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間章三・七節 赤服継承

 影郎が用意した術式は、日本における呪術の代表格。


 丑の刻参り。俗称を『呪いの藁人形』。


 触媒となる対象人物の身体の一部を藁人形に埋め込み、人形を害することによって相手を呪う呪術儀式。


 この呪術の肝は用意する人形と触媒の質に威力が依存することにある。


 触媒が髪や爪、人形もオーソドックスな藁人形程度では効果はたかが知れている。


 命を脅かす呪いを生み出すには、例えば相手と同一と言えるほどの人形を用意するぐらいではないと到底実現は叶わない。


 無論、それは現実的には不可能だ。


 如何に高名な人形師であろうと模倣できるのは精々が肉体止まり。中身が伴っていなければ同一存在には程遠い。


 だが強力な呪詛による底上げがあり、なおかつ相手の双子か、もしくは──色濃く血を引いた子供を用意出来た場合であれば話は別だ。



「がはっ……!?」


 激痛が走り抜けた瞬間には、既に幽連の命脈は断たれた。


 絶叫を上げる間もなく血反吐が迸らせ、その血さえ呪詛に汚染され尽くし泥のよう。血を浴びた古豪の式神馬が甲高い悲鳴を上げ崩れ落ち、背の幽連は投げ出された。


 受け身も取れず硬いコンクリートに打ち付けられた身体は、それだけで崩れ始める。


 土地すら殺し得る、都合三体分の人獣の呪詛が、たった一人の人間に打ち込まれたのだ。如何に魔力並みの強度と出力を誇る霊力があろうとも、抗えるものではない。


 ましてや幽連専用に調整された呪詛だ。


 それでもいまだ人の原型を保っているのは、やはり彼が七榊幽連だからだろう。咄嗟に霊力を高め、僅かなりとも呪詛を防いでみせた。


 例えそれが時間にすれば、数十秒にも満たない延命にしか繋がらずとも。


「流石だよ幽連君。まさか即死を逃れるとはね」


「貴様ッ…………!」


 手放しに称賛する影郎を、幽連はもう睨み上げることさえ叶わない。


「どうだい? 自ら失敗作と見限った『硯』に殺される気分は? 皮肉だよね。最も君に近付きすぎた歪なあの子だからこそ、君に過不足なく呪詛を打ち込めたんだ」


 蹴り上げる要領で、影郎が幽連の身体をひっくり返す。


 呪詛の汚染で分かりにくいが、彼の胸には呪いの起点となる小さな穴が穿たれている。


 藁人形の代替にされた硯が影郎に撃たれた位置と全く同じ。


「本当に君がアレを隔離してくれていて助かったよ。他の子たちじゃ連れ出すのは難しいどころか、逆に殺されちゃうだろうしね。ありがとう」


 真心を込めて、感謝を。


 影郎が何度も七榊邸に不法侵入を繰り返したのは、幽連の動向の検証が目的であった。


 もし他の子供たちを攫えば、七榊家の動きはもっと迅速だったに違いない。実際、影郎が硯の時と手法で長男に接触した場合はすぐに捕まってしまった。


 例外は硯のみ。硯を毛嫌いする幽連は影郎が侵入しようとも離れに近付こうともしない。対応するのはいつも使用人のみ。連れ出すこと自体は比較的容易だった。


 影郎が頭を悩ませたのは硯に付き纏うムマの存在であったが、子供たちを唆して硯を痛めつければ、吸精が出来ず簡単に飢餓状態に貶められた。


 あとは硯自身に仕込まれた『消滅の呪詛』を一時的に阻害し、硯の身柄を確保し、七榊家の秘蹟をどこぞに売るなどと脅迫すれば幽連を呼びつけることは簡単だ。


 最大の難所は幽連から呪いの儀式に必要な『触媒』を手に入れること。触媒はいわば人形と対象を結びつける橋渡し。これは絶対に対象自身の何かが必要となる。


 しかし──


「手間が省けて助かった。フロアに仕掛けた術式に、君自ら霊力を提供してくれてさ」


 最初に部屋を吹き飛ばした、幽連の爆撃。


 全てはあの時点で決していた。


 七榊の象徴ともいえる魔力を超える幽連の霊力。触媒としてはこれ以上ない材料だった。


 あとはただ硯を殺せば、儀式は完了する。


 目論み通り、呪詛は幽連を穿ち、最強は今まさに朽ちようとしている。


「……まあでも、人を呪わば穴二つ、だよね」


 眼の前に掲げた手を見て、影郎は苦笑した。


 指先からボロ屑のように手が崩れ始め、あれよあれよと崩壊は肘に達したかと思えば、両腕が肩から落ちた。


 有名な話だ。


 人を呪い殺せば、その報いで自身も命を落とす。


 強力な呪いの代償を、命をもって払う時が来た。それだけの話。


「悪いね、姉さん。迷惑をかけるけど、どうか元気で」


 影郎がまだどのような報復を残しているか定かではない以上、七榊家も安易に玻璃を罰することは無いだろう。


 むしろ強引な買収紛いを繰り返した弊害で七榊家は敵が多い。幽連が死亡すれば、間違いなく七榊家の弱体と捉えられ付け込まれるだろう。


 そうなった時に玻璃を罰すれば、報復の正当性を与えることになりかねない。


 これ以上、影郎の独りよがりの復讐で彼女に迷惑をかけることはあるまい。


 人生で初めてかもしれない満足感を噛み締めて、影郎は砂とも煤とも分からい何かとなって、夜風に攫われていった。



   ✝   ✝   ✝



 銃口を向けられた瞬間、心臓を撃ち抜かれた瞬間、痛みが底なしの寒さへと変わってからも、不思議と硯に恐怖はなかった。


 あったのはようやくかという諦観にも似た安らぎ。


 七榊家の失敗作として生涯を終えることが、硯のささやかな復讐だったが、それはおよそ考えられる限り最高の形となったと言っていい。


 撃たれる瞬間、随分と久しぶりに父と目が合った気がする。


 ──お前さえいなければ。


 目は口程に物を言うというが、ああいうのを言うのか。


 失敗作なら失敗作と、とっとと廃棄しなかったツケが回って来た。


 救いようのない結末だ。


「………………」


 流れる走馬燈もありはしない。


 寒さも感じなくなり、急速に遠ざかっていく意識の中、その声は聞こえた。


「硯」


 ゴシックドレスの少女だろう。


 だが生憎と返事をしてやれる体調ではないし、何より眠い。


 魔力が欲しいのであれば、どうか別にいい人を見付けて欲しい。


「ダメ、起きて」


 甘い声音で叱咤したところで無理なものは無理だ。


 そもそも硯自身にその気が無い。


 ようやくベッドにも慣れてきたところだというのに。


「愛してって言ったでしょう?」


 言われただけ。


 承服した覚えはない。


 第一、死人に願うことではない。


「私を救けてくれれば──愛してくれれば、結果として貴方は生き永らえるわ」


 抱きしめられる。


 感覚などとうに失せているはずなのに、肌に馴染んでしまった温もりだけが鮮明だ。


 背中に回された蜘蛛の巣を想わせる細い手。


 天鵞絨のように滑らかな髪の感触。


 身体の芯が熱くなる甘い匂い。


 嫌な感覚だった。いつもなら魔力中毒で意識も出来ないというのに、死ぬ間際になってこうも鮮明になるとは。


 抜け落ちる魂の隙間に潜り込まれていくよう。


「俺ヲ、救ゲロ! ムマァ!」


 まだ辛うじて原型を留めていた幽連が随分短くなった腕で這う。


 生き永らえる。その一言に憑りつかれ、朽ち行く身体を必死に引き摺る。


 かつての偉丈夫の姿は何処にもない。


 そこにあるのは生へ執着し、自ら犯す呪詛に適合し始めた化物。


 辛うじて人の原型を留め、泥のように崩れた身体がアメーバのように蠢く。


 遅々としつつも、確実に寝室へと進む幽連の成れの果てが、唐突に何かに足を掴まれ止められた。


 振り返れば真っ先に幽連に襲い掛ってきた巨人の人獣──建人だ。


 式神馬に潰され、再生仕切っていない不細工な顔を笑みで歪ませて見せた。


「貴様ァ!」


「へっ!。餓鬼とはいえ男女の情事だぞ。気付かないふりしてスルーが大人だろうがッ!」


 化物に相応しい万力の握力をもって建人は幽連を捉え、逃がさない。


 普通であれば泥の呪詛に触れればタダでは済まないが、大元は人獣の呪詛。同じ人獣である建人ならば話は別。


 加えていえば、人獣の呪詛は『渡りの呪詛』。人獣に蓄えられた呪詛はその効力が十分に発揮出来なかった場合、近くの人獣へと転送・蓄積される。


 建人に掴まれた事で幽連の呪詛は急速に吸収され出している。


 呪詛を剥いでしまえば、幽連を生かすものは最早ない。


「ハ、離セ! ハナセエエエエエエエエエ!!」


 今度こそ正真正銘の死が迫り、幽連は死に物狂いで暴れる。


 しかし生憎と建人の手は緩まない。しっかりとコンクリートに固定してくれたお蔭で、力は握力に全集中出来る。


「生きろ、硯君! 生きてくれ! こんな男を殺すために死んでやる必要なんてないッ。まだ君の人生は始まってすらないだろ!! 俺だけは絶対に、君が生きたこと喜んでやるさ!」


 雪崩れ込んで来る呪詛に損傷した頭を焼かれながら、万感の願いを込めて建人は叫んだ。


 生きろ。あるいは生きて欲しい。


 果たして、温もりすら失せつつある硯にその声は届いたか。


 閉じていた瞼が微かに震える。


「硯」


 その時だ。


 ムマのドレスの背が弾け、彼岸花にも似た光が噴き出す。


 瞠目する建人たちの前で、ムマのドレスが眩い赤へと染め上がる。


 花嫁にも似た衣装に身を包み、彼女は再び(こいねが)う。


「私を── (わたし)を愛して、硯」


 唇が重なる。


 その瞬間──“赤服の呪い“の継承は成された。


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