四章・十六節 対峙
まだ涼が五輪市へ発つ前。監視任務に抜擢された涼であったが、しかし義父・直嗣ら家族を始め師匠である氷杜監視官らにも猛反対されていた。
皆口を揃えて経験の浅さを理由に挙げていたが、本心ではない。
経験不足で任命されるほど涼の三等監視官という地位は甘く無いからだ。不足を補って余りある戦闘技能を有し、唯一無二の式神技術を駆使すれば決して荷が重い任務ではない。
結果こそ《赤服の呪い》の影響で前線を離脱こそしてしまったが、大きすぎるこのハンデも込みで監視官という地位が与えられたのもまた事実。
それは誰もが認める所であり、直嗣らも経験不足や実力を憂いたわけでは無かった。
彼等の危惧は鏡海の魔術師である神崎家でも、出生を追い切れない魔術の麒麟児である雨取照でもない。
涼が《宵波涼》となる以前の陰惨な過去との対峙を皆恐れたのだ。
「こんばんは、宵波監視官。それともお久しぶりと言った方がいいかな?」
京都駅前。
轟々と燃え盛る炎を背にし突如として現れた七榊響。
少女と見紛う彼の笑みには冷然とした影が顔を覗かせる一方で、瞳の奥ではこの邂逅に恍惚とした色が揺蕩っていた。
「こうして二人で会うのは初めてだよね。ずっとお話する機会を伺ってたのに、気付けば監視任務から外れてるんだもん。僕にだって挨拶の一言ぐらいあっても良かったと思うな」
いつもの砕けた姿勢に悪戯心が透ける甘い声音。
右脚を月下美人に侵される涼を前にして、世間話に興じるように響はごく自然体であった。
激痛に大量の冷や汗を流しながら、涼は敢えて響の会話に乗っかる。
「……不用意な監視対象との接触は避けるのが原則だ。それにお前の監視担当は倉橋さんだ。業務に差し障りは無い」
「任務から外れたんだからそんな仰々しい喋り方しないで、もっとフランクに行こうよ。紅鹿亭じゃ那月とは結構自然体に話してたじゃない。僕もあんな感じがいいな」
「同じ親しみやすさでも性根が異なれば得られる結果は違う。有澤は友愛を生むだろうが、お前のそれは打算と策謀からの演出だ。行き着く先は傾国に類するものだろうよ」
「へえ、人間以上に美しい式神の造形手の宵波監視官にそう称されるなら、僕の形質は本当にそっちに振れてるんだろうね。でも傾国は流石に誇大評価が過ぎるとも思うよ?」
「なら問うてやる。七榊響は己の形質を何と心得る?」
会話の間にも月下美人は着々と涼の胴体目掛けて根を伸ばしている。既に腿の半ば以上を侵食されつつあり、放出される妖気は刻一刻とその密度と質量を増長させていく。
月下美人が涼の霊力を変質させていく以上、時間経過に伴い術式での抵抗は難しくなる。一刻も早く花を摘出するか脚を切断せねば命が危うい。
全てを承知の上で右脚の惨状を思考の脇へ追い遣り、涼は響へ問い掛ける。
弾丸のように射抜いてくる涼の視線に響は気後れも見せず、愉快気に眼を細める。
「全ては九年前だ。僕らの御父様が頓死して、七榊家は没落寸前まで追い込まれた」
懐かしむように響が語るのは術師界を騒然とさせた事件だ。
父親が亡くなった痛ましい過去をしかし響は特にした様子もなく掘り起こす。
「知っての通り霊術はもう技術発展が殆ど見込めない痩せた土地だ。七榊家は随分と前から今日という未来を予知していたから、早くから対策に出ていた。先代たちが目指したのは霊能力者をベースにした魔術師とのハイブリットさ」
霊術は古くから研究が盛んであったために、現代ではほぼ技術は開拓され尽くしたとされている。一方で魔術は現代でも未知数であり、術式研究の主流は魔術に置き換わっているのが現状だ。
しかし一人の人間が霊力と魔力の双方を有することは有り得ない。これは自然の摂理であり、絶対の法則。幾多の術師の家系がこれを打ち破らんと研鑽に明け暮れ、悉くが失敗に終わった。
これを回避するべく七榊家は長い年月を費やして魔術師の因子を厳選し、血筋に取り込んで来た。金に物を言わせ、子孫を巻き込んだ品種改良は、結果として魔力に匹敵するほどの強大な霊力を生み出すことに成功した。
特に響の父は最高傑作と称され、先代とは二世代以上の格差が生まれる程に圧倒的な実力を有していた。その血は彼の子である響たちにも色濃く継承され、七榊家は所属していた聖王協会で確固たる地位を確立しようとしていた。
「でも魔術師の因子を取り込むことぐらい他の家も当然試みていた筈なんだよね。それこそ何十年、何百年も前から。でも七榊家だけは成功して他は失敗。ふふふ、なんでだろうね」
七榊家が人種改良に着手したのは精々が二百年前辺りだ。三十年で新しい世代が生まれたとしても、経過した世代は精々六~七が限度。霊能力者の家系である七榊家に本来相いれない魔術師の因子を組み込むには余りにも短すぎる時間だ。
──真っ当な手段では。
「僕たちがその絡繰りを知ったのは父が死んだ後さ。父の死を引き金にして発動した呪詛が僕らに七榊家の悲願を押し付けた。機能不全に陥ってた魔術の因子を呼び起こしてね。一人だけ別の呪いを受けてこの因果から逃れた例外はいたようだけど」
「……」
祖先から脈々と続く呪詛の継承こそが絡繰り。
七榊家は強力な呪詛を用いて無理矢理魔術師の因子を血筋に馴染ませ続けたことで、短期間で先代という到達点を生み出してみせたというわけだ。
無論、身体に掛る負荷は計り知れない。外法といっても差し支えない所業に耐え切れず命を落とした者は枚挙に暇がなく、そのため歴代の当主は幾人もの愛人を召し抱えていた。
最高傑作と評された響の父の完全喪失だけは是が非でも回避しなくてはならなかった故に、その子である響たちへの呪詛は殊更に重かった。
「──さてここで問題です。僕たちの身体は一体どうなってしまったでしょうか?」
義手で己を指差し、もう片方の腕を広げて響は芝居がかった調子で涼に問う。
当時の響はわずか八歳だ。小学二年生が全盛期を迎えた父の呪詛を受けどうなるかなど、筆舌に尽くし難い苦痛であったはず。
憐憫、同情、悲哀。
無関心を装うか、あるいは義憤心を刺激しかねない響の告白に対し──
「貴様らの業が深くなっただけだろう」
あっさりと、涼は突き放してみせた。
彼からしてみれば響の身の上話しなど興味もなく、そもそも全て承知していた事柄だ。
事の発端も過程のいずれも既知。七榊の呪詛が及ぼした結果は想像に難くなく、そんな涼の切り返しに響は頬を上気させた。
「流石は宵波監視官。そう、兄妹で程度の差はあれ父の呪詛は子供たちの業を露出させたんだ。もうちょっと厳密に言うなら本来霊力には無い筈の《属性》に近しい形としてだけど」
「お前が四肢を手放す羽目になったのもその弊害か」
「御明察」
温もりに触れることを奪われた機械仕掛けの手足を一瞥し、響は愉快気に笑う。
「さっきの問いに答えよう。僕の形質はね、《変質》さ。勿論これはそのまま属性にも置き換わるよ」
「ならやはり貴様がこの花の術者かッ」
今も尚、涼を蝕み続ける月下美人の花。
霊力の波長を狂わせることで術式を覆し、別物へと変容させる花の性質は正に《変質》そのものだろう。
銃を向ける涼に対し、響は焦るでもなく立てた人差し指を横に振って見せる。
「惜しいな。《変質》の霊力は確かに僕に端を発するけど、僕はね、僕であってもう《七榊響》じゃないんだ」
「……何を言っているっ」
「あはっ。分からない? そう難しいことじゃないさ。単に僕を七榊たらしめたのは父であり、そう在れと願ったのは先代たちの呪詛だ。つまり器か中身のどちらかが七榊かと聞かれれば、僕を含めて一族は間違いなく後者と答えるよ」
君とやっていることは同じだと、響は付け加える。
涼は最初こそ響の話に要領を得なかったが、それも響の最後の言葉で全てが繋がった。
「──四肢を材料にして七榊の呪詛ごと《変質》の霊力を切り離したか」
「御名答! もう分かっていると思うけど、文字通り僕の元手足がその月下美人だよ。それというのも何だかんだ言って変質の霊力は僕の身体を蝕んでね。こう見えても癌で四回も手術してるんだ」
響が裾をめくって見せれば、色白の肌には手術痕が痛々しく残っていた。
強すぎる霊力や魔力が身体に悪影響を及ぼすという症例は確かにある。
それでも精々身体への負担が他者より大きい程度であり、身体の成熟に伴い解消される事が多く、私生活に影響が及ぶとなれば極まれだ。
霊力が癌細胞を生み出すほど悪影響を及ぼすなど、少なくとも涼は耳にした事が無い。
「仕方なしに七榊の呪詛ごと変質の霊力を切り離したんだけど、でも宵波監視官ほどに良い器を用意出来なくてね。京都で一年以上かけて準備して、大規模な儀式までやったんだけど、用意出来た器は綺麗なお花が精々。月下美人はより相応しい器を求めて人を襲ってるってわけ」
「ふざけるなッ。結局貴様が主犯であることに変わりはないッ!」
連続猟奇殺人の真相がこれだ。
被害者の特異な亡骸は不出来な器に月下美人もがいた結果なのだろう。四肢の欠損は一際強い拒絶反応の表れか。その例に倣えば今涼に寄生しているのは元響の右脚であり、五輪で猛威を振るっているのは両腕という事になる。
弓削たちは京都に残されていた月下美人に行き着き、響の罠に嵌ってしまったのか。
「酷いなあ。僕自身は何もしてないけど? どちらかと言えば継ぎたくもない七榊を押し付けられた被害者だ」
「ほざけ。自らの形質が変質と言ったのは何処のどいつだ」
「おっと。そうだったね。失敗失敗」
余裕の表れか響は明確な敵意を向けられようが全く動じた様子はない。むしろ涼との直接対面を楽しんでいる素振りすらある。
反面涼は不愉快でしかない。眼の前に弓削監視官の仇そのものが立っているのだ。今すぐにでも撃ち殺してやりたい。
だが腹立たしくも涼にはまだ聞かねばならない事があり、引き金に掛けた指を全身全霊で抑え込んだ。
「お前がこの月下美人を作り出したことは分かった。だが何故それを五輪と京都に放った? よもやペットみたいに餌を与えるためかっ?」
「まさか。もうそれ自体に興味は無いよ。さっきも言った通り、僕自身はその花に何ら未練はない。でもそれに興味を持った奇特な術師がいたのさ」
「雨取照か」
「その通り」
涼の中で点と点が繋がり始める。
何故魔術師である照が響に研究の協力を要請したのかずっと疑問であったが、今までの話を顧みれば一つだけ筋が通る仮説が浮かび上がる。
難しいことではない。単に役者を変えればいいだけの話。
「……あの子も何らかの理由で自家中毒に陥っているということか」
「それじゃ五十点かな」
またもや響は否を突き付ける。涼の仮説では不十分であると。
「まあ残る五十点の正確なところは僕もぼんやりとしか知らないけどね。でも僕の未完成な月下美人を研究材料にしたがるからには、照をして解決できない因果があるんだろうね。それも遠い異国の地から五輪に渡って来るぐらいには」
「神崎家の鏡海と彼女が何らかの関わりがあるとでも言いたいのか?」
「さあ? でも頷ける部分はあるでしょ」
いささか発想の飛躍に過ぎるが、涼が脳裏に浮かべる仮説は響と同じ結論を示している。
夜鷹が照を強制排除しない事も信憑性を強めている、という見方も出来るのだ。
常人であれば余りにも突飛なこの仮説を一笑にふすだろうが、涼はこの話は十分にあり得ると感じていた。
彼もまた《赤服》という得体の知れない呪いに苦しみ、式神・連鶴という器を造りだすことで難を逃れているからだ。
しかし今までの話を考慮しても尚、いま一つ頷けない部分がある。
「何故雨取に協力して……いや、そもそもお前は大して七榊家を恨んでないな」
癌に侵され、四肢を失ったのにも関わらず、響には悲観した素振りも七榊家への憎悪の欠片も見せていない。
普通であれば己の運命を呪い、嘆くものだろうに。
照への協力は善意や同情による所ではなく、もっと別の、それこそ彼の根底に根差すものに起因すると涼は視たのだ。
「言ったでしょ? 呪詛は僕たちの形質を浮き彫りにしたって。呪詛で歪められたわけじゃない。僕であれば『変質』を強烈に僕に自覚させた。要するに照をああも歪めた鏡海にどうしようもなく惹かれた。そして同じぐらい照を僕で変えてしまいたい! ──って言うのがまあ動機と言えば動機かな。この際白状すれば五輪に花を放ったのは確かに僕さ」
そこまで聞いて、涼は今度こそコルトSAAの引き金を引いた。
一息に全弾発射。都合四条のインドラの鎗弾が至近距離から響へと殺到するが、同じ雷の術式であっさりと相殺された。
莫大な霊力に呼応し右脚に寄生していた月下美人が活気づくが、涼も今ので仕留められるとは考えていない。一瞬の時間稼ぎが出来ればそれで十分。
「はあああああッ!」
残り全てのフランの煙草を直接消費して、体内で霊力を爆燃。呪詛を練り上げ右脚へ巣食う月下美人へと注ぎ込む。
変質に変質を重ねた月下美人の霊力は今や妖気と言って差し支えない禍々しい霊気だ。生半可な術式が干渉すれば、その効力を発揮する間もなく形骸化するだろう。
しかし涼の呪詛は逆に月下美人を侵食し、眩い程に白かった花達は真紅に染まり、その姿を彼岸花へと移ろわせる。
赤服。涼の身に宿った正体不明の呪い。彼岸花はこれを涼が御し、武器へと昇華させた姿。
奇しくも発想を同じくした両者であったが、威力は御覧の通り桁違いである。
月下美人は逆に取り込まれ、枯渇していた霊力が一気に補われる。
その光景にさしもの響でさえ眼を見開き、次には恍惚に身を震わせた。
「痴れ者が。性根が腐っているなら更生の余地は無いな。アストレアの監視官として、ここで討ち滅ぼしてくれるッ」
「あはっ! イイね俄然君に興味が湧いてきた。でも僕になんか構ってていいの?」
「雨取が殺人鬼でないのは明白だ。貴様を片付けてから五輪に戻ればいい」
「甘いな~、監視官。もう少し冷静にならないと」
やれやれと響は緊張感もなく大仰に肩を竦めてみせる。直ぐにでも襲い掛かろうとしていた涼は訝しみ踏み止まった。
僅かに出来た時間は過熱した涼の思考を冷やし、事件当初から謎であった疑問に再び導く。
即ち誰が五輪で犯行に及んでいたのか、だ。
響ではない。涼は担当では無かったが念のために監視はしていたのだ。照は何かしらの形で関わっているのだろうが、恐らくは犯人を追っていたのだ。伴って雀も除外。
月下美人は唯の器だ。脳は文字通り有していない。
では涼も知らない新手が潜んでいるのか。可能性は十分に考えらえるが、涼はどうしても腑に落ちなかった。
何か致命的な見落としをしている、そんな言い知れぬ悪寒さえ這い出て来る。
益々勢いを増していく車両の篝火を背に響の口元が三日月形に大きく歪み、悪魔の囁きはもたらされた。
「僕の花たちは中身に相応しい器を求めた。寄生された人たちは花に身体を侵されたというより、霊基の拒絶反応で死んじゃった人の方が殆どさ」
「拒絶反応……?」
響の言わんとする事は理解出来る。
拒絶反応とは身体が起こす防衛機構だ。臓器移植に代表される様に、身体は他者の臓器を異物とみなし排除しようとし、適合しない。場合によっては死に至る事さえある。
これは月下美人と言えど例外ではない。月下美人は不完全ながら七榊響そのものであれば、寄生されれば激しい痛みを伴い拒絶反応は起きる。
──ならもし、普段から他者の身体に慣れ親しんでいればどうか?
「まさかッ……い、いや、そんな馬鹿なことが!?」
一つの結論に至り、涼は敵前でありながら激しく狼狽した。
いる。涼の盲点を突き、雀たちを欺ける人物が一人だけ。
不味いことになった。
事によっては雀と照は今晩死ぬこととなる。
「さあ。あの人は僕も馴染めなかった僕を掌握出来るのか、楽しみだ」
全ての仕掛け人である響だけがクルクルと輪舞を踏み、炎で焦げる空を仰ぐ。
ネタ晴らしも終え、舞台はいよいよ佳境だ。