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四章・二十六節 敗因


 第四の式神・岩戸ノ鏡(いわとのかがみ)。それが今回涼の切り札だ。

 その能力は──


「自身と寸分違わない式神……だと……!?」

「そうです。外見、人格、身体能力、体臭、筋肉の配列に至るまで、この宵波涼と寸分違わないコピー体。いわゆるドッペルゲンガーですよ」


 通常の式神と決定的に異なる点は霊体ではなく、肉体を有している点だろう。複製体(クローン)をベースにしているために、遺伝子上では完璧な同一人物。


 稼働時間が一日に満たない短命である点を除けば、岩戸ノ鏡は触れ込み通り、本物(オリジナル)と何ら変わらない能力を有している。


 つまり驚愕を禁じ得ない倉橋に涼はこう言っているのだ。


 お前が殺したのは唯の人形だ、と。


「馬鹿な、有り得ないッ! 式神だったのなら俺が気付かないはずがないッ!?」


 涼の式神職人としての腕は倉橋もよく知るところだ。


 確かに完璧な自分を造りだすことは十分可能であろうが、それでも式神はやはり式神に過ぎない。どれだけ精巧に作り込まれようとも、熟練の術師を誤魔化せるわけがない。


 少なくとも、過去に倉橋は涼の式神を人間と誤認したことは唯の一度としてなかった。


 ましてや戦闘中に違和感さえ覚えないなど、有り得ない。


 しかし涼はつまらなそうに倉橋に否を突き付ける。


「気付きませんよ。現に貴方はそれを殺して満足したでしょう? そこの死体が偽物だと、貴方は一瞬でも疑ったか? いいや、現にアンタは疑わなかったでしょう」

「……っ!?」


 有り得ない。そう保身に走る倉橋の退路を涼は潰していく。


「以前のアンタなら……三年前以前のアンタなら偽物の可能性を考慮していたでしょうね。その類稀な憑依能力は、他者の思考を模倣(トレース)し、乗取った人間を完璧に演じられてこそ生きる。ましてや、今回のアンタの標的は身内だ。俺の手の内を暴く時間はいくらでもあったでしょう。なのにまんまと騙された。その理由が分かりますか?」

「やめろ……」


 涼がいま暴こうとしているのは、倉橋がその人生をかけて必死に隠してきた脆さだった。


 幼少期から眼を背け、嫌悪し続け、そして逃げられない見えない傷。


「アンタが陰陽師の開祖、土御門家の分家に生を受けながらその実、家名以外の名を持てなかった理由そのもの。それが敗因だ」

「やめてくれ」


 暴く。倉橋●●が何者であるのかを。


「アンタは誰よりも他人になれた。子供だろうが老人だろうが、アンタはソイツ以上に誰かに成り代われた。逆に言ってしまえば、それはアンタに“自分”がないから出来たことだ。自分の顔がない、中身が空っぽなのっぺらぼう。だから本来異質であるはずの七榊響の『変質』さえ受け入れられることが出来た」

「やめてくれッ! やめろ、それ以上は言うなッ!!」


 悲痛な叫びを冷やかな視線で切り捨て、アストレアの監視官は無慈悲にその弱さを告げた。


「そんなアンタが、今回ばかりは我欲を剥き出しにして戦った。空虚な中身を復讐の炎で満たしていたようだが、それさえも消え去れば、さっきのように無意味な自滅に走る。ハッキリ言ってあげましょうか、倉橋家の誰かさん」

「やめろッ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 響き渡る倉橋●●の絶叫を、宵波涼は無慈悲に切って捨てた。



「──アンタはどうあれ、自分のために戦っちゃいけなかったんですよ」



 それが今回の勝敗を分けた唯一の要素だろう。


 もし、倉橋が従来通り誰かの能力を引き出す──今回で言えば月下美人の変質──ことに舵を切っていれば、どこかのタイミングで岩戸ノ鏡の影武者に気付いたことだろう。


 思考のトレースは何も憑依した人間だけに限った話ではない。誰かに成り代わるということは、時には人間関係も完璧に模倣するということ。必然的に周囲の人間もよく観察しなければ、完璧な演技は成し得ない。


 倉橋がアストレアで積み重ねてきた功績は決して類稀な才能にあぐらをかいたものではなく、入念な下準備があってこそ。


 彼本来の戦い方に持ち込まれていれば、涼は自分の勝ち筋がないと確信していたほどだ。


 だが、現実はそうはならなかった。


 そうならない確信が涼にはあった。


 それはGW明け。赤服の呪いに伏せた涼に向けられた、倉橋の剥き出しの激情に触れていたためだ。


 自分ではない誰かになることが最大の強みであった倉橋が、無いはずの自分で戦えば、隙は当然のように露わになる。


 確実に涼を仕留めるならば、倉橋は決して自分を出してはいけなかった。

 戦いは最初から決していたようなものだった。


「……おれの魂を縛り付けているのも、式神の能力か……?」

「そうですよ。『天ノ岩戸』──本来は神崎や雨取のような強力な魔術師や魔族に憑りついて、強制的に昏睡状態に貶めるもの」


 魂だけの存在を閉じ込めることなど造作もないと、涼は付け加えた。


 淑艶の能力は無論倉橋とて承知はしていた。


 しかし憑依能力に絶対の自信を持っていた彼にとって、逆に憑りついていた躯体に閉じ込められることは想定の範囲外。


 これもやはり自らの能力に奢っていた結果といえよう。


 着物に仕込まれた術式が強制起動されたことで、物理的にも拘束され、もはや淑艶に倉橋が動かせる場所は首から上を残すのみ。それすら、いま涼がそうしているからに過ぎない。


「俺を殺すか……?」

「もちろん」

「なんの、ために……?」

「アストレアの監視官として、犯罪者に堕ちたアンタを裁くため」

「…………それが、望まれなかったことだとしてもか?」


 倉橋の敗北は揺らがない。いまさら何をしようと、涼は言葉にしたように正義の鉄槌を下すだろう。


「お前が監視官になることなど、誰も想像していなかった。望んじゃいなかった」


 認めよう。これは完全な敗北だ。


 倉橋●●はたしかに確固たる自己がない。だから誰にでも成れた。


 そしてだからこそ、誰よりも他人の才能を正しく測れた。


 あるべき未来を鮮明に想像できた。


「ここで俺を殺して誰がお前を称賛する? また仲間を死に追いやって、誰がお前を褒め称えてくれるんだっ!?」


 自慢の弟子を、宮藤カイが殉職してから倉橋●●の人生はすべてが狂った。


 任務は失敗が続き、負債を負い、荒れ果てた彼を支えてくれた妻と子も離れていき、最後には犬の身体へと堕ちていった。


 耐え難い寂寥感はやがて復讐心へと姿を変え、その矛先は秘かに涼へと向けられた。


「お前がっ……お前がさえいなければっ。あの子がテメーなんぞの監視役になっていなければ、宮藤は今頃は立派に成長してっ……!」


 知らず、涙が零れていた。


 つくづくよく出来た式神だ。


 どれだけ無力感に苛まれようとも、どれだけ悲観に暮れようとも流れることはなかった涙が、よりによっていま零れてきた。


「お前が憎い、貴様こそが悪だッ、宵波涼ッ! 何よりも眩い未来を潰したお前がどうして正義(アストレア)を名乗って……──」

「──煩い」


 感情を剥き出しに叫び散らす倉橋の口へ、涼は踵を落した。


 これまで数多く葬って来た犯罪者の戯言を遮ってきたように。歯もろとも顎を砕き、呼吸すら許さない。


「確かに俺は宮藤には遠く及ばない。才能も、努力も、志さえ、何一つとして勝るものは無いだろうな」


 天才。宮藤カイを語るにはこの一言で十分だ。


 涼の中に彼女と過ごした思い出は少ないが、宮藤という人間は誰よりも眩く、誰よりも愛され、そして人一倍泥臭く努力していた。


 倉橋が心酔してしまうのも、涼も少しは理解できる。


 だからこそ、涼はこの愚か者に酷い嫌悪感を覚えずにはいられない。


「聞くつもりは無かったが、最後に一つだけアンタに聞いておきたいことがある」

「……!?」


 煙草の煙が吐き出され、一瞬お互いの顔が隠れた。

 そしてこの事件を引き起こした倉橋のもう一つの弱さを、涼は暴き立てる。



「それだけ宮藤を想っていたのなら、なぜアンタはあいつに──他の誰を犠牲にしても生きろと命じていなかったんだ?」



「────────────……あ」


 消え入りそうな没我の声が一度だけ漏れた。


 抵抗する力が一切消え、復讐に燃え盛っていた魂はいまや剥き出しとなり、隠されていた醜さが露呈した。


「あいつに高潔な夢を見るだけみて、そのくせアンタは自分が汚れることを疎んだわけだ。他人に寄生するしか生きる道がないのなら、なぜ死力を尽くして守らなかった。宮藤の栄光を確信していたのなら、なぜたかだか数百人の乗客の命を切り捨てるよう洗脳しなかった。その独善をお前はどうして貫き通せなかった」


 煙草を握りつぶした涼の視線はもうかつての先輩を見ていなかった。


 左手の手袋を外すと、その中から一輪の彼岸花が姿を現した。


「あの日の宮藤にも、一人で逃げる選択肢はあったはずだ。だがそれでも彼女は戦って、多くの人々の命を救ってみせた。卑しいだけの貴様がこれを否定するな」


 微笑む連鶴が肩越しに花へと触れると、その輪郭が崩れ、花は液状となってドロリと掌に溜まる。


 赤服の呪い──その原液をそっと涼は零した。


「さようなら、倉橋……いや、どこかの誰かさん。その魂、輪廻を外れて悉くこの赤に沈め」


 血のように赤い液体が淑艶の躯体に触れた瞬間、呪いは瞬くに全身を侵食していった。


 声にならない絶叫も涼の踵に阻まれ、もがき苦しむ霊体は破壊し尽くされる。


 再生も転生も許さない、理に底なしの穴を穿つ一方通行の死が、この赤服だ。


 やがて踏みつけていた脚がふっと抵抗を失い、地面へと落ちた。


 視線を戻せばそこには淑艶の着物が赤く染まり、力なく横たわっていた。霊体であるそれすらも直ぐに崩れ、やがて赤服の器である連鶴へと取り込まれていく。


 周囲には涼以外の人物はおらず、不気味なほどに静まり返っていた。


「恨むか、宮藤?」


 リボンに触れ、親友になったかもしれない少女が死んだ空を見上げた。


「恨むなら、殺しに来い」


 独白は冷え冷えとした月光に吸い込まれる。


「それでもお前が生かした命だ。無意味に終わらせてはやらない」


 戦いはまだ終わっていない。


 涼は連鶴(あかふく)を従え、雀たちが戦う屋敷へと走った。


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