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四章・十八節 倉橋/淑艶

 式神・淑艶。


 宵波涼が手掛けた連鶴、常磐津と同じ牡丹シリーズの末妹機体。


 人間と見紛う完成度は無論のこと、シリーズ全てに固有の能力が与えられており、淑艶は固有能力とは別にもう一つ、彼女にだけ特殊機構が搭載されている。


 ──半永久機関。淑艶は周囲の動植物や霊脈から少しずつエネルギーを取り込むことを可能としている。


 開発当初のコンセプトに『二十四時間御奉仕します』を強制させたフランチェスカの私欲によって実現された機構だが、性能は破格だ。何しろ起動さえしてしまえば後は術者不在であっても理論上は活動限界に至らない。


 単独での戦闘能力こそかなり低いが、式神の永遠の難題であった活動限界というアキレス腱を克服したことは、既存の式神との大きなアドバンテージだろう。


 半永久機関の技術自体は確立されて久しいが、搭載できるのは虫型の式神が精々。人型に搭載出来たのは涼の淑艶が初めてだ。


 理論上これに乗り移った倉橋は寿命の楔から逃れた半不死となり、人間の知性を宿した新たな生命に名乗りを上げたこととなる。


 しかして彼の目的はここに非ず。響が手放した『七榊響』を取り込んだ先にあり、原点は三年前に遡る。


 完璧な肉体は手に入れた。あとは強力無比な力を手中に収めるだけである。


 そしてそれは半ば達成されているに等しい。


 照は最早左腕の月下美人を抑え込むだけで手いっぱいであり、とてもではないが倉橋の絞首を撥ね退ける余力は残されていない。


「おい翡翠の嬢ちゃん、約束通り七榊の《変質》は頂くぞ。今更文句は言うなよ?」

「言いませんけど、早くしてください」


 トドメこそ刺さないが翡翠は雀を見張り、微かでも雀が抵抗の素振りと見せると傷口に爪先を捻じ込みいたぶる。気迫だけは衰えない雀であっても、経験した事のない激痛の前では碌に魔力を練ることも出来ず、出血と共にそれさえ叶わなくなりつつある。


 邪魔が入らない事を確認した倉橋は照の左腕に空いた手を伸ばし、しかし強力な封印術で弾かれた。


 照の左腕はいま月下美人を封じ込めるために何重もの強力な封印術と結界で押さえ込まれている。偏に倉橋に渡らないために、自らを檻にしたのだ。


 なけなしの魔力を首に集中させることでギリギリ拮抗に持ち込めているのは、魔力と霊力のエネルギー差のため。


 だが無理な肉体強化は筋肉と骨を急速に摩耗させ、先程以上の激痛が照の脳を痛みで焼いていく。


「意地でも渡さないか……まあテメーが呼び込んだ厄ネタだからな。それがケジメってもんだろうが、こっちは力勝負に付き合う義理は無いんだぜ雨取の嬢ちゃん」


 左腕にどのような封印が施されているか分からない以上、倉橋は安易に照を絞め殺すことも躊躇われる。下手に干渉すれば手痛いしっぺ返しを食らう恐れがあるからだ。


 人間の身体を取り戻したとはいえ、倉橋に封印術を解呪できる技量は元からない。


 ただしそれはお行儀よく封印術を引っ剥がすとすればの話。


「おい左腕を諦めるなら今の内だぞ。今からやることは相当な地獄だからな」


 パチンと倉橋の指を鳴らすと、何処からともなくヒタヒタという無数の足音と唸り声が近づいてきた。照たちを囲む爛々と輝く瞳。それも十や二十ではない。


 野犬の群れ。血肉に飢え、最も純粋な本能である食欲を剥き出しにした獣たち。あばらが浮き出る程に痩せこけた奴らの視線は、如何にも仕留めやすく転がされた二人の少女に集約されていた。


 一人は腹から血肉を零し、一人は獣を呼び出した主に拘束されている。


「ま、ず……」

「……っ!!?」


 古来から要求を強制する手段というのは限られている。間違いなく人類の闇であり、皮肉にも倉橋が語った綺麗ごとでは済まない正義の象徴。


 精神的にせよ肉体的によるものにせよ、これを拷問と呼ぶ。


 ただし此度のそれに自白を強要するものではなく、簒奪である。


「やれ」


 そしてあっさりと獣たちの鎖は解き放たれた。


 三十は下らない数の野犬の群れが一斉に雀と照に襲い掛かった。


 蹂躙と称して差し支えないだろう。


 少女達の柔肌は牙と爪に引き裂かれ、飛び散る血肉の匂いと味が更なる興奮を呼び、悲鳴ごと咀嚼されていく。


 抵抗は倉橋と翡翠が許さない。刻一刻と人の形を失っていく。


 最初に力尽きたのは照であった。


 多勢に無勢とはこのことだ。必死の抵抗も運命を僅かに先延ばしするに過ぎず、真っ先に経絡系が傷つけられた事で封印術への魔力供給が断たれてしまった。


 瞬間、押さえ込んでいた月下美人が噴出し、獰猛に笑った倉橋が照の左腕に手を掛けた。


「          」


 凄まじい激痛故か、その時照の視界から色が失せた。


 見上げる白と黒の世界の中で照が見たのは、噴水の様に血を撒き散らす引き千切られた左腕が、まるで待ち望んでいたかのように倉橋に受肉していく光景。


 完成された人体でありながら、実態を伴わなかった式神・淑艶に七榊響という中身が備わっていく。


 《変質》を取り込めば即崩壊するであろう式神はしかし、倉橋という操り手によって崩壊を免れるどころか、生命の原理さえ超越した。


 転生と称しても差し支えない全く新たな生命として、倉橋はここに生まれ落ちた。


「くふふ、あっははははははっ! 素晴らしい、素晴らしいぞ宵波、七榊ッ! どんなに優れた術師に憑依しても、これほどの高ぶりは覚えなかったぞ。これが人か、此れが世界かッ! この全能感、まるで世界を見降ろしているかのようだッ」


 恍惚に打ち震え、自らの身体を掻き抱く。


 誇張でも何でもなく、響が御し切れなかった七榊の呪詛は完璧に淑艶と結びつき、その霊格を何段階も引き上げていた。


 それはつまり最高傑作と謳われた七榊当主の呪詛を正しく継承した事を示し、存在しない第六子の七榊の生誕であった。戦慄すべきは未だ四分の一を取り込んだに過ぎず、増長は寧ろここからが本番であるという事実だろう。


 雀と照がこれを阻むことは最早叶わない。


 生きたまま野犬に食い殺される末路が待つばかりであり、終着点は直ぐそこだ。


「倉橋、あまり浮かれないように。その力は兄様のものですし、身体も盗品でしょう。貴方の力ではありません」

「……ちッ、せっかくいい気分だってのに水を差しやがって。まあ浮かれない様にてっのは最もだな。あんまりトロトロしてると夜鷹殿が動くかもしれん」


 得体の知れない魔女(よたか)を相手取るのは現状であっても不安が残るのか、反発しながらも倉橋からすうと笑みが引く。


 憑依を得意とする彼だからこそ自己制御の術に長けているのだ。如何に優れた身体を手に入れようと全てを完璧に制御するには長い年月が必要だであり、経験で補えるものではない。


 とりわけ今の様に新たな身体に憑依した直後であれば尚更。監視官としての経験がその場で油断や慢心を切り捨てさせる。


「つーわけで悪いな嬢ちゃんら。身体の調整がてら、ここで死んでもらうぜ」


 野犬の一匹に括りつけていた自動拳銃を手にし、倉橋は野犬を下がらせて照の上に跨った。


 久方ぶりの銃の感覚を思い出す様に慎重に構え、確実に照の眉間に照準する。


 一メートルと無い距離はブランクがあれど必中を約束し、照には残酷な詰みを突き付ける。


「て、てる……にげ……ああッ!」

「………………」


 雀のか細い呼び掛けも捕食の前に掻き消え、既に照の意識は堕ちかけていた。


 魔弾の射手、編纂者。アストレアであってもトップクラスの戦闘力を示すであろう稀代の魔術師二人の末路がこれだという。遺体は無残に喰い尽くされ、僅かな骨と肉片となって明け方にはカラスに啄まれる事になるだろう。


「あばよ」


 無慈悲にも、引き金は絞られた。


 雷管を叩かれた弾丸は火薬の燃焼によって生み出されたエネルギーを十全に受け、亜音速となって照の眉間へと走る。


 必殺だ。


 誰であろうと疑うはずのない絶対が覆るとしたら、それは奇跡ではなく──理不尽に等しい力によるものだろう。


 刹那。放たれた弾丸は照へ達する手前で、超高速で飛来した何かによって弾かれた(・・・・)


「なっ……!?」

「──っ?」


 反射的に身構える倉橋の脇を擦過した何かは後ろの野犬を消し飛ばし、着弾した道路が爆撃を受けたように吹き飛んだ。


 ここに比喩は無い。


 運悪く被弾した野犬は脚と僅かな胴体を残して粉砕され、その先の爆心地にはクレーターが見えた。コンクリートやアスファルトの破片が雨あられと降り注ぐ中、更にもう一発の砲撃が雀に群がる野犬を粉々に砕く。


 誰一人状況を正しく把握できるものはおらず、倉橋と翡翠でさえ身を屈めるのが精々。


「誰だッ。姿を見せろッ!!」

「──ッ」


 即時臨戦態勢に入った倉橋と翡翠が追撃に備えた。各々が最も得意とする速度重視の術式を起動し、姿が見えれば有無を言わさずに攻撃を叩きこむ構えだ。


 二人の最大限の警戒とは裏腹に、その人物はごく普通に姿を現してみせた。


「ギャアギャア煩え。いま何時だと思ってやがる。発情期の猫でももう少し場所を選ぶぞ馬鹿野郎ッ!」


 道端に捨てられた空き缶をその人物が蹴り付けると、缶は爪先を離れる前に潰れきり、即席の金属塊となって冗談のようなスピードで倉橋に襲い掛かった。


 三度目であったことが幸いし、辛うじて避ける事に成功こそしたが、元空き缶は電柱を一本ぶちぬいて彼方へと消え去った。


 送電線が引き千切られ、周囲一帯から明かりが失せる。


 肉体強化の魔術を施しているのだろうがそれにしても出鱈目に過ぎる。先程の野犬たちは脚遊びに等しい一撃で蹴散らされたというのか。


「なんだなんだミステリアスな美人が二人に、見知った顔が血塗れどころか死にかけじゃねえか。どうしたよ神崎。お前ともあろう奴がらしくなく地べたに突っ伏してるじゃねえか」

「……っ、そのこえ、は」


 朦朧として状況が分からなかった雀はそこで初めて自分達を窮地から救った人物が誰であるか認識した。


 彼の実力を知る雀はこの結果に納得する一方で、何故ここに駆け付けたのか理解が及ばなかった。


 当然だろう。何しろ彼は魔術師であっても部外者だ。今日という日は酷く寝つきが悪く、漸くやって来た眠気でうとうとと一番気持ちのいいところを、がなり立てる携帯の着信で叩き起こされたのがついさっき。


 皺が寄ったTシャツに半パン、ビーチサンダルというラフ過ぎる恰好がありありと寝起きである事を物語っている。いつもは派手に跳ね上げている赤と銀の髪もボッサボサ。覇気の欠片もないが、安眠を邪魔された事で日頃から悪い目付きは輪をかけて最悪である。


「何者だ、餓鬼っ」


 倉橋は彼を知らない。この街にもう一人規格外の魔術師がいたことを。


 彼が傍観者の立ち位置を好み、一連の事件から一線を引いてきたという理由もあるが、単純に倉橋が雀の監視担当では無かったからだ。


「見りゃ分かんだろ。喧嘩っ早い唯の餓鬼だ。まどろっこしいのは無しにして、()るか戦らねえか五秒で決めな。その気が無えなら、とっとと後輩の前から失せろ。俺はねみーんだ」


 先程飛び散った瓦礫を適当に拾いながら、彼はメンチを切った。言葉は軽いがたったいま拾い上げた石ころを一斉に投げ付ければ、人間程度一瞬でバラバラになる。


 照が証明してみせた様に月下美人は人間と術式の天敵に成り得るが、圧倒的な物理的暴力の前では無力。翡翠が動いた所で根こそぎ薙ぎ払われるのが運命だ。


 たった一人の介入で勝負の土台が根底から覆されていた。


 その時、雲間から月光が差し込み、夜陰に隠れたその人物を暴き立てる。


「かい……ちょ、う」


 倉橋たちのアキレス腱を突くように現れたのは、涼の救援要請に応じた五輪高校生徒会会長──百瀬智巳だ。


 百瀬智巳。

 作者の中では作中で最強格の一人です。

 魔術師で術式は単純な肉体強化のみですが、一章と三章に登場した人獣でも拳骨2~3発で粉砕されます。小細工無しでバチくそに強い人。

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