一章・十三節 監視官と魔術師
同時刻。場所は変わって五輪高校。
「まったくふざけているッ」
眉間に深い皺を刻んだ幸城誠明監視官は人気のない校舎を縦断していた。その足取りは乱暴そのもので、たまに擦れ違う生徒は誠明を見るなり視線を逸らし早足に去っていく。
幼さが残る容姿は笑顔を浮かべれば女性受けが良いだろうが、口元を横一文字に結んだ仏頂面に加え、眼鏡の奥で怒りを称える血走った眼が近寄りがたい印象を与える。
温室育ち故の神経質、そんな言葉が当てはまりそうな生徒と言えるだろう。
事実、彼は常時不機嫌な事が生徒間では共通認識になっており、実際いまも絶えず悪態をつく彼は腹が煮えくり返らんばかりであった。
そして事情はどうあれ、こめかみの血管の耐久度を減らす事案は大抵同じ。嘆かわしいことに彼の表の顔、裏の顔関係なしに。
政府公認特務執行機関アストレア。魔術・霊術・錬金術を初めとした術者の管理・管轄を主とし、時に大規模な魔導犯罪への対策組織としても機能する特務機関。高校生の身ながら彼はその構成員の一人だ。
彼の任務はこの地に根を張る魔術師の監視、及び対象の脅威が認められた場合の殺処分。前任者が担当していた二人の魔術師の内、一方を四月から引き継いだ。
本来であれば彼本人か式神が二十四時間体制で徹底監視を行うのだが、三日前に街外れの大橋で勃発した戦闘のどさくさに紛れ監視対象は単独行動。一方的な連絡のみを寄越し、今日この日まで誠明の眼から逃れていた。
おまけに誠明は大爆発で発生した諸々の事後処理に追われ、方々を駈けずり回るハメになり碌な睡眠を取れていない。
「殺す。今日こそ始末してくれる」
都立五輪高等学校は現在夏休み。登校している生徒は部活動に精を出す者が殆ど。南校舎から北校舎へ続く渡り廊下には日蔭が落ち、小休止中の野球部の面々が涼んでいる。
たわいのない会話を楽しむ彼らは誠明の姿を確認すると、サッと左右に引いていく。
触らぬ神に崇りなしといった風体で、皆一様に明後日の方向を向き、しかして好奇心と野次馬根性の尻尾を隠しきれず皆一様に副会長を視線だけで追う。
腫物を扱うような野球部のよそよそしい態度に舌打ちを漏らす誠明だが、構わず突き進み校舎へ消えていく。途端、割れていた人波がざわめき出す。
「今日は何時にも増して不機嫌だな、副会長さんは。歯にニラでも詰まってるのか?」
「南校舎に行ったってことは、また会長に無茶押し付けられたんだろ」
「うわっ、このクソ暑い日までパシリかよ」
「人使い荒いな~」
「前は確か児童館へのボランティア人員の掻き集めを命令されてたな。人形劇やるはずが何故か時季外れの節分やってたけど。ちなみに鬼役は副会長な」
「なにそれ、見たい」
誠明が校舎に消えるや否や、これから起きる喜劇を憶測する野球部の面々達。自分達がとばっちりを喰らうのは御免被るが、遠目に眺める分には問題ないという身勝手な理由。なにせ生徒会長に振り回される人間というのは大変見応えがあるのだ。それは生徒のみならず、教員でさえ例外ではない。彼らの視線は自然と生徒会室へ集まっていた。
そんな身勝手な期待を受けているとも知らず、誠明は一直線に生徒会室前に辿り着くと勢いそのままに扉をブチ開けた。
待ち人は一人。
狭苦しい室内の主は書紀の有澤那月とは違ったタイプの美人だ。轍の無い処女雪を思わせるきめ細かい肌と好対照し、背中に掛かるストレートヘアは艶のある黒髪だ。勝気な意思を強く反映する瞳は切れ長で、虹彩は黒に近い藍色を覗かせている。同年代の少女と比較してやや高身長ながら服の上からでも分かるボディーラインは女性的。教員からの信頼厚く、春に生徒会長に就任した彼女だが、言い寄る男子生徒は意外なほど少ない。
――否、少なくなった。砕け散った恋心は武勇伝となり、新たな勇者が誕生すれば暖かい拍手と共に迎え入れられるまでが通例だ。
女生徒は革張りの肘掛け椅子に座り、執務机に積まれる大量の書類を処理している。空調の利いた室内に香るのは彼女が愛飲している紅茶だろう。
誠明は後ろ手でキッチリ扉の鍵を閉めると、作業中の女生徒に詰め寄る。
「神崎ッ」
誠明は手にしていた封筒を放り投げると、後腰に手を回すとベルトに挟んでいた拳銃を躊躇することなく抜銃、凶器を女生徒の額に突き出した。銃把には天秤と有翼の女神のカメオが埋め込まれている。
イタリア銃メーカー・ベレッタ社製自動拳銃ベレッタ92。アメリカ軍を始め世界各国の軍、法執行機関に採用されている、正真正銘の実銃だ。
安全装置を外して銃口を向ける誠明の指は既に引き金に掛かっている。彼が指を絞れば銃弾が射出され、女生徒の頭蓋を打ち砕くだろう。
「どうやら貴様は自分の立場が分かっていないようだな。監視官である俺の命令を無視して、三日間何処で何をしていた、答えろッ」
高圧的な指示は脅しではない。答えなければ射殺する、という意志を示す誠明に対し女生徒――神崎雀は変わらず作業を続けていた。
「何をって、メールしたでしょ。大橋の魔術戦で結界に妙な呪詛が流されたから、術式と起点のチェックをしていたのよ。損害は殆どなかったけどね」
ぶっきらぼうに答える雀の態度は如何にも投げやりだ。拳銃が眼に入っていないのか、それとも肝が据わっているのか。誠明には一瞥すらくれてやらず、雀は濃いめに淹れた紅茶を口に含みながら黙々とペンを動かす。
「そんなことは聞いてない。立場を弁えろと言っているのだ、魔術師ッ」
「あら、撃っていいのかしら? 内部事情がごたついている貴方たちにとって、それは良くない事じゃないかしら」
ピクリと銃口が揺れる。
終始高圧的だった誠明の微かな動揺を視て取った雀は、ニタァと笑い泣き所に畳みかける。
「それに、私を三日間も捕まえられなかったんでしょ。貴方の派閥は一年の監視期間を無理矢理延長させておいて、自分たちの能力不足をわざわざ露呈するのかしら?」
「貴様ッ……!」
急所を突かれた誠明は言葉を詰まらせる。
彼女の言う通り、誠明の所属する組織は現在内部に大きな問題を抱えている。あくまで内部事情故に、部外者である雀に知れている事はあまり歓迎できることではない。
両者睨み合ったまま暫く膠着状態が続いたが、やがて誠明は不愉快気ながら銃を降ろした。
「……何処で組織の内情を知った?」
「貴方たちが私達を調べるように、私達も貴方たちを監視しているのよ、霊能力者」
「ちっ……」
拳銃を下げたと誠明は放り投げた封筒を拾うと、それ以上は何も言わず自分の机に付く。雀の主張は概ね正しく、内部事情にまで調べが回っているとなると、武力行使は避けなければならない。先代の監視官が五輪市に滞在している今、派閥争いの口火を切るには時期も悪い。
誠明の任務はあくまで雀の監視だが今回のように街に被害が出た場合、後始末や魔術の隠蔽工作はアストレアも協力する規約も交わされている。
監視についても彼女の生活妨害をしないことを大前提としており、実際は式神による遠隔監視が基本となっている。
つまり問題は無かったのだが、誠明は極力自身による直接監視に重点を置いていた。上司からの命令でもあり、それ以上に前任者を意識してのことだ。
(宵波は確か住み込みで監視していたらしいが……)
チラリと雀を盗み見る。
作業が一段落したのか両手を組んで伸びをする彼女から、パキパキと小気味よい音が聞こえてくる。ブラウスを押し上げる豊かに膨らみが強調され、誠明は慌てて視線を外す。
神崎雀は魔術師だ。
代々神崎の家系は五輪の霊地を管理し、約七百年に及ぶ歴史を紡いできた。若くして五輪の霊地の管理者となった雀は親元を離れ、五輪市の別邸に越してきたのが二年と半年前。魔術師としての彼女が生誕した年でもある。
アストレアが神崎に接触したのはその一年後のことだ。
魔術師・霊能力者問わずその多くが何らかの組織に属しており、慢性的に研究成果や大規模儀式に適した霊地の簒奪戦が頻発している。特に霊地に関しては主なものは大組織の保有下にあり、個人で霊地を保有している術師でも――地位と権力があれば別だが――勧誘は後を絶たず、断れば強硬手段に出る事例も後を絶たない。
そして神崎家は西欧最大派閥の一つ“聖王協会”からのお誘いを蹴り続けた一族でもある。
アストレアが雀の監視役に付いているのは、土地の簒奪戦を抑止する目的の一つである。労働組合にも似た役割を担うアストレアは個人の術師の権利を保障し、必要とあれば監視官を派遣し仲介役を買って出る。
監視官を派遣するもう一つの理由に、霊地保有者の適性審査がある。大きな霊地は運用方法によっては大規模な魔導災害、テロを誘引する事も可能であるため、保有者としての適性を測りこれを外部に証明するのだ。
アストレアから“適性”と認可された術師は保有者としての権利を保障され外部干渉を受けにくくなり、逆に“不適正”と判断された場合は研究への制限や霊地の差し押さえ、最悪の場合処刑に踏み切る場合もある。
一年の監視期間を終えた雀は、一度は問題なしとの判断が下されたが、誠明を新たな監視官に付け、期間を更に一年間延長したのだ。
これは力と歴史を持つ神崎家を今後事もフリーにするのか、懐柔しアストレアの組織力強化を図るか。この二つの意見が対立し、派閥同士の軋轢が酷くなってしまったことが起因している。特に後者の意見支持者は多く、前任の監視官が雀と良好な関係を築いている事を足掛かりに、霊地の利権まで視野に収めている人間も少なくない。
絶対中立絶対公正を掲げるアストレアが一魔術家に固執することはタブーとされており、ましてや監視期間の延長など異例中の異例といっていい。逆に言えば、その異例を許容してでも神崎雀を取り込みたい理由を示唆していた。
(やはり“鏡海”の噂は事実だということか……)
本当だとすれば上層部が躍起になっていることも頷ける部分がある。だからこそ、三日前に雀の独断行動を赦してしまったのは痛手だった。組織が危うい状況である中、雀に現状に異を唱える材料を与えてしまったことは痛恨のミスに等しい。
これまで以上の徹底した行動を心掛けなければいけない。
誠明が決意を新たに固めたその時だった。
「お、やっぱいたね。部活動の連中が面白がってたよ。また副会長の噛み付き癖が出たって」
陽気に扉を開けたのは書紀の有澤那月だった。水泳部の練習を終えて来たのか、その髪は濡れ羽のように艶めいている。
「残念だけど今日は暇つぶしにもならない結果に終わったわ。期待していた人には悪いけど」
「あら珍しい。幸白君ってば調子悪いの?」
「なぜ俺の敗着を疑う素振りがないんだ、有澤!」
やっぱりそうか、頷く那月は自分の執務机からブラシとドライヤーを取り出すと、髪を乾かし始める。副会長の抗議は慣れた様子でスルーした書記と、愉悦に富んだ笑みを浮かべる雀に誠明は無性に腹が立つ。
生徒間では雀と誠明の口論には秘かに星が付けられているらしい。その場合、軍配がどちらに上がったかの情報提供者が必要になるのだが、一体それは何澤なのだ。
「ところで有澤さんちょっと聞きたい事があるんだけど、いいかしら?」
「何? なんでも聞いて頂戴」
新しく淹れた紅茶を堪能した雀は那月が髪を乾かし終わったところで声を掛けた。了承を得ると、雀と誠明は一瞬だけ視線を交錯させる。
「三日前の事なんだけどね。静恵川に掛かっている大橋で謎の爆発が起きたのは知ってる?」
「そりゃあ今朝だってニュースになっていたしね。都合悪くスマホを壊しちゃって、母親と連絡取れなくて困った物よ」
「確か家が近いものね。怪我とか大丈夫だったの?」
「窓が何枚か割れちゃったけど、私は平気ね。あの日は公民館に避難して一夜を明かしたわよ。聞きたいことってそんなこと?」
まあね、と答えて魔術師の顔を垣間見せた雀だったが直ぐに元に戻り、あとは那月と他愛のない世間話に華を咲かせた。
先週のドラマがどうとか、商店街に新たしく開店したクレープ屋に行ってきた、文化祭の予算が少ない等々。男子がいながら下着メーカーの議論が始まったあたりで誠明は一度生徒会室を退出した。顔を真赤にしながら廊下を歩く姿を目撃した野球部の面々が、ひそひそと憶測と妄想を積み重ねたのは言うまでもない。