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終章・四節 無人の部屋

 四日が経過した。


 雀たちが学生であることを知ってか、日曜日に敵が動くことはなかった。相手もわざわざ彼女たちの動きやすい日に仕掛けるつもりは無いらしい。


 もっとも雀は生徒の模範である生徒会長、照は格式高いお嬢様学校の淑女。例え寝不足で頭がキリキリ痛もうとも、二人が顔に出すことはプライドが許さない。


 少し気が引けるがいざとなれば出席日数を改竄する手段も幾らでもある。正義を謳うアストレアの監視官様もちょこちょこやっていることだ。


 朝食を済ませ、照が一足早く家を出た後。少し遅れて雀も重々しい玄関の扉を押し開き、身を刺すような寒さに身を縮めた。


 本日も雪模様。見慣れたせいか、心なしか今日の雪は銀色に濁っているように見えた。


 屋敷を囲むちょっとした森の枝葉の隙間を雪が埋めているせいで、普段よりも濃い影がそう錯覚させるのだろうか。


 そんな事を思いながら鞄と傘を片手に、玄関の鍵をポケットから取り出した時だった。


 キーケースの中に見覚えのない鍵の存在に気付く。


「何の鍵、これ?」


 古臭いデザインの屋敷の鍵と異なり、それは現代のマンションやアパートで導入されているオートロック式の造りをしている。


 不規則な溝とICチップが入っているであろう分厚いヘッドカバー。赤いレザーのキーホルダーがキーリングで繋がれている。


 一応親元は離れているとはいえ、未だ学生の身分である雀とは縁のない代物だ。


 しかしどこかで拾った覚えもなければ、誰かから預かったわけでもない。


 軽く困惑しながらも、ケースから外したその鍵は不思議と手に馴染んだ。


 プラスチック製のキーヘッドのつるつるとした質感も、金属の冷たい感触も、小さいながらも手に返る確かな重みも。


 短くも確かな年月を感じさせる細かい傷やメッキが剥げて覗く地金。


 全て、知っている。


「す──……」


 不意に口をついた言葉は、しかし形を成す前に途切れ、目の前の扉に砕けた。


 まただ。


 ここ数日の間に幾度か去来した違和感、あるいは既視感。けれど今日のそれは随分と頼りなく、注意しなければ余韻さえ忘却してしまいそうだった。


 無意識に鍵を強く握りしめた手が痛い。


 金属はすぐに体温と馴染んで、今や鍵の存在感はその痛みだけ。


 微かに胸をチクチクと刺激していた郷愁にも似た感情も、痛みに寄りかからないと最早感じ取る事さえ叶わない。


 まるで、神崎雀という存在そのものが改竄されているかのよう。


「──ッ!」


 カチンッときた。


 原因も、理屈も、理由も、誰に対してか何に対してかさえ判然としていないが、最早どうでもいい。


 ただ一つハッキリとしたことは、この神崎雀は神崎雀であって神崎雀ではないということ。


 勢いよく顔を上げた雀は玄関を乱暴に開け放つと、エントランスを横断し二階への階段をズカズカと昇った。


 学校へ休む旨を電話しながら、自室へとトンボ帰り。


 皺になることも厭わず制服をベッドへ脱ぎ捨てた雀は私服へと手早く着替え、クローゼットの奥で眠っていたスカジャンを羽織り、長い髪をポニーテールに纏めてからスポーツキャップを目深に被った。


「けっこうイケるじゃん」


 一歩間違えば不良娘か家出少女と間違えられる出で立ちに、姿見の前で雀は自画自賛した。


 少し胸が梳いたような気さえして、最低限の荷物を手に今度こそ屋敷を出た。


 ざくざくと雪道を踏みしだきながら坂を下った雀は、通学路を大きく外れて学校とは逆方向へと進路を切った。


 当ては全くないが、不思議と迷うことも踏みとどまる事もなく。


 途中で五輪高校の生徒と何度かすれ違ったものの、雀と気付いた様子の者はいなかった。


 唯一の懸念は監視官であるカイにある。彼女には後々にサボりの理由を問いただされるだろうが、構うものか。


 例えカンが外れて街中のマンションを虱潰しに回ることになったとしても、この鍵が守る家を探すつもりだ。


 足の赴くままに歩き続けた雀は自分がどこに向かっているのか見当がつき始めていた。


 駅から徒歩で三十分以上離れた立地に建てられた集合住宅など、この街には一つしかない。


 無駄に余った土地に無理矢理建てたことがやはり仇となり、いまだ満室にはほど遠いことから、周辺住民からは半分廃墟と詰られる物件。


 予想通り辿り着いたのは、入居者を募る色褪せた横断幕が痛々しい分譲マンション──五輪ハイム。


 現代であっても少し街の中心から外れれば田畑が目に優しい五輪市には似つかわしい建造物だ。一応、子育て世代も幾らか入居しているらしいが、人気は驚くほど感じられない。


「術師が住むには意外と高条件かもしれないわね」


 などと術師目線の感想を抱きながら、雀は自動ドアを潜りエントランスへ踏み込んだ。


 エントランスはシンプルな造りだった。入ってすぐの横手に部屋数と同じ郵便ポストがズラリと並び、正面に電子制御されたスライドドアが部外者を拒んでいる。


 雀の人生で数えるほどしか利用したことのないインターホンパネルに近づき、キーケースから問題の鍵を取り出した。


 果たしてここで合っているのか。若干緊張する手でセンサーに鍵を近づけると、開錠を知らせる電子音の後に、拍子抜けするほどあっさりとスライドドアが開いた。


 驚く半面、やはりという確信を得る。


 自分は以前にもここに来たことがある。それも一度や二度ではない。幾度となく、それこそ此処で少なくない期間を過ごす程度には。


 全く記憶が存在せずともそう断言できる。


 導かれるようにエレベーターに乗り込み、半ば自動的に動いた指が選んだのは八階。


 階数表示のパネルの数字が大きくなるにつれ、焦燥にも似た高揚に胸が早鐘を打ち始める。


 八階へ辿り着く。普段なら気にもならないエレベーター特有のゆっくりとした扉の開閉がひどくもどかしい。


 人一人分の隙間が開くと同時に飛び出すように廊下へ。


 マンション特有の鏡合わせの空間を思わせる全く同じ扉が並ぶ長い廊下を、しかし雀は迷いなく走った。


 もうすぐ。もうすぐだ。


 通り過ぎた部屋の表札は全て空。無人の階層でありながら、しかし雀はその扉の前で足を止めた。


 デザインはやはり他と同じ。表札も同じく無記名で、玄関先には傘の一本も見当たらない。


 乱れた息を整えて、大きく息を呑んだ。


 微かに震える手で鍵穴へ鍵を刺し込むと、何の抵抗もなくするりと鍵は入った。


 回す。確かな手応えと共にかちゃりという小さな音。


 大きく弾む心臓に押されるように雀は扉を引き開いた。


 その瞬間、煙草の匂いと耳に馴染んだ声が聞こえた。



「                 」



 生温い風が吹き抜けた。新居特有の無機質な匂い。


 中は伽藍であった。


 短い廊下を抜ければ一人で住むには広すぎるリビング。併設されたキッチンのカウンターは少し幅広に作られており、料理を何品並べられることか。


 外の景色を一望できる大きな掃き出し窓はほとんど壁一面を占めている。天気のいい日の窓辺は心地よい微睡が約束され、大きなバルコニー一杯に洗濯物が並べば壮観だろう。


「何、してんだろ……」


 独白が何もない部屋に反響した。


 人の痕跡などあるわけがない。


 完成から誰一人立ち入らず、家の血液である水も電気もガスが通ったこともなければ、住いとしての使命は始まってすらいない。


 見放され、忘れられ、存在しないも同じ。


 手にした鍵の重みが消えたような気がして、指先から鍵が滑り落ちた。小さく跳ねて床に落ちたそれに、見間違えていたのかキーホルダーはなかった。


 雀は自分がどうしてあれほど此処を焦がれていたのか分からなくなった。


 何故、こんな殺風景な部屋に帰りたいと心を駆られたのか。


 目の端から零れた一筋の涙が自分のものかさえ、不確かだった。



   ✝   ✝   ✝



「──……めちゃん。雀ちゃん!」


 身体を揺すられる感覚と呼び声に雀は目を覚ました。


 重い瞼を苦労して押し上げると、飾りっ気のない壁と剥き出しのフローリング。


 あのまま寝てしまった自分に失望を通り越して関心してしまった。自分が思っている以上に神崎雀は図太い性格をしているらしい。


 身を起こそうとすると、全身が錆びついてしまったかのように思うように動かない。


 当然だろう。外と大した気温差がない部屋で身一つで眠りこけていたのだから。内臓まで冷え切って凍死していたって不思議ではない。


 視線だけ動かして窓の外を見れば、夜の帳は降り切っている。よく生きていたものだ。


「…………カイ?」


「よかった、気が付いたね。僕が分かるって事は意識は正常だ」


「……こんなとこまで追いかけて来るなんて、監視官ってストーカーと何が違うの?」


「憎まれ口を叩ける余裕もあると。うん、いま君を温めるためにそれなりの火行符を消費してるんだけど、後で請求書を送るからね」


 喋っている間もカイは処置の手を緩めない。


 凍死は免れたものの、雀は重度の低体温症に陥っている。カイは火行符で内臓を含めた全身を温めると同時に、治癒符も惜しげもなく使い肉体のダメージを打ち消していく。


 その賢明な処置が功を奏し、蒼白を通り越して蝋人形のようだった雀の顔色に朱が差し、ものの数分で起き上がれるまでに回復した。強張っていた四肢も感覚を取り戻し、魔力の通りにも問題はない。


「まったく……学校には来ないし携帯は通じないし、ようやく見つけてみれば空き部屋に不法侵入して居眠りしてるんだもん。一周回ってむしろ雀ちゃんっぽいね」


「こんな時間まで私を見失ってる職務放棄者にどうこう言われたくないんですけど」


「むっ、いまのはとっても心外だな。僕は今日まで一年半もの間、君達の位置を把握できなかったことは一度だってないさ。小型発信機を使ったGPS追跡に、街中の監視カメラと相互リンクさせた式神の監視網、他にもご近所付き合いで培った情報網だってあるし……まあ今回は何故か雀ちゃんの反応を見失っちゃったけどさ」


 どうしてかな~と情けない声で上げカイは天を仰いだ。


 若くしてアストレアの最高位の称号である監視官の地位に辿り着いたのは、それに見合う実力と実績があってのこと。自惚れではなくカイには監視官である誇りと自信があった。


 ましてや一年半以上もの間大きな問題もなく監視任務をまっとうしてきたのだ。ここにきての監視対象をロストするという大失態はカイの自信を揺らがせるには十分だった。


 打ちひしがれるカイを他所に、一方の雀はぼうと窓の空に視線を投げていた。


 分厚い雲に覆われ、黒い絵の具を塗りたくったような低い空。相も変わらず雪を吐き出し続け、そろそろ青空を忘れてしまいそうだ。


「雀ちゃん」


「……なに?」


「何でこんな場所に来たの?」


 悲壮から一転、真剣な表情でカイは問いかけた。監視官として、友人として。


「…………さあ。自分でもよく分かんない」


 カイを納得させる答えを雀は持ち合わせていなかった。


 落とした鍵を拾い上げると、鈍い金属の光沢は新品同然のよう。朝の記憶にあった傷や汚れはどこにも見当たらない。


 実家と屋敷、自転車の小さな鍵しか扱ったことがない雀には、このディンプルキーは無縁の代物だ。


「その鍵は僕が預かるよ。いいね?」


 空き家だった為に人的被害こそないもの、不法侵入には変わりない。


 経緯や動機こそ深く追求しなかったが、カイは有無を言わさぬ口調で手を差し出した。


「……そうしてくれると、こっちもありがたいわ」


 雀も異を唱えることはせず。


 今度は自らの意思でその鍵を手放した。


 その直前。


 雀のポケットの中でスマホがけたたましく鳴り出した。着信音は古風でありながら甲高い鐘の音。相手ごとに着信音を変えている雀はディスプレイを見る前に電話相手を悟る。


 屋敷からだ。


『──動いたわ』


 余分を省いた簡潔な状況報告が照から告げられる。


 最初の邂逅から四日が経ち、再び敵が攻勢に出た。


 自動的に思考が魔術師のそれに切り替わり、雀の表情に覇気が戻る。


「場所は分かってるの?」


『堂々と姿を見せて街に踏み込んできたわ。その代わり数が異常。人間のようだし、補足しただけでも二十はいるわ』


「はあっ!? 二十って、冗談でしょ!?」


 耳を疑う数字だ。


 それだけの人数を揃えてきたとなれば、相手は大なり小なりの組織の可能性が高い。


 一つの家系が有するには神崎家が所有する霊地は広大だが、ここまで大規模な攻勢を仕掛けるには魅力はいま一つのはずだ。


 困惑を雀は頭の隅に追いやり、冷静に務める。


『相手は三方向から屋敷に向かってきてる。一つは私が受け持つから、残りの二つはそっちで対処して。不本意だけど監視官に協力を仰いで頂戴』


「了解。ちょうど二人でいるから、即行で向かう」


『そう。なら神崎家の本業は全うしなさい』


 嫌味を最後に照が通話を切ると、間もなくしてスマホに座標が送られてきた。


 五輪市の地図上に三つの▲が点滅しながら屋敷へ目掛けて移動している。


 そう早くはないが、積雪でこちらも移動には時間を要する。急がなくては。


「カイ」


「聞いてた。僕は学校方面の一団を叩くから、雀ちゃんは駅方面からの一団をお願い。市街地だから派手な真似はしないと思うけど、気を付けてね」


 いうや否やカイは窓を開け放つと、バルコニーから常人離れした跳躍で飛び出した。街灯や電柱を足場に跳躍を繰り返し、その姿はあっという間に見えなくなる。


 髪ゴムを外しながら雀もまた現場へと急ぐ。


 玄関を飛び出しエレベーターを待つ時間すら惜しんで階段を駆け下りる途中で、カイに渡しそびれた鍵をまだ持っていたことに気付いた。


「ゴメン、借りとく」


 逡巡の後、振り返った雀は主のいない部屋へそう呟き、鍵をポケットへ仕舞った。

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