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四章・三十節 秘策

 ──遡ること数日前。

 雀と照が倉橋に敗れ、意識を取り戻した日のこと。


「月下美人を私たちに移植する?」


 眉根を寄せる雀に涼は深く頷いて見せる。


「そうだ。俺がやったように、この花の霊力から魔力を精製して君たちの糧とする。勿論、こちらで花は無力化しておく。これで最低限戦えるコンディションになるだろう」


 来たる響との戦いに備えるために、雀と照は早急な回復が求められ、涼が提案したのが京都で鹵獲した月下美人の移植であった。


 幾人もの人間を襲ったことで月下美人には膨大な霊力が蓄えられており、これを利用しない手はなかった。


 一般人から奪った生命を利用することということに倫理的な問題点はあるが、背に腹は代えられない。


 やや不服気ながらも雀は納得したのか異論を挟んでは来なかった。


「宵波君、治療される身分で文句を言える立場じゃないけど、それだけじゃ不十分だと思うのだけれど」


 異を唱えたのは照だった。ベッドに横たわる少女の玻璃のような双眸を見返して、涼は水を向けた。


「何か考えがあるのか?」

「ええ」


 照は小さくも、しっかりと頷いてみせた。


 当然といえば当然だろう。照はいち早く事態の収拾のために単独で動いていたのだから、何かしらの響を倒す算段があってもおかしくはない。


 涼はベッドの傍で膝をつき、雀と共に一言一句聞き逃さないように耳を傾けた。


 意識を取り戻したばかりの照は話すことだけに集中するように長い睫毛を伏せて、本来自分一人で行う予定であった策を語る。


「結論から言えば、月下美人を……変質の霊力をもう一度彼に返すの」


 事情に疎かった雀は頭を悩ませたが、涼にはそれだけで十分だった。


 そして時は戻り──




「どうしてこの花が──『変質』の霊力が僕の中にあるんだっ!?」


 厄災の泥を浴びる響に次々と芽吹き、花開いていく月下美人。彼が四肢と引き換えに切り離したはずの『変質の霊力』がそこにはあった。


 神話に語られるパンドラの箱からは、この世全ての厄災が飛び出したというが、響にとって最悪の厄災は『変質の霊力』に他ならないだろう。


 だがこれは泥から湧いたものでは無い。


 忌々しい自家中毒の苦痛に苛まれながら、響はこの月下美人の正体を悟った。


「僕の右脚の……!? そうか、七榊の呪詛ごと僕に『変質』を返したのか!?」


 そう。照の秘策とは切り離された月下美人を本来の宿主である響へ戻し、再び自家中毒の状態に貶めること。


 効果は覿面であった。


 エーテルで一時的に再現したものとは違う。


 父親の呪詛によって身に余る強大な力に膨れ上がり、自らを蝕み続けた猛毒そのもの。呪詛変換の術式は内から崩れ、鏡海へ達しようとしていた光の柱が砕け散る。


「くっ……照、まさか君の仕業か……?」


 響の感覚が正しければ、月下美人は鏡海を通じて花開いた。


 信じ難いことに月下美人を正しく響にはめ込んだのは、間違いなく照だ。


 こうなることを予め予想していたのだろう。例え仮死状態に陥ろうとも、響が照に接続したその瞬間に自動的に発動するように仕込まれていた術式が、その効力を発揮したのだ。


 短くない時間を研究で共にしたからか。変質の霊力は以前よりも強固に響と結びつき、霊基の奥深くまで根を張り巡らせようとしている。


 元の器を求めて五輪の街を彷徨い、犠牲者を積み上げてきた殺人花はその報いだと言わんばかりに、次々と大輪を狂い咲く。


 厄災の泥さえ侵し、響を中心として花の絨毯が見る見るうちに広がっていく様は、美しい癌のようだ。


「でも……一体いつ、仕込まれたんだ……?」


 月下美人そのものは照から流れ込んで来たものでは無い。そうであれば心臓を貫いた時点で絶対に気付いていただろう。


 花に磔にされた罪人へ答えは頭上からもたらされた。


「響ィィィィィッ!」


 涼をジャンプ台にして、花の川を飛び越えてきた雀が大きく脚を振り上げていた。

 魔弾を装填したその脚は青白い魔力光を放ち、さながらギロチンの刃を思わせた。


 ──あ、と小さく声が零れる。


 眼の前の光景が屋敷のロビーでの一幕と重なる。


 あの時だ。ペンギンの式神が撒き散らした煙に巻かれた響は、採光窓を突き破ってきた雀に一撃を見舞われている。


 あの一撃の真の狙いは響と倉橋を引き離すことではなく、休眠状態にした花を打ち込むためにあった。


 全ては最初の一手で決していたというわけだ。


「あは……流石は照だ」


 完敗だよ。


 因果応報か。いっそ晴々しい気持ちで、響は断罪の一撃に身を差し出した。


 雀の渾身の蹴り足が響に突き刺さり、零距離から放たれた魔弾の破滅的な光が全てを飲み込む。


 決着だ。


 周辺一帯に激震が走り、地面が大きく陥没。


 轟音と凄まじい熱が生み出す爆風が花の絨毯を駆け抜けていき、月下美人の花弁が放射状に吹き飛んでいった。


 雀自身も身体中の魔力を全てつぎ込んだ魔弾の威力を殺しきれずに、空中で姿勢を崩して受け身を取れずに背中から地面に落ちた。


 直ぐに跳ね起きて自らが穿った大穴を凝視。暗闇も手伝い穴の底は目視では確認できないが、動きはない。


 ほっと息をつく暇もなく、雀は穴から視線を切って照の元へ走った。


「照!」


 しかし余力を吐き出した身体は重く、焦る思考とは裏腹に足取りは緩慢だ。薬の効果が早くも切れけてきたのか、折られた腕の痛みがぶり返してきた。


 パンドラ魔術──鏡海ははいまだ健在だ。あれを閉じられるのは雀だけ。一刻も早く閉じなければならないというのに、無茶が祟った身体はもはや限界が近かった。


 不意に視界がぐるんと回転したかと思えば、雀は仰向けになっていた。見上げる視界の半分以上を占めるのは涼だ。


「ちょ、宵波く──」

「舌を噛むぞ」


 いわゆるお姫様抱っこをされていることに気付いた雀は慌てるが、涼の警告と共に身体を揺さぶる衝撃が訪れ、次いで浮遊感に見舞われた。


 肉体強化による跳躍だと理解する頃には二人は月下美人の川を飛び越え、照の傍に降り立っていた。


 羞恥心などすぐに霧散し、雀は照へと駆け寄ると『門』を閉じるべく伸ばした手を、しかしはたと止めた。その視線は貫かれた照の胸の穴へ吸い込まれる。


「宵波君っ」

「閉じろッ! 雨取の心臓は何とかする!」

「……っ、分かった」


 利用する予定であった響の心臓は泥で汚染されていた。移植はどのみち叶わない。いまあるものだけで心臓を代替するしかない。


 涼が赤いリボンを解き、切り取った髪から霊力を抽出する傍らで、雀は鏡海の門を閉じる。


 特別な術式はいらない。照に触れれば彼女のうちに秘されたその力を、雀は手に取るように操れる。何しろこれは神崎家当主の手にあるべき力。


 疲労で重い腕でしっかりと照を抱き留めた雀は、額と額をくっつけて祈るように瞼を閉じた。


「……!」


 直後、二人の身体が淡く青みかかった銀色の光に包まれる。


 眼を見張る涼の前で、ドクンッと、心臓の鼓動にも似た音が聞こえたかと思えば、銀色の光が二人から迸った。


 銀の光は空間そのものに浸透するように広がり、束の間、世界が銀の海に満たされた。


 事象の羊水の別名の通り、どこか懐かしささえ感じる心地よさを覚える一方で、涼は戦慄を禁じえなかった。


 あらゆる事象、可能性を内包する鏡海とは即ち──全ての始まりだ。本来ありえない(・・・・・)ものでさえ強引に顕現させる究極の一。


 刹那にも満たない思考はガラスが砕けるような音に中断された。


 世界を包んだ銀の光が砕け、粉雪のように降り注ぐ。空は月と星々を取り戻し、厄災の泥は月下美人のみを残して幻のように消え去っていた。


「宵波君っ!」

「ッ! ゆっくり寝かせるんだ」


 雀の声に我を取り戻し、涼は横たえられた照の傍らへ膝を着いた。


 ホルスターから治癒符を掴み出し、髪から抽出した霊力を叩きこむ。


 響は照に憑りつこうとした。ならば心臓を潰していようとも、最低限でも仮死状態にしているだろうと涼は踏んでいた。


 時間との勝負だ。心臓はあくまでも血液を身体中に送り出すためのポンプ役に過ぎない。脳が死んでさえいなければ、血液を循環させ続ければ助かる見込みはある。


 幸いにして雀も照も涼の肉体代替によって補われた体組織がかなりある。生命維持に支障のない筋組織などの部分を心臓の補てんに回せば、ギリギリ治療が可能だ。


 心臓を作り終えるまでは、術式で無理矢理血液を循環させるしかない。


「雨取には悪いが服が施術の邪魔だ。剥ぐぞ、手伝え」

「分かった」


 本来であれば十分な衛生環境と道具を整えて処置をするべきだが、緊急事態だ。


 心の中で謝り、涼は雀と協力してナイフで照のシャツを裂いた。


「な……にっ!?」

「……っ」


 露わとなったその光景に、涼は我が目を疑い、雀は言葉を失った。


 穴がない。


 響に穿たれたはずの穴は何処にも見当たらず、血の跡を周りに残して真新しい肌に照の胸は覆われていた。


 反射的に涼は耳を押し当てれば、弱々しくも、しかし確かな鼓動を刻むその音がそこにはあった。耳を離せば照の薄い胸は小さく上下しており、脈も呼吸も確認できた。


「一体、なにが……」


 ただひたすら困惑した。無論、涼はまだ何もやっていない。それは雀も同じだろう。


 再生は間違いなく照自身によるものであり、この状況では原因など涼には一つしか思い至らなかった。


「神崎、これは鏡か──」


 顔を上げながら涼は事情に精通しているだろうもう一人の少女に説明を求めようとし、途中で口を噤んだ。


 雀は沈鬱な面持ちで照の手を取り、額に押し当てていた。その肩は微かに震え、眼の淵には光るものがあった。


 それ以上、言葉が発せられることは無く。


 世界の修復とともに無害となった月下美人が生ぬるい風に揺られ、静かに花弁を散らしていった。


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