸う少女。


 取り上げようと雀が手を伸ばすが、これを制するように少女が前髪で目元に影を作り、流し目を送った。


 うっと、一瞬雀が見惚れた隙に少女は悠々と後退。


 距離を詰めようとするも蒼玉(サファイア)の視線に再び絡めとられ、一歩も踏み出せない。


「ふうん。かなり弱いが、姿を借りただけあって【魅了(チャーム)】の効力はあるのか」


「姿そのものが魅了の魔術って、あんた夢魔(サキュバス)か!? ならここで死んでる連中はアンタの仕業か」


「確かにこいつは夢魔だが見た目だけだ。さっき花達の養分にした奴はともかく、他の奴らなど知らん。──っというか、まだ気付かないのか神崎。俺だ、よい──」


 名前を口に仕掛けるも、夢魔の少女は寸でで口を噤んだ。


 穏やかな表情がみるみる険しくなり、一歩、雀から距離を取る。


「神崎、幾つか質問がある。正直に答えなさい」


「色々と問い質したいのはこっちも同じなんですけど」


「口答えはするな、あまり時間がない。こちらとしては今、この瞬間が分水嶺だ」


 一転して少女の口調は硬く、何より余裕が無くなっていた。


 殺気は感じられないが、応じるべきか否か、雀は判断しかねた。


 相手は魔族だ。正面戦闘であれば雀にも分はあるが、相手は夢魔。吸血鬼や獣人と異なり絡め手を得意とする種族。ハッキリ言って雀とは相性が悪い。


 下手に耳を貸すのはあまりにも危険だ。


「危害を加える気はない。約束しよう」


 警戒する雀の心境を悟ってか、少女は煙草を咥えたまま両手を上げて、敵意は無いことを示した。


 少なくとも、この場では本当に雀と事を構えるつもりはないらしい。


 事実その気ならタイミングはいくらでもあった。


「……お互い一問一答。最初はこっちが先。それなら可能な範囲で答えてあげる」


「分かった。ただし手短に」


 軽い暗示の術式で【魅了】を対策し、雀は対話に応じる。


 どうもあちらも情報に飢えている様だ。主導権を渡さない強気な条件にもあっさりと応じた。


「じゃあ問一。魔族のあんたがこの街に何の用?」


「先に訂正を。さっきも言ったが外見を借りているだけだ。質問への回答として、この街に来たのは君と雨取照の無事を確認するため」


「アマトリ? うちの妹じゃなかったら人違いですけど?」


「………………いやちょっとした記憶違いだ。そう、君たち姉妹の安否を確認しに来た」


 訂正する少女の表情は言葉とは裏腹に納得とは程遠い沈鬱なものだった。彼女が口を開いたのは、手にした煙草の大部分が灰になった頃。


 降り続ける雪の一片が、ジュっという音を立てて煙草の火を消した。


「……君が最も恐れた自体が起きてしまったか、雨取」


 きっとその独白は照へ向けてのものなのだろう。少女の言動からの推測ではなく、頭の奥底で雀はそう確信した。


 夢魔の少女が自らの質問権を行使したのは、瞑目を挟んだ後のこと。


 再び露わとなった蒼玉(サファイア)の瞳は、しかし一時前とは別物であった。


 一方的な知己だったのだろう。雀に向けられていた親しみは抜け落ち、生気を削いだ冷たい光を宿している。


「神崎。こちらからの質問は一つ。そして忠告と宣告が一つずつ。心して聞け」


 分水嶺。恐らくは先程のやり取りが決定的だったのか。それも限りなく悪い方向へ。詳細を語らずとも怜悧に研がれた瞳の光が雄弁に語っている。


 これより先の状況と情報の擦り合わせは、歩み寄りではなくその逆であると。


「神崎」


「何?」


「妹は君にとって大切な存在か?」


「いきなり何言いだすのよ。っていうかそれが質問なの?」


「小っ恥ずかしくとも正直に答えろ」


「…………さあね。ご存じでしょうけど、うちは魔術師の家系だから、その辺は世間と比べればかなりサバサバしてると思うわよ。特に私たちぐらいの歳じゃ、姉妹なんて鬱陶しいぐらいが普通じゃないの」


 一般論で誤魔化したが、偽らざる本音ではある。


 幼いころから雀と照の魔術の才は大きな隔たりがあり、それは補佐役と次期当主という立場によく現れている。


 魔術の英才教育を施された妹とは対照的に、姉の魔術の才能はそこそこ。初歩的な術式でさえ結果に雲泥の差がでるのだ。保有する魔力量こそ雀に軍配が上がるため、戦えばゴリ押しで勝負の形は作れはするが。


 だが別段雀は才能の差を恨んだことも、嫉妬したこともない。


 照が正式に当主の座に就けば、魔術師などという肩書とこの田舎街ともおさらば。秘かに貯めた軍資金で都市部へ移住する計画も順調に進んでいる。


 事情こそ少々特殊だが、珍しい類の話でもないだろう。


「嘘でもシスコン的な発言が欲しかった?」


「いや。安心した。こっちでもどうやら神崎雀は俺の知っている女と違わないらしい」


 要領を得ない答えに雀が身を乗り出すも、これを制するように少女が指を立てる。


「先程言った通り、忠告だ。恐らくは次の君の質問への回答にもなるだろう」


 これから訪れる苦難を予言するように、声のトーンが一つ落ちる。


「まず先程俺が花の養分にした奴らだが、聖王協会の武装教徒達だ。そして今、この街は奴らに包囲されている」


「はあ!?」


 驚愕は当然だろう。


 聖王協会といえば古今東西のあらゆる霊術・魔術、そして霊地を手中に収めんとする秘密結社だ。表向きは術師の繁栄と安寧を謳っているが、実態は違う。略奪に等しい手段で他者の研究成果を押収し、霊地の利権を強奪。時にその対象は人体にさえ及ぶと言われている。


 組織内で地位を確立してしまえば、長い歴史と権威が強力な後ろ盾となる一方、組織に属さない術師にとっては厄災となんら変わりない。


 日本ではアストレアが防波堤となっていることで、長らくその影響力は届いていないはずだ。


「じゃあ他の侵入した連中もっ!?」


「そうだ。だが安心しろ。ここの奴らと同じく裁かれてる、いや拒絶されてくたばっている頃合いだろう。最初からこの土地にいた君達とは違うということだ」


「要領を得ないわね。親切心からの忠告ならもう少し丁寧に説明してくれるかしら」


「残念ながらこちらも詳細を把握しているわけではない。だが戦闘が起きていないことは気配を探れば分かるだろう?」


 言われて気付く。照が陣取る屋敷の方角も、カイが向かった学校方面からも戦闘はおろか術式が行使された様子もない。


 あの二人のことだ。一切抵抗もできずに拘束されたという可能性は考えにくい。


 少女が語る土地に踏み込んだだけで敵が全滅した、という道理は不明だが少なくとも無事ではあるはず。


「アンタの仕業……ってわけでもなさそうね」


「ご名答。少々強引に侵入したが、あと数分もすればこの身体は崩れる」


 よくよく観察すれば、少女の身体は細かいノイズが走り始めていた。


 霊能力者が好んで使役する式神が、実体化が不安定になると生じる現象だ。


 それ自体は容易に予測できたこと。恐らくは最初に送り込まれた銃人形と、いま雀が言葉を交わしている術師は同じはず。


「分からないわね……アンタ敵なの、味方なの?」


「その問いに対する答えが宣告になる。……出来るなら味方でありたいが、それは君達の選択次第に──、っ!」


 不意に言葉を切った少女が大きく飛び退いた。


 直後に、一瞬前まで彼女が立っていた場所がまるで砲撃を受けたように吹き飛び、木端微塵に砕け散ったアスファルトが周囲に降り注ぐ。


「離れて雀ちゃんっ!」


「カイ!?」


 雪と粉塵が濛々と視界を覆いつくす中で、雀が聞いたのは宮藤カイの声。


 何が起きたのか判然としないまま、気付けば雀はカイに抱きかかえられ一足飛びに脇の建物の屋根にいた。


 急行してきたのかカイは肩で息をし、顔にはこの寒空でありながら大量の汗が浮かんでいる。


「どうしてアンタがここに──」


「何で魔族と悠長にお喋りなんかしているんだい!? 今がどういう状況か分からない君じゃないだろうッ!」


 言葉を遮られたばかりか、飛んできたカイの糾弾に雀は息を呑んだ。


 常時の彼女からは想像がつかないほどに、カイは余裕を欠いていた。その手には滅多に持ち出さない銃剣が握られている。生粋の魔術師が持つ杖と同様に、術式の効力を底上げする霊具であり、宮藤カイの主武器(メインウェポン)


 彼女がこの武器を手に戦った姿を見たのは、雀が記憶する限り僅か二回。


 一度目は地下競売オークション・ラヴュリンスを強襲した際の乱戦で。


 二度目は霊脈に巣食う人造魔獣の討伐戦で。


 いずれも生死をかけた激闘。悪意と害意、そして殺意に満ちた戦場は空気にさえ死が染みついているようだった。


 カイが銃剣を抜いたことは即ち、過去二回の激闘に匹敵する強敵と判断したことと同義。


 それを裏付けるように、粉塵の中から夢魔の少女が悠然と現れた。


 彼女の足元からややそれた路面がクレーター状にごっそりと抉れているものの、少女自身は全くの無傷。


 クレーターの中心部に突き刺さるのはカイが放った水晶の杭。高純度の霊力の塊であるそれは、夢魔の少女がそっと触れただけで術式が崩れ、吸収されていった。


 夢魔の得意能力、生命力喰い(フォースイータ)だ。


「…………っ!」


 音が鳴るほどにカイは銃剣を握り締めた。


 少女が杭を喰って見せたのは挑発だ。


 仮に杭の直撃を受けたところでこの程度なら問題にすらならず、不意打ちであっても避けることは容易いという証左。


 姿そのものが魔術である【魅了】さえ意識的にカットして、少女は艶然と微笑んで見せた。


 アストレアと魔族。両者の存在意義は対極に位置し、交わる視線は剣を帯びる。


「──……君が神崎たちの監視官か、宮藤」


「魔族と問答する気はないよッ!」


 叱声と共に、カイは銃剣を足元へと突き刺した。


 突き立てられた刃を中心に葉脈のような白と黄色の筋が周囲一帯に走る。地面と壁に縦横無尽に蜘蛛の巣上に広がる筋には莫大な霊力が通い、同時に術式そのもの。


 術式の有効範囲内に存在する混凝土(コンクリート)や硝子、金属を支配下に置き、組成を組み替え新たな武器とする。


 至る所から無数の水晶クラスターが発生した次の瞬間。カイの霊力を貪欲に吸い上げた水晶は爆発するようにその身を巨大化させ、ただ一人の標的へ殺到した。


 水晶自体は初撃と同じもの。ただし攻撃密度はその比ではない。凄まじい速度で成長する水晶は大気を穿ち、次々と炸裂する霊力の閃光で夜闇が退く。


 その攻撃の凄まじさを物語るように、水晶の苗床とされた建物や路面は急速にやせ細っていく。雀たちが立つ雑居ビルも同様に外壁はあっという間に消費され、解体途中の住居のように断面が露わになる。


「ちょっとカイ、やりす──」


 たまらず非難を口にしかけた時には、カイはビルから爆心地目掛けて飛んだ後だった。


 伸びる水晶の上を駆け抜け、逆手に構えた銃剣が狙うはただ一人。


 これだけの波状攻撃を受けながらも、夢魔の少女はその全てを悉く無力化していた。


 少女の足元の僅かな面積だけが水晶の養分から逃れ、雨のように降り注ぐ水晶はやはり初撃と同じ末路を辿っていた。


 ただの一柱も少女に届くことはなく、はるか手前で術式が瓦解し吸収される。揺れるドレスの裾に触れることさえ叶わない。


 雀の十八番を奪う波状攻撃はしかし牽制に過ぎず。


 水晶の影と閃光を隠れ蓑に一息に懐へ潜り込んだカイは愛剣を振りぬいた。


 狙うは心臓。強力な魔族であれば心臓を破壊されても即死とはいかないが、弱体化は免れない。


 しかし──


「なっ!?」


 銃剣は確かに心臓を貫いた。だというのに全く手応えがない。


 それどころか踏み込みの勢いそのままカイは少女の身体を素通りしている。


「時間か。これだけ霊力を頂戴しても留まることは出来ないとはな」


 いまや少女はノイズの塊のような有様だった。かろうじて人の形は保っているだけで、もう容姿も判然としない。


 式神の実体化が解けようとしている。無数のノイズが全身を迸り、急速に霊力が拡散し続けているのだ。


 ここでも真っ先に動いたのはカイだった。


 呪符を放ち、即効で組み上げた捕縛結界で少女を捕らえるが、ノイズは激しさを増すばかり。


「待て、逃がすと思っているのかい!」


「随分と必死だな、監視官。お前ほどの実力者が何をそこまで取り乱している?」


「惚けるな! 君らが侵入して間もなくして、照ちゃんが倒れた。一体何をしたッ!?」


「なっ!? 照が倒れたって、どういうことよ!」


 耳を疑った。


 古来より戦いにおいて地の利を有するということは絶対的なアドバンテージを有するものだ。


 それは術師同士の戦いにおいても同様。


 今回で言えば神崎邸がまさにそれだ。


 照が陣取っている神崎邸は攻防一体の城と称して過言はない。幾重にも張り巡らせた防護結界の他、内部へ侵入したとしても屋敷は照の鏡魔術と錬金術で疑似的な迷宮と化しているはず。


 術師としての実力も申し分ない以上、例え聖王協会の精鋭相手といえど早々に後れを取る事はないはずだ。


「最初に街に踏み込んできた人達は、僕達が接触するころに絶命した。彼らの命をリソースにして呪詛か何かを撃ち込んだんだろ! 卑劣な犯罪者がよくやる手口だよっ」


 古くは戦争にも用いられた下法でもある。


 死傷率が高い最前線の兵士の命を、敵兵の手柄にしてやる前に自軍の戦術で利用しきる。何も知らされていない先兵達の命を呪いに変え、敵将を穿つ呪法。


 当世においては当然のごとく禁術に指定されているが、法に背く輩が八十億に迫るリソースを無視することは決して有り得ない。ましてや世間一般から外れた術師ならなおさら。


 カイが雀の元へ急行したのは、少女を元凶と判断してのことか。


(あた)らずと(いえど)も遠からず、と言っておこう」


 果たして、夢魔の少女は自身の責をあっさりと認めた。


 我こそが貴様の不俱戴天の仇であると。


 激しいノイズに飲まれながら、実体化を保つ蒼玉(サファイア)の双眸を爛々と輝かせ謳う。


 宣戦布告を。


「神崎、先程の続き、宣告だ。今一度、心して聞け」


 いつの間にか声は少女から男性のそれにすり替わっていた。


 式神を操る術者の肉声が切り付けるように空気を震わせた。


「五輪の街は現在、前代未聞の非常事態に陥っている。今の君達は知る由もないだろうが、場合によっては世界を揺るがす緊急事態だ。どのような結末であれ、俺は事態を収める責務がある。──例えこの街とここに住まう、|十四万人を皆殺しにしようとも《・・・・・・・・・・・・・・》」


「「なっ……!?」」


 絶句とはこのことだろう。


 街一つを滅ぼす。戦いに身を投じてきたカイであっても、想像の埒外。


 目的も、動機も不明のまま、ただただ最悪の結末だけが用意された。


 怒りに髪を逆立て、カイは怒号を放った。


「そんな悪行を正義アストレアの僕が見逃すものか」


「残念ながら不可能だ。こちら側では宮藤カイは確かに正義だろうが、君がアストレアであればあるほど、俺の大悪を育み、虐殺を確かなものとする」


 式神の消滅が始まった。足元から霊体が霧散していき、夢魔の少女が消えていく。


 カイが渾身の捕縛術式を幾ら叩きつけようとも、まるで効果がない。まるで別の力で存在自体が抹消されているように。


「三日後だ。今から数えて七十二時間後までに、この街が正常に戻っていなければ五輪市は日本地図から消滅することになる。逆に言えば君達の選択次第で虐殺は回避可能だ」


 小さな燐光を散らして、ついに少女は二人の前から完全にその姿を消滅させた。


 ──鍵だ、鍵を閉めろ神崎。まだ間に合うはずだ────……


 残響する最後の言葉。


 どれだけ気配を探っても、式神と術師を繋いでいた術式の痕跡さえ捉えれない。


 唯一。彼女が立っていた場所に小さな箱が残されていた。


 雀は建物から飛び降りてそれを拾い上げると、《ブルークラブ》という銘柄の煙草の箱だった。使い捨てのライターと一緒に中身は残り三本。


「僕が預かる」


「……いい。多分、私が持っておくべきだと思う。それより照が心配」


 提出を求めるカイの手を無視して、雀は箱をポケットに押し込むと屋敷へと走った。監視官もまたそれ以上要求はせずに、後を追った。


 雪は、止まない。


 これからも、この先も。



   ✝   ✝   ✝



「神崎、君のことだ。心のどこかで薄々感づいてはいるはずだ。そこが五輪市でありながら別物で……しかし間違いなく君が生まれ育った街であると」


 式神が消滅し、感覚共有が途切れたことで宵波涼の意識は自らの身体に帰還した。


 地図からも、人々の記憶からも忘れられた曰くつきの山道。ひび割れが目立つ道路に組み立てたテントから出ると、ここ最近でぐっと冷たくなった夜気が頬を撫でる。


 空は快晴。街の光が遠いここでは月明かりが最も頼りになる光源であり、無数にちりばめられた星々もその存在感を増していた。


 独白と共に視線が向かうのは、はるか遠方の街。


 一般人に感づかれないように幻術と人払いの結界で隠蔽しているが、完全に誤魔化すことなど不可能。


 物流は止まり、外部からは電話やインターネットも繋がらないのだ。情報統制も限界に近いと上層部は情けない悲鳴を上げている。


 しかし、外部からの干渉が殆ど叶わない以上、どうすることもできない。


 つい先程も聖王協会が痺れを切らして部隊を突入させたようだが、あの世界に拒絶されたようだ。全滅という結果を協会は把握することすら困難。


 誰も想像だにしていなかったはずだ。


 あれが事象の羊水。全並行世界の情報を内包した情報の海──鏡海であろうなどと。


 五輪市は今、銀色の光に覆われ、世界から孤立していた。


 街を覆う銀幕は地上地下問わず内部と外部を完全に遮断しており、銀幕内の市民が脱出してきたという情報は確認されていない。


 強力な防護術式を用いれば何とか街への踏み込むことは可能ではあったが、あの銀幕の内側では文字通り異物。世界そのものから抹消され、赤服の呪いを編み込んだ涼の式神でさえ抗えなかった。


 一方で無機物は透過することは早々に確認済。


 この性質を利用して大部分を機械部品で構築した人形も数体投入してみたが、電波や術式による遠隔操作は全て遮断されてしまう為に成否すら不明。精度の甘い完全自立型の疑似人格に頼らざる得なかった。


 仮に問題なく侵入に成功していたとしても、一機残らず破壊されている事だろう。


 理由は言わずもがな。やっとの思いで安否確認が叶った神崎雀と、姉妹の監視官に着任していた宮藤カイだろう。


 驚愕は無論あった。動揺もあれど、しかし僅かなもの。


 五輪の街が鏡海と繋がっているならば、甘い夢が現実になったとしても不思議ではない。


 かつて彼女を慕った師や友がこの事実を知ったのならどうするだろうか。


 歓喜するだろうか。滂沱の涙を流すだろうか。誰とも知らない神に感謝を捧げるだろうか。


「今更になって君の気持が少し分かった気がするよ、有澤皐月」


 銀幕は徐々に拡大していっている。


 あの銀の領域が隠蔽の結界を超えたが最後。


 雀に、照に、カイに、何も知らぬ十四万人を道ずれに審判が下される。


 他ならぬ宵波涼の手によって。


「監視官は対象を危険と判断した場合、身命を賭し、対象の殺害義務が発生する……か」


 コートの背中に刺繍された剣と天秤(アストレア)の意匠が鉛のように重かった。


 ──タイムリミットまで残り七十二時間。

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