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四章・三十二節 赤服の監視官と鏡海の魔術師

 響たちとの戦いから一月が過ぎた。


 季節は本格的な梅雨を迎え、週の初めから降り続けた雨は一向に止む気配がない。


 テレビやネットでは最近増え始めているカフェや美容院一体型のコインランドリーが話題を集めているが、あいにくと五輪市にはそういったカジュアルなものは無い。


 出前を頼めば割り増し料金が発生する立地に建つ神崎邸に至っては、乾燥機の恩恵にさえあやかれない。


 平日はほとんど制服で過す雀と照の洗濯物は少ない方だが、昨日からサンルームに並んだ衣類はまだ生乾きである。


「……」

「──」


 併設される居間でくつろぐ雀と照の間に会話はない。


 雀はファッション雑誌を、照は分厚いハードカバーの本を手に取り、ゆったりとした時間を過ごしていた。


 しかしながらページを送る手は随分と前から止まっており、居間に流れるのは雨音のみ。


 本日は日曜日。時刻は間もなく正午を迎える頃。


 雀も照も昼食の準備に動く気配はなく、ぎゅるるる~という腹の虫がどちらともなく鳴いた。


「…………買い置きのインスタントとかあったっけ?」

「…………………………ないわ」


 実はこの二人、朝食はおろか昨日の晩御飯さえ抜いている。


 というのもここ神崎邸は立地がとにかく悪い。一番近いコンビニまでも徒歩なら平気で三十分以上かかる上に、連日の長雨のために傘を差しての纏まった買い物はかなりの重労働。


 そんなこんなで食料が尽きていたことに気付いたのが昨晩のこと。いま神崎邸には米粒一つすら存在していない。いま腹を満たせるものがあるとすればマヨネーズぐらいか。だがあれで食事を済ませるのは遭難でもしない限り御免である。


 雀たちが床に伏せっている時に甲斐甲斐しく世話を焼いていた監視官も、雀たちが日常に復帰してからというもの定期健診以外では屋敷に近づいても来ない。初顔合わせのときに『必要がない限り基本不干渉』といったことを言っていたが、だとしても病み上がりを即放置はいくら何でも薄情ではないか。


 雀の中で八つ当たりに等しい怒りが沸々と込上げてくるが、それも直ぐに空腹で引っ込む。


「……もう大人しく外に食べに行こうか。坊主でもないんだから、流石に三食抜くのは洒落にならないし」

「……」

「照? ねえ、聞いてる?」


 雀が雑誌から同居人へ視線を移すと、照は魂が抜け落ちたてきなアレで真っ白になっていた。


「照ううううううううううう!?」


 無論比喩であるが、元々虚弱な体質であることと二食を抜いた事が災いした。


 ふらりとソファに倒れ込む照を慌てて駆け寄った雀が抱きかかえる。肌は色白を通り越して蒼白であり、血の気が全く伺えない。


「くっ……もう割増料金を呑んででも、出前を頼むしかないっての!?」

「金のさら……特選……」

「やかましいっ!」


 照が譫言のように呟いたのは有名寿司チェーン店の高額メニューである。


 いつからか二人の間に定着していた暗黙の了解で、出前は頼んだ方が二人分の料金を負担することになっている。


 この状況は要するにどちらかが空腹に耐えきれなくなるまでのチキンレースだったのだ。


 プライドだけなら一人前のこの二人であるが、どちらの体力が先に尽きるかなど言うまでもない。大抵雀が財布を痛める結果に終わっている。


 今日も今日とて震える手でスマホを取り出した雀が葛藤していた時だった。


「……舞台稽古か何かか?」

「あ、涼」


 いつの間にか居間に宵波涼が現れていた。雀たちを珍妙な面持ちで見る彼は大きな段ボールを抱えており、大根やゴボウにキャベツといった野菜たちが顔を出していた。




「まったく……呆れたぞ。病み上がりが意地の張り合いで食事を抜くなんてありえん」

「術師なんて大抵そんなもんよ。あ、照、そこのソース取って」

「自分で取りなさい」


 料理を運んでくる涼の小言を流しながら、雀は大量の揚げたてのコロッケを次々と平らげ、照はゆっくりとコーンスープを口に運んでいた。


 実家から大量に送られてきた食料のお裾分けに屋敷に訪れた涼は弱り果てた二人、特に照を見るや大慌てでキッチンに飛び込み、食事を用意した。


 似たような状況に涼は今後も幾度か出くわし、彼がこの屋敷の食事を取り仕切ることになるのはそう遠くない未来だ。


「そういえば涼、今日は車で来たのよね?」

「そうだが」

「じゃあコインランドリーに連れてって頂戴。見ての通りこのままじゃ洗濯物にカビが生えそうだし。あ、午後の予定空いてる?」

「空いてる。他に買うものがあれば付き合おう」


 近頃、雀は涼のことを「涼」と呼び捨てにしていた。


 親しみを込めたものというより単に周りと呼び方が被らないように、という雀らしい合理性を優先した理由であった。


 呼ぶ方も、呼ばれる方も不思議と耳に馴染むものがあったために、最初こそ逆に戸惑ったが今ではこれが日常である。


「雨取、ついでに夕飯も作っていこうと思うが、何かリクエストはあるか?」

「シュトーレン」

「ドイツの菓子パンだったか。だがあれは一ヶ月ぐらいかけて食べてクリスマスを迎えるものだろう? そのリクエストだけで君の食が心配になる」

「なら貴方が毎日ご飯を作ればいいわ」

「甘やかすなと夜鷹殿に厳命されている」


 作り置きをしていくということで照は妥協し、涼は嘆息を零した。


 それからしばらく後、雀と照が一瞬間の半分以上を食パンとサプリメントで食事を済ませていると知った涼は、新造したばかりの式神・淑艶を世話役に押し付けた。


 前途多難。この先も悩みは尽きないが、彼等の表情が曇り続けることは無い。


 これが三人の始まり。奇妙な運命に呼び寄せられた監視官の青年と二人の魔術師の少女。


 以前よりも少しだけ賑やかになった屋敷の外では、まだ雨が降り続いている。


 多種多様な花々が植えられた裏庭の片隅で一際美しい白い花が雨粒に揺れる。傍には眼も覚めるような赤い花が寄り添い、揺れる花弁が隣人にそっと触れた。


四章は次でラストですが、内容的には今節で完結です。

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