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終章・三節 停滞

 買い出しの前に雀は学校に寄っていた。


 生徒会長を務める彼女は肩書にふさわしい業務を受け持っており、それなりに忙しい。


 平日にやり切れず、自宅に持ち帰っていた書類を担当教員の机に置いておく。


 昇降口へ向かう道すがら廊下から校庭を見れば、休日返上で練習に励みに来た野球部が雪かきに追われていた。


 生徒に交じって激を飛ばしている顧問の声は聞こえないが、足腰の鍛錬がどうのと叫んでいるに違いない。現代においていまだ根性論から抜け出せない天然記念物と揶揄されているのを本人は知らない。


 しかし予報では本日も雪予報。彼らの努力は翌朝には綺麗に無かったことにされる運命だ。


 同情しながらも手伝う気は一切なく。そのまま通り過ぎようとしたとき、見知った顔を見つけた。


「ん? 那月じゃん」


 同学年であり、同じ生徒会役員である有澤那月が寸胴鍋を両手に校庭に向かっていた。


 差し入れを作ってきたのだろう。そういえば家庭科室の方から食欲をそそられる匂いがしていた。


 彼女の他にも補修常連組の砂済建人と大和屋鉄平が折り畳み式の机を抱え、那月と瓜二つの従妹だという有澤皐月が使い捨ての食器を運んでいる。


 彼女たちが声をかけると、歓喜する野球部たちは有澤らを女神と奉る。その一方でせっせと配膳準備を進める男二人には目もくれない。


「…………?」


 おかしい。


 ありえない。


 そう叫ぶ自分がいる。


 何かを決定的に見誤っている気がしてならない。


 睨むように校庭を睥睨する雀に何人か気が付いて、付き合いの長い那月が「会長もどう?」と手招きしている。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、渋い顔の健人が那月に耳打ちしていた。


 五か月後には卒業式を控え、残りの高校生活を目一杯楽しむありふれた光景だ。


 ──おかしいことなどありはしない。


「そう……よね。なんで身構えてたんだろ」


 お誘いを断る意味も込めて、雀は頭を振って気の迷いを追い出した。


 時刻は既に正午を過ぎている。もたもたしていては日が暮れてしまう。


 足早に学校を出た直後、クラクションの音に振り向くと赤いミニクーパーが寄せてきた。


 五輪市でクラシックカーを乗り回してる人物の心当たりなど一人しかない。


「やあ、雀ちゃん。こんにちは。どうしたの、休日に学校だなんて?」


「生徒会の仕事よ。もう済んだけど」


 窓から顔を出したのはやはり宮藤カイであった。


 暖房が利いた車内の空気と外気が入れ替わり、シャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。


 不可抗力とはいえ入浴を覗いてしまっただけに、雀は少し視線が泳いだ。


 その小さな動揺にカイは小首を傾げたものの、追及はしなかった。


「そういうアンタは? 土日は基本的に監視は休みなんだから、私をストーカーしてたわけじゃないでしょ」


「通りかかったのは偶然だよ。僕はこれから紅鹿亭で昼食を済ませてから買い物をする予定」


「ならついでに乗っけてってよ。紅鹿亭なら割引券持ってるし」


「じゃ、運賃はそれプラスのデザートで」


 茶目っ気たっぷりのウインクを飛ばすカイに、雀は生返事しながらミニクーパーの助手席へと乗り込んだ。何度か乗せてもらったことがあるが、相変わらず車内は狭苦しい。


 その変わりコンパクトな車体は狭い脇道を苦も無く進み、程なくして行きつけの喫茶店・紅鹿亭に到着した。


 ランチタイムとあって店内はそこそこの客入りだったが、待ち時間なしで二人はテーブル席に案内された。


 早々に注文を済ませ、店員が離れたタイミングでカイが口を開いた。


「ねえ、雀ちゃん。何か悩んでる?」


「……どうしてそう思うわけ?」


「昨日から何となくそう感じるんだよね。だって照ちゃんならともかく、雀ちゃんは僕のお風呂覗いたりしないでしょ?」


「それは私の本意じゃないし!」


「やっぱり気のせいじゃなかったの!?」


 カマをかけたくせに顔を真っ赤にしたカイは抱きしめるように両胸を押さえて、椅子ごと引いた。


 感づかれていたこと自体に特段驚きはないが、ポーカーフェイスを貫いた胆力に雀は感服した。自分なら魔弾の百や二百は撃ち込んでいる自信しかない。


「う~、もうお嫁にいけないよ……」


「アンタ程の器量良しなら逆に嫌味よ、それ。うちの学校で宮藤カイとお近づきになりたい男子がどれだけいると思ってんの。ほくろの位置売るだけで荒稼ぎ出来るわよ、絶対」


「やったら本気で怒るからね。僕が君たちの監視官ってことちゃんと覚えてる?」


「バッチリ覚えてるわよ。ちょうどお臍の真裏あたりね」


 再び悲鳴が上がった。


 胸と後ろ腰を隠すカイはさぞ他の客から滑稽に映っただろう。気の毒にいまや彼女もこの店の常連である。きっと暇つぶしのネタにされるに違いない。


「いいもん、別に。アストレアではもっと恥ずかしい事態も想定して訓練してきたし……」


「ふ~ん。成果はイマイチみたいだけど。それでよく人に悩みを聞けたもんね」


「ぐぅ……」


 呻き声を漏らし、カイは分かりやすく意気消沈する。


 若くして監視官というエリートの称号を有しているだけあって、宮藤カイという人間は大抵のことは卒なくこなして見せる。勉学や運動も勿論、皆が避ける面倒事な役割を率先して引き受け、いつだって期待以上の働きをする。


 それ以上に彼女が周りから好かれるのは、こういう裏表のない性格だからだろう。


 五輪高校に転校して数日と経たないうちに、人の輪の中心にいて驚いたことを雀はよく覚えている。


「っていうか、僕のことはいいんだよ。雀ちゃんが何か悩んでないかって話」


 そしてこの通り、カンもいい。


「別に悩んじゃいないわよ」


「さっき学校でちょっと様子が変だったよ。那月ちゃん達となにかあったの?」


「土日の監視は無しって話はどこいったのよ」


「身の危険を感じたんですぅ」


 無意識に雀は嘆息していた。


 多分、照がカイを監視するように命じてきたのは、こうして直接見張らせるためでもあるのだろう。


 あの麒麟児の魔術がたやすく気取られるのは、どうにもおかしいと思ったのだ。


 この間に次期当主様が何を調べているのかは気になる所だが、いまは置いておく。


 悩み事というには大袈裟だが、無いわけでもないのだ。


「昨晩あたりから、ちょっと妙な違和感がね」


「あの銃人形に幻術でも受けたのかい?」


「照にも聞かれたけど、違う。何とも表現しがたいのよ。強いて言うなら……現実と私の歯車が上手く嚙み合っていない……みたいな。でも一番妙なのが少し時間が経てばその違和感が綺麗に消えることなのよね」


 矛盾にも等しい雀の説明にカイは困惑の表情を浮かべていた。


 だが仕方がないのだ。説明しようにもその彼女の中に手掛かりが消えてしまったのだから。


「ん~、困ったな……前世の記憶に目覚めた──とかの方がもうちょっとリアリティがあるよ。具体的にどんな事に違和感を感じたの?」


「屋敷で和装美少女とペンギンが見えたり、学校では那月とつるんでる赤点優等生に驚いたりしたわよ。そういえば昨日もアンタを一瞬誰かと見間違えたんだっけ」


「…………一応聞いておくけど変な薬とか宗教にハマってたりしてないよね?」


「さあね。自分を異常と認識してるならそれは正常なんだろうけど、こうなってくると我ながら怪しいったらない」


 先ほどとは違う意味で引き気味のカイとは対照的に、雀は自分のことでありながら楽観的な態度。


 原因を探ろうにも材料が少なく、自身の状態さえ正確に把握出来ていないのだ。騒ぎ立てたところで得することは何もない。


「とりあえず直近の問題は昨日の銃人形の送り主よ。私の事よりも対処しなきゃいけない事案はまずこっち。アストレアに似たような事例は記録されてないの?」


「あの手の人形は安価でそこそこの戦闘能力があるから違法取引が後を断たないんだ。だから入手も簡単だし、誰が使っていても不思議じゃない」


「となると、照の解析に期待しつつ、相手が動くのを待つしかないか」


 銃人形からは記録媒体が見つかっており、照も解析に乗り出しているだろう。


 ただ雀はいい成果は期待していない。


 敵にタダで情報をくれてやるほど相手も親切ではあるまい。記録媒体の中身はまず間違いなく暗号化されているか、もしくは消去されているかもしれない。


 その予想通り、ちょうど届いた照からのSNSのメッセージには「データ破損。復旧は多分無理」という簡素な短文。


 判明している敵の素性は霊能力者のみの一点である。複数犯であれば有力情報とは言い難い。


「網を張って獲物がかかるのを待つしかなさそう」


 今回の戦いは長丁場になりそうだ。


 波乱を仄めかすように、午後になってから雪の勢いは弱まるどころか強くなる一方。大雪注意報は警報へと変わり、街の喧騒に慌ただしい声が加わる。


 やがて雲の向こうで日が沈み、夜が更け、人々の気配が外から消える。


 昨夜より深い静寂が術師の時間を一層色濃くしていった。



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