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終章・二節 違和感

 翌日は土曜日。学生の雀は休日であった。


 昨夜の巡回で深夜まで起きていた彼女にとっては僥倖そのもの。起床時間を気にすることなく熟睡した雀だが、目が覚めてからもベッドを抜け出すのには苦労した。


 季節外れの雪は未だ止む気配を見せず、暖かい日差しは曇天に遮られている。


 デジタル時計に表示される室内温度は一桁台と容赦がない。


 眠気が続く限り惰眠を貪る気でいたが、身体が空腹を優先しはじめたことで雀の抵抗は午前十時頃に終了した。


 仕方なしにベッドから下り、就寝前に用意していた着替えを手に、薄暗い部屋を出た。


 北側に面した廊下は一層冷え冷えとしていて、窓の外に見える針葉樹の枝葉が雪の重みで垂れ下がり、萎んでいるようだった。朝食後の雪掻きを考えると憂鬱である。


 寒さに二の腕を摩りながら早足に廊下を進み、ロビーの吹き抜けの階段を下りた時、不意に足が止まった。


「なんか、静かね……」


 住宅街からも外れた神崎邸は喧騒とは縁がない。その程度のことは雀も理解しているし、何かと不便なこの屋敷の数少ない魅力だと普段は強がっている。


 住人だって雀と照の二人だけなら、別段不思議なことではない……のだが。


「……二人?」


 妙な引っ掛かりを覚えた。


 その瞬間、視界がかすかにブレる。


 朝日を採光窓からたっぷりと取り込んだロビーを、ペンギンやリスがせわしなく動き回っている。小動物に交じってモップ掛けをしていた和装の少女が雀に気付き、恭しく腰を折った。


『おはようございます、雀様。すぐに朝食のご用意を致します』


『ありがと~、淑艶』


 間延びした返事は間違いなく自分の声であり、何の疑問もなく雀は少女の脇を通り過ぎようとして──


「淑艶? 寝ぼけているの、雀?」


「────え」


 急速に水底から浮上するような不快感があった。


 瞬きを挟めばそこに陽光の暖かさはありはせず、息が濁る冷気に満たされている。


 いつの間にかに現れた照が呆れたように大きな溜息を吐く。


「だらしない格好で家をうろつかないで」


「……だからシャワー浴びて身だしなみを整えんのよ。そういうアンタは少し顔色が悪いわよ」


 嫌味をさらりと受け流し、姉妹でありながら頭一つ分も身長が違う妹を見下ろした。


 西洋人形を髣髴とさせる端整な顔立ちに合わせたように色白の肌は、人間らしい赤みが抜け落ちていた。喜怒哀楽を滅多に表情に出さない性格も手伝って、本当に生気のない人形のように見える。


 小柄な体躯が潰れてしまいそうな厚手のガウンを羽織り、埋もれるように首にストールまで巻いているのは、いっそ痛々しい。


 弁当箱ほどの厚みがある本を脇に抱えているのは、魔術師らしいといえばらしいが。


「さっさと身支度を済ませて。昨夜に出た人形の件で情報を擦り合わせたいから」


 返事を待たずに一方的に告げた照は居間の方へと消えていった。


 相談ではなく、命令だ。


 基本的に次期神崎家当主としての照の指示には雀は従う義務がある。年功序列など魔術師の家系ではありはしない。


 雀が高校に上がって間もなく、現当主の大叔母によって決められた序列。姉妹でありながら覆しがたい壁が出来てしまった。


 もっとも雀は次期当主に照が指名されたことに、なんら不満は無い。面倒な立場を背負うことなど最初から願い下げ。妹が家を継ぐならそれで構わない。


 雀から見ても妹は魔術師としての才覚は抜きん出たものを有している。彼女の代で神崎家の悲願が成し遂げられるのではと、親戚の年寄りどもは早くも浮足立っているほどだ。


「鏡海ね……理論上はあるって言われてるけど。胡散臭いったらないわよね」


 親族に聞かれれば失言ではすまされない独り言を呟きながら、雀は脱衣所に踏み入った。


 手早く寝間着を脱いで洗濯籠に投げ入れ、浴室に入った雀は熱いシャワーを頭から浴びた。


 冷えた身体にお湯が染み渡るようだ。たっぷりの時間と湯を使って全身を清めた。


 着替えを済ませてからドライヤーで髪を乾かす頃には心身共に十分覚醒していた。


 伴って腹の虫が上げる悲鳴を情けなく思いながら、雀はキッチンを経由して照が待つ居間の扉を開いた。


「まるで事件現場ね」


「検証という意味では間違っていないわ」


 調度品のテーブルや椅子を脇に退けて作られたスペースには、ブルーシートの上に寝かされた昨晩の銃人形が横たわっていた。人形が着ていたパラシュートスーツは脱がされ、マネキンのような素体が剝き出しになっている。


 特徴的なのはやはり両腕だろう。肩に無理やり繋いだように無骨な金属の骨組みが生えており、ワイヤーや光ケーブルが何本も伸びている。肘から先に取り付けられた銃は人形用に弾倉や発射機構を調整され、腕と一体化しており異様な存在感を放っていた。


 破損した部品や銃弾も可能な限り回収しており、対応するパーツが損傷部にそれぞれ並べられている。


 宮藤カイの結晶化は解除されているものの、完全停止していることは入念に確認済だ。


 改めてみると不気味な人形だ。


 雀は話を切り出した。


「じゃ早速聞きたいんだけど、この人形の送り主に心当たりとかある?」


「知らない。でも多分急造ね。センスはともかく、お世辞にも出来がいいとは言えない」


「ま、そうよね。一応は私一人で無力化出来たぐらいだし。カイから使われてる銃の型番は教えて貰ったけど、そう珍しいものじゃないって話。光学迷彩には驚いたけど」


「あれは光学迷彩なんて高度なものではなくて、事前撮影していたあの場の映像を自身に投影していただけ。原理としては騙し絵に近いわ」


「ああ。本当に映画泥棒だったわけ」


 どうでもいい感想を抱きながら雀は脇に追いやられた椅子に座り、買い置きの食パンに苺ジャムをたっぷりと塗ってから齧り付く。


 雀の安上がりな朝食と同じく、多少芸は細かくとも要は銃人形も使い捨ての武器ということだ。期待はしていなかったが大した情報は望めそうにない。


「腑に落ちないのは、威力偵察にしては送られた場所が的確な点」


「ダミーもカモフラージュも無視して結界の起点に一直線だもんね。偶然じゃなければよほど入念に下調べをしていたか──」


「神崎家から情報が漏れているか、盗まれているか」


 雀の言葉を引き継いで照が深刻な面落ちで最も懸念すべき可能性を口にした。


 霊地への干渉は管理と制御を担う結界の起点の位置を把握すればいいものではない。何重ものセキュリティを突破して初めて霊地を奪うことが出来る。


 当然その解除方法は霊地の利権者である術師のみが知っており、どの家系であっても最も慎重に管理されている最重要機密事項。その土地に住まう術師の生命線といっても過言ではない。


 それ故に親族であっても知っている者は極僅かだ。内部流出の可能性は低いはず。


 となれば情報が盗まれたと考えるのが妥当ではある。


「どうする? 夜鷹の大叔母様に相談する?」


「あの人に弱みを見せるのは賢明ではないわ。それに向こうで問題があれば大叔母様が動く。問題はないわ」


 現役を退いて尚、霊能力者と魔術師が蔓延る界隈で『魔女』の異名で恐れられるのが神崎夜鷹という女性だ。まともな思考の持ち主ならわざわざ虎の尾を踏むようなことはしない。


 現時点では敵の正体も正確な目的も分からない以上、下手に動けば裏目に出る恐れもある。


 頤に指を添え、思考を走らせた照は暫定的な対応策を打ち出した。


「私はもう少しこの人形を調べる。貴女は宮藤カイを警戒しておいて」


「それってカイを疑ってるわけ? あいつに私たちと敵対するメリット無いでしょ」


「彼女が私たちの次にこの土地に精通しているのだから、疑うのは当然。実力的にも技術的にもまずシロでしょうけど、彼女が所属する組織はまた別問題。正義を謳っているけれど、あそこも一枚岩じゃないのよ」


 言いながら照は袖口から手鏡を取り出し、雀に投げ渡した。


 危なげなくキャッチした雀は次の瞬間、小さな声を上げて頬を朱に染めた。


 手鏡には一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びる件の少女が映っていた。


 間違いなく宮藤カイだ。


 微妙にローアングルなのは備え付けの鏡ではなく、シャンプーボトルか何かを媒介に鏡魔術で覗いているからだろう。


 のぞき見されているとはつゆ知らず。カイは気持ちよさそうにシャワーを堪能している。


 濛々と立ち込める湯気で極所は奇跡的に隠れているが、スレンダーながら鍛えられ引き締まった裸体が惜しげもなく雀にさらされている。


「アンタねぇ……これ立派な犯罪なんですけど。ていうかよく仕込めたわね」


「馴れ合いじゃないのだから、警戒しない方が悪いのよ」


「いけしゃあしゃあと……」


 文句を言いながら一応雀は照の方針に納得はしていた。


 本気でカイを疑っているわけではないが、警戒するに越したことはないだろう。


 時々忘れそうになるが彼女は監視官。彼女が雀たちを危険と判断したのなら、次に待っているのは殺し合いだ。


 関係の再認識という意味では、いい機会かもしれない。


「じゃあ、私は買い出しついでに少し街を回ってくるから。この雪じゃ食料の入荷が滞りそうだし」

「そう。なら今日はこっちに帰ってくるのね」


「……? 何言ってんのよ、当たり前でしょ」


 言ってから雀は妙な違和感を覚えた。


 高校入学と同じくして雀の家はずっとこの屋敷だ。照の補佐役としてわざわざ実家から引っ越してきたのだから。そのようなこと照とて、ましてや自分も承知のはず。


 いまさら疑問を抱くことなどないはずだ。


 昨日からそうだ。どうして当たり前のことに違和感を覚えるのだろう。


「……ごめんなさい。何でもないの」


 逃げるように照はその場を後にして、妙な後味を残したまま雀は身支度を済ませて街へと繰り出した。


 坂を下る途中、見慣れた街並みは振り続ける雪のせいでどこか霞んで見えた。



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