四章・二十七節 エーテル使い
同時刻。神崎邸の正面玄関前。
「ああ、死んじゃったんだ、倉橋さん」
虫の知らせか、あるいはもう一人の自分ともいうべき存在との縁ゆえか。
とにかく名状し難い不快感を覚え、響は倉橋の死を確信した。
しかしその死を悼むことはない。
響にとって倉橋は仲間でもなければ共闘関係でもない。いいところが観察対象といったところか。
彼でも御し切れなかった七榊の変質を完璧に制御してみせたことには驚いたが、それだけだ。
あの男は自分の目的に走り、そして敗れた。
「まあ順当な結果だよね。死者に固執した時点でその人間は停滞するんだから。曲がりくねっていても進み続けた人に勝てるわけがない」
当たり前のことだと、響はあっけからんと笑う。明日には思い出すこともないであろう、不出来な三文小説を投げ捨てるように。
「君もそう思うだろ、雀? ……って、それじゃ返事もままならないね」
賛同を求めて振り返った響は義手を合わせて「ごめんごめん」と軽い調子で詫びた。
手を伸ばせば届く距離にいる元同居人は喉元を抑え、苦悶の表情でもがいている。
ごぼっごぼと口から大粒の気泡を吐き出し、身体が酸素を求めもがくことで幾度となく水を飲み込んでしまい、肺に入った水が更なる苦痛を生み出す。
そう。水中に閉じ込められた人間に返事を求めても無理というものだ。
(苦しいっ……!? 早くここから出ないと、このままじゃ溺死だ……)
雀はいま巨大な水塊の中に閉じ込められていた。
屋敷の前に現れたこの水塊は当然ガラスなどで仕切られているわけではない。響の術式の力のみで五メートル弱の水球が形成されている。
そして雀がこの水の牢獄に捕われてから、既に一分以上が経過していた。
肺活量や水温などにもよるが、成人の水中での平均的な活動限界はおおよそ二分前後と言われている。
水泳部にたびたび勧誘される雀であれば三分は固いだろうが、それは平常時での話。戦闘で心拍数が上がった身体は普段以上に酸素を消費している。限界は間近だ。
雀は魔弾でこの水塊を吹き飛ばそうと魔力を腕へ走らせたが──
(魔力が……うまくコントロール出来ない……!?)
魔弾は形成されるどころか、術式に上手く魔力が行きわたらず起動不良を起こした。
既に幾度となく試しているが、いくらやっても豆粒ほどの魔弾さえ作り出せず、悪戯に魔力を消費するだけだった。
血中酸素濃度が低下し判断力が鈍っているというのもあるが、最大の要因はこの牢獄の水にあった。
異常なまでの高濃度の魔力がこの水に満ち満ちているのだ。強い磁場のなかで電子機器が誤作動を起こすように、この高濃度魔力のプールが雀の魔力コントロールを乱している。
──ウッフフフ……フフフ、フフフ。
「……!?」
まただ。何処からともなく少女のような、あるいは成人した女性のような笑い声が聞こえてくる。
民間伝承には水死した女の魂が更なる犠牲者を求める話がよくあるが、ここで死ねば雀も悪霊に仲間入りか。だとしたら悪い冗談にも程がある。
この状況を覆す方法はざっくりと二つ。
一つは単純明快。他の誰かが雀を外から引っ張り出すことだ。
だが共闘する照は秘策を成功させるために助けに入れない。
必然的に雀に取れる選択肢あとの一つ。そしてこちらも手段としてはシンプルだ。
「はああああああああああああああ──!!」
即ち、力づくでこじ開ける。
水の魔力を押しのけるほどの膨大な魔力を術式へつぎ込んだ。
ただし自らの術式ではなく、この水の牢獄へと。
術式の許容魔力量を瞬く間に超え、術式が暴走。瞬間的に圧力限界を迎えた水塊は内側から爆発するように弾けた。
「ぐっ、がほっがほっ……!」
地面に落ちた雀は少し水が肺に入ってしまったために、上手く呼吸が出来ずに激しく咳き込んだ。
あれほど酸素を身体が欲したにも関わらず、いまの雀はまるで陸に打ち上げられた魚のようだった。
「強引だね~。うわっ、見てみなよ雀! 月光で小さい虹が出てるよ」
降り注ぐ水に濡れる響は術式が破られても焦った様子は見せない。再び雀を捕える素振りすら見せず、月虹にはしゃぐばかり。
「くそッ……ガキがッ!」
まるで相手にされていない。
その屈辱に己を奮い立たせ、雀は髪を振り乱して立ち上がると即行で装填した魔弾を撃ち出した。
速度重視の六等星の魔弾。弾種は散弾を選択した。
放たれた数十発の弾子の一発ずつの威力は低いが、その分散弾は面で標的を撃ち抜く。
しかし響を捉える筈だった弾子は手前で悉く霧散し、燐光を散らして消滅した。
「このっ……!」
それならばと雀は距離を詰めて魔弾を叩きこもうと走り出せば、なんの前触れもなく霧が眼の前に立ち込めた。
視界がホワイトアウトするほどの濃い霧だ。明らかに術式によりものだが、響との距離は数メートルとない。構わず疾走した雀だが、しかし霧を抜ければどういうわけか明後日の方向へ飛び出していた。
「あっはははっ! どこに行ってるんだい。僕はこっちだぜ?」
「……っ」
もう一度響へ突撃するも、結果は似たり寄ったり。
霧に惑わされる。小人のような影に阻まれる。唐突に身体が重くなり動けなくなる。
戦闘が開幕してからずっとこの調子である。
真正面からの火力勝負を得意とする雀にとって、悪夢のような結果だった。雀の攻撃はすべて空振りにさせられるばかりか、響が何の術式を行使しているのかは全くの不明。
先程の水の牢獄は上手く脱出できたが、次にまた捕まれば逃れられるかもわからない。
消耗するばかりの雀に対して、響は消耗とは縁遠い様子だ。
勝負にならない。少なくとも、いまのままでは。
「ええいっ、何なのよアンタ! 撃ってもダメ、殴ろうとしてもダメ。ふざけんな、どんなチートよそれッ!」
「え~、それを敵の僕に聞いちゃうの?」
「うっさいわね。こっちは照みたいに手の内の読み合いは趣味じゃないのよ。寝泊まりできる部屋を提供したんだから、家主にそれぐらいのサービスあってもいいんじゃないの」
「あっははは! 術師に手の内をバラせだなんて、無茶苦茶言うな~。いいね、君のそういうところ好きだよ」
命を賭けた戦いだというのに、二人のやり取りは普段とあまり変わらない。
勝手気ままな響が周りを翻弄し、雀がこれに憤る。
傍から見れば緊張感に欠けることこの上ないが、彼女らにしてみれば変に気負うことがない分、実力を遺憾なく発揮できるというもの。
裏を返せば、彼女たちの関係性はどうあれ殺し合いに行き着いたということだ。
これもまた彼女たちの日常に過ぎない。
「でもわざわざ問いたださなくても、宵波監視官から僕の能力は聞いてるんじゃない?」
「聞いたわよ。でもあいつとは普通に術の撃ち合いをしたそうじゃない。それって私が相手じゃ不満だってわけ?」
確かに一度交戦した涼から響の能力は聞かされていた。
エーテル。この星に存在するあらゆる生命の源を宿す響は、理論上あらゆる系統の術式を行使することが出来る。
実際、京都での一戦では術式の応酬となり、駅周辺はいまもその爪痕が深々と残っている。
だが雀との交戦が始まって以降、今回響は一度として攻撃術式を使っていない。
「今日はなんだかねちっこいね。別にあの人を贔屓しているわけじゃなくて、単に土地との相性が悪かっただけさ」
「土地ぃ? 千年くらい前ならともかく、京都と五輪じゃ、そうたいした違いはないでしょ」
弁論する響に雀は疑わし気な視線を向ける。
土地と術者の相性の重要性は雀も十分に理解している。大雑把な例えであるが川や海で行使する水の術式は威力が増し、逆に砂漠などでは威力が減衰する、といった具合だ。
だが千年程前ならいざしらず、いまの京都と五輪にそう大きな差は無いはずだ。
「土地というより環境といった方が正しいかな。いま僕が使っている魔術は都市部と相性最悪なんだ」
「文明を嫌う魔術……?」
「うん、的確な表現だね。君も使う星辰魔術と似たようなものさ」
星辰魔術は星や星座の神話体系から一時的に恩恵を借り受ける魔術だ。魔術に限らず星とは人類史とは密接に関わって来た神秘の一つだ。
同時にもっとも科学文明との軋轢を生じさせている魔術の一つでもある。
言うまでもなく文明が発展し、街に電気が通ったことで星々の光が霞んでしまったことがその要因だ。
他にも文明の発展で衰退した術式は少なくない。
その中で雀を阻んだ不可思議な現象に符合する魔術となれば、選択肢は自然と絞られてくる。
科学の発展は知識の累積だ。しかしまだ科学が未熟であった時代の人々は、不可思議な現象を目の当たりにした時、ただ分からないものと片付けていたわけではない。
眼に見えない何かの仕業と考え、信じてきた。
時代とともに一般的には空想上の存在へと落とされたが、各地の伝承や書物に共通したものが多くあるように、術者においてはたしかにその存在は認められてきた神秘。
「妖精……いや違う、精霊魔術ね」
「ピンポーン、大正解!」
雀が導き出した答えに、響は満面の笑みと拍手でこれを肯定した。
「ちっ……どうりでこっちの魔術が打ち消されるはずね。人間と精霊の魔術じゃ強度が違い過ぎる……!」
ギリリと雀は歯噛みし、額に冷や汗を浮かべた。
精霊とは漫画やゲームのファンタジー世界でもよく登場する馴染み深い概念だろう。万物に宿る霊的な超自然現象であり、人と似た姿で描かれることも多い。
霊術・魔術においても根本的な概念はほとんど同じ。特に魔術の分野においては四大属性と結び付けられているために、魔術師にとってはとくに馴染み深いものがある。
一般的な認知との差異は、魔術において精霊は指向性をともなった純粋なエネルギー体と定義されていることだろう。お伽噺のように実体を伴うことも無ければ、知恵や力を授けることもない。
しかしそのエネルギーは強大そのものだ。万物に根差したその力はエーテルに準ずる純度であるために、生半可な術式では単純に力負けする。
先ほど雀を閉じ込めた水牢は水の精霊によるものだろう。先立つイメージは清らかなものが多いが、一方で川や湖に人間を引き摺り込むといった恐ろしい側面も持ち合わせている。
古くは強大な力を振った精霊魔術も、都市開発が進み自然に人の手が加わったことで急速に廃れていった。響が言った都市部との相性が最悪とはそういう意味だ。
「ま、正確にはエーテルを餌にして呼び寄せているだけだけどね。使役しているわけじゃないから、君にどんなイタズラをするかはお楽しみだ」
「……余裕ってわけね。正体が分かればこっちだって手の打ちようはあるってもんよ。そのエーテルは鳩に撒くパンくずと同じってわけ」
「ん~、ずいぶん警戒されてるみたいだけど、買いかぶりだよ。こんなエーテルの使い方しか出来ないのは単純に僕がこの力を使いこなせていないからさ」
「よく言うわね。京都じゃ涼と派手にやり合ったんでしょうっ」
「今日はホントにねちっこいな~。精霊はあの人の呪いと相性最悪だし……まあ、見せた方が早いか」
手を抜かれていると殺気立つ雀に苦笑した響は、何を思ったかワイシャツのボタンをはずし始めた。
「なに、し……て……っ!?」
唐突な奇行に若干動揺しながらも雀は身構えたが、露わになった響の身体を眼にして息を呑んだ。
「どう? 宵波監視官とやり合った反動なんだけど、これでも余裕に見えるかな」
響はどこか他人事のように小さく首を傾げた。
その身体はあちこちがどす黒く変色し、壊死しているようだった。それも表面的なものではなく、内側から進行しているように見える。
「エーテル使いって言っても僕は正当な使い手じゃないからね。体内に流れる力が変わっただけで器はそのまま。使えば負荷に耐え切れずにこの有様さ。正直に白状すると今とってもつらいんだよね、これが」
霊力に変換することも出来るが、彼の身体に適合する波長は彼自身知らないために出来ない。魔術師でもないために魔力へ変換しても同じだ。
いまの響が何らかの術式を行使しようと思えば、自損覚悟でエーテルをそのまま使うしかないのだ。
この時雀は屋敷での響の様子をを思い出していた。
彼がソファでいつも寝転がっていたのは、エーテルの力に絶えず身を削られ続けていたためだったのだろう。
響は術式の撃ち合いに応じないのではなく、出来ないのだ。応じてしまえば彼に待っているのは自滅に他ならない。
「理解したかい? 別に好きで君を蔑ろにしているわけじゃないだよ」
ボタンを掛け直しながら響はそう言うが──
「嘘ね。変質の霊力を手足ごと切り捨てた奴が、いまさら我が身可愛さで手を抜くか。どうせ何か企んでるんでしょ」
雀は響の言い分をバッサリと切り捨てた。
単純な話。傷つくことを恐れるならばそもそも戦わなければいい。精霊を呼び寄せるだけでも、少なからず力を行使することに変わらないのだから尚更だろう。
「──ま、流石に誤魔化されるわけないよね」
ニタリと響の口元が妖しい弧を描いた。
それまでの軽薄な笑みとは違う。奥底に秘められていた本性が顔を覗かせたような、邪な笑みであった。
「それがアンタの本性ってわけね……ようやくそれらしい顔見せたじゃない。あんたの人の好さそうな作り笑い嫌いだったのよね」
啖呵を切ったはいいが、雀は全身の産毛が逆立つのを否応になく意識した。
背中に冷や汗が伝い、口の中が渇いていく。
先ほどまでとは比較にならない響の圧に、本能が全力で警鐘を鳴らしているようだった。
照との戦いでさえ、ここまでの緊張感は覚えなかった。
(ちんたら攻撃してても押し負ける。ならもう出し惜しみは無しだ……!)
どのみち雀たちは復調して間もない。消耗戦に持ち込めば響は自滅するかも知れないが、余力がないのは雀たちも同じ。
相手の手の内が分かったのなら、出し惜しみは無しだ。
「いまのうちに歯を食いしばれッ!」
一気に決める。
気炎を吐いた雀は残る二発の特殊魔弾の一発を空へと放った。
尾を引いて遥か頭上へと放たれた魔弾は花火のように内包された術式を展開。夜空に特大の魔術陣を描き出した。
「ん?」
響の表情が僅かに曇る。
魔法陣から放たれる光で分かりづらいが、その中心にはある星座が捉えられていた。
春の星座といえばしし座や正義の女神と同一視される乙女座などがあるが、この季節には北の空にギリシャ神話の大英雄が輝いている。
その名はヘラクレス。人の身から神の座へと到達し、数多の冒険と偉業を成し遂げた半神半人の大英雄。
ヘルクレス座として夜空へ召し上げられたその星座を、雀の術式陣が捉えていた。
「ありゃ……そうきたか」
雀の狙いを察し、響に初めて緊張が走った。
大英雄ヘラクレスのもっとも有名なエピソードといえば『12の功業』だろう。
『12の功業』とはヘラクレスは妻子を死なせてしまった罪を償うために受けた神託のことだ。初めは十の試練であったが、二回が無効と判断され結果的には十二の試練となった。
その試練は神話でも名高い怪物との激闘であった。しし座の由来となったネメアーの獅子、多頭蛇のヒュドラ、地獄の番犬ケルベロス。
現代に蘇れば夥しい被害をもたらすであろう怪物を全て捻じ伏せたのが、万夫不当の英雄・ヘラクレスだ。
さしもの精霊魔術といえどあの大英雄を前にしては分が悪い。受ければただでは済まないだろう。
「ちょっと止めてもらえるかな」
響の腕が薙ぎ払うようにして振われると、甲高い音を立てて鎌鼬が発生した。
これも精霊魔術なのだろう。放たれた空気の無数の刃は砲弾のように石畳を抉り飛ばしながら恐ろしい速度で雀に迫った。
雀は咄嗟に横へ跳んだが精霊は指向性のエネルギーだ。塊から解けた鎌鼬の一部が不自然な起動を描いて、雀の背中を深々と切り裂いた。
「かっ……!」
血潮が勢いよく噴き出す。服とともに切り裂かれた長い髪の毛がバラバラと風に巻き上げられていき──雀は痛みに耐えながらほくそ笑んだ。
「あ、やば──」
間抜けな声が響から零れた。
雀がわざと鎌鼬を受けたのだと気付いたときには、既に雀たちの次の罠は始動していた。
「照!」
「分かってる」
その時だ。
雀の呼び声を受け、姿を隠し今までずっと機を伺っていた照が間髪入れずに動いた。
屋敷の窓ガラスが次々と砕け散り、無数のガラス片が屋敷の外へと降り注ぐ。
――Lost. Lost. Lost.
木霊する詠唱。
同時に空と対を成すように地面にも巨大な魔術陣が浮かび上がり、仕込まれていた大魔術が顕現しようとする。
編纂魔術。
雨取照にのみ許された鏡魔術と錬金術の最奥の神秘。空間そのものを侵食し、一時的に別空間を作り出す一代限りの大魔術。
雀と同じく余力のないはずの照がこの魔術を行使できている理由が、さきほど切り裂かれた雀の髪の毛にある。
血や心臓と同じように、髪の気には魔力が蓄積されているのだ。当然長いほど蓄えられている魔力も大きく、古くから女性術師の切り札とされてきた。
ばらまかれた雀の髪の毛から魔力を吸い上げ、魔術陣から放たれる光がその強さを増していく。
「例の編纂魔術かい? でも病み上がりにはこれだけ大規模な術式はちょっとキツイでしょ。ちゃんと起動できるのかな?」
響の言う通り、いかに髪の毛の魔力を継ぎ込もうと編纂魔術は起動するには圧倒的に魔力が足りない。
ましてや編纂魔術は霊脈上での行使が絶対条件であり、後天的とはいえ星の分霊であるエーテル使いの響からしてみれば妨害は簡単だ。
しかしその程度のこと雀たちは百も承知だ。
「心配はいらないわ。これは貴方のための術式じゃないの。貴方をこの土地から切り離すための術式よ」
「なんだってっ……!?」
そう。雀と照の狙いは初めからこれだった。
如何に強力無比なエーテル使いであろうとも、霊脈からの無限に等しいエネルギー供給がなければ一人の人間だ。
同時にそれは土地と結びつく精霊との繋がりもまた断つということ。
となれば、後は純粋な火力勝負。
神崎雀の独壇場である。
「選んだ術式を間違えたことが、アンタの運の尽きだッ!」
出血にふらつきながらも両足で地面を踏み締め、雀は天高く腕を伸ばす。
「砕け散れッ──ヘラクレス・柱ッ!」
勢いよく雀の腕が振り下ろされ、魔術陣から巨大な光の柱が響の頭上へと放たれた。
凄まじい破壊力を秘めた熱線はエーテルであろうと力技で押しのけ、響を跡形もなく蒸発させる。
そのはずだった。
「──惜しいな。これでもまだ僕は七榊響なんだぜ?」
光の柱が響に触れたその瞬間であった。
ヘラクレスの恩恵を得たはずの特大の魔弾は響の義手に阻まれたかと思えば、その光を極彩色に変貌させ、次の瞬間には内側から弾けるようにして崩れた。
「なっ……!?」
「──まさか、『変質』の……!?」
渾身の一撃が砕かれ愕然とする雀に対して、長らく響と研究を共にしていた照は彼が行使した力を逸早く見抜いた。
即ち、響が捨てたはずの七榊の変質の霊力。響は一瞬でエーテルを加工し、魔弾にぶつけることで術式そのものを瓦解させたのだ。
「さすがに今のはヒヤッとしたかな。お遊びもここまでにしておこう」
そして大技を放った後に生れる隙を見逃す彼ではない。
響が膝をたわめ、その姿が霞んだかと思えば、一瞬にして雀の眼の前に躍り出ていた。
「……っ!?」
「まずは君からにしようか」
大技の直後で硬直する雀の眼前で、響の義手が無造作に手刀に構えられる。
避ける間もなく、放たれた鋼鉄の義手は安々と胸を突き破り、心臓を貫いた。
滴る血は意外にも少なく、ただ呆然と自分の胸に肘まで埋まったそれを彼女は見下ろした。
「照っ!?」
悲鳴を上げる雀の後ろ。
鏡魔術で姿を隠していた照は苦し気に小さく血を吐き、緩慢な動作で己を貫く義手に触れようとし──
「へえ。こうして触れてみるまでまさかとは思ったけど、君っては普通の人間じゃないね」
勢いよく腕を引き抜かれ、支えを失った雨取照は膝から崩れ落ちた。
──そして災厄が眼を覚ます。