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間章三・三節 両性具有

「幽連君。僕に硯を養子にくれないか?」


「ダメに決まっているだろ」


 応接間で開口一番座して頭を下げる影郎の願いを、幽連は一蹴した。


 不法侵入で使用人たちに摘まみ出されるところだった影郎だが、無理を通してこうして幽連に時間を作ってもらった。


 世間話も挟まずにいきなり切り出した本題は予想通りの拒絶。

 これには間を取り持ってくれた幽連の妻、つまり影郎の姉である玻璃も苦言を呈する。


「影郎。自分が何を言っているのか理解しているのですか?」


「不躾なお願いをしていることは承知の上さ。でも昨日今日の思い付きでこうして頭を下げているわけでもないんだ」


 畳に額を付けたまま、今では随分と遠くなってしまった姉に答えた。


 色のよい返事こそ貰えていないが、硯には養子縁組の提案は何度もしている。そのことを打ち明けると、再び玻璃は難色を示した。


「本人にその気が無いのなら、貴方が幾ら懇願したところで無意味でしょう。第一、貴方はあの子をどうしたいのです? 一般的な生活が難しいことは貴方も知っているでしょう」


「それも承知の上さ。本人も学校には行きたくないらしい。でもだからといって今のままでいいわけがない」


 面を上げた影郎は姉の玻璃、その彼女を後ろに控えさせる幽連を真っ直ぐに見つめる。


「あんな牢屋も同然の離れに隔離して、一体何を考えているんだい!? あまつさえ夢魔に生命力を喰わせるだなんて、家畜同然だ」


 部屋の隅ではムマが微笑を浮かべ、三人のやり取りを静観している。


 幽連やその息子たちには遠く及ばなくとも、影郎にも術師の才能に多少恵まれているという自負があり、それなりの実力もあるつもりだ。


 ただそれは人間の尺度に限った話だ。


 幼女の外観こそ取っているが、ムマは正真正銘の魔族だ。同じ言語を介そうが、生まれながら人間を捕食対象とする食人鬼。


 彼女が七榊家に雇われ、硯はその報酬の一端として差し出されているのだ。身内としても看過出来ることではない。


「何も七榊と縁を切ろうってわけじゃない。人並みとはいかなくとも、真っ当な日常生活を与えたいだけだ。そちらが要求するなら監視でも何でも付けてくれてもいい」


 頼むと、影郎は再び額を畳へ押し付けた。


 弟の懇願に突き放した態度をとっていた玻璃はバツが悪くなったのか、唇を小さく噛んだ。


 やはり母親。封建的な傾向が強い術師の家系であっても、腹を痛めて産んだ子供だ。いまの硯の処遇には思う所があるのだろう。


 ただそれでも──


「承服できんな」


 七榊家現当主、幽連は首を縦には振らなかった。玻璃のような動揺は微塵もなく、影郎に向ける視線は冷めきっている。


「お前は何か勘違いしているようだが、アレの処遇は最善を尽くしてる」


「最善って……どうしてそう言えるんだ!?」


 耳を疑うとはこの事か。頭を跳ね上げた影郎は、先程までと全く変わらない面立ちをしている幽連に愕然とした。幽連の訴えは何一つ響いていない。


「では聞くが、お前はアレがどういう存在なのか理解しているのか?」


「……両性具有だろ? 通常では有り得ない雌雄同体。霊術では陰陽一体となった“両儀”とも定義されるけど」


 くすりと、ムマが喉で笑う。


 影郎が答えた通り、硯の身体は本来同時に現れるはずのない男女の機能と特徴を併せ持っている。後天的なものではなく先天的に。


 大変珍しくはあるものの、歴史上でも両性具有の存在は確認されている。陰陽一対の強力な“両儀”の霊力を宿すこともあることから最上位の才能と評価する流派もあるほど。


 ただ硯がこの恩恵を授かることはなく、逆に己を蝕む結果となった。


「我々七榊家の大願は『魔術師を超える霊能力者の輩出』だ。その為に約二百年前から現代の魔術師の台頭を見越して、研究と研鑽を重ねてきた」


 現代において霊術は行き止りの技術と言われている。長い人類の歴史において、霊術が持つ可能性はほぼ開拓され尽くし、発展性がほぼ見込めないためだ。


 入れ替わるように魔術の研究は最盛期を迎えつつあり、先鋭化と汎用化が日々促進され進化し続けている。魔術の凄まじい発展の背景には、霊術の術式構築のノウハウが活かされているのも理由の一つ。


 ざっくりとした試算ではあるが、あと半世紀もしない内に霊能力者と魔術師の勢力図は塗り替わるという話もあるほどだ。


 恐らく実際にそうなることだろう。


 平安時代、陰陽道の開祖・安倍清明から数えても千年余り。国を支え、悪鬼羅刹を退け続けた日本の霊能力者にとってもこれは許し難い屈辱だ。


 だからこそ七榊家はその身に“魔術”を従える道を模索した。


「霊能力者でありながら魔術師の因子を持つ、魔術師を超えた霊能力者の誕生。これこそが七榊が目指した悲願であり、俺という到達点だ」


 傲りでも、誇張でもない。実際に幽連は魔力に匹敵する霊力をその身に宿し、指名手配されていた魔族を何人も屠っている。実力者が集う政府公認執行機関・アストレアであっても幽連に対抗出来る術師がいるかどうか。


 彼の玉体こそが七榊の粋。人の身で天武の領域に踏み込んだ荒神人。


 最強の名を欲しいままにする幽連であるが、しかし到達点であっても終着点ではない。


「だが一代限りの傑作に意味はない。俺という成果を次の世代へ継承し、洗練し、そしてまた次の世代へと繋げなければ何の意味もない。それこそが俺の義務であり、俺の子供に架された責務だ」


 二百年の研鑽を一手に背負う幽連の言葉の重みを、影郎が真の意味で理解することは叶わないだろう。


 影郎も術師とはいえ、幽連に比肩出来るものなど何一つ持ち合わせていない。


 ただ言葉の圧だけで怯む程度の男なら、影郎は幾度となく七榊邸に不法侵入を繰り返してもいない。


「だから硯を手放さないと言いたいのかい? 軟禁され、夢魔にその身を差し出すことが君の言う責務なのかい?」


 もしそうなら家畜ですらなく、生贄と同じだ。

 無意識に突き立てていた爪が畳を削る。


「では逆に聞くが、アレが何故あのような身体で生まれたか理解しているのか? 何故隔離されムマの愛玩人形に成り下がっているのか」


「それは──」


 咄嗟に返す言葉が見付からなかった。


 硯の特異体質と仕打ちにばかりに気を取られて、肝心の経緯について問うたことは一度もない。


「アレはただの両性具有ではない。霊能力者としての男の身体に、魔術師としての女の機能が発現した稀有な事例だ。要するに霊力と魔力、二つの異なる力を両方宿している」


「なっ……」


 驚愕に幽連は腰を浮かした。


 有り得ない事だ。一つの身に宿る力は霊力か魔力の二つに一つ。これが覆ることは人類史においても皆無と断言できるほどの大原則だ。


 過去、幾人もの天才たちが霊力と魔力の両立を目指し、悉く失敗に終わって来た。


 七榊家もこの事実を認識していたからこそ、魔術師の因子を用いつつも、あくまで霊力の強化に舵を切ったはずだ。


「あっ……!」


 遅れて影郎は理解に至った。つい先程の幽連の言葉が何を意味しているのか。


 硯はある意味では兄弟の中で最も幽連に近い存在なのだ。


 異なるのは魔術の才能が大き過ぎたために霊力へ昇華されず、両性具有という形で別々の形で発現してしまった。


『──多分俺の身体は“女”が強く出る』


 脳裏に硯との会話が蘇る。


 二次性徴を迎えた今、身体的な変化が大きい女性の側面が強く表れ出し、同時に魔術の才能もまた花開こうとしている。


 そうなれば土台が霊能力者のそれである以上、硯の身体は増大する己の魔力によって自家中毒を起こしてしまうはずだ。自身で魔力を処理できない以上、何らかの手段で外部へと魔力を抜かなくてはならない。


 弾かれた様に影郎が部屋の隅を見やると、全てを肯定するようにムマが微笑んだ。


「彼女に、夢魔に魔力を喰わせているのか!?」


「そうだ」


 理解が鈍い影郎に辟易したように幽連は首肯した。


 七榊家があくまで霊能力者である以上、魔力の扱いに不得手だ。その点、夢魔の生命力喰い(ライフドレイン)はうってつけの能力。技術漏洩を恐れるならば、下手に外部の魔術師に助力を求めるよりも利害関係を利用して夢魔を飼い殺そうという魂胆もあるのだろう。


 ムマが七榊家に雇われているのは人形師としての腕を買われ、幽連の後継者育成の助力を求められてのこと。彼女にとっても七榊の肉体は値千金の研究材料でもあり、硯の霊力と魔力のカクテルは肥えた舌を満足させ得るものだった。


 だが魔力中毒の対応策としてはあまりに強引に過ぎる。


「馬鹿なっ、正気か君は!? ようやく十歳を迎えたばかりの子供に魔族の相手をさせているなんて、常軌を逸している……!」


 魔力中毒を解消するためとは言うが、毒素を抜いているわけではない。吸血鬼が血を啜るのと同じく、夢魔の吸精は生命力そのものを奪う略奪行為。


 魔族の能力は人間のそれとは桁が違う。ある程度の加減はされているとしても、夢魔の腹を満たすために今後も身を捧げ続ければ、どうなるかなど火を見るよりも明らかだ。


 人権無視も甚だしい。


 警察、いやアストレアに今すぐにでも告発すべき事案だ。


 何より今の話には硯の意見が全く反映されていない。それどころか自分の処遇に対して一言の反論さえ許されなかったに違いない。


 これ以上の話し合いは最早無駄だ。この場にいることを恥とさえ思い、影郎は勢いよく立ち上がった。


「どこへ行く?」


「今聞いたことを然るべき組織に訴えに行く。君がやっていることは立派な人身売買の一種だ。見過ごせば僕だって罪に問われる。君とはこれっきりだ。失礼する」


 今日限りをもって縁を切ると、言外に告げる影郎は勢いよく立ち上がり、会釈だけ挟んで背を向けた。


 もっと早くにこうするべきだった。縁者であっても七榊家はあくまで他家であるから、隠密にことを運ぼうとしたのは失敗だった。


 姉の玻璃と実家を巻き込むことになるが、仕方がない。つてを頼ればアストレアの後ろ盾を得られる見込みもある。


 覚悟を決め、影郎が廊下への襖に手を伸ばした時だった。


「──つい数代前まで鬼との混血であった一族が魔族を嫌うか。実に人間らしいことだ」


 ピタリと、影郎の手が固まる。


 ──今、それの話を持ち出すのかッ……!


 卑怯だと、怒鳴りたい衝動を歯を食い縛って必死にこらえる。たった数cm程度の厚みしか持たない襖が、幽連が放った一言で壁となり、影郎を七榊邸へと封じ込める。


「魔術師との抗争に打ち勝つために、悪魔や鬼の誘惑に吞まれた事例はそう珍しくはない。特に終戦から数年は海外の術師による霊地強奪が頻発した暗黒期だった。人ならざるモノからの誘惑は抗い難かっただろうよ」


 同情の言葉とは裏腹に、声音は明確な侮蔑と嘲笑のそれ。


「だがその結果的に自らが打ち滅ぼされる側となっては本末転倒。運よく命を拾ったところで政府から首輪を頂戴し、数十年を費やしてようやく血から怪異を排してみれば、入れ替わりとばかりに多額の負債を抱えている。そういう話を聞いたことはないか?」


「……ッ」


 よく知っている。


 顔も知らない先祖が人の道を外れた経緯が、幽連が語ったような事情であったかは定かではない。影郎は勿論、両親も祖父母も知らないところか、そもそも記録が残っていない。


 ただ一つ分かることがあるとすれば。


 鬼は奪う側(・・・)だ。

 財宝も、土地も、食料も、人間も──命でさえも。


 隷属や服従など以ての外。


 霊能力者とはいえたかだか人間が鬼へと堕ちるには、一体どれほどの屈辱と憎悪に身を焦がしたことだろう。


 きっと腹の奥底でどす黒く蜷局を巻いているコレと同じものだ。


 口の中で何かが割れる音がした。無意識に食い縛っていた歯の何処かが割れる音だと気付いたのは随分後のこと。


 分かっている。七榊家の援助が無ければ薄羽家は存続そのものが危うかった。そうなれば影郎と玻璃が顔を合わせることも叶わなかっただろう。


 偏に薄羽家の血に流れる鬼を祓うために抱えた莫大な借金を、全て七榊家が肩代わりしてくれたお蔭だ。


「告発するならするがいい。ただその場合、薄羽家にも捜査の手が入る可能性を考慮しておくことだ。鬼を僅かでも継いでいる可能性があると判断された者を庇うことは、我々であっても難しい」


「幽連君っ!」


 殺意さえ覚えて、影郎は幽連に向き直った。


 鬼の可能性がある者。それはつまり薄羽家と、その血を引く幽連と玻璃の五人の子供たち。アストレアや聖王協会がこの事を知れば、最も嫌疑をかけられるのは十中八九『硯』だ。


 無論、詳細な調査が行われれば疑いは晴れるだろうが、問題はそこではない。


 どのような形であれ七榊家は秘奥の流出を嫌い、さらに今は魔族を招き入れている。第三者組織の介入はどうあっても避けたいというのが本音。


 幽連は硯の安否など一切危惧していない。むしろその逆。


 ──面倒を招くのであればアレはもう始末する。


 一切の光を反射しない幽連の双眸が、影郎の手にギロチンの紐が握られていることを自覚させる。

 あと一歩、外へ踏み出すことは硯の首を刎ねることと同義。他ならぬ影郎に生殺与奪の権利を与え、実際には選択肢は一つしかない。


「………………分かった。恩を仇で返すような真似をして、申し訳なかった」


 長い沈黙を挟んで、影郎は膝を折った。


 使用人たちに摘まみ出すよう命令を下し、幽連から義弟への興味は早くも失せている。失敗作と謗る硯が人質として機能し、薄羽家へ釘を刺せたことは望外の収穫ではあったが。


 項垂れる影郎は使用人たちに連れられ、部屋から退出されられる。髪で隠れその表情は伺い知れず。


 この場において──姉である玻璃であっても例外なく──影郎を擁護する者はいない。


 ただ一人。廊下へと消えていく影郎の横顔に、ムマだけが愉快気に喉を鳴らしていた。


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