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間章三・終節 宵波親子

 2009年12月末。


 クリスマスも過ぎ、新年を数日後に控えたある日の深夜。


 雪がチラつく奥多摩の森深くに宵波直嗣(よいなみばおつぐ)とその長男、宵波大和(よいなみやまと)の姿はあった。


「聞いたか親父? 例の噂」


「噂? 陸奥君に彼女が出来そうってやつ? 小学生で交際はまだ早いんじゃないかな」


「え、マジで!? やるな~、あいつ……いや、違うわ馬鹿たれ!」


 弟の色恋話はそれで後ろ髪を引かれるが、大和が切り出した噂とは結構な事件なのだ。


 懐中電灯を手に先導する直嗣は半分振り返り、冗談だよ、と苦笑した。


「七榊家のことだろう? 当主の七榊幽連が死んだって噂」


「なんだ、やっぱ知ってたか」


「上層部でも結構騒ぎになってるからね」


「ってことは、マジなのか?」


「多分ね。七榊家は公表してないけど、彼の姿はここ最近目撃されてない」


 ほんの少し大和は歩調を早め、父の顔を盗み見た。


 見慣れた垂れ目と愛嬌のある顔立ちからは、普段の浮かれた雰囲気は何処にもない。


 二人が所属する政府公認執行機関アストレアでも、七榊幽連の武勇は轟いている。それだけに噂は瞬く間に広がり、独自に調査に乗り出す者までいるほどだ。


「正直、手合わせしたことがある身としては未だに信じられない」


「初耳だぞ。戦ったことがあんのかよ」


「大和君が生まれる以前の話だけどね。僕もやんちゃしてた頃があったんだよ。一方的に試合をけしかけて、見事に返り討ちだ。鼻血吹きながら逃げ帰ったもんさ」


 大和が生まれる前。二十年近く昔というのであれば、直嗣も幽連もまだ二十代。最も生命力に溢れて、脂がのっていた時代だろう。


 片やアストレアの筆頭戦力の一人、片や一族最高傑作の男。この二人がぶつかって残された結果が鼻血とは、レベルが高いのか低いのか。


「んで、アストレアとしてはどうするんだ? なんか探り入れんのか?」


 表情を改めて大和は本題を切り出した。


 国内の主要な術師の動向はある程度はアストレアも把握している。


 七榊家といえどそれは例外ではない。特に彼の家には不穏な噂も多く、監視官を派遣するべきと主張する重鎮も中にはいる。


 そんな中に舞い込んだ訃報なだけに、疑念は更に深まった。


 彼の人物が病を患っているといった情報は入っていない。


 必然的に幽連の死は事故か他殺の可能性が高く、大和個人としては後者と睨んでいる。


 噂が流れる少し前に都心のとあるホテルで大規模な爆発が起きており、二日後には数十キロ離れた発電所付近の下水道でも爆発が起きている。


 遠方から観測しただけでも高濃度の呪詛汚染が確認されている。タイミング的に七榊家との関連は疑うべきだ。


 例え無関係でも、爆発が起きた場所はいずれも市民生活に悪影響を及ぼしかねない。アストレアが調査に乗り出すには十分な理由のはず。


 しかし直嗣は首を横に振った。


「今回の件にアストレアは介入しないってのが、上層部の判断だよ」


「理由は?」


「多分内輪揉めだったんだろうね。七榊家が火消しに躍起になっている。アストレアが介入するのは返ってあの家を刺激しかねない。無用な衝突は避けるべきって判断したんだよ」


「なるほどな」


 消極的な気もするが無難な判断だろうと、大和は納得する。


 勿論、呪詛汚染が深刻であれば介入もやむなしだが、今のところ深刻な被害は報告されていない。今は静観するべきだろう。


 組織の対応は理解した。


「でだ、親父」


「なんだい?」


「俺たちは年末の、しかもクソ寒い真夜中にどうしてハイキングしてるわけ?」


「うっ……」


 一転して不機嫌を丸出しな息子の問い掛けに、父の肩が強張る。


 魔導犯罪への抑止力を担うアストレアは基本的に年中無休だ。緊急事態となれば例え入浴中だろうが就寝中だろうが出動は当然とされる。


 ただ今日という日は大和も直嗣も非番であり、かといって緊急事態が発生しているわけでもない。


「し、仕方ないだろ! 一応これも七榊家に関係している事なんだし」


「ああ、七榊家の関係者がこの辺りをうろついてたって話だろ。聞いてる、聞いてる。で?」


「いやだから、その調査というか……」


「俺が聞いてんのは、なぜ真夜中に! 非番の俺たちが! やらされてるって話だ!!」


 至極全うな抗議に直嗣の背中が小さくなっていく。


 七榊の件に関して介入はしないのがアストレアの方針だが、動向の監視はしている。


 その報告によれば、ここ最近七榊家の関係者がこの奥多摩の森を頻繁に出入りしているらしいのだ。


 何かを探している様子との事だが、詳細は調査中。


 流石に不可解ということでアストレアは調査員の派遣を決定したわけだが──


「おいまさか……」


「じ、自宅が近くて、この辺にいてもあまり不自然じゃない僕らに調査命令が下されちゃいました……」


「断れよ! しかもなんだその理由、ブラック企業か! それに俺らどっちかって言うと荒事専門だぞ。こういう気を遣う仕事は諜報官か監視官の領分だろうが」


「そうなんだけどさぁ。時間帯を選んでいるとはいえ、万一鉢合わせてドンパチにならないとも限らないでしょ?」


「面倒臭ぇ! もうストレートに使者の一人でも送れば、もっと話簡単に────、」


 不意に大和の言葉が途切れ、眦が鋭くなる。


 視界の端に『赤い何か』が映りこんだ瞬間に、二人の身体は殆んど自動的に動いていた。


 大和の手はヒップホルスターの銃へと伸びており、直嗣に至っては既に抜銃を終え銃口と共に懐中電灯の光が向けられている。


 先程までの弛緩した雰囲気は何処にもない。


 訓練と死線で培われた即応の警戒態勢に反して、二人の前に現れたのは幼い少女であった。


「……式神?」


「とは違うみたいだね。でも妙な気配だ」


 訝しみながらも、二人は警戒を解かない。


 人間離れした容姿の少女だ。雪のような白髪に、一度見れば忘れないであろう蒼玉(サファイア)の瞳。男心を揺さぶる、幼さと妖艶な色香が奇妙に両立する微笑。


 普段であれば見惚れてしまっただろうが、状況も相まって疑問が先立った。


 奇妙なことに、古めかしい赤いドレスに袖を通す少女の身体が透けていのだ。懐中電灯の光が通り抜け、丁度少女が背にする木に光がぶつかっている。


 霊体である式神でも、実体化すればこのように透けることは無い。


 戸惑う二人を他所に、少女は無造作に歩き出した。


「敵意は感じないが、どうする?」


「……付いて行ってみよう。後方の警戒は任せたよ」


「了解」


 直嗣の指示に従い、大和は愛銃の安全装置を外した。


 罠の可能性を踏まえて少女とは一定の距離を保ち、二人は夜の森を進む。近くに七榊家の者がいる事も想定し、足音さえ消して。


 少女は森深くへと先導していく。


 歩いていくうちに本格的に雪が降り始め、吐く息が一層白く濁り始めた時だった。


 木々に遮られた景色が唐突に開ける。


「……なんだ、これ」


 没我の声は大和のもの。


 我が目を疑うとはこの事か。


 現れたのはとっくに開花の季節は過ぎたはずの、彼岸花の群生だった。


 ちょっとした公園ぐらいの面積を埋め尽くす赤い花の絨毯。


 それもただの花でない。


 ぼんやりとではあるが光を放っており、暗闇を退け、僅かではあるが熱さえ感じる。


 唖然とする二人を他所に、少女は花の中心に進むと、霞のように姿を消してしまった。


「ん? あそこ、誰か倒れてないかい?」


「……本当だ──って待てよ、親父!」


 最低限の結界すら展開せずに踏み入った父の背を、大和は慌てて追いかける。


 雪が舞う中に赤い花弁を散らせ、彼等は出会った。


 花に守られるようにして眠る、その子に。


「また子供!? ていうか男か女かどっちだ?」


「でも今度は本物みたいだ。けど不味いな、かなり衰弱してる。君、大丈夫かいっ? しっかりするんだ!」


 驚きながらも大和は自分のコートで子供を包み、直嗣は呼び掛けながら素早く容態を確認する。


 子供が身に着けているのは白衣に袴のみという、真冬には厳しすぎる薄着だ。胸部と腹部の血の跡に冷や汗を掻いたが、目立った外傷はない。


 しかし呼吸は浅く、脈拍は弱々しい。血色は土気色を通り越して蒼白だ。


 今すぐ治療しなくては。


「応急処置は僕がする。大和君、式神を!」


「もうやってる」


 大和が指にはめる形代の指輪に霊力を注ぐと、起動した術式が式神を実体化させる。


 現れたのは背中に鞍を装着し、首に数珠を巻いた巨大な蟒蛇(うわばみ)だ。


 代々宵波家が使役する古豪の式神は、直嗣ごと子供を丸呑みし腹の中へ保護すると、大和を背に凄まじい勢いで森の中を引き返した。


 一瞬だけ大和が振り返ると、彼岸花に埋め尽くされていた空間は嘘のように消え、ただ樹木が屹立しているだけであった。


 まるで森自体が大和たちが来るまで、子供を幻術で隠していたようだ。


「妙な子供拾っちまったか?」



   ✝   ✝   ✝



 その後、保護された子供は賢明な治療の末に一命を取り止めたものの、直嗣たちは更なる困惑に直面した。


 意識を取り戻した子供の両目は機能しておらず、それどころか他の五感も機能不全に陥っていた。


 凡そ全うな生活環境に置かれていなかったことは、子供の服装や栄養状態から簡単に推測出来たものの、尋常な状態ではない。両性具有に驚いていた時間は僅かなものだった。


 更に検査を重ねれば、強力な呪いに身体が蝕まれていることが判明した。


 五感を閉じているのは呪いを封じることに霊力の大半を消費してしまっていることに起因しているのだろう。


 アストレアの解呪技術をもってしても、呪いは祓うことは叶わず、そもそも呪いの正体さえ掴めない。


 一応五感と引き換えに体調は安定しているために、医師は経過観察に留めた。


 回復するにつれ五感も僅かなりとも機能し始めたために、最低限のコミュニケーションも取れなくはない。


 彼/彼女が誰なのか。


 直嗣たちアストレアがその答えに辿り着くのに、そう時間は掛からなかった。


 彼の家によって戸籍からある子供の存在を抹消したことをこれ幸いとし、アストレアもあえて追求せず、裏からそっと助力した。


 身勝手な憐みかもしれないが、少なくともあの家にはもう帰る場所がないのだ。


 そして更に月日が経過し、季節が春一色に染まったある日。


 宵波家の玄関に真新しい一足の靴が加わった。


「は~い、皆注目。今日から我が家に新しい家族が加わります!」


「やっぱりいたぜ。親父殿の隠し子ちゃんでーす」


「そうそう、隠し子──じゃないから! やめてよ大和君!」


 笑い声が加わるのは、更に後の話。


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