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間章三・二節 招かれざる客

 秋も近い早朝の七榊邸。

 冷たい空気に満ちた庭で七榊幽連は日課の素振りをこなしていた。


 上半身をはだけさせ、鍛え抜かれた肉体からは蒸気が立ち昇っている。


 幽連自身は決して大柄な男ではなく、どちらかといえば細身。身長も百七十を少し超えた程度であり、容姿も母方に血の影響が強く出ている。一見しただけでは優男といった印象を受けるだろう。


 ただ彼が手にしているのは竹刀や木刀ではない。全長六尺はあろうかという巨大な矛を小枝でも扱うかのように振り回している。それも尋常ではない速度で。


 矛を振り上げてから一瞬の制止を挟むまではゆったりと。剣術でいうところの上段の構えを長大な矛で苦も無く構える。それこそ剣を扱うが如く柄の端を握って。


 振り下ろしは刹那で終わっていた。瞬きを挟む間もなく、矛は丹田と垂直の位置で静止している。

 一連の動作を日が昇る以前から繰り返すこと約一時間。矛の速度は鈍るどころか数を重ねる度に切れ味を増していく。


 既定の回数、その最後の一振りで風に運ばれてきた枯葉を切り裂く。

 一つ息を吐き、傍に控えていた使用人に矛を預け、入れ替わりにタオルを受け取った時だった。


 パチパチと拍手をしながら庭木の影から一人の少女が近づいてきた。


「御機嫌よう、幽連。相変わらず凄まじい闘気ね」

「ムマか。闘気などとつまらん誤魔化し方をするな。俺もお前も武人とは縁遠いだろう」


 幽連に続きムマに挨拶した使用人がさりげなく幽連の前に出る。


 警戒されていることに気分を害した様子もなく、ムマは目を細める。長い睫毛が眼元に濃い影を落とし、青い眼が怪しげな光を湛える。


「そうね。貴方の生命力に食指を刺激された、というのが本音。既婚者相手には少しはしたないから言葉を選んだのよ」


「夜這いが生業の夢魔が恥じらいを口にするか。結構な心構えだが、その様子じゃ腹は満たされなかったようだな」


 敵意を露わにする使用人を手で制し、幽連は離れがある雑木林を一瞥する。

 客人を満足させられないようでは、いよいよをもってアレを生かしておく理由がない。


「確かに物足りないのは事実だけど、霊力と魔力のカクテルなんて早々に味わえるものじゃないわ。私はただの客人だけど、勝手に取り上げられるのは困るわ」


「……まあいい。種族が違えばゲテ物も美食になる。ここに滞在する間はアレは好きにしろ」


 ただしと、続けた幽連の気配が一段重くなる。


「息子たちに手を出したのなら即座に斬り捨てるぞ、サキュバス」


 いつの間にかに再び手にした矛の切先がムマの首元に突き付けられていた。

 一歩……いや、あと半歩踏み込めば少女のか細い首は串刺しにされることだろう。


 朝日を反射し、鈍い光を放つ矛を一瞥したムマは無造作に穂先を掴み取った。


「御忠告痛み入るわ。けれどそれは貴方たちが私に欲情してからの話よ。ロリコンの毛はないでしょ?」


 挑発するよう口振りでムマは一息に穂先を握りつぶした。


 素振り用に使用しているだけで矛は本物の武具だ。穂先も鋼造りで刃も潰していない。

 にも関わらず矛はムマの小さな手に容易く屈し、潰れたアルミ缶のような有様。


「何のつもりだ?」


「刃物は嫌いなの。こんな容姿と服装だけど、ナイフとフォークよりお箸の方が得意よ。お豆腐だって掴めるもの」


 驚く使用人とは対照的に幽連は矛のことなど気にも留めず、ムマの蒼玉の瞳を見下ろす。


 ムマもまた真っ向から視線の刃を受け止め、さらりと糾弾を流した。


 捉えどころのないムマの態度はいまに始まったことではない。これ以上は無駄骨と判断し、幽連が先に引いた。


「戯言を。貴様が俺たちと食事の席を同じくしたことなどこの一年無かっただろうが」


「幼子の姿をしているだけで私は貴方よりも年上よ。奥さんと昼ドラの真似事は御免なの」


「たわけ。その様な気を回すなら使用人の一人でも従えろ。限られた範囲とはいえ屋敷を好き勝手に動き回られては叶わん」


「首輪を着けたいのかしら? 利己的な貴方らしい危ない趣味ね」


 ハッキリと舌を鳴らし、幽連はガラクタとなった矛を投げ捨てた。本人が主張した通り年の功というやつか。言葉遊びに過ぎないが振り回されてしまう。


 一方的に会話を打ち切って幽連は屋敷へ踵を返した。


「幽連」

「これ以上お前とじゃれ合うつもりはない」


 ムマの呼び掛けを無視して縁側から廊下へ上がった幽連だが、続く言葉に一度足が止まった。


「さっき貴方の義弟が雑木林を歩いているのを見たわ」


 義弟。つまりは幽連の妻の弟。


 内心で「またか」と嘆息を零した。


 使用人に目配せをすると「ご来訪の知らせは受けておりません」と首を横に振った。


 縁者であってもアポイントも無しに来訪を許すほど、七榊邸の敷居は低くはない。現当主である幽連に顔すら見せないのであれば尚のこと。


「事実確認を済ませ次第摘まみ出せ。不愉快だ」


「宜しいのですか? 仮にも奥様の弟君に対してその様な対応で」


「非はあちらにある」


「かしこまりました」


 恭しく低頭し従者は早速行動に移した。懐から取り出した無線に指示を飛ばすと、間もなくして複数の気配が離れへと向かっていく。


 七榊家の敷地面積は広大であるが鼠一匹捉えるのは容易い。朝食の席に着く前には事は済んでいるだろう。


「彼も懲りないわね。これで何度目かしら。いっそのこと彼もここに住まわせれば?」


「失敗作でもアレは七榊の被造物。無関係の人間を不用意に近づけさせて、我々の二百年余りの研鑽を簒奪されては叶わん」


「私は雑木林で義弟を見かけたと言っただけ。離れに向かったとは口にしていないし、貴方の言うアレの話はしていないわ」


 刹那、庭に稲妻が奔った。


 幽連の腕の一振りを引き金に、練り上げられた霊力が術式によって莫大な電流へと変換。遥か上空へと駆け上がり、音を置き去りにムマを頭上から貫いた。


 視界がホワイトアウトするほどの爆光と屋敷を揺るがす凄まじい衝撃波が荒れ狂う。


 魔術にすら匹敵する火力と、呼吸でもするかのような早撃ちは偏に幽連の才能と練度による賜物。真面に喰らえば消し炭だろう。


 高圧電流によって発生したオゾン臭に顔をしかめながら、土煙を風の術式で払った幽連は眼を眇めた。


 爆心地にはムマの姿どころか、消し炭一つ見当たらない。


 まんまと逃亡を許した幽連を嘲笑うかのように、風に乗って一輪の彼岸花が眼の前を横切っていった。


 舌打ちを一つ。


 騒然と駆け付ける使用人たちを適当にあしらい、幽連は朝食の準備を急がせた。



   ✝   ✝   ✝



「うわっ、何事だい!?」


 母屋の庭での雷鳴は当然離れにまで届いていた。


 雑木林から一斉に飛び立つ鳥の大群とは対照的に、硯を訊ねてきた男は情けない声を上げて尻もちを付いている。


 第一印象は良く言えば温和、悪く言えば覇気に欠けるといったところか。


 童顔のためか齢三十を超えても若く見えることは同年代からすれば羨ましい限りだろうが、それなりに名のある霊能力者の血筋となればやはり威厳に乏しい。


 仮にも厳重な警備態勢が敷かれている七榊邸に難なく侵入する実力の持ち主。もう少し威厳があってもいいのではないか。


 度の強い黒縁眼鏡の位置を直しながら男──薄羽影郎(うすばねかげろう)はおどおどと窓から外の様子を窺った。


「あわわっ、もしかしなくても幽連君にバレたのかなこれ。そんな! 今回は特に念入りに隠形術を施して欺瞞工作もバッチリだったのに」


「ムマが告げ口でもしたんでしょ」


「しまった! 彼女のことを失念してた。でもサキュバスの目を誤魔化す隠形術なんて僕には荷が重すぎるよ。次からどうすれば~!?」


 頭を抱えて蹲る叔父の情けない姿に、硯は思わず溜息が零れた。


 この手の嘆きを聞いたのは、もう両手の指では足りない。問題点が判明すれば次回にキッチリと修正こそしてくるが、本題はそこではない。


「もういい加減俺に会いに来るのは止めた方がいい。縁者でも消し炭にされるぞ」


「叔父が甥っ子……いや硯は姪っ子でもあるんだっけ。とにかく! 親戚に会うのに許可なんて必要ないでしょ。僕たちは家族だ」


「父はそう思っていない。だから俺をここに押し込めているんだ」


 影郎と何よりも自分自身を突き放す言葉に、影郎は眉を下げる。


 押し込めている。そう硯が口にした通り、この離れは牢屋と何も変わらない。必要最低限の生活環境こそ整っているが、部屋は僅か三畳と狭く、粗末な布団と姿見を除けば調度品は皆無に等しい。


 当然、娯楽の類などありはしない。以前に影郎が差し入れた漫画雑誌や玩具は見当たらず、今日持ってきた携帯ゲーム機も取り上げられる事を見越してか触ろうともしなかった。


 食事こそ与えられているようだが、十分な量であるかも疑わしい。硯は同年代の子供たちと比較しても小柄で肉付きも悪い。


 扱いは囚人のそれどころか、硯はムマに食料として生かされているに過ぎない。これでは家畜と同じだ。


「硯、やっぱり僕と一緒に暮らそう。じいちゃんとばあちゃんも孫の顔を見たいってうるさいしさ」


「『硯に会いたい』──と言っていた?」


「い……いや、孫なんだから硯も含まれてるって!」


 一瞬、答えに詰まってしまった自分を影郎は嫌悪した。こういう所がダメなのだ。


 強張る舌を必死に動かして、慌てて話題を変える。


「それにほら、学校にだって行かせて貰えてないんだろ? 友達が出来れば退屈とはおさらばさ。鬼になったが最後の町内鬼ごっこだ、ローカルルールありまくりのカードゲームとか、碌でもない事も多いけど」


「男と女が混じった奴は気持ち悪いだろ? 暗示や幻術で誤魔化そうにも、学校には何百人も人がいるんじゃ現実的じゃない。ふとした拍子にばれる。というかばれた。行きたくない」


「硯……」


 最後の一言は硯の心の傷そのものだった。


 自虐や揚げ足取りのような部分もあったが、硯は自身が抱える問題を正確に把握し、影郎に説いてみせた。理不尽に泣き叫ぶでもなく、嘆くでもなく。世間一般の“普通の生活”が難しいことを理解出来る程度に硯は賢く、実際に苦痛を味わった。


 不登校の期間が長くなってしまった今、無理に学校に行っても爪弾きにされるか、最悪いじめの対象になりかねない。


 加えていえば問題はこの先の方がずっと多い。


「今はまだ見た目は服装で誤魔化せるけど、それも中学に上がるまでだと思う。いまの調子だと多分俺の身体は“女”が強く出る。母さんは胸大きかったでしょ?」


「……っ、」


 ほんの少し硯は着物の前襟をはだけさせて見せた。


 垣間見えた緩やかな曲線から、影郎は咄嗟に視線を外し、ハッとする。


 いまだ独り身。恋人どころか女友達すら出来た試しもない。女性に対する免疫皆無の影郎には硯が抱える問題は荷が勝ち過ぎる。


 お前には頼れないという、遠回しの拒絶を影郎自身が証明してしまったようなものだ。


「あ、今のはその……なんていうか」


「──薄羽影郎様。お迎えに上がりました。どうぞ速やかにご同行をお願い致します」


 咄嗟に言い逃れしようと言葉を出しあぐねていた所で、外から投降が呼び掛けられた。見れば離れの入口に使用人が三人。軽く探知術式を走らせれば、離れを囲うように複数の反応。


 元からその気は無かったが、ここまで距離を詰められてしまえば鼠一匹逃げられない。

 潔く観念して、影郎は襖に手を掛けた。


「また来るよ。今度は流行りのお菓子とか持ってくるから、楽しみにしてて」


 返事は無かった。


 姿を見せるなり、影郎は素早く両脇を使用人に固められ、入れ替わるようにして離れに踏み込んだ使用人たちが今回の差し入れを没収していく。


 なされるがままにボディチェックを受ける硯を振り返り、小さく溜息を付いた。


「今日もあの子を笑わせることが出来なかったな……」


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