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四章・二十三節 開戦

 十六夜の月が薄雲にかすれ、月光が青白い静謐を示す。


 街では赤い回転灯のけたたましいサイレンが響き渡り、白き花々に貪られた死へと向かっていく。


 煌々と文明の光が絶える事のない街並みにおいて、あの赤い明滅は不吉を知らせる凶星だ。


 もっとも、戦争でもない限り多くの人間にとって、何処で誰が死のうと所詮は他人事だ。


 翌日の学業を都合よく忘却し、天体観測に夢中になっていた建人もそれは同じ。


 ただ彼が他の人々と少し違ったのは、偶然にもそれを目にした事だろう。


 警備員から見えない位置でこっそりと屋上に居残っていた彼は、日付を跨ごうとしていた夜の校舎から、その魔性を目撃してしまった。


「あれは──」


 ふと目の端に捉えてしまったそれを確かめるために、空に向けていた望遠鏡を地上、悪名高き洋館へと続く坂道に向ける。


 拡大された視界に捉えたのは、見目麗しい二人の人。


 一人は見知った顔だ。建人より一学年下の後輩。美少女と見紛うほど線の細い少年、七榊響だ。質素なワイシャツとショートパンツから覗く剥き出しの義手と義足が相まってか、普段の悪戯心が透ける印象に加え、どこか退廃的な臭いを醸し出していた。


 そしてもう一人を認識した瞬間、建人は激烈な拒否反応に襲われた。


「ううっ……!」


 頭蓋が軋むような頭痛が突き抜け、肺腑が不快感に蕩けそうになる。


 蹲った建人は頭痛に苛まれ、網膜に焼き付いた魔性にただひたすら困惑した。


 何処となく響に似たもう一人は、外見だけ切取れば理想的な大和撫子であった。遠目からでも分かる仕立てのよい着物は勿論、髪飾りや小物にいたるまで彼女の魅力を引き立てている。


 だが、襟元から覗く月下美人を認識した瞬間、全てが根底から瓦解した。


 麗しい外見とは似ても似つかない醜悪な化物が、あの少女には巣食っている。


 危険だ。関わるべきではないと、建人の何かが警鐘をがなり立てる。


 望遠鏡を片付けることも忘れ、建人は屋上から逃げるようにして走り去った。




「──?」

「どうかしたかい?」


 神崎邸への道中、唐突に立ち止まり街の方を睨む倉橋に、響は首を傾げる。


 街の喧騒は随分と遠く、つい今しがた終電の列車がホームを飛び出していった以外、響には特段変わったところは見受けられない。


 響の問い掛けに倉橋は答えず、暫くその場に留まっていたが、やがて踵を返して再び坂を上り始めた。


「いや、何でもない。少し過敏になっているだけだろう」


 少し先を行くその後姿を眺め、響は艶然とした笑みを浮かべた。


 よくもまあ、見事に適合してみせたものだと。


 いまの倉橋は惚れ惚れするほどに《七榊響》を手懐けていた。変質の霊力は完全に掌握され、式神淑艶に人間以上の精度で結びついている。


 霊基の階梯そのものが一般的な術師のそれとは数段上がっており、彼が通り過ぎた大気中の霊子が励起し、うっすらと燐光を放つほどだ。


 ともすれば、霊能力者の頂きを目指した七榊の理想にさえ、倉橋は既に達しているかもしれない。

 名実ともにいまの倉橋は第六子の七榊といって差し支えないだろう。


 響としては《七榊響》を手放したことに何の未練もないが、ああまで完璧に乗りこなされては流石に少々嫉妬を覚えてしまう。


「それでいて尊大になるわけでも、奢るわけでもないんだから妬けちゃうよね」

「何か言ったか?」

「いいや。何も」


 振り返る倉橋に、響は掴みどころのない笑みで受け流した。


 妬ましいのは事実だが、予想通りの結果でもあった。


 ──響にとっては退屈なまでに。


「一つ確認しておくが、宵波は俺の獲物だ。異論はないな?」


 背中越しに倉橋は響に告げる。


 倉橋が持ち出したのは出立前に両者の間に交わされた取り決め。


 神崎邸の襲撃において、響の獲物は雀と照であり、涼は倉橋が頂くという約定。


 明け透けな執着に失笑が零れそうになるのを堪え、響は大仰に頷いてみせる。


「もちろん、好きにするといい。多分、向うもその気だろうしね」

「はっ。それなら手間が省けていい。邪魔だけはするなよ」

「しないしない。お互い自由にやろう」


 元よりそのつもりだと、倉橋は淑艶の小さな鼻を鳴らす。


 彼等は利害関係ですらなく、ましてや仲間でもない。基本的には他人だ。


 街へ解き放たれた殺人花・月下美人が元の身体を求め、人を襲い、喰らい、彷徨った果てに行き着いたのが倉橋であっただけだ。


 響から協力や共闘を持ち掛けたことも無ければ、その逆も当然ない。


 こうして両者が肩を並べているのは、単なる成り行きである。


 しばらくの間、街灯も碌にない坂道を登り続けた。


 原生林を切り抜いただけのこの坂道は昼間でも薄暗いが、夜になれば闇を一層濃くする。


 不気味なほどの静寂が横たわるこの中であれば、木々の間を駆ける無数の荒々しい息遣いに嫌でも気付くことだろう。


 それらは響たちから一定の間隔を保ち、夜露に湿った地面を蹴り付ける。


 やがて響たちの身の丈の二倍はあろうかという古風な門が見えた。


 二人が門前に差し掛かると、門はひとりでに開き倉橋と響を迎え入れる。


「やる気満々だね」


 楽し気に口笛を鳴らす響とは対照的に、倉橋は表情を険しくした。


 敵を自ら受け入れるということは、雀たちは当然として涼にも倉橋を叩き潰す用意があるということを、暗に示していた。


 もう少し安っぽく、尚且つ過激に表現するならば──


『来れるものなら、来てみろ』


 といったニュアンスの挑発だ。


 響は仁王立ちでふんぞり返る雀を想像し小さく吹き出し、倉橋は草葉の影のフットライトに赤いラッピングリボンを見付け、奥歯を鳴らした。


 言うまでもなく、引き返すという選択肢は有り得ない。


 ためらいなく敷居を越え、針葉樹で囲まれた石畳のアプローチを抜けていく。


 やがて見えたのは二人も見慣れた神崎邸だ。


 人気は無く、罠が張られた形跡も気配もない。


 警戒する倉橋の前でまたしても重厚な玄関がひとりでに開き、二人を中へ誘う。


 見える範囲に細工が仕込まれた様子もない。しかしまず間違いなくこれは涼たちが仕掛けた罠であろう。


 どうするか倉橋が逡巡している間に、響はさしたる迷いもなく中へと踏み込んでいった。


「ちっ……まあいい」


 経験と訓練に裏打ちされた感覚に反するが、倉橋も響に続き誘いに乗る。


 玄関を潜った直後に扉が閉まる──という映画でよくある演出はなく、二人は誘われるままにロビーへと進んだ。


 動きがあったのは、二人がちょうどロビーの中央に差し掛かった辺り。


 ペタペタと、気の抜けた音が聞こえたかと思うと、居間へと続く廊下からそれは現れた。


「ペンギン?」


 あからさまに怪しくも、響は小首を傾げずにはいられない。


 真っ白い腹と艶ののった黒毛。たっぷりと蓄えた羽毛と脂肪で首が埋もれたその丸いフォルムは、南極大陸の代名詞ともいえるコウテイペンギンだ。


 一羽ではなく二羽のペンギンが近づいてきた。一方はペンギン独特の左右に身体を揺らすような歩き方で、もう一羽はその後ろで腹這いになって滑っている。


 念のために明らかにしておくが、ここは南極でもなければ水族館でもない。


「あれは──」


 倉橋はそのペンギンに見覚えがあった。しかし重要なものとして認識していなかったのか、覚えがあるという以上の記憶がない。


 ペンギンたちは響たちの前で立ち止まり、何か珍妙なものに出くわしたように首を伸ばしたり縮めたりしている。


 警戒心が薄いのか、ペンギンたちは響に撫で繰り回されるがまま逃げようともしない。


「彼、そういう式神も造ってるのね」


 不意にロビーに鈴を振るような可憐な声が降ってきた。


 倉橋が視線を巡らせたその先には、いつの間にか二階へ続く階段に王陵女学院の制服姿の雨取照が立っていた。


 コの字に折れ曲がる階段の踊り場まで降りて来た照は、ちょうど差し込んでいる月光の下で制服の裾を摘み、優雅に一礼。


「ご機嫌よう、七榊君、そして倉橋さん」


 歌劇の一部を切り取ったようなその光景に、思わず倉橋は息を呑んだ。


 あるいは気圧されたと言った方が正しいかも知れない。


 つい先日、倉橋は雀共々、彼女を手ずから死ぬ寸前まで追いやった。


 だというのに、照は少なくとも外見上は完全に傷を癒し、敗北の恐怖をおくびにも出さず、慇懃な姿勢で現れた。


 これを不気味と言わずして何と表す。


 ハッと倉橋は我を取り戻し、眦を決して照を睨み上げる。


「やあ照、今夜は月が綺麗だね」

「ええ。月は綺麗ね」


 一方、響はペンギンを愛でながら挑発を口にするも、照は小手先の言葉遊びをさらりと受け流す。


 有名な告白文にあやかった協力関係の断ち切り。不要であることは明白でも、こうして言葉にすればお互い後顧の憂いも無くなるというもの。


「で、この子たちは宵波監視官の式神なの?」

「そう。お掃除式神シリーズ、自立型掃除機モデル・コウテイペンギン。商品名はペンギンスイーパーって言うらしいわ」

「……あの失敗作か」


 響が興味津々にペンギンの詳細を訊ねると、照は平坦な声音で簡潔にその商品を説明した。倉橋も埃を被っていた記憶を掘り当て、呆れたような声が漏れる。


 以前、涼が珍しく大々的に売り出していた動物型式神、それが『お掃除式神シリーズ』だ。


 商品名の通り、戦闘ではなく家事用に設計されたもので、普通の家電と同じ様に電力で動く仕様。


 ただ何千万、下手をすれば億単位で買い手が付く人型と異なり、実はこの式神シリーズはさっぱり売れなかった。


 というのもモデルとなった動物の生態まで忠実に再現してしまったことで、期待された働きが全然出来ないのだ。


 例えばいま現れたペンギンは掃除機だ。その設計思想は、氷の上を滑るようにして、羽毛で床の埃や髪の毛を絡め取る、というものだ。


 が、ここで高い再現度が裏目に出た。


 いかんせん自由気ままに動き回るのが動物というものだ。一羽二羽では虫食いのように掃除されるばかりで、おまけに普通に歩かれたら機能はもちろん死ぬ。実用性はほぼ皆無。


 さらに動物の身体に無理矢理家電機能を搭載したことで、消費電力も馬鹿にならないというから救いようがない。


 他のモデルも似たり寄ったりであり、発売間もなくして絶版となった悲しき商品だ。


「──こんなガラクタを引っ張り出してきて、お前たちは何をしようというんだ?」


 剣呑な色を瞳に浮かべて倉橋は照に低い声で問いただす。何処かで様子を伺っているであろう、涼と雀に対しても怒りをぶつけるように。


 自ら敵を招き入れるものだから、どんな策を講じてくるかと警戒を張り巡らせていた倉橋からしてみれば、侮辱に等しい仕打ちだ。


 照は丸腰で現れ、差し向けられた式神は役立たずの玩具。


 抑えきれない殺気が霊力を伴って倉橋の身体から漏れ出し、霊子が放つ燐光の明度が増していく。


 危機を感じガーガーと騒ぎ出すペンギンとは異なり、照の表情は何処までも涼やかで、本気だ。


「もちろん、貴方たちを倒すつもりよ」

「餓鬼が。世迷言も大概にしろッ」


 我慢の限界だと。約定も忘れ、いまにも飛び掛かりかねない勢いの倉橋を、照の次の一手が制した。


「響。貴方が掃除当番をサボったせいで、屋敷は随分と埃っぽくなってしまったわ」

「ん?」

「これはその罰よ──」


 パチンっ、と照が合図の細い指を弾いた。


 変化は劇的だった。


 喚き散らしていたペンギンの羽根が逆立ったと思った次の瞬間、爆発したように式神から煙が噴き出した。


「わっ、なに、げほっげほっ……!」

煙幕(スモーク)っ!?」


 煙は瞬く間に響と倉橋を飲み込み、ロビーに充満していった。


 これこそが涼たちが用意し、心ばかりの悪戯心が加えられた反撃の第一手。


 ペンギンたちから放出されたのは正確には煙ではなく、人の皮膚やダニの死骸、化学繊維の滓といったゴミ。


 即ちペンギンたちがせっせと働いて集めたハウスダストである。


 即席の煙幕は月光の乱反射でさらに視界を塞ぎ、響と倉橋は反射的に脚を止め身構えた。


 それこそが涼たちの狙い。


 屋根に隠れていた涼と雀が採光窓をぶち破り、強襲を仕掛けた。


「ふっ──!」

「はあッ!」


 涼の踵落しが倉橋の頭上に、雀の大上段からの回し蹴りが響の肩へ炸裂した。


 なんの術式も介さない純粋な物理攻撃の前には、変質の霊力も無論のこと、エーテルでさえ無力。


 だが響たちも流石といえよう。完全な不意打ちにも拘らず、二人は僅からながら身体を捻り、衝撃を逃がしていた。


 それでも的確に頭部を狙われた倉橋のダメージは殊更に大きかった。一時的なものではあるが脳震盪に陥り、意識が一瞬混濁する。


 その隙を逃す涼ではない。


 着地と同時に涼は手袋に内蔵した鋼線で倉橋を縛り上げると、力任せに引き摺り外へ飛び出した。


「後は手筈通りだっ、神崎! 雨取!」

「くっ……! 宵波、貴様ッ」


 予め外に待機していた車が式神栗鼠たちによって急発進。肩越しに雀と照に叫びながら、涼はルーフに飛び乗ると、倉橋を引き回し刑にして屋敷から猛スピードで離脱していった。


 一対のテールランプの赤い光は瞬く間に闇へと消え、唸りを上げるエンジンと倉橋の雄叫びが木霊した。


「さあて、お仕置きのお時間よ。今降参するなら家政夫として強制労働の刑で済ませてあげるけど、色よい返事は期待出来るかしら、響君? 特別に宵波君を教育係に付けてあげるわよ」

「……う~ん。交渉するつもりがあるなら、蹴らないでほしかったな」


 ロビーの煙が晴れ、もう一枚の対戦カードがここに成立した。


 雀は指の骨をポキポキ鳴らしながら、全くその気のない慈悲を告げ、響は苦笑を零しながら服の埃を払う。


 気付けば照はロビーから姿を消しており、気配ともども響は見失っていた。主戦闘は雀が担当し、照は後方支援に徹する作戦なのだろう。


「ん~……対戦カード自体は予想通りではあるけど、正直完全にしてやられたって感じだね」

「へえ。意外と素直ね」

「正直は一生の宝って言うしね。これって僕を倒すための最初の一手だろうし、見事にハメられればそりゃあ称賛は惜しまないさ」


 響はパチパチと拍手を送り、雀から小さく舌を打った。


 完全な奇襲を受け罠に嵌ったと承知しておきながら響の余裕は崩れない。エーテル使いとしての単純な実力差がそうさせるのか、あるいは単なる挑発か。


 何にせよ、やはり一筋縄ではいかないようだ。


 深呼吸を一つ。真っ直ぐに伸ばされた雀の腕に魔力光が迸り、一拍遅れて回転弾倉を思わせる術式陣が展開。この戦いのために用意した六発の特殊魔弾が放つ魔力の奔流が、月光を押しのけ響に牙を剥いた。


 かつて照の編纂魔術を力技で揺るがした雀のとっておきだ。真面に受ければ、例え重量級の戦車の装甲であっても即座に蒸発することだろう。


「わおっ。流石は火力馬鹿。ふざけた魔力量だね」

「その余裕、直ぐに引っぺがしてやる、このぐうたら響!」


 啖呵を切ると同時に、雀はいきなり特殊魔弾を二発撃ち込み、開戦の狼煙とした。


 特大の火柱が二柱空へと突き上がり、五輪市を震撼させた連続猟奇殺人、その最終幕がここに開幕した。


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