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間章三・五節 最初の味方

 久しぶりのフカフカのベッドは存外に寝難いものだった。


 自分の形が分かるほど柔らかく沈み込みつつも、適度な反発は本来なら快眠を約束してくれるのだろうが、固く薄い布団に慣れてしまった硯は妙に落ち着かない。


 それが天蓋付きのキングサイズベッドとなれば尚更。


 私服兼寝間着の白衣に袴というミスマッチな格好であることも拍車をかけているか。


 ──誘拐された、という事実と比較すればそれも些細なことであろう。


 朦朧とした意識の中、目を覚ましたのはつい先程。


 ここは何処かの高級ホテルの一室か。


 カーテン越しに窓の外を見れば最後の記憶と同じ夜。写真でしか知らない煌々と屹立する赤と白の電波塔が見えるも、感動は少なかった。


 街が全く見えないことから、かなり高い階のフロアなのだろうか。


「いっ…………」


 腹部を探ると鈍い痛みが走った。


 上体を起こして確認すると、幾重にも巻かれた包帯の上から治癒符が無造作にベタベタと張られている。


 見る者が見れば一目で素人仕事だと分かるだろう。応急処置にしても形だけ取り繕った雑な仕上がり。


 治癒符は素人でも扱いやすい治療霊具の代表例だ。人間本来が持つ自己治癒能力を促進させることで、擦り傷や打撲程度の外傷なら即座に完治可能であり、熟練の術師が扱えば骨折した骨すら繋ぎ直してしまう。


 誤解され易いのは、アニメやゲームで登場するような回復アイテムではないという点。


 無条件に使えば傷が治るのは、それこそ擦り傷程度のものだ。


 血管や筋肉が破壊されているような重症の場合は専門の医学知識が必要であり、無理に治癒符で治療してしまうと悪化してしまうケースが多い。


 例えば本来は有り得ない組織と血管が癒着してしまったり、急速に細胞分裂を促したことで組織が癌化してしまう恐れもある。


 硯の刺し傷の場合、皮膚だけは再生されているようだが、中身は手付かず。


 大きな血管や内臓こそ傷ついていないようだが、やはり内出血は止まっていない。


 兄妹たちに嬲られていたことも手伝ってか、体調は短い人生の中で最悪だった。


 拘束されていないのは、単にその必要が無いほどに弱っているからだろう。


「あついな…………」


 発熱しているのか、身体が異様に熱く、倦怠感に包まれている。


 腹部の刺し傷から雑菌でも入ったのだろう。殺菌もせずに傷口だけ塞げばこうなることは自明の理。


 元々健康とはほど遠い身体。些細なことで硯の命は簡単に揺らぐ。


 このまま放置されれば坂を転がるように容態は悪化し、衰弱死することだろう。


 誘拐犯が硯を放置しているのは死ぬまでに使えれば(・・・・)それでいいのか、あるいはもう目的は達せられたのか。


 どのみち生きるために抗う、という選択肢が欠如している硯には然したる違いはない。


 汗で顔に張り付いた髪の毛が気持ち悪い。しかし髪の一房を払う気力さえ体力もなく、瞼を閉じようとした時だった。


 ベッドを囲うカーテンが開かれ、見知らぬ青年が入って来た。


「あ、気が付いたか。よかった」


 ほっと胸を撫で下ろす青年の手にはシルバートレイに載せた水差しとグラス、それと市販品の風邪薬。


「気分はどうだ……って言っても顔色は最悪だな。薬ぐらいなら飲めるか?」


 警戒心を抱かせないようにという配慮か、明るい口調で話しかけながら青年はベッドの脇に腰を下ろした。


 やはり面識のない人物だ。


 髪の色素が薄いこと以外は特筆すべき特徴はないごく普遍的な日本人男子。年齢は十七、八といったところか。


 心配そうに硯の様子を窺うその表情には悪意こそ感じないが、この状況では逆に不気味というもの。


「……どちら様ですか?」


「ああ、悪い。まずは自己紹介が先だよな」


 硬い声音で素性を尋ねられ、青年は苦笑した。


 トレイをベッド脇のテーブルに置いてから、青年は硯の両目を正面から捉える。


「初めまして、砂純建人だ。何となく察してると思うけど、まあ悪い人間の部類だな」


 最後の辺りで一瞬だけ表情を曇らせたものの、建人と名乗った青年はすぐに優し気な表情に戻った。


 素直に名乗られたことに少々硯は驚き、その心情の機微を見逃したために、建人の「悪い人」という自虐を額面通りに受け取った。


「影郎叔父さんの仲間か」


「……意外と冷静だな。まあ仲間というより傭兵みたいなもんだけどな」


「傭兵?」


「あいつは七榊家と真正面から事を構える気満々っことだ」


 寝室と隣り合うリビングの方へと建人が顎をしゃくる。彼の視線を追えば、カーテン越しで見づらいが渦中の人物──薄羽影郎の姿があった。


 リビングルームに併設されているバーカウンターで酒を楽しんでいる。


 一見すれば寛いでいるが、しっかりと寝室に注意を払っているらしく嫌な視線を肌で感じられた。表情こそ穏やかだが、以前のような人当たりの良さはもう何処にも無く、悪意が透けて見えるようだ。


 影郎の他に部屋の脇に控える三人を確認出来た。皆外国人のようだが人種も年齢もバラバラであり、慣れ合う様子もなく黙って待機している。


 何処となく建人と似通った印象を抱かせる。彼等も影郎に雇われた傭兵なのだろう。


 ただ者では無いことは確か。


 つまり、これからこのホテルは殺し合いの場になるということ。


 薄羽家が抱える莫大な借金を七榊家が肩代わりしたことで、両家が実質的な隷属関係にあることは硯も承知している。


 だがそれだけでは影郎がここまでの蛮行に及んだ理由は思い至らない。


 硯の養子縁組の話がこじれた末の暴走でもないだろう。


「俺は詳しいことは何も聞かされてないけど、アイツは君を使って七榊幽連を呼びつけているらしい。誰も連れずに、一人来いって」


「……大胆なことをしたもんだ」


「何にせよ七榊家は従うしかないよな。実の子供を人質に取られてんだ」


「俺に人質としての価値は無い。交渉材料にはなるかもしれないけど」


 一瞬、建人は眼の前の少年が何を言っているのか理解出来なかった。


 常識的ともいえる推論をにべもなく切り捨てられれば、誰だって同じ反応をするだろう。ましてや否定したのは年端もいかない子供だ。


「何を言ってんだっ? 実の子供が拉致されてんだぞ」


「最後に父に名前を呼ばれたのは三年以上前だ」


 遠回しに、もう見限られた子供であると硯は告げた。


 欠片ほどの情があれば、失敗作の烙印を押すこともなければ、魔族の餌に差し出すことなど有り得ない。


「……お前、怖くないのか?」


 短い問いには戸惑いと、畏怖が混じっていた。


 詳しい経緯など知らなくとも、建人も硯が実家で邪険にされていることは薄々察している。


 古着ともいえないみすぼらしい衣服。身体は痩せ、指先はあかぎれで痛々しい。


 腹部の刺し傷を見れば、尋常ならざる方法で連れ去られたことは想像に難くない。


 普通なら泣き叫ぶか、さもなくば怯えて口もきけないだろうに。


 しかし硯は動揺さえせず、淡々と自らを無価値と言う。


「俺からすれば、貴方が俺を気にかける理由の方が分からない」


 雇われの身とはいえ、建人は七榊家に敵対する立場だ。幽連が硯を見限ったところで、彼が憤る理由はないはずだ。むしろ影郎の思惑が外れていることを想定して、身の振り方を考える方が自然というもの。


 無論、それは建人とて理解はしている。


 逆に疑わし気な視線を向けられ、答えに窮した建人は何度か躊躇うも、影郎に気付かれぬように声を潜めて胸の内を明かした。


「……詳しいことは話すと長いけど、あっちの三人と違って、俺は自分から雇われたんだ」


「自分から?」


「あの三人を薄羽に紹介した仲立人(ブローカー)の後ろにいる奴を、因縁があって俺は追っているんだ」


 概要だけを押さえた最低限の説明だが、碌でもない話ということは間違いないのだろう。


 警察やアストレアに頼っていないあたりが良い証拠。


「だったら今回は逃げた方がいい。七榊家はこの件に関わった奴は逃がさないはずだ」


 七榊家のみならず、術師の家系は秘蹟の漏洩を何より恐れる。


 どのような形であれ、この件における影郎の関係者は調べ尽くされ、最悪消されることだって十分に考えられる。


 ましてや影郎が呼びつけているのは七榊家史上において最高傑作と名高い幽連だ。建人の実力は未知数であるが、幽連が手こずるとは硯には思えない。


 建人に目的があるならば、わざわざ危険な橋を渡る必要はないはずだ。


「それは出来ない」


 しかし、突き付けられた否に今度は硯が面を喰らう番であった。


「どうして? 貴方と叔父さんに大した義理は無いはずだ」


「義理云々じゃない。俺は過去に大切な人たちを見捨てるような真似をした。だが極限状態だったあの時と今は違う。もう一度同じようなことをすれば、俺は正真正銘のクズだ」


「ついさっき会ったばかりの俺と、その大切な人たちとは違う」


「赤の他人だから見捨ててOKなんて理屈通すもんか。クズにもクズなりに貫く矜持があるんだよ」


「…………、」


 感情を剥き出しにし血を吐くような建人の言葉に、硯は押し黙った。


 境遇に反して歳不相応に利発的な硯であっても、建人の言葉の真意を推量ることは叶わない。誰かのために身を切る行為は未知に等しい。


 その硯の困惑がキッカケだったのだろうか。


 建人は意を決したように頷くと勢いよく立ち上がり、硯が拒む暇もなく手を取った。


「君に味方がいないってことはよーく分かった。だったら今から俺が最初の味方になってやる」


「………………は?」


 一体何の冗談かと耳を疑う硯が見返すも、当人は至って真面目な様子だ。


 硯の人生において利害関係はあっても、味方など存在しなかった。


 家族は勿論のこと、屋敷に常駐する使用人であっても嫌悪することはあっても関わろうとする者はいない。下手に硯の肩を持てば、どのような処罰を科せられるか分からないから。


 救けを求めたところで、あの屋敷で手を指し伸ばす奇特な人間はいない。


「……何を、言っている?」


 混乱した。ただひたすらに。


 恐怖すら覚えて手を振り払おうとさえしたが、建人は離さない。むしろ指に力を入れて、残る片手も重ね、けれどか小さな硯の手を痛めないよう包み込むように。


 平凡な容姿に反して、彼の手には切り傷や火傷の跡が目立った。平穏とはほど遠い、戦いの軌跡だ。


「人間はこの世界に何十億っているんだぜ? 極悪人を愛しちまう奇特な奴だっているくらいだ。俺が君の味方になることなんて大して不思議じゃない」


「でも……アンタには何のメリットも無いはずだ」


 建人の言いたいことは硯とて理解している。


 ただの子供なら救いの手に泣きつけば、それでいいかもしれない。


 しかし硯からその子供らしさは壊れて無くなった。


 両親からの無償の愛を知らず、不出来に生まれた報いは痛みと孤独となって刻まれてきた。


 救けを求めないのではなく、求められない。


 とうの昔に誰かを頼るという選択肢は壊れて無くなった。


 十年という歳月と環境がここまで硯を貶めてしまった。


 建人には硯の心を解きほぐす話術も無ければ、彼のしがらみを全て取り払う力も無い。


 それでもこの手を離す過ちだけは二度と繰り返してはいけない。


 逡巡を挟んだ建人は、最も硯が受け入れやすい形に話を変えた。


「じゃあこうしよう。実のところ俺も頼れる奴がいない。だからいつの日か俺を救けて、借りを返してくれ。俺じゃなくても、俺の友達や大切な人でもいい」


「大切な、人?」


「そう、大切な人。皐月を……幼馴染を助ける治療法が見付かればそれが一番なんだが、生憎と俺は霊術も魔術もさっぱりだ。だから元凶を探して飛び回ってる」


 それもいつまで続けられるか分からない。


 一瞬だけ建人は沈鬱な表情を浮かべたものの、すぐに顔を上げ笑って見せた。


「どうだ? 時差はあるけど、利害関係ってやつさ」


「……今の時点では独善と変わらないぞ」


「いいのさ、それで。正義の味方だって本質は慈善活動だ。ま、俺は成れなかったけど」


 苦笑を浮かべた建人は手を離すと、少々強引に自分と硯の小指を絡ませた。


 指切り。


 霊術、そして魔術においてはもっとも簡単な契約とも呪いとも称される儀式。


「約束だ。俺は君の味方だ。だからいつの日か、君も俺たちの味方になってくれ」


 今ではなく、いつの日か。


 青年の願いの真意を知ることは、いまは叶わない。


 納得はしていない。けれども短い会話の中から、計り知れない苦悩と葛藤の一端ぐらいは垣間見た。


 躊躇って、躊躇って、その時初めて硯は建人の目を見た。


 苦悩の色は違えど、彼の双眸は自身とよく似ていた。


 無意識に嘆息が零れ、何もかも少しどうでもよく思えた。


 一時の気の迷いを熱のせいにして、硯は小指に力を籠める。


「指切っ──」


 どちらともなく、契約の決まり文句を口にした正にその時であった。


 視界の端。窓の外で何かが瞬いた。


 それが銃口炎(マズルフラッシュ)、もしくはそれに類するものであると、建人は思考より先に本能で認識した瞬間、叫ぶ暇さえ惜しんで硯に覆い被さった。


 直後、激甚な厄災が襲って来た。


 最初に感じたのは視界を焼き尽くす爆光と凄まじい熱、そしてビル全体を揺るがすほどの衝撃だった。


 狙撃なんて生易しいものではない。爆撃だ。それもこのような街中で。


「──どこの馬鹿でこんな真似する奴は!? 硯君、大丈夫か?」


「……なんとか」


 直撃ではなかったことが幸いし二人は無事だった。


 盾となった建人は瓦礫を受けてしまい流石に無傷とはいかないまでも、五体満足。


 次弾を警戒しながらリビングルームへ振り返れば、豪奢な内装はあらかた吹き飛び、着弾地点は下地の鉄筋コンクリートが露出している。


「父だ」


「はあ!?」


 青ざめる硯の視線を追った建人もその男の姿を捉えた。


 辛うじて残る窓枠の向う、約百メートルほど先。地上二十五階の高さでありながら、馬に騎乗した偉丈夫がゆっくりとこちらに近付いてきている。


 男の手には優に身の丈を超える剛弓が握られ、高密度の霊力が微細な電流となって明滅している。


 古豪の馬型の式神は質量さえ感じさせる歩みで空中を踏み締め、やがてバルコニーへと降り立った。


 その背に跨る男、七榊幽連は建人と彼が背に隠す硯を一瞥すると、一言も発することなく視線を切った。


 ──人質としての価値は無い。


 つい先程の硯の言葉が蘇り、建人はゾッとした。


 今の爆撃で硯が死んでいても何一つ構わないということか。


「狂ってやがるっ……!」


 建人の中で幽連の姿が忌々しい魔術師と重なる。


 しかし当の本人はその殺気をそよ風程度にも感じず、馬上からこの場に呼びつけた義理の弟を見下ろした。


「お望み通り来てやったぞ」


「…………う~ん。見栄を張って高級ホテルで待ち構えてたけど、カッコ付かないもんだ」


 肩を竦めて、まったくの無傷である影郎は割れたグラスを放り捨てた。


「ま、悪役には相応しい舞台でもあるかな」


 鷹揚に腕を広げた影郎の表情は常と変わらぬ人当たりの良い笑顔。


 しかし眼鏡が月の光を反射し、弧を描く口元がその表情を作り物の仮面に見せた。


 ここは影郎がセッティングした舞台。


 役者は揃った。


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