一章・十節 魔弾の射手
「一般人!? どうして結界に人が入ってくんのよっ!?」
焦燥に逸る声は魔弾の射手からだった。
全魔力を継ぎ込んだ渾身の一射に手応えを感じる間もなく、闇夜を斬り裂いた絶叫。
冷や汗を浮かべた射手はボロボロになったローブを脱ぎ捨て、欄干へ駆け寄った。
欄干に乗り出す魔弾の射手は建人と同年代と思われるうら若い少女。
モデル級の容姿とプロポーションを除外すれば何処にでもいる女子高生。とてもではないが先程まで機関銃の如く魔弾を撃ちまくり、人外の怪物と死闘を繰り広げていたとは思えない。
普段は美麗に整っているだろう相貌が、橋下の光景を前に苦渋に歪む。
やはり一般人だ。
魔弾の射手が撃ち飛ばした人龍が河川敷まで達し、轢殺されんとした短髪の少女を飛び出してきた少年が身代わりとなる形で突き飛ばした。短髪の少女は川へ落ち助かったが、少年が人龍の影に隠れるとほぼ同時に地鳴りを伴う轟音を撒き散らし、巨体は河川敷に落下。緩い角度で着陸してしまったために勢いは完全に死なず、大量の土砂を巻き上げながら巨体は河川敷を横断。四十メートル以上進んだところでようやく制止した。
そのまま人龍はピクリとも動かず、胎動していた魔力も霧散し始める。
しかし同時に少年の姿も消えたまま。
「まずい……とうとう犠牲者が出ちゃった。どうしよう」
前髪を掻き毟る少女はズルズルとへたり込んでしまった。
故意ではないにせよ、この結果は彼女が行使した魔術に起因するものだ。魔術師となった日から可能性の一つとして覚悟していたが、この現実を直視するには彼女は若すぎる。
どうするべきか混乱する頭を必死に回すが、彼女は既に疲労困憊の身。碌な対応策が浮かばない。
恥を忍んで彼女に付いている“監視役”に協力を仰ぐしかないと顔を上げ、そこで瞠目する。
「嘘っ。まだ生きてんの……!?」
萎えた自分を叱咤した少女は膝立ちになり、腕を前へ突き出す。
照準は肉塊となった人龍。
信じがたいことに人龍は息絶えていなかった。
少なくとも死に体であることは間違いないが、体躯を捩り苦悶を漏らしている。体外に飛び出した血管から血が噴き出し、潰れた肉と轍を汚す。
「しつこいっ」
少女は残存魔力を総動員し魔弾を腕に装填していく。
途端に酷使し続けた腕から逆流する激痛を、少女は意地とプライドでねじ伏せる。痛いと嘆くのは後で幾らでも出来る。
指先の毛細血管が何か所も破裂していき、皮膚が赤黒く染まりネイルが裂けて弾け飛ぶ。が、これもきっぱりと無視する。
だが、それ以上の変化が人龍に起きていた。
病的なまでに白かった肌に毒々しい黒斑が浮かび上がったと思うと、その巨体を瞬く間に侵食していった。痙攣する巨体は侵食された場所からオイル状に融解していき、高濃度の“呪詛”を吐き出し始める。
――マズイ!
激しい狼狽に駆られ、腕のダメージを顧ず残された魔力を全投入。
あれはダメだ。あれほどの強力な呪いが炸裂すれば霊地にどんな影響が出るか分かったものではない。今すぐ消し飛ばすしかない。
しかし、残された魔力で果たして“あれ”を殺しきる事が出来るか、少女は確信が持てない。確実を期すなら、もっと別の手段があるのではないか。
「こんちくしょう。なるようになれ!」
乱暴に言い捨て、出たとこ勝負に賭ける。
魔法陣が展開され、照星を人龍へロック。小細工なしの火力勝負に打って出る。
少女が勝負を仕掛けるまで、時間にして一秒にも満たない僅かな逡巡。
しかし、これが決定的な隙となってしまった。
魔力を迸らせる少女をあざ笑うかのように、融解する人龍の体躯が風船のように急速に膨張していく。人龍の苦悶は既に途絶え、仕掛けられた“時限爆弾”がたった一つの存在理由を果たそうとしていた。
少女は逃げない。
毅然とした態度で眼前の爆弾を見据え、最後の意地とばかりに不敵に笑ってみせた。
ピシッという亀裂音を引き金に、大橋は爆炎の咢に呑まれた。