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間章三・六節 叛逆

 どのようなものであれ、洗練された機能というものは独特の魅力が宿るものだ。


 切れ味を追求した日本刀の造形美然り。


 最速を求めた競走馬の肉体美然り。


 人によって高度に発達した電子機器の回線配列に美を見出すこともある。


 いま、砂純建人の前に現れた男は霊能力者の一つの完成形だった。


 ただそこにいるだけで大気中の霊子が励起し、空気が一段重くなったよう。


 明らかに他とは宿している霊力の桁、いや階梯(かいてい)が異なっている。神気さえ垣間見える異次元の力の奔流。


 同じ空間に居合わせているだけの建人でさえ、気を抜けば膝を着き、頭を垂れて平伏してしまいそうだった。他の傭兵たちの反応も似たようなもの。戦う前から戦意が挫かれ、完全に委縮している。


(これが七榊幽連か……!)


 化物だ。


 先ほどの爆撃など、幽連からすれば砂山を崩した程度のことなのだろう。


 幽連が手にする弓自体にも大掛かりな仕掛けは見受けられない。


 矢筒が見当たらないあたり、射撃は使い切りの符術か単なる霊力放出か。何にせよ一般的な術師とはスケールが一つも二つも違う。


 真面に相手して勝てる相手ではない。


「どういう腹積もりだ、アイツ」


 訝しむ建人の視線の先には、唯一人だけ飄々と幽連と対峙する影郎の姿。


 幽連とは対照的に、影郎の身体つきは中肉中背。優れた隠形術師ではあるが、術師の貫禄はおろか覇気の欠片も無い。精々がくたびれたサラリーマンといった風体。


 とてもではないが殺し合いを演じる取り合わせとは思えない。


 胸中を建人と同じくしてか、幽連もまたつまらな気に鼻を鳴らした。


実の姉(玻璃)の立場を危ぶめてまで俺と事を構えるからには、それなりの罠があってのことと警戒したが、考え過ぎだったか?」


「いやいや。小細工はたっぷり仕込ませて貰ったよ。勿論、硯を攫ったことも含めてね」


アレ()を聖王協会にでも売って七榊を揺さぶるつもりか?」


 失敗作の烙印を押されたとはいえ、硯の身体は七榊家の情報の塊だ。


 解析されれば七榊家の二百年の研鑽は流出し、最悪の場合、七榊家は協会に隷属を強要されるかもしれない。


 ただ──


「君ならそこら辺は抜かりなく対策してるだろ? 例えば君の意志一つで硯を消し炭にする呪詛とか仕込んでたり」


「…………、」


 建人の後ろで小さく息を呑む気配がした。


 幽連は肯定も否定もしない。ただ相手が少なくとも馬鹿ではないと再認識しただけ。


 術師の家系ではよくあることだ。特に希少性の高い体質や能力を有する子供は拉致の標的にされる例が多い。


 そういった事態に備えて、子供に消滅(・・)させる術式を植え付けることは、家を守る常套手段でもあった。


 一般的な倫理観しか持ち合わせない建人からすれば吐気を催す合理性。


 しかし幽連にとって、七榊家にとっては『家』こそが最優先事項。


「術師は利己的でなくてはならん。子は生まれた瞬間から家の繁栄と存続の義務を負い、親は確実な継承が求められる」


「今更だけど、我が子への情はないのかい?」


「過去を振り返れば、ああいう忌み子は特段珍しくはない」


 七榊家は魔術師の因子を組み込むことで、霊能力者としての能力限界を突破しようと試みてきた。


 しかしそれは単に魔術師との間に子を設けたところで成し遂げられない。それだけでは生まれるのは霊能力者か魔術師のどちらか。


 あくまで霊能力者の器に魔術師の因子を定着させ、魔力と同等以上の霊力を宿さなくては意味がない。


 本来相いれない因子を両立させるには、人間の品種改良が絶対条件になってくる。


 そこで七榊が着目したのが、かつて人であった異形──魔族。


 強力な呪詛で制御した魔族の末裔との間に子を成し、霊能力者の器を徐々に底上げしていったのだ。


 当然、手段としては外法に近い。


 生まれ落ちた子の中には魔族の特徴が強く現れた子もいれば、成長とともに自身の力で自壊してしまった者もいた。


 彼等はただ居たという記録だけを残し、当時の当主によって処分された。


 例外はない。


「アレを生かしているのは夢魔の餌の他に、単に利用する余地が残っているからに過ぎん。仮にも七榊、そして魔術の身体だ。加工すればそれなりの一品になるだろう」


 ムマを招いたのもその一環と、幽連は付け加えた。


 これもまた、術師の闇だろう。


 優れた霊具、魔導具の材料に魔獣や幻獣の素材が用いられる事が多いように、希少性の高い人間(・・)が素材となることもある。


 有名どころでいえば魔眼がそれだ。シズの一族と呼ばれる秘境に住まう人々の眼球を加工し、製造される最上級霊具の一種。


 硯であればその稀有な身体を利用して、霊能力者専用の魔導具(・・・)に仕立て上げることも可能かもしれない。


 設計の段階であり、実現可能かどうかは幽連にも判然としないが、理論上は可能な筈。


「協力者として招いたムマが存外に気に入っているのが、まあ仕事はキッチリとこなす女だ」


「ははは! 術師なんて大概ろくでなしだけど、君の価値観には目眩がしてきそうだよ」


 幽連のぼやきが珍しく、影郎はわざとらしくふら付いて見せる。


 硯といえば初めて父の剥き出しの本心に触れ、諦観の念が多少深まった程度。いまさら驚くようなことは何もない。


「アンタ、それでも人間かッ!」


 硯の代わりとばかりに怒りを露わにしたのは建人だった。


 怒りの沸点はとうに超え、委縮していた身体は巨大化をはじめ、膨れ上がった魔力を撒き散らし始める。


 幽連を睨みつける彼の瞳は、いまや二つではない。額を割って現れたのは巨人族特有の三つ目の魔眼。


 そこで初めて幽連は建人を認識した。


 一般人に毛が生えた程度の脅威しか感じなかった建人が、いまや魔獣と遜色のない存在感を発していた。


 魔術翁の手によって生み出された無辜の怪物。人の身でありながら幻獣・魔獣の因子を組み込まれ、土地をも殺す呪詛の爆弾を抱えた破壊兵器。


 人獣。


 建人の人獣としての能力は巨人の力に加え、吸血鬼の力を与えられた混成人獣(ハイブリット)


「アンタにどんな崇高な理念・理想があろうとな、テメーの都合だけで人の人生を弄んでんじゃねえッ!」


 建人の姿が消える。強烈な踏み込みに床が爆散するとほぼ同時に、幽連の眼前へと躍り出た時には建人の剛腕は既に振り抜かれている。


 変身によって上昇した剛力と瞬発力、そして巨体から生み出される遠心力を上乗せした単純な振り下ろし。


 いまだ馬上の幽連に回避の余裕は無く、馬ごと潰されるかと誰もが目を見張った。


 だが──


「がっ──!?」


 無造作に、しかし眼にも止まらぬ速さで幽連が建人の腕を側面から掴み取った次の瞬間、建人の一撃は捌かれていた。


 合気道に近い技術なのだろう。重心と運動エネルギーを巧みに操られたことで、建人の巨体が冗談のように宙を舞い、床に叩き付けられた。


 衝撃に肺から無理矢理酸素が吐き出されるも、痛みを無視して建人は身体を跳ね起こす。


 しかし、どうしてだが身体が動かない。


「なんだ、これっ……!?」


 コンクリートだ。

 剥き出しになったコンクリートに建人の巨体が沈み込み、拘束具のように建人に巻きついて固められていた。


 見ればいつの間にかに土行符がばら撒かれている。


 符術によってコンクリートを一時的に液化させ、再び硬化させたことで建人を拘束したのだろう。


 速過ぎる。誰一人として術の展開を認識すらしていない。


 武術の冴え、そして術式の行使速度さえも異次元。


「こんな、もの……!」


 無論、人獣の膂力をただのコンクリートで完全に止められる筈がない。建人の身動ぎ一つですぐに罅が入り、逆流する魔力で土行符から火が上がる。


 だがその前に、式神馬の前脚が無造作に建人の頭部へと落とされた。


 ぐしゃりと、湿った音の反響。


 見た目通りのタフさが仇となり、硬質な蹄が幾度となく建人を削った。


 意識を失い、変身が解けたところで、ようやく幽連が手綱を引いた。殺せば内包される呪詛でどんな被害が引き起こされるか分からないからだ。


 裏を返せば、呪詛を含めて幽連にとって人獣とは容易く無力化出来る程度の存在。例え残る三人が一斉に襲い掛って来たとしても、脅威には成り得ない。


「お前が揃えた手駒はこの程度か?」


「いやあ、流石は幽連君。歯牙にもかけないとはこのことだね」


 あっさりと建人が無力化されたことは流石に予想外であったのか、影郎は称賛の拍手を送った。


 両者の距離は三メートルと離れていない。


 幽連にとっては半歩の踏み込みで、影郎の喉笛を弓で貫ける間合いだ。


 彼我の戦力差は明らか。だというのに含みを持たせた影郎の笑みは崩れない。


 その一点の懸念だけが、幽連に問答無用で影郎を殺すことを踏み止めさせる。


「幽連君、どうして君は玻璃姉さんを娶ったんだい?」


 唐突に投げ掛けられた問い。


 しかし、答えはつい先程語った通り。


「──かつて鬼を宿した薄羽の一族は、七榊家が鍛え上げた魔術因子を組み込むのに都合がいい。それだけだが?」


 子を成すには当然ながら男女の番が必要だ。


 術師において最も懸念されることは、血が希釈された子が生まれることにある。


 通常であれば婚約は相手の才覚や体質を加味して決めるものであるが、七榊家はより確実な継承のために更に厳選と、改良を施した。


 つまり、霊能力者には本来異物である魔術因子を伴侶にも無理矢理馴染ませ、疑似的な七榊へと仕立て上げた。


 人体改造に等しい荒業だ。本来であれば馴染むどころか拒絶反応で命を脅かす可能性さえある。安定して子を成すことなど不可能。


 だからこそ、かつて鬼を宿していた薄羽家は七榊家にとって理想の器だった。


 多少の体質変化こそあったが、見込み通り薄羽玻璃は見事に魔術因子に適合してみせた。


 幽連との間に設けた子供は幽連の血を色濃く引き、長男に至っては素質だけならば幽連を凌ぐ見込みさえある。


 唯一の失敗作でさえ、継承が上手く行き過ぎたと評価出来なくもない。


「俺に姉か妹がいれば、影郎、お前も婿養子に迎え入れただろうな」


「言葉を取り繕うのは止せよ。買収だろ?」


「ああ。確かに表現としてはそちらが相応しいな。訂正、感謝する」


 ただ都合が良かったから伴侶に選んだだけ。


 夫婦など世間体を取り繕うだけの形に過ぎず、実体は隷属関係だ。


 恋や愛などあるはずもない。


「幽連君。僕はさ、一応君に感謝してるんだ。七榊家が借金を肩代わりしてくれたお蔭で、僕らは人並みの生活を送れている」


 影郎の両親は彼の中学卒業から間もなくして蒸発した。


 残された子供は家財共に差し押さえられ、気付けば異国の地。


 鬼の末裔という売り文句でオークションに出品されたことで、影郎と玻璃は生き別れた。


 西欧の地下組織に競り落とされた影郎は犯罪に手を染めることを強要され、この世の地獄を這いずり回った。


 死にかけたことなど数え切れない。時には玻璃と同じぐらいの年齢の女性を殺めたことさえあった。


 現実から逃避するために子供の身でありながら酒に溺れ、幸福な夢を見れる薬も少々。


 いつ報いを受けて殺されたところで不思議ではない日々。


 だがある日、七榊家の使者に日本へと連れ返され、姉が七榊家へと嫁いだことを知った。


 一時期は祈ったことさえない神に感謝すら捧げたが、結局のところ飼い主が変わっただけ。


 影郎はつまるところ、玻璃に対する首輪の保険といったところだろう。借金を肩代わりしたのは遺恨を残さないためか。


「我慢出来ないんだよ」


 低く、唸るような声だった。


 乱暴に剥ぎ取られた眼鏡が手の中で砕け散り、露わとなったのは影郎の本性。


 祓われたはずの『鬼』が壮絶な笑みを浮かべていた。


「どうして僕は一瞬でも忘れたんだろうね。救われたと思ったんだろうね。一度モノに堕ちた人間が、人として扱われるはずないじゃないか」


 鬼の象徴たる角はない。それどころか人獣のような肉体的変化は何一つ見受けられない。


 復讐に取り付かれたその瞳だけが、爛々とどす黒く輝き、鬼を示す。


「ただ生まれた両親が悪かっただけ。運命一つで僕らは他人の道具扱い? 姉さんは子供を産む道具で、僕は首輪代わりか? そんな人生、我慢出来るわけがない」


「己の非力を悔やめ。いつの時代も弱者は強者に傅く定めだ。玻璃という優秀な器に免じで多少の愚行には眼を瞑っていたが、それもこれまでだ。男は子種だけあれば事足りる」


 一応は義理の兄弟。


 動悸だけは把握しておこうと最低限耳を傾けたが、最早これまでだ。こういった事例も過去を振り返れば別段珍しくもない。


 つまらな気に幽連は弓を構え、弦を引く手に矢となる金属製の呪符を構えた。弦が引き絞られると同時に呪符が霊力に呼応し、その身を矢へと変える。


 この距離だ。必中必殺。後ろの傭兵三人が飛び退くが、構わず照準を愚弟へ固定した。


 確実な死を前にしながら、ふっと影郎は穏やかに嗤って見せた。


 いつもの人当たりの良い、幽連が大嫌いな顔。


「幽連君。君、さっき手駒はこの程度かって聞いたでしょ?」


「だから何だ?」


「気付いているとは思うけど、僕が雇った彼等の中には莫大な呪詛が内包されてるんだよね」


「それがどうした。如何に強力な呪詛であろうとも、炸裂させる前に封じてしまえば意味がない。それとも俺にその程度の事が出来ないとでも言うのか?」


「勿論そんなわけないだろ。でも忘れてるでしょ? 僕の手駒はもう一つあること」


 戯言だと、口にしかけた罵倒を幽連は寸でに飲み込んだ。


 確かに奇妙な話だ。幽連を迎え撃つのに、四体の人獣程度などどう考えても不十分。


 更に言えば幽連が要求通り一人で来る保証など何処にもない。硯が人質として機能しない以上、数で圧倒する選択も容易だ。


 実際、幽連は少し距離を置いた場所に使用人を待機させている。合図一つで彼等は即時突入してくる。


 この程度のことは影郎とて承知のはず。


 何らかの罠があると警戒していたが、特段幽連を脅かす術式が発動する気配もない。


 この程度の備えで幽連を呼びつて、何になるというのか──


「──────!」


 気付く。


 そもそもの発端。


 忘却していたこの場に居合わせるもう一人の存在に。


「君があの子をどうとも思っていなくて助かったよ」


「ま──」


 影郎が隠し持っていた銃を寝室へと向けた。


 遅まきながら彼の策略を悟るも、制止は間に合わず。


 引き金が引き絞られる。


 パンッ、と小さな発砲音が響き、放たれた弾丸は亜音速で部屋を駆け抜け──『硯』を撃ち抜いた。


 跳ねる小さな身体。


 胸に穿たれた穴からパッと赤い花が咲き、ジワリと染みを広げる。


 儀式は成され、この瞬間、幽連の敗北は確定した。


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